第87話 六芒星の瞳
第87話
翌日。テレビや新聞は昨晩の「ゴスロリ怪異・同時多発腐蝕殺人」を我先に叫び、再び水城市は全国区へと悪名を馳せた。多くのカメラマンや記者が押し寄せ、動く死体を探すかのように夜の跡地をうろつきまわる。ライブ配信者も殺到し、どのホテルも満室だ。
人が腐蝕し液体化した路面には黄色いテープが幾重にも張られ、焦げついた鉄と酸のような匂いだけが風に残っている。それだけ騒然としているのに、市民の姿はほとんどない。
かわりに、市役所や警察関連の建物だけが異様に腫れ上がり、知らないスーツと腕章の連中が出入りを繰り返す。昨夜の「ただ事ではなかったもの」が、まだこの町の内臓の奥で動いている──そう見せつける朝だった。
水城市・大黒町の『ホテル・ハーバービュー』は、数日前からまるごと国際魔術会議・水城支部になっていた。
本来は観光客向けのホテルだ。だが今や、最上階はまるごと封鎖され、宴会場は緊急対策本部と呼ばれている。名札も肩章も聞いたことのない「特別班」たちがカードキーで出入りし、地元警察ですら頭を下げて順番待ち。エレベーター待ちは最大五分。
水城署より、こっちのほうが“指揮所”になっている。表向きには誰もそうは言わないだけで。
そんななか、フロアの最奥──水城湾が見渡せる特等室に『八雲特別班』の指揮官・八雲在斗のデスクがある。
そのデスクには、何十枚もの写真が広げられていた。八雲の前に立っているのは、国際魔術会議のエージェント・大熊英治。
「これで写真は全部だ。あんたのパソコンにも同じ写真をファイルごと送ってある」
さっそく八雲は写真に手を伸ばした。
念入りに確認をしている。
大熊はそんな八雲を見下ろす。八雲在斗は20代後半。大熊にとって息子同様の年齢だ。
(すまし面しやがって。あどけえ顔して、ワシら現場を手足みてえに動かして……。どこの誰にそんな権限、もらってやがる)
そんな毒をベテランゆえの余裕でしっかり隠し、細かなところまで報告をした。
「まあ、ワシらが確認できただけで、あのゴスロリ姿の姉ちゃんが現れたのは五カ所ってとこだ。どこも凄惨な有り様でな。人間が溶けるとこうなるってのを映画以外で初めて見た気分さ」
「なるほど。確かに吐き気を催すほどの非道さですね」
言っている割には平然とした顔をしている。
大熊もボリボリと頭をかきながら、そっちがその気なら、と普段通りの態度で話す。
「でもそうは言ったが、実のところ初めてじゃねえ。あの平家谷の悲劇。あれとの類似点はワシが見たところ、相当に高い。人体の破壊のされ方。腐蝕状況や液状化。個人的には比較するまでもなくアレと昨晩のコレは関連がある」
八雲は次々と写真を確認している。
「被害者は、全部で23人。状況だが、どこの報告でも似たようなもんだな。そのゴスロリ姉ちゃんたちは、この惨劇を繰り広げた後、どこかへ消えちまったらしい。足取りも追えねえ。正体も分からねえ。なんせ、その姉ちゃんの写真を撮影したのは通行人の一人。しかも偶然だ。その一枚こっきりかねえ。平家谷がまだ解決してないのに、コレだ。まったく警察も何やってんのかねえ。元刑事だけに、今の若いのは、しつこさが足りねえよ」
そう言いながら大熊は、その写真を指で指し示す。八雲は目を落とす。
「これがその写真だ。いずれにせよ、相手が何者か、探るだけでも一苦労ってことだ。もちろんワシは諦めてねえ。例の『阿修羅像』事件がなければ、ホシを見つけて防げてたかもしれねえんだがな。まあワシもまだまだかな。今からさらに調査してみるさ」
「いえ、その必要はないようです」
八雲はにっこりと笑って大熊を見た。
「もう大体、予想が付きましたよ、大熊さん。お手柄です」
「何だって?」
意外な返答に大熊でさえ驚く。
「あんた、これが何か、もう分かっちまったって言うのか?」
「ええ。私が持っている情報とパズルのように、こう、ね」
と八雲がパズルを合わせるような仕草をする。
「……組み合わせてみたら、ですが。それにしてもよく入手できましたね。警察ではなくあなたが手に入れたということだけでも、さすが高名な大熊さん、面目躍如ですよ」
なんだか馬鹿にされた気がした。大熊は八雲のデスクをドン!と叩く。
「じゃあ何なんだ! 言ってみろ! このゴスロリ姉ちゃんの正体は?」
八雲はまるで表情を変えず大熊を見上げる。
「ホムンクルスですよ」
「ホムンクルス、だって?」
「ええ。人工の器。魂の居場所を与えられていない使い捨ての兵隊です。大熊さんもご存知でしょう? あなたほどの現場経験なら、基礎の講義くらい受けてますよね」
なぜ、ひと目見ただけで分かる!? その疑問を大熊は呑み込んだ。
それを質問すると負けた気がする……。
「ホムンクルス。そりゃ知ってるさ。錬金術師らが作る人造人間だ」
「その通り。そして次のあなたの質問は、こうだ。『あんた、どうしてそれが分かった?』」
つい奥歯を噛みしめる。
こいつ、ワシで遊んでやがる。
「いいですよ。見分け方を伝えておきましょう。では、まずこの目を見てください」
「目ェ?」
悔しいが知っておいて損はない。
「見たところ、ガラス玉みたいな目だが……。これが何だって言うんだ」
「瞳の部分ですよ、ほら。分かりますか」
「どこだ、ブレてよく見えねえが」
「ほら、ここ。虹彩の中……」
大熊は目を凝らす。
少し滲んだように見えるが、見覚えのあるアレによく似てる。
「こいつは、もしかして……」
「気づきましたか? 六芒星ですよ」
素直に大熊は驚いた。
このブレで、しかもミリ単位の大きさの瞳の虹彩まで見えるのか? しかも拡大鏡も使わず……!
「六芒星……。確かに錬金術師の技術は魔術師が継承した。宇宙エネルギーとの調和から術式を編み出す魔術師なら、こんなものを作れるかもしれねえなあ」
「それだけではありません。六芒星はユダヤ教の護符だけでなく、古代エジプトでは“神々と契約した証”として扱われている形です。そして決定的なのは──ソロモン王。『ダビデの星』は父ダビデの名を借りて呼ばれてますが、実際にはソロモン自身の封印術の紋章として運用されたとも言われている。だから私は、これは“ソロモン式の管理下にある兵”だと判断したんですよ」
「ソロモンの兵?」
含みのある言い方だ。ストレートな解説はしない。やたら回り道をする。
これは歪んだ誠実さを持つ人間の特徴だ。
「ソロモン王だったら何だって言うんだ? まさか神の怒りが……って言うのか」
「それもまた然り。ですがソロモン王と言えば思い出しませんか。大魔術師でもあったソロモン。彼がなぜ、神の怒りに触れたか……」
「72の魔王……!」
そうだ。ソロモン王は72の悪魔を使役し、様々な願望を叶えてきたとの記述が作者不明のグリモワール『レメゲトン』の第一書『ゲーティア』に記されている。
72柱の頭領は魔王ベレス。
魔王ベリアル、魔王アスモデウス、魔王ガープの名も連なるが、本当のトップは実質ベレスであったと伝承が残っている。
大熊は八雲が言いたいことが読めてきた。
こいつ……なんてコト、考えてやがったんだ──!?
まさか、ホムンクルスを作ったのが……。
そして次に、八雲は多くの写真の中からもう一枚を出して、大熊に見せた。
「これ。これも通行人の誰かが撮影したものの一枚ですよね」
「そうだ。だがこれにはゴスロリ姉ちゃんは写ってねえ。偶然、現場でその周囲が写り込んでいるだけだ」
「そこですよ。大熊さんは、持ってますね。これをしっかりと参考資料に入れた。ゆえに素晴らしいと称賛したわけです」
そこまで大層な写真なのだろうか。
よく写真を見てみる。すると、ビルの屋上に誰かが立っている姿がある。
「単なる一般人……じゃ、ここには立ってねえな。従業員か?」
「いえ。よく見てください、ここ」
「ここって。ほぼ夜の闇に溶けてるじゃねえか」
「これですよ、これ」
「だから、どれだって言うんだよ!」
「これですってば!」
「分かんねえつってんだよ! ぐぐむむ……」
近づきすぎて顔がくっつきそうな二人。
まるで子どものようなやり取りの後、大熊はハッとした。
かすかに……わずかだが、見えたのだ。
八雲はホッとしたように言った。
「ね。分かったでしょ。この狩人のような服装。色は……おそらく緑でしょう。そして背後に背負っている弓。あと手に棒のようなものを持っているようですが、これはおそらく銃」
「六芒星……ソロモン72の魔王……緑の狩人……弓矢……腐蝕」
連想ゲームのように大熊の脳が次々と知識をつなげていく。
付け焼き刃の知識だ。引き出すのに時間がかかる。
だが、それは、ある“正解”をすでに導き出していた。
そして八雲もこう言う。
「こんな格好をした怪異なんて一つしかありません」
「まさか。それは、あまりにも大物過ぎやしねえか」
「そのまさか、です。これは魔王レラージェ。腐蝕の悪魔。また人間を争わせる戦闘の神」
大熊はゾッとした。こいつ、二枚の写真だけで……。
「ご存知ですね。レラージェの名は」
「知ってるも何も。ソロモン王が封じた72柱の魔王の1柱。その持つ弓矢は傷を癒やしも腐蝕もさせる。人と人の間に争いを起こすのが好きで、厄介な奴らの揉め事を敢えて起こし、ソロモンを助けた……」
「その通りです。大熊さんも同じ回答で安心しました」
八雲はうれしそうに笑った。
「序列14番目にして、地獄の大公爵。それがレラージェです。古い写本では“サルガタナスの右腕”と記されることもある。そのサルガタナスのさらに上は──あなたも聞いたことがあるでしょう、アスタロト。地獄でも素手で名前を呼ぶのを嫌がられる存在です。つまりレラージェは、魔王アスタロトの軍門のすぐ下の実戦指揮官。国家で言うなら特殊部隊の隊長クラス。バックは洒落になりません」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
この世の“神秘”に関わる人間たちにとって、その名は、サタンやルシフェル、ベールゼバブと同じぐらい恐ろしく、その名を出すだけでもためらわれるほどの大悪魔アスタロト。それをこの若造は、いとも簡単に口にした。
(こいつ……)
大熊が動揺している間も、八雲は口元に手を当てて、何かを考え続けている。
魔術師であれば、その名を口にするだけで、呪いの対象になる恐れまである“その名”を口にして平気なんて……。
「セイテンタイセイ、そして魔王レラージェ。……並ぶ名札としては、だいぶ終末寄りになってきましたね。これは水城が確実に“呼び鈴”を鳴らされている証拠です。おそらくそれは──」
八雲は、そこでふっと笑って言葉を切った。
「……まあ、口に出すには、まだ早いでしょう。それはおいおい……」
大熊に違和感が走る。なんなんだ、こいつは、と。
「てめえ、何を知ってやがる……」
八雲はその質問には答えない。だが、こう言う。
「この水城で何が起こり始めているのか。それを目視するために来たのが私です」
「だから、それは何なんだって聞いてんだ! 若造!」
八雲は大熊の怒号を気にもとめない。
「とにかく『八雲特別班』で即時の対策を練ります。こちらの指令と情報は、必要な分だけあなた方の班にも降ろしますので」
「おいっ!」
「いいですか?」
八雲は大先輩の大熊を諭すように言った。
「まずは、セイテンタイセイ、レラージェ、この二つを何とかしなければならない。魔王アスタロトをここに顕現させていはいけません。少なくとも現状では……」
大熊は考えている。上層部はどこまで知っているんだ。
何を考えているんだ。
ワシらは、この世界を守るために集められた魔術師じゃねえのか!?
「問題はおそらくこの魔王レラージェが、魔王アスタロトから何の司令をくだされているか。また、セイテンタイセイはイタズラ好きですので、何を始めるのか予測困難。どちらもの目的を探り、これに我々が対処する。そのためには、今のところ人員を大幅に増やし、監視を強化」
もはや大熊は口を開く気もない。
こいつら、ワシらと違うバックボーンで動いてやがる……。
「まずレラージェからですね。ホムンクルスや“天使像”はおそらく、レラージェの下僕。でも、きっとそれだけではない……。他にも使い魔が潜んでいる可能性がある」
「じゃあ、ワシが最初にくだされた司令。“666の獣”はどうする?」
大熊は相手を試すように言う。
「その間に、“獣”が──『反キリスト』が覚醒しないと言い切れるのか?」
八雲は大熊の挑発に乗る様子もなく静か静かに笑って言う。
「もちろん。そのための“八雲在斗”です」
◆ ◆ ◆
「ちくしょう!」
大熊は、叩きつけるようにドアを閉めて廊下に出て来た。待機していた高木英人が駆け寄る。
「どうしたんですか? 大熊さん」
「どうもこうもねえよ!」
二人並んで自分たちの班の会議室へと向かう。
「あいつは、信用ならねえ。ワシの元刑事の勘がそう言ってる」
「八雲さんが? なぜ?」
「詳しすぎるんだ」
「詳しい……?」
「とてもじゃねえが、人間の分析力、判断力、情報力を越えてる。アレは単なるエリートじゃねえ。あいつは、法律の外で、神さまみたいな口ぶりで“指示”だけ落としてくる」
「神……?」
「いや、そういう比喩じゃねえ。マジでそういう“匂い”がするんだよ。ああいうのは、本来、人間のテーブルに座っちゃいけねえもんだ」
「何があったんですか、一体。大熊さん、ちょっとおかしいですよ」
「おかしいのは、あの八雲だ!」
気づくと、大熊は額に大量の汗をかいていた。これには大熊も驚く。急いで拭う。これは。
──冷や汗だ。
(ちくしょう……)
大熊は歯を噛みしめる。
(ワシが、あの若造に、ビビっちまってるとでも言うのか……)
「大熊さん……」
再び案ずる声をかける高木。その高木の肩にぽん、と、手を置く。
「高木ィ。ちょっと頼まれてくれねえか?」
高木は肩に置かれた手と、大熊の顔を交互に見る。
「いいですが……。どんな任務ですか?」
大熊は立ち止まる。それに従って高木も足を止める。そして振り返り、廊下の奥にある、八雲の部屋を睨みつけた。
「八雲在斗。ヤツを張ってほしい。あいつは絶対、何かでけえ秘密を隠してやがる。そしてああ見えて、実は、ワシらの命なんて、つゆほども心配しちゃいねえ」
大熊の言葉に驚く高木。自分たちの上官を、尾行する……? 考えられない暴挙だ。
だが、相手は大熊英治。超ベテランであり、その直感に高木は何度も救われたことがある。
高木は黙って頷いた。
大熊も頷き返す。
(国際魔術会議……。ワシは“人を守る国際組織”だと聞いて入ったはずだ。現場に血を流させても、市民は守るって教えられた)
自然に肩に力が入る。
(だが今のは違う。あいつら、自分らの計画のためにこの街を観察してやがる目だ。ワシらも、街も、材料扱いだ)
ふと高木を見る。こいつの命もワシが守らなければならねえ。
(ユニマコンそのものを疑う日が来るなんて、思っちゃいなかったがな……)
水城支部の廊下に、大熊と高木の足音だけが、響き渡る──。
◆ ◆ ◆
その数分後の八雲在斗の執務室。
八雲は背もたれにのんびりともたれかかりながら、手を上げて背筋を伸ばしていた。
その口元には、軽く、笑みを浮かべている。
「随分と、楽しい展開になってきましたねえ」
八雲は背もたれに身をあずけ、天井を仰いだ。誰もいないはずの部屋に向かって、報告でもするような口ぶりだった。
「大体は、予定どおりです。現場の部下だけでなく、“上”にも手順を降ろしておきましょう。混乱は制御しておきたいので」
そして、デスクの引き出しから、ある写真を取り出す。
「……ええ。ですから私は、こっちの方を優先します。……この子を失えば、計画は台無しですからね」
八雲は写真の角を、丁寧に指でなぞった。そこに写っている少年は、まだどこにでもいる高校生の顔をしている。
だが八雲は、その写真に向けて、まるで旧い友人に話すみたいにやさしい声で、静かに名を告げた。
「北藤翔太くん」
国際魔術会議の新たな拠点となった水城支部のホテル。左奥の最も高い場所に八雲は滞在している。
【撮影】愛媛県八幡浜市大黒町「八幡浜センチュリーホテル イトー」




