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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第二章 怨霊編~胎児よ、胎児、湖面はそこだ

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第84話 マギカ2nd

第84話


 元崎恵もとざきめぐみの視界の端が、一瞬で暗く縮む。

 鐘の胴鳴りが頭蓋に広がり、視界の溝が一段飛ぶ。世界が欠けた。

 こめかみへの攻撃。急所――テンプル。

 ボクシングでは、たった一撃で流れを変える致命点。


 ──そこへの攻撃が、

 見えなかった。


(何……ですって……?)


 それも相手は女子高生。

 海野美優うみのみゆ

 比較的、目視しやすいはずの「回し上段蹴り」で、だ。


 速すぎる。


(この……一撃は……!?)


 “魔術回路”を開き、肉体そのものをパワーアップしているにもかかわらず、

 衝撃で体が流れる。視界の水平線だけが斜めにずれていく。

 その元崎の視界に、すでに美優の姿はなかった。

 美優はすでに体をひねりながら腰を落とし、死角へと入っていた。


(見えませんが……どこからか、何か……来る……!)


 視界の中心だけがスポットライトみたいにやけに鮮やかだ。

 そこを何かが、光のような速さで、上へ走った。


「はああっ!」


 美優だ。

 体を回転させながらの上昇。

 その体幹で、三回転、四回転。可能な限り遠心力を高めていく。


 さらには、その高さ。


 元崎の身長――190cmを、遥かに超える。


(飛んだ……!? でもどこだ。見えません! 一体どこまで……!?)


 元崎の視界はまだ戻らない。

 だから、それ《・・》は、おそらく本能だった。

 魂が、恐怖を先に察知した。

 “魔術回路“にイーナリージアを走らせているにもかかわらず、元崎は防御を取る。


 同時に。











 ドクン!









 どこかで、心臓の鼓動を感じた。

 それが何の音か。

 何が起こったのか。元崎には分からない。


 それが、足元から訪れたことを、次の瞬間に知る。

 足首だ。

 足首が、誰かに掴まれている!


「……!」


 翔太だ。

 足首を万力のように締めつける、翔太の手。

 と、気付いた瞬間、足首ごと元崎の体は、数センチ、翔太に持ち上げられ。

 元崎は体勢を大きく崩した。

 同時に、美優のカミソリのような蹴りが後頭部へ。


「ガッ……!」


 回転の遠心力で何倍にも増した重い美優の蹴り。しかも蹴りそのものはソリッド。

 普通の人間なら、失神はおろか、即・病院送りだ。


 目標が体勢を崩し、ヒットポイントがズレても、

 速度を変えず鋭角に軌道を変える美優の格闘センスがものを言った。


 ──決めた……!


 だが、その美優の目が信じられないものを目の端で囚えた。

 勝利への確信から、大地を揺るがす地震のような動揺へと心が乱れ動く。

 なぜなら、彼女が見たものは。


 巨大なハヤブサの羽根だったからだ。


 バサッ!


 大きく開かれたその羽根は、翔太の背から伸びている。

 しかし、見えたのは一瞬。


(見間違い……!?)


 否。見間違いではなかった。


 ハヤブサ――太陽神ラーの象徴。

 翔太のイーナリージアが、幻影を実体化させるほどに強まったのだ。


 そして、その翔太。

 元崎の足首を掴み、そこから吊り上げるかのようにして大地に立っている。


「しょ、翔太くん……!?」


 翔太の姿は見る影もなかった。

 血まみれで判別もつかないほど、全身が損壊していた。

 おそらくさまざまな部分の骨が折れており。

 髄液ずいえきであろうか。

 鼻や口から、血とはまた違う、透明な色の体液がこぼれている。

 まさに“生きた死体”


 戦場写真でしか見ない“色”が、近すぎる距離で匂った。


 その翔太が。

 自分の体重の二倍近くはある元崎の肉体を、握った足首から軽々と持ち上げている。


(こ、これは……)


 白濁する意識の中で、元崎は震えた。

 勝負は決したかに思っていた。

 だが。

 実際、翔太は立ち上がり。

 あまつさえ、足首から宙吊りに。


 美優は思わず口元を抑える。

 

「翔太くん……その怪我……」

「なるほど。これ、めちゃくちゃ便利ですね、元崎先輩」


 翔太の肉体からはシュウシュウと白い煙が立ち上っている。

 そして見る見るうちにその肉体が。

 “死”そのもののその姿が。


 裂け目が巻き戻り、血の色が皮膚へ吸い込まれていく。 

 白い湯気だけが傷の在処を告げていた。


「ラーの治癒能力……か。以前にもあったな、そういえば」


 魔王ベレスとの初対面時、デルに体を真っ二つにされた、あの時以来だ。


 翔太は、右腕だけで、元崎の体を右に左へと振り回し、そのまま、投げ飛ばした。


 片手で。


 体格差をものともせず。


(片手の支点だけで……!?)


 薄れ行く意識の中、風景が流れるのを眺めながら元崎は思う。


(もしや)


 驚く。


(実はマスターしているのですか……? あの、さらに上を……!)


 元崎は、数メートル先の土の上でまで飛ばされた。

 地面のほうが耐えきれず、砂利が鳴った。


(しかも、この、短期間で……!?)


 翔太の制服はボロボロ。血で汚れ、とてももう着られない。

 だが、その肉体だけは完全に、もとに戻っている。

 すでに傷一つない。

 呆気にとられている美優を見る。

 そちらへ歩みを寄せる。


「立てるか。美優」


 翔太は美優に手を差し伸べた。

 美優は戸惑いながらも、「う、うん……」と、その手を取った。


「今の……何?」


 おそるおそる美優は尋ねる。

 美優の脳裏に、バフォメットに捕らわれていた時の記憶が蘇る。

 翔太の額に開かれた“第三の目”……


 いや、第三の目は開かれていない。

 ただただ、優しい笑顔で、美優を見つめている。


(こ、これが、本当の翔太くんの“力”──)


 体の震えが止まらない。

 動揺が隠せない。

 翔太が殺されたとまで思った。

 自身の肉体の限界を超えた攻撃を元崎へ食らわせたほどに……

 なのに、こうして蘇生して元通りになっている。

 美優の心の乱れを悟って翔太は言った。


「俺のことが──怖いか……?」


 美優は黙って首を横に振る。


「そっか」


 翔太が、驚くほど爽やかな笑顔を見せた。


「良かった」


 心の底からの安堵の表情……

 それは、幼い時によく見ていた、美優が最もよく知る、あの優しい笑顔だった。


 ──よかった……。いつもの、私の、翔太くんだ……。


 かと言って、まだ怯えが完全に消えたわけではない。

 その美優から視線を外し、翔太は元崎を見た。


「待ってて」

「え?」

「もう終わるから」


 自信に満ちた翔太の表情──


「う、うん……」


 その迫力に、思わず美優は頷いてしまった。


 本当は止めるべきなのに。


 こんな危険なこと、やめさせるべきなのに。


 ◆   ◆   ◆


 元崎はキャッツアイの位置を直しながらこう思っていた。


(あの海野美優って子の蹴り……こんなひどいダメージ、初めてですね……本当に女子ですか……)


 そのサングラス越しに見える、こちらに向かう翔太の姿。


(それと、北藤くんのこの治癒速度とパワーアップ。“あのお方”がご心配することもなく、太陽神ラーの力を、すでにここまでの能力を引き出せている──)


 しかも、この短期間に。


 元崎は、翔太の魂に何が宿っているかを知っていた。

 知っていて、その力のほどを確かめていたのだ。

 だが、想定外なことが起こっていた。

 “魔術回路”へのイーナリージア量が異常すぎたのだ。

 元崎は再び、自身の“魔術回路”に、全力のイーナリージアを流し込む。


「ならば、短期決戦が得策です!」


 これ以上長引けば、元崎の命も危ない。


 元崎は翔太へ向けて飛びかかる。意識はすでに戻った。若干、地面が揺れて感じるだけだ。

 まずは渾身の右ストレート。その後、その巨体を生かした後ろ回し蹴り。


 だが。


 翔太の体はビクともしない。

 両方、当たったのに。


(なんですって!)


 攻撃をした元崎の方が驚く。

 翔太はそのまま、元崎を睨みつけている。


 このままでは負ける……!

 

(リスクはありますが、あれを私も試してみますか……)


 元崎はイーナリージアの量を極限にした。


「はああああああああああああああああああ!」


 次は、翔太も構えを取っていた。


 そして。


 始まった。

 防御も何もない、殴り合いが。

 拳が飛び、肘が刺さり、膝が打ち込まれる。


 だが。


 どちらも防御はない。

 殴る。蹴る。止めない。

 間が潰れるたび、骨の音が一つ増えた。


 翔太の“魔術回路”は太陽神ラーの神秘をイーナリージアに混ぜて通し。

 不死身の鎧をまとわせていた。

 だが、死なないだけで、痛みはある。

 猛烈に痛い。

 ただ、瞬時に傷が治るのだ。


(これが、毎晩の『冥船メスケトト呼吸》の儀式の効果……)


 翔太は、そう静かに思う。

 まるで、凪のような、静かな心。


 自分でも驚く。


 俺は、確かに、強くなっている──


 だが、傍から見ていたら、異常な戦いだった。

 何しろ、致命打と思われるような攻撃を受けても。

 お互いまったくダメージを受けた様子もなく、猛攻が続く。


 技とか、そういう問題ではない。

 単純な殴り合い。

 いかに関節を決め、折ろうと。

 元崎はあっという間に“魔術回路”を操って治癒し。

 再び攻撃。

 それが分かった上での、翔太の攻撃。殴打。殴打。殴打。

 骨の鳴る音だけが、神社の空気を割る。


 時間にして一分も経っていない。


 だが見る者にとって。美優にとって。

 それは永遠とも感じられた。

 そしてこの時、元崎の方に異変が生じていた。


(このままじゃ、らちが明きませんね……)


 少しずつ、少しずつ。

 立ち位置を移動しつつあった。


(あの石垣。あそこに翔太くんを追い込めば、逃げ道を塞げる……)


 これを、翔太も感じ取っていた。


(何か、企んでやがるな、このデクノボウ)


 殴り合いはさらに激しさを増していく。

 じりじりと移動しながら、攻撃を続ける元崎。

 その元崎を追う形で反撃を繰り広げる翔太。


 やや、翔太が優勢に見えた。

 攻撃の数が。ヒットの数が。

 元崎より上回り始めた。


 だが。


 そして、そのタイミングは、いきなり、訪れた。


 ゴッ。


(え……)


 いつの間にか、翔太は石垣を背負っていた。

 背後への動きが封じられたのだ。


「待ってましたよ、このタイミング……!」


 元崎がニヤリと笑った。


「これを私は狙っていたのです」


 翔太は苦笑いした。


「何言ってるか分からないな。先輩。俺たちの戦いにあって、相手を壁に追い詰めたところで、何が変わるんですか?」

「まあ、確かにそうかもしれません」


 ひどく気の抜けたような笑顔に、翔太は逆に怖さを感じる。


「あなたが、私を知らなければ、そう考えるのは自然でしょう」

「え……」


 翔太の脳が、“警戒”を鳴らした。


「何を言って……」

「ええ。つまり、こういうことですよ」


 その言葉と同時だった。

 翔太に考える暇を与えなかった。

 元崎の顔に、制服から覗くすべての肌に。

 血管のようま真っ黒な線が張り巡らされた。

 皮下に黒い線が反転し、鼓動の速さで盛り上がる。空気が一段、重く沈んだ。


 異形の姿。


 ──まるで化け物。


 空気の密度がさらに変わる。


(これって……!)


 翔太の脳裏に魔王ベレス=成宮蒼なりみやそうの言葉が蘇った。


 ◆   ◆   ◆


「この“魔術回路”を完全に使いこなし、そして最大限の力を発揮する時、君の肉体は、異形の姿となる」

「異形、ですか……?」

「そうだ。血管や神経のように体中に張り巡らされた“魔術回路”が、すべて肌に浮き出し、まるで化け物のような姿へと化してしまうんだ」

「なんだか物騒な話ですね」

「だが、それは“魔術回路”を使用した第二段階、いわゆる“マギカ2nd”と呼ばれる状態だ。それまでの攻撃のおよそ三倍の力、三倍のスピードを発揮することが出来る」

「三倍……!? ほとんど無敵じゃないですか」

「大体の敵はそれで討ち滅ぼすことが出来るだろう。おそらく君も、何年か修行を続ければ、その場所までたどり着けるはずだ。可能な限り、努力してみてくれ」


 ◆    ◆    ◆


(マギカ2nd!?)


 翔太は察した。

 これが、その“マギカ2nd”……!?


 ──まずい!


 思わず翔太はシラットの防御態勢を取る。


 右手で鼻の下を抱きしめるように覆い、その上から左手を重ね、頭上で後頭部を防御する。

 シラットの、最も衝撃を吸収できる防御術。


(おや。驚いている。……ということは……)


 元崎は心の中で笑う。


(勘違いしてましたよ、翔太くん。あなたは、この“マギカ2nd”にまで達していなかったようですね)


 元崎の心から不安の種が消えた。

 翔太の力は“マギカ2nd”の初期段階ではなかった。

 また別の力──


(その力は、あとで”あのお方”に聞くとして……。ここは、翔太くんを一つ、驚かせてあげましょうか)


 そう。

 元崎には、これまで出していない必殺の技があった。

 古代中国で生まれたとされる技・発勁はっけい

 “発”は「発する」。“勁”は「激しい力」


 つまり、「激しい力を発する技」


 勁(運動量)を発生させ、接触面まで導き、作用させる。

 この三つの工程をクリアした時に発動される元崎の秘密の技。


(勁は筋に由り、能く発して四肢に達する)


 足の裏から脚、脚から腰、腰から上半身、上半身から肩、肩から腕、腕から手のひら。

 体に回転を加えることにより、四肢の力のすべてを手のひらに集中させて発する“発勁”。

 これを元崎は自らの創意工夫で、オリジナルの技として身につけていた。


 小学生時代から何年にも渡る練習。長い年月を経て、大木にその“発勁”を発した時、その大木の葉は、すべて散った。

 大木の幹は大きくえぐれ、緑の大木は、一瞬で枯れ木となった。


 それほどの貫通力、さらには元崎が秘めたる力による“冥界”へと通じる技。


(“人”に対して、使うのは初めてですが……)


 これを、元崎は初めて、“人”に放つ!


(いや、翔太くんが本当に“人”であるならですが)


 相変わらず、どこまで知ってるのか、人を食った笑顔を見せて。


 そして放った。


六道掌りくどうしょう!」


 元崎の掌底しょうてい

 “必殺”の六道掌りくどうしょう

 それが、翔太へと目掛けて放たれる。

 その時、美優が見た光景は。


 石垣が内側から爆ぜた。

 石垣の大部分に巨大なクレーターが広がる光景と、一拍遅れて美優へと届く衝撃。


(きゃあああ……!?)


 遅れて風圧が頬を剥ぎ、耳の奥で土砂が降る。

 立ったまま風に二メートルは引きずられる。

 だが。


「翔太くん!」


 美優は自身の危険を顧みず、突風を切り裂いて飛び出した。

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