第91話 デルピュネーvsペルセウス
第91話
かたやゼウスの子。かたや、ゼウスを退けた最強巨人の使い魔。
息が触れれば当たる間合い。油断は一拍も許されない。
ゼウスの子・英雄ペルセウスは、思い切り薙ぎ払われて流れた体勢を即座に戻し、無防備なデルピュネーの頭上に三日月状の鎌に似た刃・ハルパーを振り下ろした。
速い!
風が裂かれる。
それをデルピュネーは両手で槍を半回転。柄で受け止める。
骨まで震える金属音。
が。
防御が崩され、地面に叩き落とされる。
アスファルトが避け、粉じんが舞い上がり、壁になる。
その中に、うっすらとデルピュネーの姿。
メイド服は無事。長く美しい銀髪は乱れず。
デルは静かに槍を構え直す。外傷はないが、瞳に緊張が灯る。
「ペルセウスさま……」
当然だ。同じ神話内での英雄。それが相手なのだ。デルピュネーのエメラルドの虹彩がわずかに細くなる。敬意はもちろん、強制的に魔術でバーサク化された悲劇を感じ取ったのだ。
「あら、あなたコーリュキオンの、洞窟の番人、じゃ、ない、の」
目を伏せたままの美少女がデルピュネーの正体に気づく。
「確かテュポーンさまのとこの。デルピュネー、ね。まさか、こんな所で会えるとは」
「あなたは……メドゥーサですね」
デルピュネーは緑の甲冑の美少女を「メドゥーサ」と呼んだ。
「さまざまな神具を巧みに用いるペルセウスさま。あなたはその攻撃で斬首されたはず。なぜ動く。なぜ共闘? その体は? アテネさまの呪いは?」
メドゥーサは甘い微笑を作った。
「ペルセウスが宿敵? ざ~んね、ん。今やペルセウスは私の下僕、なんですよ」
「まさか。半神半人のペルセウスさまが、あなたごとき魔物の使い魔になっているということですか」
「あなたごとき?」
メドゥーサはムッとした表情を見せる。
「私の瞳の力のこと、ご存知ないはずはないので、すが?」
メドゥーサから異様な瘴気が立ち上り始める。彼女が瞳の魔力を開放したら最後、どんな者も石にされる。
「翔太さま、美優さま! 早くお逃げ下さい!」
デルピュネーが叫ぶ。
「そして、この女と目を合わせないでくださいまし。石にされてしまいます」
「石に?」
「石化能力、なるほど。分かったわ」
美優は後ずさりながらも気丈さを忘れない。
「メドゥーサ。ゴーゴン三姉妹の末っ子。ギリシア神話でも有名な怪物よ」
「目を見ただけでダメなのか?」
「そう。しかも、そこの大男……もし、彼が本当にペルセウスだったら、ペルセウス自身が退治した怪物よ。──アテネの呪いは解かれているようね。あの姿に騙されるところだったわ」
ペルセウスは夜空に浮かんだままだ。その足元には光の翼の生えたサンダル。羽は左右三枚ずつ。光が脈打つ。
「あれが、下級女神・ニンフたちがペルセウスに与えたとされる『翼のサンダル』。空も自由に飛び回れる、チートもいいとこだわ」
「あら、詳しいの、ね」
メドゥーサは驚いたように言う。
「じゃあ、冥府王ハデスさまからもらった、あの『闇の隠れ兜』もご存知かしら」
ハデス──。ゼウスの兄にして、冥府の王。ギリシア神話の有名どころの名前が飛び交う会話に、さすがの美優も戸惑いを隠せない。
「……知ってる……わ」
「それがその『闇の隠れ兜』よ」
「まさか……。本当にアレはペルセウスなの!?」
「あら、信じない、のね。ではペルセウス。出し惜しみは結構のようです。私を討ったその力、見せておやり」
この声に応じたペルセウスは、真っ赤な目で一度だけメドゥーサを見て。
──消えた。
路面で槍を構え直し、周囲を伺うデルピュネー。
『闇の隠れ兜』。位置は風と音で読むしかない。
息を殺して耳をすます。感じる。
そのデルピュネーにペルセウスの見えない刃が襲いかかった。
かろうじて槍の柄で防ぐ。だがたまらず吹き飛ばされる。
山の方。
山へ入る路地の一つに吹き飛ばされていく。
「デル!!」
一陣の風。ペルセウスが大地を蹴って、デルピュネーにとどめを刺しに飛ぶ。
だが、見えない敵にもデルピュネーは怯まない。体をくるりと回転させると着地。数メートル足裏が背後に引きずられる。
だがすぐに槍の底……石突に挿したサファイアブルーの宝石を抜き取り、闇へ放った。
デルの石突部分の宝石には、魔力を込めた糸が仕込んである。
青い糸が扇状に開き、空間を格子にする。
その張り巡らされた格子が大きくたゆむ。そこに何かが引っかかった。
うっすらとペルセウスの姿が見えてきた。
デルピュネーは投げた青の石を糸ごとたぐり寄せる。パシッと青の宝石を手に戻す。
「ペルセウスさま、戻ってください!」
返事は刃。糸は一息で断ち切られる。
「あくまでもコンタクトは取れないということですね……」
デルピュネーの顔に憐れみが浮かんだ。
ハルパーは、鍛冶の神ヘパイストスがアダマント(ダイヤモンド)から作成した武器。
デルピュネーの魔法の糸であっても、切り裂かれるのは仕方ない。
神が創造し武具。デルピュネーの魔力では到底、及ばない。
やむを得ずデルピュネーは槍を構え直す。大地を蹴る。目にも止まらぬ槍と剣戟の応酬が始まる。闇の中で、弾け飛ぶ火花、光、金属音。
だが徐々に押されてる。デルの放つエメラルドグリーンの輝きが、背後へと引いていく。それでも諦めない。次に、誘うように林の中へ飛び込む。追うペルセウス。再び林から、槍とハルパーが何度もぶつかり合う音が響き渡る。
「うまいわね」
美優が言う。
「何が?」
翔太は問う。
「あの巨体よ。林ならデルに分がある。木々などの遮蔽物が林立している場所なら、さすがの神話の英雄も、幹が盾になって動き回れないわ。逆にデルは小柄」
「そうかし、ら?」
メドゥーサが口を挟む。
「そうせざるを得なかった、んじゃない? 逆に考えられ、ない? 分断完了。今のあなたたち、丸裸よ」
そう言うとメドゥーサは一歩、翔太らに近づいた。
砂利が一つ、彼女の爪先で音を立てる。
油断した。デルピュネーたちの戦闘の迫力に目を取られすぎた。
確かに、今、守護者はいない。
翔太は美優の前に立つ。
「逃げろ、美優」
「でも、それじゃ……」
「もう俺の魔術回路は準備ができている。ラーのイーナリージアが満ちている」
「あら、勇ましい、のね。でも、それで、私に勝てる、かしら?」
メドゥーサは不敵な笑みを浮かべる。
「それに私が欲しいのは欲しい、のは坊や、だけ――“獣”は、あな、た」
なぜ、それを……!
美優の横顔が、わずかに強張る。
メドゥーサの表情は徐々に獲物を仕留める怒気を帯び始めた。
「簡単、よ。デルピュネー、あんな使い魔、が、あなた達を護衛しているっていう事実。そして、今、あなたの体内に流されているイーナリージアと魔術回路。どれもこれも、あの忌々《いまいま》しい魔王ベレスの差し金、でしょ」
ベレス……成宮蒼のことまで知られている。
「大丈夫。別に殺すわけ、じゃないんだから。ただ、坊や、が、ほしいの。それだけ、なの」
「そんな話、信じない」
美優はシラットの構えに入る。
これには翔太も驚く。
「あら」
とメドゥーサは驚いた声を上げる。
「あなたは、いらない、のよ。でも、勇敢、ね。勇敢な美少女、私は嫌いじゃない、わ」
「聞いたでしょ、翔太くん。この場から逃げて!」
「ダメだ! いくら美優でもシラットが化け物に通用するはず……」
だが翔太の言葉は、美優に届かなかった。
美優は一気に間合いを詰めた。
いくら甲冑を装備していようが。
(“関節”なら、折れる《・・・》──!)
右の掌が熱い。脈と同じリズムで、皮膚の下が脈打つ。
「そう。おバカさんなの、ね」
メドゥーサはそう言うと、閉じていたまぶたを。
ゆっくりと開けた──!




