第92話 セイテンタイセイ問答
第92話
──魔王レラージェの巣、地下の洞。
人の肉を重ね固めた玉座に腰を下ろすレラージェの耳へ、コンと棍の音が乾いて届いた。
レラージェは口角だけで笑む。糸目はそのまま、温度が一段下がる。
洞の空気がわずかに逆流する。固有結界に外部の“影”が踏み込んだ徴候だ。
それが誰か。
レラージェにはすぐに分かった。
「突き止めたか、ここに私がいるということを」
そのレラージェの声に呼応するように。
中国の古代衣装を身にまとい、棍を手にするセイテンタイセイ。その影がぼんやりと浮かんだ。
「ほう。我が結界へ影身で侵入とは、やるな。セイテンタイセイよ」
影が輪郭を結ぶ。中国の古装に金冠、如意棒を斜めに立て、セイテンタイセイが薄く笑う。
「我の名を知る者……」
影は、棍を回し、もう一度、地面にトン! と、突く。
「貴様は何者だ?」
「石猿ごときに、名乗る名前はない」
レラージェは不遜に答える。
「まず詫びろ。私の結界を汚したことを。その自慢の仙術も、最強神具の一つと謳われる『如意棒』も、この結界の中では無意味だ」
「然り」
「では、何をしに来た、妖仙よ。ここはお前のような下賤な輩が入って良い場所ではない」
「ほう、我を妖仙呼ばわりとな。西洋の魔物は、かくも痴れ者。確かにこのセイテンタイセイ、今は“影”のみ。とは言え、貴様を滅ぼす技を持たぬと思うか」
まさか、と思う。
だが、セイテンタイセイは言葉で人を惑わすとも聞く。
「ククククク……」
急にセイテンタイセイの影が笑い出す。
「何のつもりだ」
セイテンタイセイはいかにもおかしそうに笑い、どかっと、腹を据えて、レラージェの前であぐらをかいた。送り込まれてきたのは“影”。その影が自在に動き、しかも、あぐらまでかく。西洋魔術の常識を無視した、セイテンタイセイの術、性質。さすがのレラージェも仰天した。
「貴様、どこまで私を愚弄するつもりか」
「何のつもりも、愚弄もない」
あまつさえセイテンタイセイは肘を立て、頬杖しながらリラックスした姿で問答を続ける。
「ただお前と話をしたいと思い、ここに姿を表した。それだけよ。お前の顔が見たかった」
「顔だと」
会話をしながらレラージェは相手の力を見図ろうとする。たとえ相手が“影”のみだとしても、その正体は“聖魔”であり、“神”に近い。どんな妖しい術を駆使するか、未知数なのだ。
「なぜ、お前は、私の邪魔をする。アレを護ろうとする組織。それを潰さんとする私の目論見の、何が気に入らん!」
◆ ◆ ◆
国際魔術会議を突如襲った、阿修羅像。
エージェントたちを全滅に追い込みかけたその時、大量の天使像が現れ、その阿修羅像を、その無数の弓矢で、討った。
◆ ◆ ◆
確かにあの天使像はレラージェの使い魔。セイテンタイセイは国際魔術会議の連中を根絶やしにしようとしていた。セイテンタイセイは気づいている。国際魔術会議の正体に。
「あの人間どもの真の目的を知らぬお前ではあるまい。お前がこの世に顕現したのは、我と同じ、666の獣を屠る目的ではない。そうだな」
「屠るだと」
レラージェは笑った。
かたや西洋の強大な魔王。かたや東洋の偉大な英雄。大聖孫悟空と崇められる妖仙であり神の位置まで上り詰めたセイテンタイセイ。
この大物・二強の邂逅は大地を振動させるほどの衝撃を窟内に生み出す。
「所詮、お前も猿か。邪魔をされたから頭に来た。笑止。ただただ“獣”を亡き者にしようとする安直な考え。なぜこの状況を利用しようと思わん。これはこの世の理を転覆させる好機。なぜ思い至らん」
「あれを、利用する?」
「想像を絶する“破壊”。それを乗りこなしてこそ、新たな世界の秩序が生まれよう。お前に分かるよう優しくほぐそう。人が核ミサイルを持ち、睨み合いになるのと同様。つまり、これを利用する。有意義だと分からぬか」
「答えは聞いた。ならば我とお前は敵だ」
「滅ぼすことだけが、最善の策と思うならそうだろう。私はお前の最大の敵となる」
「最大とな……?」
セイテンタイセイの“影”は笑う。その笑いは、明らかに嘲りだ。
「大きく出たな。南蛮の魔族よ」
異常な殺気がこの固有結界に満ち満ちる。セイテンタイセイは一筋縄では行かない。
「ものを知らん。我と事を構えようとするは、それ即、死」
「それはこの私が魔王と呼ばれる存在と知っての戯言か」
「分からぬのか。お前の最期は、我が現れたことで、とうの昔に終わっておる」
「終わっている?」
「終わっておるとも。ゆえに顔だけ拝みに来た。我が仙術を用いてお前の未来を占った。お前の座標は射手。弓が折れる。それが“しるし”だ」
「ここに来て、まさか占いごとか」
「だがお前にしては、良き度胸。褒めてやる。お前はケレン味というものをよく知っている。その自信たっぷりの口上、非常に愉快。そうでなくては、面白うない。お前、これまで数多くの罠をしかけて666の獣をおびき出そうとしたのであろう。ようやくその存在を突き止め、今、それを捕縛しようとしているのだろう」
──こやつ、どこまで知っている?
「その見果てぬ夢の結末を、お主が知るのは間もなくだ。まずこの我が、この世に顕現したのが、その理を理解する第一歩」
「見果てぬ夢……だと?」
この、魔王レラージェの作戦が……?
地獄の三大実力者アスタロトをバックにした私の作戦が?
「見える見える。未来が見えるぞ。蹂躙される世界が。敗北するお前の姿が。ゆえに我は、その未来を変えるためにここに来た。666の獣を葬るため。今でこそ“神”として崇められているが我も、かつては“魔王”として怖れられたものよ。そんな我を差し置いて自ら“魔王”だと。痴れ者め。ここ東洋の地、なめるでないぞ」
「黙れ!」
レラージェが指を鳴らす。洞の天蓋に数千の弓が開き、光矢が斉射される。
影は一瞬早く薄くなる。矢は空を裂き、壁面だけを穿つ。
セイテンタイセイの笑い声が響き渡った。
「良かろう。温情を与えよう。お前は正式に我の敵だ。西洋のあやかしの術、とくと披露するが良い。南蛮の“魔”の術、飲み干せなくて何が“聖魔”か。東洋随一の“神”との闘い、戦慄して待て」
そこにあったのは声だけだった。セイテンタイセイの影は矢を穿たれた時にはもう消えていたのだ。
つまり、レラージェの矢は「外した」のではない。
先に立ち去られてしまったのだ。
こちらの攻撃を見る前に。
見る必要もないとばかりに。
耐え難い屈辱。
レラージェは玉座を握り砕き、血が滴る掌を見て深く息を吐く。
「──ならば、直に砕くのみ」
予想以上の者だった。
東洋をなめていた。
あれが、セイテンタイセイ。
西洋魔術の理屈が通らぬ東洋の“聖魔”の力──。
そこでレラージェの魔力をようやく解放した。
秘めていたのだ。敢えて。あの石猿に悟られないよう。
そしてその解放された魔力は、レラージェが放った使い魔の回路にも一斉に流し込まれる。
「出力二段。射手の印章、展開!」
セイテンタイセイイメージ
◆ ◆ ◆
林の中では、まだデルピュネーと、英雄ペルセウスの闘いが続いていた。
その戦いは互角。いや。ゼウスの血を引くペルセウスがやや有利か。
木々の間を幹を蹴りながら、盾にしながら、器用に立ち回るデルピュネー。
木という木が、ペルセウスの巨体の動きを鈍らせ、振り下ろすハルパーが幹を裂く。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ペルセウスが吠えた。
直後、渾身の力を持って周囲の木々をなぎ倒した。
自らが自由に動ける空間を作ったのだ。
だが、デルピュネーはこの隙を見逃さなかった。
「はあああああああ!」
デルピュネーの槍の切っ先が、ペルセウスの心臓あたりを捉えた。
──貫いた!
槍が胸板を突き破る。手応えはある。だが心臓がない。位置が“ずれて”いる。
ペルセウスは兜の下で笑い、即座にハルパーを落とす。
「体内に固有結界……!?」
ペルセウスの体内には結界が張られ、物理の理屈が通用しない空間となっていた。
驚き、身を離そうとするも、身長差がありすぎるが故、貫いた槍を持つデルピュネーの足元は宙を掻く。しかも抜けない。
やむをえず、槍を手放す。後ろに体をそらすように飛んで、ギリギリで刃をかわす。
そして体を後方に一回転。大地にかろうじて着地した。
敵を見る。槍はペルセウスの胸を突き刺したままだ。
「先ほどまでは、なかったはず……」
その時、デルピュネーの頬に、血の線がスッと現れた。
すんでのところでかわしたと思っていた。
だが。
(当たっていたと……!?)
ペルセウスは容赦なくとどめにかかる。胸にデルピュネーの槍を刺したまま。
上下左右、おそろしいスピードで降る刃の群れ。丸腰のデルピュネーは、さらに後方へ飛んでかわし。
“敢えて“頭上に隙を作った。
果たしてその作戦は叶った。デルピュネーの脳天へ向けて、ハルパーが振り下ろされる。これを狙っていた。デルピュネーは瞬間移動のように左へ体を移動させ。その隙に、自身の武器をペルセウスの心臓から抜き取る。
いや、抜き取ろうとした。
だが出来なかったのだ。
空振りしたはずのハルパーの刃。
ハルパーが空中で角度を跳ねた。柄元の鎖が鳴る。投げ鎌の要領だ。
「投げと薙ぎを同時に…!」
予想外。渾身の力で振り下ろした刃を即座に。どれほどの腕力。いかなる俊敏さ。
それが、ついにデルピュネーの脇腹を捉えた。
即座に撤退する。
これが、ギリシア神話に名高い、英雄ペルセウスの、戦闘能力。
吐血する。
しかし、デルピュネーもただでは転ばない。
その手には、すでに。
ペルセウスから引き抜いた、自身の“槍”があった。
ハルパーが脇腹を捉えた瞬間、抜き取っていたのだ。
それは裏目にも出ていた。
(少し……思っていたより奥まで刃が入ったようです……)
やむを得なかった。このダメージでは、ジリ貧から敗北への道が描かれる。
諦めた。
勝つことを、ではない。
解放したのだ。
秘めたる力を。
デルの脇腹から血が一筋落ちる。指先がカチリと鳴り、爪が伸びる。
皮膚温が一気に上がり、夜気が揺らぐ。膝下に鱗のような光が走る。
腰骨の上で骨が二度鳴り、翼膜が開く。その風圧で、砂と枯葉が一斉に後退していく。
デルピュネーの周囲の木々の枝がすべて、デルピュネーを中心に外側へ折れた。
ドラゴンの翼。
半竜半人のデルピュネーの、“真”の姿。
いつも穏やかで、ほんわかしているデルピュネー。その表情が憤怒に変わった。美しく長く細い足が、ドラゴンの鱗の硬さまでに強化される。戦闘力が爆発するように一気に跳ね上がる。
「があああああああああ!」
デルピュネーの声とは思えぬ吠え声。
悪魔じみた冷酷な表情。硬化された肉体。腰から伸びる巨大な翼。
まさにドラゴンの化身。
木の幹に触った。
素手で幹ごと倒れる。
ハルパーが放たれた。
その初動を音で感じ取り、軽々とかわす。
吐息で血が止まる。
その熱で即時蒸発したのだ。
その熱気を放つ口がすぼめられ。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
ドラゴンブレス。
一呼吸で樹皮が爆ぜ、樹液が沸騰し、幹が中空になる。
距離十五メートルまで表土がガラス化。
当然、ペルセウスも炎に包まれる。
燃え盛る巨大な火柱の中、ペルセウスの影だけがあがき暴れまわる。
天頂の射手が一度だけ瞬いた。




