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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第二章 怨霊編~胎児よ、胎児、湖面はそこだ

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第90話 戦闘の胎動

第90話


『それでね! 連絡先は手に入れたのに、一言目が出ないの。うみ、最初は何て送るのが正解? 最初の一文字って、山みたいに重いね』


 その夜。夜の食事も終え、海野美優うみのみゆは制服のまま自室で宿題の問題を解いていた。

 自称・恋バナ探偵の吉川よしかわりこからの恋についての相談。

 美優は微笑ましく思いながら、答えた。


「無理しなくていいわ。“今日はありがとう。おやすみ”で十分よ」

『ええ~。それじゃ進展しないよ~!』

「最初の一歩は短いほど転ばないの。まだ出逢ったばかりなんでしょ、その人」


 美優は計算式を解くペンを置いた。


「それより、その人は大丈夫? 連絡先はもう交換したんだし、まず“見極め”を優先ね。優しさと“距離”はセット。近づくほど、少しだけ遅く歩くの」

『そーだけどー……』


 りこは舞い上がっている。だがお調子者のりこのこと、そうは珍しくない。まずは冷静にさせるのが先決だろう。


「いい? りこ」

『はい』


 りこは素直に返事をする。


「そもそも相手は大人よ? 大人が女子高生に興味を持ったとしたら、それはそれで、常識的にあまりよろしくないことなの」

『……うん……でもね、すごく紳士的だったの』

「じゃあハッキリ言うわ。りこ、あなたは相手を犯罪者にするつもり? ましてや会ったばかり。こちらからいきなり心を開いちゃダメ。知り合いから先へ進む為にはもっと時間を費やした方がいいと思う」


 だが美優の声は決して険しくない。りこへの愛情ゆえの優しさを帯びている。


「りこの恋を応援したいのはやまやまだけど……やっぱり大人と女子高生。慎重さと冷静さを忘れちゃいけないと思う」

『そう……だよね……』


 ちょっと落ち込んでるりこの声を聞いて、美優もちょっと悪いかな、という気持ちが湧き始めていた。だからこそ、心にもない、こんな言葉も、かけた。


「じゃあ、次に会えたら私にも見せて。二人で“検品”しましょ。」

『ほんと!? 恋バナ探偵に副長が……!』

「副長になった覚えはないっ!」


 美優のツッコみにりこが笑う。


「それに私が副長になったら厳しいよ?」

『そうだよね、こういうのは、他の人にも見てもらった方がいいよね』


 美優は微笑む。だが、次の瞬間、彼女の表情は凍りつくことになる。


『あ。そうだ。でもね。でもでも。あの人……美優のこと、知ってたよ。翔太くんの家にいることまで。なんでだろ』


 ──え?


 思わぬりこの言葉に時が止まった。

 ペン先が紙を裂きそうになり、美優の息がひとつ硬くなる。

 だが、こういうところでは鈍感な、りこは続ける。


『面識はないって。知り合いか部下が話を聞いてるらしくて……翔太くんのことも、美優が居候してることも知ってた。だから私、少し安心しちゃって』

「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて。りこ……それ、本当!?」

『え? 本当だけど……、あれ。私、なんかまずいこと言ってる?』


 美優は思考を巡らせる。


 誰?


 誰?


 誰?


 モンタージュ写真のように思い当たる顔を探していく。

 やがてそれはモザイクのように溶ける。


(落ち着くのは、まずは、私だ)


 美優は深呼吸をした。

 父や母の知り合いだろうか。

 いや、母からは芸能事務所の人たちを紹介されたぐらいで、母の友人らしい人とは会ってない。父は友人が多い上に、国際魔術会議ユニマコン関連の知人も大勢いる。


 親戚……確かに、親戚は何世帯もこの水城市内に住んでいる。

 それらのうちの誰か……。


 でも部下? 


 話を聞けば、その青年の年齢は20代後半。

 20代前半ぐらいの人に絞れば、候補は数人になるが、美優が翔太の家に居候をしていることを知っている存在となると……。


(私……親戚には、言っていない)


 いや、一人だけいた。

 ──大熊英治おおくまえいじ

 国際魔術会議ユニマコンのエージェント。


 でも、もし仮にそれがおじさんの部下の高木英人だったら。

 いや。あり得ない。直感だけじゃない。高木さんはそんな感じの人ではなかった。


国際魔術会議ユニマコン関連……?)


 国家をも動かすと噂される国際的な非営利組織。美優もよくその正体が掴めないその全貌。特に昨今、美優の中にも疑惑が生まれ始めている。その疑惑が直感につながり、美優はさらなる詳細を聞こうと口を開きかける。


 ──その時だった。


 ヴ。ヴ。ブ。ヴ。


 LINESではなく、電話から着信だった。


 画面に表示されている名前は。















『大熊のおじさん』















「りこ、ごめん。ちょっと電話入っちゃった。続きは、また明日ね」

『え……、どうしたの、うみ。もしかして怒ってる? 私、やっぱまずいことしちゃった?』

「大丈夫。怒ってない」


 美優はいつもより極めて優しく語りかける。


「だから、安心して。ゆっくり休んでね」

『……うん』


 りこが落ち込んだ様子で通話を切る。

 即座に、美優は電話へとスマホを切り替え、大熊に話しかけた。


「もしもし。大熊のおじさん?」

『よお、嬢ちゃん。悪いな。飯は済んだか?』


 相変わらず陽気な声だ。

 美優は、今すぐにでも問いただしたいはやる気持ちを抑える。


「うん。もう終わったわ。それより、突然どうしたの? いつもは家に突然押しかけてくるのに、珍しいじゃない」

『いやあな、ちょっと気になることがあってな』


 大熊が後頭部をボリボリとかいている姿が思い浮かぶ。

 この感じは“ちょっと”どころではなさそうだ。


『調べたいことがあるんだ。嬢ちゃん、今から出て来られるか?』

「今から?」


 美優は時計を見る。

 午後11時を少し回ったところ。街は寝静まっている時間だ。

 怪異のかかわる事件が多すぎて、市には緊急事態宣言も出されている。

 にもかかわらず、大熊がこんな時間に呼び出しをかけるなんて。


『お父上の書庫が、名坂にあったろ。探しものの手がかりが、たぶんそこだ。だが鍵がなくてな。遅くてすまん。だが急ぎだ。明日までに動かんと、手遅れになる。今、来られるか?』

「うーん」

『頼む。嬢ちゃん。本当に、急ぎなんだ。なんなら護衛もつける』


 大熊の声には焦りが滲み出している。隠しきれていない。

 悩む。悩んだが、大熊の懇願に美優は心を決める。


「いいわよ」


 美優は真正面を見据える。


「ちょうど、私も、大熊のおじさんに聞きたいことがあったから。護衛はいらない。待っている時間がもったいないもの」


 ◆    ◆    ◆


「……と、言うわけで、出かけるわ」


 美優はリビングのソファーに寝転がっている翔太と、キッチンに立っているデルピュネーに言った。


「こんな時間に? ちょっと危なくないか?」


 翔太は身を起こして言う。


「長くはかからないはずよ」

「いや、もう夜中だ。俺も行くよ」

「護衛はお任せください」


 デルも警戒心をあらわにしている。


「ただし、帰還時刻を二刻にこく後に設定。超過なら救出手順へ移行します」


 りことの電話を思い出す。

 りこは確かにこう言った。『で、うみのことや、北藤くんのことも聞かれて……』と。

 そうか。翔太くんにも着いてきてもらうの、悪くないかもしれない。

 

(それに……翔太くんがいてくれたら安心できる)


 そんな淡い想いが横切って、美優は振り払うように首を激しく振った。


 ◆    ◆    ◆


「じゃあ、出かけてくるわね」


 美優は玄関まで迎えに来たシャパリュに言う。


「うん、安心して行っておいで! 大丈夫。ベッドの芽瑠と、この家は、僕が守っておくから」


 シャパリュは相変わらず脳天気だ。

 だが確かに芽瑠については、この英雄殺し・怪猫かいびょうシャパリュに任せば安心できる。

 そもそもシャパリュはデルと違い、この結界内での行動を好む。

 なんでもベレスとの交信をするのに、最も障害が起こりにくいからだそうだ。


「この土地にある強烈な結界。それを栗落花淳つゆりじゅん事件から、ベレスさまが自身の固有結界でベレスさま用に上書きの要領でカスタマイズしてある。結界は強固。地下に退避路。ただ……」

「承知しております。緊急回線はシャパリュさまと常時接続で」

「分かってるじゃないか、デル」


 シャパリュはにっこりと笑う。


「帰ってきたらプリン用意しとく。無事で帰還が条件だよ~」


 ◆   ◆   ◆


 翔太と美優は、移動に徒歩を選んだ。

 名坂なざかのあたりは、津羽井つばい山のふもとにある為、上り坂になっている。

 自転車ではきつい。歩きのが、楽だ。


 夜の坂道は息を吸い、街はすやりと眠っている。警邏けいらの赤色灯だけが遠くで瞬いた。

 二人の足音が、夜の紙を小さく裂く。

 十五分の道のりに、鼓動を一つずつ置いていく。


「でも、大熊さんにしては珍しいよな。どんなに急ぎといっても……」


 翔太が美優に問う。


「知らないわ。とにかく探している資料があるみたい。それ以外は聞いてないもん。でも、水城がこんな危険な場所へと変わった今……呼ぶには、相当な理由があるはずよ」


 国道に出たが、人通りどころか、車の姿もほとんどない。さびれ行くだけの一地方。このままだと転居者の増加で廃墟ばかりの町になり兼ねない。

 ただ地元に根を生やした住民が多いため、自身の土地を売りたくない高齢の方も多い。

 ゆえにギリギリで成り立っているところもあった。


「それに大熊さんの声、いつもより硬かった」

「……美優がそう言うなら間違いないな」

「おじさんはお父さんとかなり仲が良かったからね。物心ついた頃から、大熊さんの記憶はある。あの頃はまだ、刑事だったけど」

「あの人、元刑事なんだ」

「そうよ。言ってなかったっけ」


 美優は両手を後ろに回して、夜空を見上げた。


「かなりの敏腕。その腕を買われてね。刑事時代から国際魔術会議ユニマコンから声がかかっていたの。あの人、魔術師的素質を兼ね備えていたから。本人はまったく気づいてなかったみたい。今は刑事は完全に引退」

「あの相棒の高木って人は?」

「あの人はよく知らない。でも大熊のおじさんが相棒にしてるぐらいだもの。腕は確かなはず。それは私の《マグス》の素質が告げている。相当、出来るはずよ」

「そっか……」


 ──翔太は改めて思った。

 美優は多くのことを知っている。だが俺はどうだ。自分は何も分かってない。

 知っているのは自身が太陽神ラーの転生体であり、同時に、世界を滅ぼす破壊者・666の獣と呼ばれる存在であること。

 

 あとは個人的なことも一つ。美優。

 翔太の住居が強大な結界に護られた場所だとは言え、同級生の男子である翔太の家に、“普通に”住み続けていて何も感じていないのか……。

 ついそれが口に出てしまう。


「俺は、まだ分からないことだらけだ」


 これを美優は別の意味で取ったらしい。


「ラーの力も、“獣”のことも……。私だって分からない。なら、私もあなたを知る。怖さごと」


 肩がふと触れて、離れた。

 思わぬ美優の言葉に、翔太の顔は頭の先から耳の先、顎の先まで真っ赤になっていた。 

 つられて、翔太の口から、ある言葉がこぼれ落ちそうになる。「お、俺も……」


 ──だがそれは、言葉になる前に消えた。


 空気の温度が一段、落ちた。

 殺気が、風より先に来る。

 周囲に不穏な空気が張り詰めた。闇がさらに深くなる。

 この異変は、美優にも届いていた。そこへ。


「あら。想像より、ずっと無邪気」


 鈴を水に沈めたような女の声。甘く、冷たい。

 その声の主を見る。

 坂の上。

 2人から20メートルほど離れた先。


 そこにいたのは、緑の甲冑を着た異常に美しい髪をたなびかせている美少女。

 なぜか、その目は閉じられている。


 そしてその横に。

 身の丈、3メートル近くはあるのではないか。そう思われる半裸の筋骨隆々の男の姿もあった。

 美少女は、その半裸の怒りの巨人の腕に、手を触れながら言う。


「見えなくても分かる。あなたたち、夜に溶けきれていない。それに、あの教会では近づけない。だから、今が好機」

「翔太くん、後ろッ!」


 美優が、翔太をかばうように前に立つ。

 靴底が砂利を噛む音。

 これに対して、翔太は美優の肩を後ろから掴んだ。そして無理やり自身の背の後ろに回すようにする。


「え、ちょ、翔太くん……」

「下がってろ。これは……ヤバイやつだ」

「そんなの言われなくても分かるわよ! バカ!」

「俺が囮になる。すぐ逃げて」

「嫌よ!」

「あとで俺も行くから!」

「あら、痴話喧嘩? かわいい。割り切れないものが、一番、壊しやすい」

「違うっ!」

「そんなんじゃないっ!」


 2人同時に叫んでいた。


 そして。


 翔太は、自身の体内にある魔術回路にイーナリージアを流していく。

 太陽神ラーの力。集中する。自身の肉体を武器にする為に。

 美優を、守る為に。

 美優の、盾となる為に!


 それを見て甲冑の美少女はため息をついた。


「仕方ないわね。素直に、着いてきてはくれ、ないらしい、わ」


 そして、隣の巨人を指でつつく。


「私の首をはねたその力」


 目を閉じたままの美少女はニヤリと笑う。


「今度は、私に貸して、ね」


 これに反応するかのように。これまで肩で息をするだけだった、3メートルの怒りの巨人が、空に向かって豪快に吠えた。


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 吼えが空を裂き、周囲の窓ガラスが鳴った。

 その激しさに翔太も美優も体がビリビリと震える。

 美少女はクスクスと笑う。


「行きなさ、い。ペルセウス」


 甲冑の美少女が穏やかな鈴のような声で命じる。

 同時に、3メートルの巨体が。


 空に舞った!


 月が薄雲に沈み、影が二枚重ねになる。

 風だけが鳴った。影が一つ、翔太の足元から跳ね起きる。メイド服。


「デル!」


 銀とエメラルドグリーンの槍が頭上でひと鳴りして、跳ねる。

 そしてデルも空へ。


 空中で相まみえる二つの影。


 一つは、ゼウスの血を引く半神半人・ペルセウス。

 もう一つは、ギリシャ最恐の怪物・テュポーンに認められし、ゼウスの体の一部を隠した洞窟の番人。


 ギリシャ神話でも一、二を争うであろう神と魔。


 神と魔。どちらも“天空の父”=ゼウスの影を宿す。

 英雄が振り下ろす剛剣を、デルピュネーの槍が、ギン! と激しい音を立て受け止める。


 澄んだ金属音が、遠い礼拝堂の鐘を連れてくる。

 戦いは祈りの反転。今、夜に祈りが落ちる。


「私の首を落とし、た腕前、今夜は私の、ために……」


 閉じた瞼の奥で、笑みだけが動いた。

 ──神話上、あり得なかった二体の強者の闘いが今、始まる。

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