第92話 セイテンタイセイ問答
第92話
──ペルセウスとメドゥーサが翔太と美優へ牙を剥いた、その頃。
魔王レラージェの巣穴――洞窟に、招かねざる客が足を踏み入れていた。
コン――棍が地面を突く乾いた音が、洞の奥まで届いた。
人肉と骨で編んだ玉座に座るレラージェは、その一打だけで誰かを識別する。
口角だけが笑い、糸目は崩れない。だが、警戒だけが一段、冷たく深くなる。
ここは巣だ。許しなく踏み込める者など、本来いない。
洞の空気が、わずかに逆流した。
固有結界が「外」を拒むときにだけ起きる、異様な呼吸――侵入の合図だ。
レラージェは言う。
「突き止めたか――ここに私がいると」
その声に呼応するように、
洞窟の闇を吸い上げて、一体の影が立ち上がった。
それは棍を手にしていた。
聖魔・セイテンタイセイの得物――如意棒だ。
「我が結界へ、影身だけで侵入か……。なかなかの力だな、セイテンタイセイよ」
レラージェの固有結界は、許しなく侵入できない。
それを中和し、さらに“影身”で潜り込む――
レラージェにとっても未知の手口だった。
「侵入してみれば、我の名を知る者……」
影は、如意棒を回し、もう一度、地面にトン! と、突く。
「我を知る貴様は何者だ? この程度の結界を結びおって」
「はっ!」
レラージェは、警戒したまま、鼻で笑う。
「石猿ごときに、名乗る名前はない」
「なるほど……。西洋の妖か。ベレスのヤツと同じ匂いがする」
レラージェの眉がぴくりと動いた。
──こいつ、ベレスを知ってやがるのか……!
「その通り。我は、ベレスとは旧知の仲だ。アレは面白い。だが、お前はつまらんヤツのようだな」
「では、何をしに来た、妖仙よ。ここはお前のような下賤な輩が入って良い場所ではない!」
心を撫でられた――そう感じた瞬間、背筋が冷えた。
影身だけで、この圧。
(侮れぬ……)
レラージェの警戒はマックスに達した。
これに、セイテンタイセイは答える。
「ほう、我を妖仙呼ばわりとな。では貴様はどうだ。
ギリシャ神話を歪め、666の獣を無駄に刺激する。
混乱し凶暴化したペルセウス。因果を捻じ曲げ、過去と現在を同居させた魔獣メドゥーサ。
それだけの力――お前も魔王の一柱だろう。
なにゆえ神話を捻じ曲げた。なにゆえ下僕だけで動かす」
──すべて、お見通しってことか。
「恐れておるのか? ベレスの介入を」
「あまりに蔑まれたものだな。セイテンタイセイよ。私は、ベレスとの衝突、むしろ楽しみにしている」
「ほう。ベレスと、ことを構えると」
影身なのに、セイテンタイセイが笑ったのがわかる。
それほどの強い妖気を放っている。
「セイテンタイセイ、お前、ベレスとは旧知と言ったな。なぜだ。なぜアジアの妖仙ごときが、ソロモン72柱の者と関係を持っている」
「アレは顔が広い。神々とも親密に交わる、不思議な悪魔だ。
オーディン、邪神ロキ、ゼウス、シヴァ――数えればキリがない」
レラージェは動揺する。
──ベレスが、それほどの力……神も悪魔も越えた何かを持っているというのか!?
まさか、と思う。
だが、セイテンタイセイは言葉で人を惑わすとも聞く。
「ククククク……見えた、見えた。心が透けた。お前の名はレラージェ。魔王レラージェ、戦争の神と言われし悪魔。なるほど。戦闘力だけであれば、ベレスを凌駕すると思ったか」
「私にも見えたぞ。セイテンタイセイ。貴様、怪しげな術を使うが、魔力の貯蔵量においては、私の足元にも及ばぬ。戦えば、どちらが勝つか……。火を見るよりも明らかだ」
アッハッハッハッハ!
急にセイテンタイセイの影が笑い出す。
「何のつもりだ」
「何のつもりも、どうもない」
セイテンタイセイの影は、急にしゃがみ込み、あぐらをかいた。
あまつさえ、腿に頬杖をつき、戦闘の構えを解いた。
「確かに、我の作りし阿修羅像。あれを倒した力は見事であった」
「あんなもの。下等なホムンクルスだけで、十分だ」
そのホムンクルスとは、例の天使像の群れだ。
「それは、そうだろう。何しろあの阿修羅は、人間討伐のためだけに作りし模造品だからな」
「あまりにもお粗末な、魔像物だったな。お前までもが、幽世から来たと知り、見せしめのつもりだったが……。あれだけの魔力の差を見せつけられ、それでも私を、愚弄し続けるのか」
「愚弄……? それも仕方あるまい。お前には、何も見えておらぬのだからな」
「何だと?」
一触即発。
レラージェの魔力が跳ね上がる。
それでも影は、あぐらのまま頭をぽりぽりとかいた。
その余裕が、さらなる不気味な印象を、レラージェに与える。
「レラージェ、いや過去には戦争の神と崇められし者よ。お前は、誰が敵かを見誤っておる」
「ほう。我が目的までも、見抜いたとでも言いたいようだな」
「行動を見れば、明らかだ。お前は、この町に恐怖と混乱を植え付けておる。そして、ペルセウスとメドゥーサを、666の獣の元へと向かわせた」
まさか、とレラージェは思う。
──こいつ、本当に……
「貴様は、あの獣を、さらおうとしておるな? 魔界でコントロールをして、自らを利さんと」
レラージェの額に汗がにじむ。
得体が知れない存在だとは知っていた。
だが、ここまで妖しげで、頭の回転が速いとは想像だにしていなかった。
──まさか、アスタロトさまのことや、サタンへのクーデターのためというところまで見抜かれているのであるまいな……
もし、そこまで知られているとなれば、消さなければならない。
邪魔だ。
この妖仙は、敵となる存在だ。
だが、セイテンタイセイはそこまでは踏み込まなかった。
「ならば、我の立場も明かさねば、不平等というもの。お前たちは、見落としているものがある」
「見落としている……だと?」
「ああ、そうだ。敵はベレスや、我だけだと思っていないか? それはあまりにも見識が浅すぎる」
「何が言いたい!」
レラージェの六本の腕の筋肉が膨らむ。
だが、影身相手に、自分の魔力は通じるのだろうか──?
「我が滅ぼさんとしているのは、もっと危険な存在だ」
「もっと危険?」
「そうだ。そのために我はこの世へ来た」
「何だと言うのだ。私を差し置いて、危険とは……あまりにも愚弄が過ぎる!」
「やはり、知らぬか……」
セイテンタイセイの影は、あぐらをかいたまま、如意棒を再び、コン! と突いた。
「国際魔術会議よ」
「……なんだと?」
レラージェは混乱する。
あの、人間の魔術師たちが、怪異の研究のために作った組織。
そんな脆弱なもののどこに、恐れがあるというのか。
「お前は単に、政争……つまり、権力争いにだけ、あの獣を利用しようとしておる。まず、言っておこう。666の獣は、魔界ごときの者でコントロールできるものではない。次に。国際魔術会議の真の正体、真の目的について、あまりにも無知すぎる」
──やはり、気づいてやがったか。
レラージェは次の句が継げない。
それより、あんな人間の組織が、何だと言うのだ?
「我は、国際魔術会議を滅ぼすために、来たのだ。だが、我をしても、敵は巨大だ。ゆえに、黒幕を引きずり出そうとしているのだが、それを、お前が邪魔をした」
「一体、何の話だ!」
魔王レラージェとて、悪魔である。
この世の多くのものを見通す力がある。
それなのに、こんな妖仙に、知らぬ話を聞かされるのは、プライドが許せなかった。
「知らぬなら、知らぬ、で良い。これを知っているのは、幽世でも、神界の上層と、我ぐらいであろうよ。ベレスですら、知らぬかもしれぬ」
「なるほど。ここで、手の内は、明かしたくない、ということか」
「そうだな。我は何度か、この世に姿を見せておる。そこで、気づいた。ヤツらの企みに」
「それを知るためには、お前を倒し、無理やり口を割らせるしか、なさそうだな……」
やれやれ……そんな気配を漂わせて、影は再び立ち上がった。
「あの獣から、手を引いてもらおうと考え、ここに来たのだが、やはり無駄だったようだな」
そして、何か頭に浮かんだような仕草を見せる。
「ほう。ペルセウスのヤツ、なかなかいい勝負をしておる」
この聖魔は、悪魔よりも、この世を見通す。
──これが、東洋きっての、妖と呼ばれるセイテンタイセイの力か……
魔力量、戦闘力、すべてが、こちらが上なのは間違いなかった。
だが、西洋のルールとは違った、東洋の「術」というものが、どれほど恐ろしく、未知の力を秘めているのか。レラージェは思い知らされている。
「まあ、答えは聞いた。ならば、我とお前は敵だ」
セイテンタイセイの“影”は笑う。その笑いは、明らかに嘲りだ。
異常な殺気がこの固有結界に満ち満ちる。
このまま無傷で、この石猿を返しては、戦争の神の名が泣く。
「それは、この私が魔王と呼ばれる存在と知っての戯言か」
「いいや。占術だ」
セイテンタイセイは言う。
「我が仙術を用いて、すでにお前の未来を占っておる。お前の座標は南斗六星。西洋でいえば射手座であろう。その星の弓が折れる。その星に、凶相が出ておる」
「ここに来て、まさか占いごとか!」
ついに、レラージェが動いた。
洞の背後に数十ものの弓が開く。
そう。この弓こそが、レラージェの武具。
神をも穿つ、必殺の魔術。
そして放たれた。
数十の矢が放たれた。
ヒュン、ヒュン、ヒュン――
一本が空中で裂け、幾本にも分かれ、何百の凶器となってセイテンタイセイを貫いた。
いや、その影を。
影は一瞬早く薄くなる。
だが、矢はそのまま空を裂き、壁面や床を穿つ。
──やはり、実体どころか、影と本体をつなぐ魔術ラインすらないか……!
セイテンタイセイの笑い声が響き渡った。
「良かろう。温情を与えよう。お前は、正式に我の敵だ。西洋の妖の術、とくと披露するが良い。南蛮の魔王よ。その程度の力、飲み干せなくて何が『聖魔』か。東洋随一の神か」
そこにあったのは声だけだった。セイテンタイセイの影は矢を穿たれた時にはもう消えていたのだ。
「お前との闘い。実に楽しみだ。せいぜい励めよ。我を失望させるな。西洋の魔王よ」
そして静寂──
逃げられた。
だが、こうなった以上、
「──ならば、直に砕くのみ」
予想以上の者だった。
東洋をなめていた。
あれが、セイテンタイセイ。
西洋魔術の理屈が通らぬ東洋の『聖魔』の力──
ならば、ここからが本気だ。
レラージェは、魔力をさらに解放する。
実は、レラージェも隠していた。
敢えて。
あの石猿に悟られないよう。
真の実力を。
解放された魔力が、遠隔の回路へ一斉に流れ込む。
ペルセウスとメドゥーサ――操り糸が、太くなる。
「出力二段。射手の印章――展開!」
どこまで自らの力を悟られているか、分からない。
だが、いずれにせよ、いつかは、セイテンタイセイとも決着をつけねばならない。
だが、その前に。
セイテンタイセイに邪魔をされる前に、666の獣を、手中に入れねば……!
セイテンタイセイイメージ
◆ ◆ ◆
林の中では、まだデルピュネーと、英雄ペルセウスの闘いが続いていた。
その戦いは互角。
いや。
正確には、先ほどまでは、互角だった。
突如、ペルセウスの筋肉が膨れた。
一歩が重い。なのに速い。
踏み込みのたびに、地面がミシッと鳴り、風が遅れて追いつく。
──遠くから、何かの魔力が……
(……注がれた!)
デルピュネーは、寸でのところで、ペルセウスのハルパーを避ける。
(──まだ、上があると、いうのですか……!?)
デルピュネーは幹を蹴り、跳ね、滑るように木々を渡る。
幹は盾にもなる。
その間合いを、ペルセウスの巨体が無理やり踏み潰してくる。
デルピュネーも、速度をもう一段、引き上げた。
木という木が、ペルセウスの巨体の動きを鈍らせ、振り下ろすハルパーが幹を裂く。
もし、これは白兵戦ならば、どうなっていただろうか。
『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
直後――ペルセウスが腕を振り抜いた。
ゴギャッ、バキッ、ドン!
周囲の木々がまとめて折れ、巨体が動ける空間が作られる。
だが、デルピュネーはこの隙を見逃さなかった。
「はあああああああ!」
デルピュネーの槍の切っ先が、ペルセウスの心臓あたりを捉えた。
──貫いた。
そう確信するだけの、手応えがあった。
槍が胸板を突き破る。
手応えはあった。
だが。
──心臓がない、というのですか!?
ペルセウスは兜の下で笑い、即座に、そのデルピュネーにハルパーを落とす。
「体内に固有結界……!?」
ペルセウスの体内に“別の空間”が噛ませてある。
刺したはずの距離が、心臓まで届かない――物理が裏切られる。
驚き、身を引く。――だが槍が抜けない。
やむをえず、槍を手放す。
その瞬間、ハルパーが唸った。
デルピュネーは、後ろに体をそらすように飛んで、ギリギリで刃をかわす。
体を後方に一回転。大地にかろうじて着地する。
敵を見る。槍はペルセウスの胸を突き刺したままだ。
「先ほどまでは、胎内の固有結界など、なかったはず……」
その頬に、遅れて血の線が走った。
皮膚が、今になって痛みを思い出す。
かわしたと思っていたが。
(よけきれていなかった、と……!?)
ペルセウスは容赦なくとどめにかかる。
胸にデルピュネーの槍を刺したまま。
上下左右――刃が雨になる。
ザン、ザン、ザザン!
デルピュネーは丸腰。跳んで、反って、踏み替えて――退くしかない。
だが。
あえて、頭上に“隙”を作った。
誘いだ。勝負どころを、相手に選ばせる。
『ウオオオオオオオオオオオオオン!』
──かかりました!
果たしてその作戦は叶った。
デルピュネーの脳天へ向けて、ペルセウスのハルパーが振り下ろされる。
これを狙っていた。
デルピュネーは瞬間移動のように左へ体を移動させ、
ペルセウスの体が流れた隙に、自身の武器をペルセウスから抜き取る。
いや、抜き取ろうとした。
だが出来なかった。
空振りのはずだった。
だがハルパーは、空中で“跳ねる”――角度を変えて、二撃目になった。
(このキレ……さきほどまでとは違う…!)
振り下ろされたハルパーが、あり得ない反応で、デルピュネーに向き直る。
渾身の力で振り下ろした刃を即座に。どれほどの腕力か。いかなる俊敏さか。
──くっ!
それが、ついにデルピュネーの脇腹を捉えた。
ずぷり、と脇腹が裂けた。
次いで、熱いものが喉をせり上がる。――吐血。
かなりのダメージ。
しかし、デルピュネーもただでは転ばない。
その手には、すでに、
ペルセウスから引き抜いた、自身の槍があった。
ハルパーが脇腹を捉えた瞬間、抜き取っていたのだ。
だが、槍を取り返した代償はあまりに大きかった。
(少し……思っていたより奥まで刃が入ったようです……)
やむを得なかった。
このダメージでは、ジリ貧から敗北への道が描かれる。
だから、諦めた。
勝つことを、ではない。
この状態で、闘うことを、だ──
解放せざるを得ない。
そうしなければ、勝てない。
(ここまで、です――“封”を解きます!)
秘めたる力。
そもそも神相手に、力を抑えたままで勝てるわけがなかったのだ。
血が一滴、落ちる。
……落ちきる前に、指先がカチリと鳴った。
爪が伸びる。皮膚温が跳ね上がる。夜気が揺らぐ。
膝下に鱗の光。腰骨の上で、骨が二度鳴る。
そして――翼膜。
巨大なコウモリのような膜が、ばさりと開いた。
風圧で砂と枯葉が一斉に吹き飛び、後退する。
バキバキバキッ――
木々の枝が、彼女を中心に外へ折れた。
ドラゴンの翼。
半竜半人のデルピュネーの、真の姿。
いつも穏やかで、ほんわかしているデルピュネー。
その表情が憤怒に変わった。
美しく長く細い足が、ドラゴンの鱗の硬さまでに強化される。
同時に。
戦闘力が爆発するように一気に跳ね上がる。
「があああああああああ!」
デルピュネーの声とは思えぬ吠え声。
悪魔じみた冷酷な表情。
硬化された肉体。
腰から伸びる巨大な翼。
それは、まさにドラゴンの化身だった。
木の幹に触る。
素手で幹ごと倒れる。
そこへ、ハルパーが放たれた。
デルピュネーは、その初動を音で感じ取り、軽々とかわす。
吐血が止まった。
いや。
血が、即時蒸発したのだ。
口がすぼまる。
熱が集まる。赤い光が、喉の奥で脈打つ。
一瞬の静寂。
次の瞬間――溶岩のような吐息が解き放たれた。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
俗に言うドラゴンブレス。
一呼吸で樹皮が爆ぜ、樹液が沸騰し、幹は炭になる。
半径十五メートル――地面の表土が焼けてガラス化した。
つまり、そこはもう“燃える森”ではない。“溶ける森”だ。
さすがのペルセウスも、一気に炎に包まれた。
燃え盛る巨大な火柱の中、ペルセウスの影だけがあがき暴れまわる。
デルピュネーの瞳がさらに強い光を放つ。
光は、直線を描くはずなのに、
デルの目から炎のような形で燃え上がっていた。
物理で戦ってきたデルピュネーが――
ついに、物理そのものを捻じ曲げた。




