第88話 ペルセウスとメドゥーサ
第88話
「じゃ、またね、うみ」
「うん。また」
海野美優の親友である吉川りこが、北藤翔太の家の前まで。つまり、星城学園のある星見山の麓まで、一緒に下校するのはすでに“日常”となっていた。
りこは、美優が翔太と同居していることを、からかったりしない。
りこはこう考えている。
自分の親友であるうみと、翔太くんは、やはり惹かれ合っている……本能レベル、幼馴染の距離を越えて。
つまり理解もしていたし信用もしている。どちらかと言えば応援もしており、二人が男女の仲になろうとむしろそのほうが二人にとってはいいのではないか、そう感じていた。
ただ時折、美優の反応が面白くて、ついつい言及したりもする。
だが、(人の恋路を邪魔する物は、犬に食われて死んじまえ)という想いがあった上での言動。
コミュニケーション。
自身もどちらかと言えば恋愛体質であることを疑っており、美優が嫌がる壁を越えることは絶対にしないと心に宣言していた。
◆ ◆ ◆
夏休みはすでに終わり、今は二学期。
りこにとっては、何事もなかった夏休み。
(思い出らしい思い出、作れなかったなあ)
そう思いながら、道端の石ころを蹴る。
りこは、あまり人に深入りするタイプではない。夏休みの間に美優に何があったか──。詮索するのさえ、野暮だと思っている。
(だって、何かあったら、うみから言ってくれるはずだもん)
そこはドライであり、美優を信じていた。
そして、ある意味で自分中心であった。なぜならば。
(今年の夏も出会いがなかったなあ)
その自身の恋愛体質だ。
美優は、わざと素っ気なく接したり、いざという時にしか、それと分かる行動をしなかったり……わかりにくい恋愛表現をするが、りこはストレートに想いを伝えるタイプである。
まったく違う二人──。だからこそ、親友で射られるのかもしれない。計算でなくパズルのピースがぴったりとハマるような関係。付かず離れず。この距離感についてりこは天才的であり、美優もそれを評価してくれている。代わりに恋をしてしまったら……。
わからない。
自分のことは。
だが友人。例えば美優。親友に何があったか、事細かく詮索することはしない。美優も望んでいない。
恋路に関しては美優の気持ち優先。話しては欲しかったが、それよりもりこは、自分の幸せが優先であり、相手が話したいと思うまで待つ性格だ。
(うみは、好意は外に出さないタイプ)
りこの脳裏には翔太の顔が浮かんでいる。
クスリ、と笑う。胸のあたりがほんのり熱い。
そんな意地っ張りな美優が好きであり、自分にはないその“可愛さ”を、りこ自身、美優の意地っ張りは“可愛い”と感じていた。それは一つの“愛”の形でもあった。
そして(こういう気持ち、きっとうみも持ってるんだろうな)と、りこは自分で自分をからかう。
その小さな熱が、知らぬまま次の“災厄”の気配に重なっていく──。
そんな、ある日の下校時間。
夕刻。
逢魔が時と言われる、不吉な時間だ。
9月とは言えど、赤く焼けた陽が落ちるにはまだ早い。
西日本、しかも南国・水城市の夜は訪れるのはもっと深い時間。
以前、映画館で、現在は魚介類の加工工場となっている場所で。そこを曲がると、アーケード型の商店街・新町がある場所で。
りこは、ある人影を見た。
(……っ!)
ふわふわのショートの髪。
くりくりと大きな目。
少年ぽさを残した表情。
成人──ではある。だが美青年。
つまりいわゆるイケメンが前から歩いてくるのが目に映った。
思わず、釘付けになる。
その美青年は、スマホを見ている。おそらく地図。迷子のようだ。
ふと、昨今の悲惨な事件の数々を思い出す。
でもそれとこれとは別。
なぜなら、見惚れてしまったから。
(かっこいい……)
りこのタイプ、ド直球だった。
少年っぽさ。知的な雰囲気。やんちゃさと落ち着きを同居させたようなハイブリッドの可愛らしさ。あまり高くない身長。痩せ型の顔と体型。
『厳重注意』──学校からも親からも耳にタコができるほど聞かされた言葉をりこは意識的に無視する。
だって、恋と危険は別。いや。恋ほど危険なものはないかもしれない。
だがだからこそ焦がれる。危険な香りが何かを刺激する。
恋愛体質。りこは自分がそう思うよりも、もっと恋沼にハマりやすい性格であり年頃であった。
目が合いそうになる。
思わず、りこは下を向く。
(こんな人、水城に、いたっけ……)
この街で、見たことがない青年。
少しだけ、胸をときめかせながら、その横を通り過ぎる。
いや。
通り過ぎようと思っていた。
だが。
ドン!
「きゃ!」
お互い、しっかり前を見てなかったせいだろう。りこと、その青年の肩がぶつかった。
りこは思わず尻もちをつく。
ここまでは予想してなかった。恋愛モードゆえに完全に浮ついている。
少し動転した。
でも、(だって、仕方ないじゃない)
「いたた……」
口に出し、照れを隠すように立ち上がろうとする。
そこに、スッと手が伸びてくる。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
その美青年の手。
りこは、手を伸ばしてきた青年の顔をまじまじと見る。
やはり大人だ。スマートきわまりない。
整った顔だち。幼く見えるが、しっかりと大人の落ち着きを灯した瞳。
思わず顔が赤らむ。
「すみません。ちょっと地図で場所を探しながら歩いていて、前をしっかり見ていませんでした」
美青年の手は、りこに差し出されたままだ。
りこは迷った。
この手を、取るべきか、自分で立ち上がるべきか。
しかし、りこが決断するより早く、美青年のほうから、りこの手を取ってきた。
「大丈夫ですか? お怪我はないですか?」
耳まで紅に染めながら美青年に手を引かれるりこ。
「あ、いえ、あの」
口から出てくる声が言葉にならない。
「あの、大丈夫っていうか、いえ、逆にすみません……」
必死に言葉を発した。
おそらく慌てているのは気づかれただろう。
だが、その美青年は、りこの恋愛思考に構わないとでもいうような、健全な笑顔を見せてくれた。
「よかった。大丈夫のようですね」
美青年は、手を引いてしっかりと、りこを立たせる。
そして当然のごとく、その手は自然にりこから離れる。
「あ……」
つい、言葉になってしまった。
(せっかく、手をつないでいたのに……)
そんなことを思ってしまっていた。
恥ずかしい。私、何してんだろ。
意味もなく、スカートのお尻の部分をパンパンと叩いてしまう。人は、自分の心を知られたくない時、そうやって体を動かしてしまう生き物だ。なかでもりこはそれが分かりやすい。
何か、何か、言った方がいいのだろうか……やはりお礼? そう思ったりこだったが。
「無事そうで、良かった。それじゃ……」
(え……?)
美青年はあっさりと、りこに背を向けた。
意外な展開に目で追いかけてしまう。
いや、よく考えれば意外でもない。こっちは女子高生。相手は大人。当たり前だ。
だが、見てしまう。
その一挙手一投足まで。
角にその背中が消えるまで。
街角に消えた美青年。りこは思った。
(もう!)
自分に憤る。
(名前ぐらい、聞いておけば良かった!)
めちゃくちゃな心理。出来るはずもないのに、自分なら出来たかも知れないという、思春期独特の無謀な後悔。
その素直さがりこのいいところだった。
それぐらい彼のことが、タイプだったのだ。
だからしばらく、りこは、その場から動けない。
余韻に浸る。
また、戻ってこないかな。
もう一度、会えたりするかな。
そんな、“刹那的な”無謀が心を支配する。
(でも)
前頭葉は理性を保とうとする。
(今日は、いいことがあった)
明日を。未来を考えるよう脳が指令を出す。
(そう思うだけで、私は幸せかも)
それでも、沼からは出られない。それが、吉川りこだ。
だって。
“運命の出会い”なんて、そうそう訪れるものじゃない。
人生は、刹那の快楽の連続だ。
その時に、これが宿命だと思っていても、数分後には、過去になる。流れ去ってしまう。
その一つひとつに反応していては心が持たない。
その“刹那”を楽しみに。
そして“刹那”を思い出として“永遠”に変えることこそ、青春なのだ。
だからこそ青春なのだ。
そもそも刹那の数珠つなぎこそが、“人生”。
美優がりこを好きな理由でもあった。あっさりとした思考。今を積み重ねて、それが人生という長い道のりの一歩一歩になるという気の長い考え方。そして沼に落ちる時は落ちる。それを止めようとすればするほど、その沼は体も心も呑み込んでしまう。
──思春期は時として、その真っ只中にいる自分の立ち位置を、その地図を見失ってしまう。
正確に上から見る。その客観性をりこは、わずかながらに持ち合わせていた。
単なる食いしん坊ではない。そんなりこだからこそ、美優は学校でもいつも一緒なのだ。
(けど……)
と、は思ってじゃみる。
思春期の女の子として当たり前だ。
それは誰にも止めらない。
(……また、どっかで……)
会えたら良いな──。
その想いを、りこは飲み込んだ。
そして歩く。
前へ。
自宅へ。
明日へ。
りこは、幸せな記憶を胸に、次に訪れる未来へ向かって進んでいく──!
◆ ◆ ◆
その頃。
吉川りことぶつかった、その青年は、にこりと笑って、ポケットから、なにやら手帳のようなものをを取り出していた。
その手帳を開く。
そこには、りこの写真と名前。制服の写真証明に書かれた住所、保護者の連絡先。
りこの生徒手帳だ。
「うん。吉川りこ。間違いない。海野美優の友達であり、北藤翔太のクラスメイト」
再び、ポケットにしまう。
スッたのだ。
あの、ぶつかった瞬間。
りこの胸ポケットにあった生徒手帳を。
この青年はスッた──。
「まずは、ここからですね」
青年は微笑んだ。青年の横顔には罪悪感らしいものはない。ただ仕事の手順を一つ消していく兵士の目だけがあった。
そう。
彼は、国際魔術会議の「八雲特別班」の参謀部長。
八雲在斗だった。
◆ ◆ ◆
その夜。
海に近い、湿った岩肌の洞くつで。
空気は鉄さびと血のにおいで重い。
わずかだが腐臭もある。
そこで、鈴のようなコロコロとした少女の声が響いた。
「魔王レラージェさま。本当に、あの《・・》ベレスさまと事をお構えになるつもりなんです、か?」
目を閉じたまま、白いドレスをまとった少女がいる。髪は水にぬれた糸のように肩から胸元へ落ち、肌の白さをいやらしいほど強く浮かせていた。
その少女は、緑色の甲冑をまとう六本腕の男に向かって、まだ慣れない舌で問いかける。
その甲冑の形は狩人を模しており、まるで獲物を狩ることだけを目的に設計された軍装だった。
彼は人間の血肉と骨を圧し固めた玉座に背をゆだねている。
魔王レラージェ。
そのまなざしは笑っているようでいて、血の温度を感じさせない。戦場の支配者のまなざしだ。
「構えざるを得ない。私がこの地に身をおろした時点で、ヤツはもう気づいているはずだ。あの男はそういう鼻を持っている」
レラージェの目は笑っているように見える。いわば、糸目。何を考えているわからないその表情だが、口元にかすかに笑みを浮かべている。つまり笑っているのだ。
レラージェは紫色がかった白い髪を腰ぐらいまでに長く伸ばしていた。
単なる地獄の侯爵ではなく、自らが戦闘貴族であることを誇示するためだ。
それに髪は魔界で魔力の象徴ともなる。
どれほどの魔力量を誇るかということを暗に示すことであり、相手への威嚇ともなる。
──そこは祭壇でも会議室でもなく、戦の前に兵をそろえるための巣だった。
六本の腕はただ余計な飾りではない。同時に弓と刃と銃を扱うためのもの。その姿は、強者が当然のように強いという事実そのものだった。レラージェは時を置いて、こう続けた。
「だからこそ、迎え撃つ準備は楽しいんだよ。強い者どうしでしか分からない種の楽しみだ。──まあ。ヤツの噂が本当ならな」
「でもまだ私たちは、姿そのものは見せて、いません」
独特な区切り方の口調だ。
年ごろの少女の輪郭なのに、そこから立ちのぼるのは“けがされてからの色気”だった。どこか甘い、どこか壊れた、ふれたら戻れなくなる香り。
「いや、ベレスならわかってくれるだろう」
レラージェはベレスを信用しているのかしてないのか、にんまりと笑った。
「あいつは伊達に、ソロモン72柱の頭領と呼ばれる存在ではない。ヤツの位は、“王”だ。一方で私はそれより4つも劣る“侯爵”。だが、戦闘力では負ける気はしない。しかもヤツが、666の獣をどういう意図か分からぬが、保護しているというではないか。ヤツの噂はおそらく本当だ。アレには秘密がある。魔界はサタンさまにも知られてはならぬ秘密だ。ゆえに、私はお前の行動を宣言した。勝てるとおもうな。自制せよ」
ドレスの少女は目を閉じたまま、ふてくされる。
「は、ぁーい」
会話をしながらも。しかも相手が主であっても、彼女は決して目を開かない。
身なりは小さい。だが、そこから立ち上る妖気は常軌を逸している。
明らかに“魔”の者だ。白いドレスにあしらわれたいくつもの薔薇の花が、その妖しさをさらに増す。
手練。大人しく従ってはいるが、この少女が“恐怖の存在”であることは疑う余地もない。
「仕方ないですね。だって、首しかなった私に、錬金術でホムンクルスと同じような肉体を与えてくださった貴方さま。そんなレラージェさまに、私が口答えなんか出来るはず、ありません、もの」
「利口だな。お前は。さすがギリシャの守護女神。処女神のアテーナを嫉妬させた女よ」
「そんな私を。拾ってくださったのは、あなたさま、で、ございますのよ、レラージェさま」
少女はおどけるように言う。
彼女は笑いながらも、指先で自分の首すじをなでた。そこは一度、切り落とされた場所だ。まるで、そこに刻まれた見えない首輪をたしかめるように。
「ソロモン72柱の魔王の序列14番目の地獄の大侯爵。南斗六星……射手座に属する神話級の大魔王。そんなあなたさまが、私をお役に立つと思ってくださっての我が身の復活で、しょ? 単なるポセイドンさまに汚されし、あどけない少女にすぎなかった私を。一度は醜い怪物にされた私を。あなたさまは求めてくれた。元の姿に戻してくれた。うれしくて、踊ってしまいそう、です」
「踊れよ。メドゥーサ」
レラージェは、その少女をメドゥーサと呼んだ。
そう。この美少女は、メドゥーサだった。
見たものを石に変え、頭髪は無数の蛇というギリシア神話でも有名な魔物。
ゴーゴン三姉妹の末娘だ。宝石のように輝く目を持ち、その血は死者を蘇生もさせる。
だが、ギリシャの神の王・ゼウスの血を引く半神の英雄・ペルセウスによって首をはねられ、撃退された。撃退されたその頭部はペルセウスの盾となった。
だが、その盾からその頭部を引き抜き、ホムンクルスの技術を用いて肉体を与え、オリンポス十二柱の処女神・アテナの嫉妬の呪いからも解放した。
神に呪われし魔物……レラージェはそのメドゥーサを元の力を持たせたまま、その配下としているのだ。
だがこれまで、メドゥーサの出番はなかった。
用心深いレラージェは、別の使い魔を用いた。
それが“天使像”であり、例のゴスロリ少女事件の、ゴスロリ少女のホムンクルスだ。
レラージェは告げる。
「そもそも、お前の魔力と私の魔力の相性は良い。それ故、魔王アスタロトさまは、私たちにこの試みをお任せになられた」
「アスタロトさま、ねえ」
美少女は無邪気に、人差し指を顎の下に当てる。
「でも、私はまだアスタロトさまとお会いできて、ません、とのことですよ」
「わきまえろ。蛇の化け物風情が」
レラージェの声が洞くつの壁にひびき、空気そのものが硬くなる。メドゥーサの体はぎしり、と音を立てて止まった。「ひっ」と悲鳴がもれる。
指一本うごかない。女神に呪われた怪物の体でさえ、まるで弓の弦をつかまれたように固定された。
たった一声で。
それが、戦の公爵の力だった。
「ひどう、ございます、ひどうございます。レラージェさま。ここまでする必要は、ないんじゃない、ですか?」
「私たちは与えられた“任務”をこなす。お前に物を言う資格はない」
「それは……承知しています、けれども……」
レラージェは、メドゥーサの肉体の封印を解く。メドゥーサの体は崩れ落ちるように、地に倒れた。
転がった首だけが、はあはあと息をする。
「ほんと、扱いがひどいとい、ったら……」
そんなメドゥーサに、レラージェは見向きもしない。
レラージェは、従わせるときにわざわざ武器を抜かない。声だけで十分だからだ。
「とにかく、だ。あの強大な魔王・ベレスとの戦闘も避けては通れない。さらには、セイテンタイセイ……厄介な存在だが、アレも私を目の敵にするであろう」
瞬間、メドゥーサは再び肉体を与えられ、その身を起こし、しなを作った。
「でも、その為の、私とレラージェさまのパートナーシップで、あるんでしょ」
メドゥーサはレラージェの肩に腕をかけ、密着する。そのまま首に抱きつくようにしてレラージェに甘える。アテナの呪いを受ける前、ポセイドンからその処女の身を穢されるまでは、誰もがうらやむ美少女だったのだ。
「私の力があれば、レラージェさまは、ご自身の能力を、さらに強力にすることができる……」
「そうだ。私とお前は二人で一つ」
レラージェは組んだ足の上に六本の腕のうち一つの肘を置き、頬杖とした。
「セイテンタイセイの目的……アレは、おそらく“666の獣”をこの世から消すことだ。我々が喉の底から欲しがっているその獲物を、だ」
「そう、で、ございましたか。それ、は、厄介でござい、ますね」
「「厄介な敵だよ。だが今いちばん警戒すべきはベレスだ。あれは秘密を抱えすぎている。地獄の三大実力者……例えば、アスタロトさまですら、私をその力を試すための捨て石としたほどだ。噂が本当ならば、その力は、アスタロトさま以上……あるいは……」
レラージェは沈黙する。
そんなレラージェにメドゥーサは、さらに身を寄せた。
「ですが、その為に、彼奴を魔物化、したんでしょう? レラージェさま」
そうだ。
このレラージェの玉座の背後にはずっと巨大な男の影があった。
メドゥーサは、その者に、閉じたまぶたを向け、ぺろりと舌なめずりをする。
「私のカ・タ・キ」
「お前も相当いい性格をしているな。当時の清楚な美少女はどこにいったのだ」
そうメドゥーサをたしなめると、レラージェは、指で背後の巨大な男に合図した。
玉座の背後の男が、ゆらりと、前に進み出た。そして、レラージェの玉座の前でひざまづく。
「メドゥーサ、お前の首をはね、その滴り落ちる血で、世界にサソリなどの毒虫をはびこらせた者。アルゴスの戦いで冥府に堕ちた英雄、その末路がこれだ」
その影だった男は深く頭を下げている。
「アスタロトさまのお力により、復讐の女神エリニュースの魔力を借りられた。憎しみ以外の何物をも持たぬ、究極の“魔造”ホムンクルスとして」
その者はアスタロトにより、その生命を落とされた。
この目的がために。
サタンへのクーデターのために。
その者の名は。
「なあ。ペルセウスよ」
そこにいるのは、メドゥーサの首をはねたギリシャの英雄、ペルセウス。
本来なら星座になって天に上がっているはずの名だ。その肉体は一度死に、いまはアスタロトの手で、復讐だけを燃料にして動く“魔造”の器にされた。
人のかたちをしているのに、人ではない。
神の血を引くはずの半神が、いまはただの兵器として玉座の前にひざまずいている。その光景それ自体が、世界の冒涜だった。
魔に堕ちたこの半神は、顔を上げてレラージェを見る。
その目は復讐だけで赤く染まっていた。生きていたころの英雄の知性も、栄光も、もうそこにはない。ただ焼けこげた怒りだけが残っている。
「ほお。いい。これなら、街ひとつぐらいなら簡単に沈む。その伝説の英雄の力、しかと見せてもらうが、良いか?」
ペルセウスは、じっとレラージェを見る。
喋ることが出来ないのだ。
ゾンビのように。
神話の英雄。ゼウスの血を半分引き継ぐ半神のゾンビ。
それが“魔造”ホムンクルス・ペルセウス。
メドゥーサにとっては敵。
それが、今、アスタロトに命を奪われ、傀儡となり、敵であったメドゥーサの前でうやうやしくひざまづいている。
「アハハハハハハ。すっごく、とても、いい、気分で、す」
あのペルセウスすらひざまずかせるレラージェ。
そのそばで笑うのは、いまなお穢れた美しさを香らせるメドゥーサ。
相手取るのはセイテンタイセイ、そして魔王ベレス。
この街はもう、ただの港町ではいられない。
それぞれの思惑が、ひとつの戦にまとまりはじめる。
「ベレスは“獣”を守っている。守る理由が分からないものほど、いちばん危ない。ああいう手合いは、世界をひっくり返す火種を平然と胸に抱く」
そして、魔の鐘が鳴った──。
メドゥーサイメージ




