第91話 デルピュネーvsペルセウス
第91話
『グウウウ……』
英雄・ペルセウスは声にならない声で、デルピュネーを睨みつける。
逆にデルピュネーの目は、薙ぎ払った先の、相手の武具へ。
そこには、鎌に似た刃があった。
(なるほど……あれが、『アダマスの鎌』と呼ばれるものでございますね)
別名・ハルパー。
湾曲した刃を内側に持つ、鎌と剣のあいだに生まれた異形の神具。
その刃は、怪物メドゥーサをはじめ、「不死」と呼ばれた存在すら終わらせてきた。
三メートルの巨人。だが、重さを感じさせない。
崩れた体勢を一拍で立て直し、次の瞬間――
三日月状の鎌が、デルピュネーの頭上へと叩き落とされた。
速い!
だが、デルピュネーは両手で槍を半回転。
それを柄で受け止める。
骨まで震わせる金属音が、夜空を引き裂いた。
(──この力!)
デルピュネーの防御が崩される。
まるで高層ビルがそのまま落下してきたかのような重い衝撃。
たまらず、デルピュネーは、路面に叩き落とされた。
──ズンッ!
アスファルトが避ける。
粉じんが舞い上がる。
超高速で落下したデルピュネーの姿に、思わず翔太は叫ぶ。
「デルッ!」
だが、その粉じんの煙の中で、すっくと立ち上がった影が見えた。
デルピュネーだ。
叩き落とされたアスファルトは、クレーターのように陥没している。
だが、粉じんが晴れると――
メイド服は破れず、長い銀髪も乱れていなかった。
(──無事、なのか……?)
翔太が心配になる中、デルは静かに槍を構え直した。
外傷はないが、瞳に緊張が灯っている。
エメラルドグリーンの虹彩が鮮やかに光っている。
その魔力を帯びた瞳で、デルピュネーはペルセウスを見た。
ペルセウスの姿は、まだ空中にある。
口からは、『ゴオオゥ』と獣のような咆哮。
「ペルセウスさま……」
その声には、敬意と悲哀の両方がにじんでいた。
どのような術式なのだろう。
あの大英雄が、星座として天へ上ったはずの英霊が、
バーサク化され、デルへと敵意をむき出しにしている。
そんなデルの姿を見て、目を閉じた美少女が鈴の声を上げた。
「あら、あなたコーリュキオンの、洞窟の番人、じゃ、ない、の」
デルピュネーは、警戒はそのまま、彼女の方を見る。
「確かテュポーンさまのとこの。デルピュネー、ですね。まさか、こんな所で、ギリシャ最強クラスといわれる、あなたに、会える、とは」
「そういうあなたは……メドゥーサでございますね」
デルピュネーはその美少女を「メドゥーサ」と呼んだ。
その名前に、美優は思わず目を見開く。
「メドゥーサ……ですって?」
「あの、見るものを石化するっていう、あの怪物か」
翔太もさすがにその名には覚えがある。
「でも、メドゥーサって、髪の毛が全部、蛇の化け物みたいな見た目だったんじゃ……」
「確かに、そう」
美優は答える。
「でも本来のメドゥーサは、ギリシャ神話でも名高い、美しい少女だったとされている。海神・ポセイドンに見初められ、知恵と戦争の女神・アテナの神殿で、無理やり、その身を穢されたとされているわ。これに、処女神でもあったアテナは激怒した。そして理不尽にも、メドゥーサの方に呪いをかけたの。彼女が化け物になったのは、アテナの呪いよ」
「そんな……。つまりアテナは、襲った方じゃなく、襲われた方を……」
「そういうこと。女の権力者が、自分よりも美しい少女に嫉妬する──どの時代にもよくある話よ」
このやり取りが聞こえていたのだろう。
メドゥーサは、「あら。そちらのお嬢さんは、よくご存知のようね」と微笑んだ。
そんなメドゥーサに、デルピュネーは問う。
デルをして、今の状況は、不可思議で、理由が分からなかった。
「メドゥーサ……。あなたはペルセウスさまによって、斬首されたはず。それなのに、その体は? なぜ共闘を? アテネさまの呪いを解いたのは誰ですか? それにペルセウスさまは、あなたの宿敵なはず」
その問いに、メドゥーサは甘い微笑を作った。
「ペルセウスが宿敵? ざ~んね、ん。今やペルセウスは私の下僕、なんです、よ」
「まさか」
デルピュネーにとってもその言葉はにわかに信じられない。
「半神半人のペルセウスさまが、あなたごとき、魔物の使い魔になっているということですか」
「あなたごとき?」
メドゥーサはムッとした表情を見せた。
「デルピュネーよ。私を、怒らせる、つもり? 私の瞳の力のこと、知らないわけじゃない、でしょ?」
途端に、メドゥーサから異様な瘴気が立ち上り始める。
彼女が瞳の魔力を開放したら最後、どんな者も石にされる。
「翔太さま、美優さま!」
デルピュネーが叫ぶ。
「早くこの場を離れて! この魔物……その瞳の能力は、呪われたままのようです」
美優は驚く。
「そんな器用な、解呪法あるの……!?」
「どうやってそうしたか、デルには分かりません。ですが、悪魔の御技を用いれば、十分に」
「石化能力の呪いは健在、なるほど。分かったわ」
美優は後ずさる。
そして、もう一人の敵。
夜空を見る。
「翔太くん、あれの動きにも気をつけて」
そう言われて翔太が見上げた先には、例の三メートルの巨人の姿。
ペルセウスは夜空に浮かんだままだった。
その足元には光の翼の生えたサンダル。
羽は左右三枚ずつ。光が脈打つ。
「あれが、下級女神・ニンフたちがペルセウスに与えたとされる『翼のサンダル』」
「空も自由に飛べるのか」
「そう。ペルセウスの恐ろしいところは、そこよ。神から与えられたチート武器をたくさん持ってる」
「あら、お嬢さん、詳しいの、ね」
そこへメドゥーサが割って入った。
「なら、冥府王ハデスさまからもらった、『闇の隠れ兜』もご存知かしら」
ハデス──
ゼウスの兄にして、冥府の王。
「ええ。もちろんよ」
ギリシア神話の有名どころの名前が飛び交う会話に、翔太は戸惑いを隠せない。
「ハデス……って……」
「そう。その『闇の隠れ兜』。簡単に言えば、自身の姿を消せる神具」
「そんな。反則級ってもんじゃないぞ」
「そうよ。それが本当なら、どうも、アレは本物のペルセウスみたいね。そんな大英雄が水城に……」
「あら、信じない、の?」
メドゥーサは、美優の動揺をうれしそうに受け取った。
「そう、です、ね。ではまず、ペルセウスから。出し惜しみは結構のようよ。私を討ったその力、見せて、おやり」
この声に応じたようにペルセウスの姿が、
──消えた。
思わず息を呑む、翔太と美優。
デルピュネーは、路面で槍を構え直し、周囲を伺っている。
敵が使用しているのは『闇の隠れ兜』。
位置は風と音で読むしかない。
デルピュネーは、息を殺して耳をすます。感じる。
最優先は、翔太と美優の命。
(感じました……!)
風を引き裂き、デルピュネーが翔太たちの前へ滑り込む。
次の瞬間、見えない刃が二人を薙いだ。
デルピュネーは、それを、かろうじて槍の柄で防ぐ。
こらえる。
そして器用に槍を回し、見えないペルセウスの肉体へ刃を。
しかし、ペルセウスは、デルピュネーの動きを読んでいた。
その槍に、例の神具・ハルパーを叩きつける。
デルピュネーは、たまらず吹き飛ばされる。
その体は、山の方へ。
路地の一つへと、吹き飛ばされていく。
翔太は見る。
空中に一筋の赤い線。
そこから血が滲み出しているのを。
つまり、デルの攻撃は、ペルセウスをかすめていた。
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』
怒りに震えたペルセウスは、不気味な咆哮を上げる。
そして、一陣の風。ペルセウスの気配が消える。
目には見えないが、ペルセウスが大地を蹴って、デルピュネーを追いに行ったのだ。
「デル!!」
見えないが、状況が分かった翔太はついデルの身を案じる。
だが、デルピュネーは数十メートル飛ばされた先で、体をくるりと回転させると着地。
すぐに槍の底……石突に挿したサファイアブルーの宝石を抜き取り、闇へ放った。
青い宝石から、魔力を帯びた糸が弾けた。
青い糸が扇状に飛び、空間に格子状の網を張る。
その張り巡らされた格子が大きくたゆんだ。
目には見えないが、そこに何かが引っかかった。
ペルセウスだ。
ペルセウスは、絡め取られたまま、あがき、もがく。
体中に糸で切られた傷が浮かび、うっすらとその姿が見えてきた。
デルピュネーは投げた青の石を糸ごとたぐり寄せる。
パシッと手に取り、青の宝石を柄に戻す。
「ペルセウスさま、戻ってください!」
デルピュネーは、ペルセウスのバーサク化を解こうとする。
しかし、返事は刃。糸が、一息で断ち切られた。
これがアダマスの鎌。ハルパーの力。神が作った武具。
デルは残念そうな悲痛な声を上げる。
「あくまでもコンタクトは取れないということですね……」
その言葉には憐れみがにじんでいた。
やむを得ない。
デルピュネーは再び、槍を構え直す。大地を蹴る。
目に映る前に、槍と神具がぶつかり合う。
闇の中で火花が弾け、光と金属音が乱れ飛んだ。
だが徐々に押される。
まだ、『闇の隠れ兜』の効果は完全に切れてないのだ。
デルの放つエメラルドグリーンの輝きが、背後へと引いていく。
それでも諦めない。
次に、誘うように林の中へ飛び込む。
追うペルセウス。
再び林から、槍とハルパーが何度もぶつかり合う音が響き渡る。
この戦闘を見ていた美優が言う。
「うまいわね」
「え?」
翔太には分からない。
「あの巨体よ。林ならデルに分がある。木々などの遮蔽物が林立している場所なら、さすがの神話の英雄も、幹が盾になって動き回れないわ。逆にデルは小柄」
「なるほど。そういうことか」
「それだけじゃない」
と、美優は言う。
「ペルセウスの目的は、私たちだった。でも、そこでデルは相手を傷つけ、怒らせることで、自らヘイトを自分に向けた。ペルセウスの目当てがデルに変わった。それを感じて、敢えて遠くへと吹き飛ばされたのよ。ペルセウスから、私たちを引き剥がすために」
その美優の説明を聞いて、鈴のような笑い声がこの夜の闇に満ちた。
メドゥーサだ。
「そうかし、ら?」
メドゥーサが口を挟む。
「そうせざるを得なかった、んじゃない? 逆に考えられ、ない?」
これに、翔太は拳に力を入れる。
「ああ。その可能性を俺も感じていた」
「あら。お利口さんね」
メドゥーサは、微笑む。
「そう。あなたの、考えた通り、とも言えるわ」
「どういうこと!?」
美優の声。
これにメドゥーサが応える。
「分断完了。だって、今のあなたたち、丸裸、よ」
そう言うとメドゥーサは一歩、翔太らに近づいた。
アスファルトが、彼女の足裏で音を立てる。
「逃げろ、美優」
「でも、それじゃ……」
「いや。デルは、俺に十分な時間をくれたよ」
そう言う翔太を美優は見る。
そして驚いた。
翔太の体がわずかに、あたたかな光に包まれている。
これは……もしかして。
「デルのおかげで、もう俺の魔術回路は準備ができている。ラーのイーナリージアが満ちている」
「一人で闘うつもり?」
「そのために、俺は美優に着いてきたんだろ」
そう翔太は言う。
「やってみるさ。どこまで通用するのか」
これを聞いて、メドゥーサは不敵な笑みを浮かべた。
「あら、勇ましい、のね。でも、それで、私に勝てる、かしら?」
美優は戸惑う。
相手がメドゥーサだとしたら、自分が出来ることは何か。
そんな美優の思考を読んだようにメドゥーサは言う。
「大丈夫。別に殺したり、しないわ。ただ、私たちは、坊や、が、ほしいの。それだけ、なの」
「そんな話、信じない」
突如、美優はシラットの構えに入った。
躊躇はなかった。
その判断が、どれほど無謀か――
分かっていないわけがなかった。
これには翔太も驚く。
「あら」
とメドゥーサはうれしそうな声を上げる。
「あなたは、いらない、のよ。でも、勇敢、ね。勇敢な美少女、私は嫌いじゃない、わ」
「聞いたでしょ、翔太くん。この場から逃げて!」
「ダメだ! いくら美優でもシラットが化け物に通用するはず……」
だが翔太の言葉は、美優に届かなかった。
美優は、一気に間合いを詰めた。
相手が化け物であろうと――関係ない。
(“関節”なら、折れる《・・・》──!)
翔太は美優の背を追う。
だが、美優の突進が一歩、先を行く。
美優の右の掌が熱い。脈と同じリズムで、皮膚の下が脈打つ。
「そう。おバカさんなの、ね」
呆れたようにメドゥーサは言うと、閉じていたまぶたを。
ゆっくりと開けた──!




