表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第二章 怨霊編~胎児よ、胎児、湖面はそこだ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/240

第83話 魔術回路

第83話


 元崎恵もとざきめぐみの左腕に、“魔術回路”の光が走った。

 血管が透けるような光の筋に、翔太は反射で距離を取る。

 一歩ではなく、跳ぶように後退する。

 見慣れているはずの光なのに、“他人の腕”で見ると、別物みたいに不気味だった。


(“魔術回路”……だと!?)


 本能が告げる。近づくな、と。

 光は脈動に同期している。だが、血の鼓動よりも“鋭く”走る。


 元崎恵。星城学園の番格。噂だけ知っていた。

 交わる理由などないはずだった。

 その男の腕に、翔太と同じ“宿命の印”が脈打っている。


 しかも、翔太よりずっと自然に──“使い慣れたもの”として。


(どういうこと……だ!)


 体中を電撃のようなショックが走る。


(俺と、同じ、なのか……この人が!?)


 混乱する。整理が追いつかない。

 何故、この男が“魔術回路”を持つのか。


 “回路”そのものは、誰の体にも薄くはある。

 だが、そこへイーナリージア……すなわち「神の力」を流し込めるのは限られた人間だけ。

 ベレスは、それを“宿命”だと言った。


 ──なら、元崎は──何を背負っている?


「な、なんだ。北藤のヤツ、急に距離を取ったぞ……」


 野津も驚いた。

 優勢であるはずなのに、退く。

 余程のことがあったと分かる。


 だが、美優には見えている。

 父から受け継いだ資質が、光の筋を“現実”として拾い上げる。

 ──あれは、誰にでも見えるものじゃない。

 そして、誰にでも扱えるものでもない。


(翔太くんの他にも……、いる……!?)


 美優のマグスの素質が伝える。

 右掌がかすかに熱い。胸の奥が波打つ──ただの焦りだ、と自分に言い聞かせる。

 そして美優は悟ってしまう。

 元崎の回路は、翔太のそれより“深いところ”まで通っている。

 使っているのではなく、回路と一体になっている。


 胸の奥が、ひやりと沈んだ。


 ◆   ◆   ◆


 元崎がゆっくりと体勢を立て直す。


「ふむ。あのお方がおっしゃった通りだ。やはり、あなたには見えるのですね、これが」


 そう言いながら翔太に近づく。

 元崎は首をコキコキと鳴らしながら。


「ですが、まだ私の方が上」


 左手の小指は折れたまま。

 紫色に腫れ上がっている。

 だが回路が走ると、元崎の表情から痛みが消える。

 折れた小指のまま、拳が“普通に”握られた。


「あなた──まだまだ努力が足りてないようですね」

「“魔術回路”か」


 呻くように翔太は声を絞り出す。


「なぜ、お前が……」


 やれやれ。と、元崎は首を振った。


「それ、どうしても、お答えしないといけませんか?」

「教えろ!」


 声帯の絞りが叫びに変わる。


「お前、何者だ!?」


 元崎はにこにこしたままだ。

 話す気はない。

 その心が透けて見えるほど分かりやすく。


「だから、元崎ですよ。元崎恵もとざきめぐみ。僕の名前。いい名前でしょ?」

「何者かって、聞いているんだ!」


 翔太は飛び出さざるを得なかった。

 不穏が、驚きが、不安が、翔太の心より先に体をほとばしらせた。

 右腕に翔太の“魔術回路”の光の筋が浮かぶ。


(セトナクト!)


 イーナリージアを流し込んだ合図。

 だが。

 その翔太の右手首は、あっという間に元崎に掴まれてしまった。


「ふうん。まだこの程度ですか……」


 サングラスの奥の目は見えない。


「まだまだ、なっちゃいませんねえ」


 間髪入れずに元崎のロー。翔太の脚は払われる。

 掴まれた手首を支点に体が揺れかけたところで。

 元崎の右拳。

 それ《・・》にも、光の筋が走っていた。


(まずい………!)


 イーナリージアが巡った肉体が、どれほど硬いか。翔太は身をもって知っている。

 素手で受ければ、何が起きるか分からない。

 だから、間に合わせる。


 翔太も即座に左腕にイーナリージアを走らせた。


 右手首は掴まれたまま。翔太は踏み込み、左肘を肘裏に差し込み“折り”に行く。


 なのに。


「え……?」


 びくともしなかった。


 腕は外側へ「く」の字に曲がるはずだった。


 ──嘘っ……こっちも回路発動してんだぞ!?


「だから、まだまだだ、って言ったでしょ!」


 元崎は翔太の攻撃をラリアットの要領でぎ払った。

 それだけで翔太の足が浮く。

 体が、横へ投げ出される。

 一本の腕の一振りで、数メートル。

 “筋力”の話じゃない。力の出方が、別の生き物みたいだった。


「っ……!?」


 そのまま、二回、三回。

 地面に叩きつけられながら。

 手水舎ちょうずやの石に激突し、止まる。

 背中へ鈍い痛みが走る。

 それは横隔膜をも刺激した。


「うっ……!」


 呼吸を止められた。

 手水舎の水が衝撃で波打ち、翔太に降り掛かった。

 柄杓ひしゃくが転がり落ちて、翔太の顔に当たる。


(息が……まずは、呼吸を!)


 翔太は起き上がろうとする。

 肋骨の中の“魔術回路”にまで太陽神ラーのイーナリージアを走らせる。


 だが。


(鎖骨が……!?)


 折られている──息を吸うだけで、痛い。

 だが諦めない。

 何度も立ち上がろうとし、崩れ落ちる。

 この光景が、野津には信じられない。


「な、なんだ、これは……」


 まず、いくら元崎と言えど、たった右腕の一振りで、人間が、数メートル先まで吹き飛ばされるなんてあり得ない。

 次に、翔太のダメージ。

 喧嘩慣れした野津には分かる。

 あれは、どこかの骨が折られている。

 単なる腕力とは考えられない。


 それは明らかに、人の筋力を越えていた。


「翔太くん!」


 美優が翔太に駆け寄る。

 しかし、それより早く。

 元崎の追撃が始まっていた。


 元崎は、翔太の目の前まで一気に詰めた。

 走ったというより、距離が消えた。

 回路が光るたび、元崎の動きだけが“現実の尺”を外れていく。


 そして。

 容赦なく蹴る。

 殴る。

 やりたい放題に。


 とどめ。体全体で“終わり”を叫ぼうとするかのように。


 翔太の下には大地。背後には手水舎ちょうずや

 胸ぐらを捕まれ、転がされる。仰向けになった翔太の腹。

 そこ目掛けて、元崎が全体重を載せ、蹴りをひねり込む。


「ぐっ!」


 内臓が潰れたかと思った。

 翔太の口から鮮血が噴き、胃の奥が焼ける。


 受け身の余地がない。“蹴り”というより、圧殺だった。


 さらに攻撃の手をゆるめない元崎。

 さすがの野津も目を逸らす。


 だが。


「やめなさい!」


 そこで、美優の声が裂けた。


 迷いが消えた。守らなきゃ、という衝動だけが体を動かす。

 しゃがみ込む。

 速い。

 そして踵を凶器に。

 渾身の後ろ回し蹴り。

 狙いは、元崎の膝頭。


 

 ──膝関節を逆方向へ曲げる!


 

 守りたいがゆえ。

 残酷すぎる攻撃だった。


 まるでコマ。

 さすがにこれは元崎も、反応できない。


 そして、目的を果たされた。


 元崎の右膝が。


 逆に曲がった。


(折りやがっ……た……!)


 野津も息を呑む。

 思わずバランスを崩す元崎の肉体。

 その崩れ落ちそうになった元崎の首を。

 その先の無防備なあごを目掛けて。

 美優は追撃する。

 斜め下からの踵落とし。


 踵が、顎の先をかすめる。


 針の穴を通すような精密かつ繊細な動き。

 幼少期から鍛え上げられたそのミリ単位のズレも許さぬ動き。

 跳ね上げた。


 その時、元崎は、首の魔術回路にイーナリージアを流してなかった。


 生身。


 ゆえに。


 ──グルン!


 美優の一撃で。

 かすめた顎の先から首が。

 支点、力点の法則で。


 あらぬ方向へねじ曲がった。


「うわあああああっ!」


 野津が情けない悲鳴を上げる。

 それほどの無惨な光景。


「こ、殺した! 殺しちまった!」


 腰が抜ける。

 体が動かない。

 ──殺人。

 さすがの野津も、人は殺したことがない。


 翔太を守るための美優には、人の心がない。

 ただ、相手を制す。

 それしか、思考にない。

 鬼退治。

 躊躇ちゅうちょなく、“殺し”にかかった。


 しかし、その美優の一瞬の“鬼”を、立ち去らせたのは、意外にも翔太ではなく。


 その“殺された”はずの、元崎本人だった。


「痛いですね……」

「え……?」


 美優が我に返る。


(ウソでしょ……)


 元崎は平然と体勢を立て直したのだ。

 首が変な方向に曲がったまま。

 膝も折れたまま。


「こんな……ことって……?」


 怒りに正気を失っていた美優の頭から、あっという間に血の気が引いた。

 美優の前に高くそびえ立つ、元崎の巨大な背中。

 半分以上はこちらにねじ曲がった首。


 悪い冗談みたいな光景。


 そんななかでこの男は、平然と立ってのけている。


「海野さん、素晴らしい攻撃でした」


 パチパチパチ。

 膝も首も折れたまま元崎は手を叩いて賞賛を送る。


「北藤くんを守るため、ですか。だが、ちょっとやりすぎですよ。まさかあなたに、こんな欠点……いや欠点じゃないのかな? “殺しの才能”があるなんて」


 サングラスの奥の目が見えない。何を思って言っているのか分からない。

 だが、意識も失わず、視線がしっかりこちらを向いているのは、直感で分かる。


 すっかり元の美優に戻った彼女は、体の力が一気に抜けてしまう。

 ──私、どうしちゃったんだろ……

 そして。

 なんで、この人は、立っているんだろう?

 元崎はこの死にていとは真逆のいつものにこにこ笑顔で、美優を叱る。


「ここまでやったら死んじゃうでしょ。あなた、可愛い割に、とんでもない爆弾を隠してましたね? 殺人罪ですよ、殺人罪。北藤くんが許しても、秩序があなたを裁きます。ああ、良かった、私で。いいですか。今後は私相手じゃない限り、こんなことしちゃいけませんよ。メッ!」


 へなへなっと美優は腰を落とす。いや、落ちる。

 腰が落ちた瞬間、足元の土がさざ波みたいに揺れた気がした。

 分かる。

『マグス』の素質が私に告げる。

 この男──“人”じゃない。


 そんな美優を見て、元崎は申し訳なさそうに言った。


「いや。言い過ぎました。でも、ちょうどいい機会です。“これ”の使い方、よく見ていてください」


 “これ“……?

 美優がそれが何を意味するか考える間を与える気もなく。

 元崎は自分の頭を両手で持ち、ギリギリと前へ回していく。


「何……それ……」


 元崎の首の光の筋が浮かび上がる。

 そのまま力付くで、頭を元あった位置へ戻した。

 間髪入れず。


「次はこっち……」


 両手で膝を持つ。ガキッ、ガキッ!

 嫌な音。人体の破壊の音。

 いや。

 治療だった。

 膝が。

 元崎の膝が。

 元通りになっている。

 よく見れば、さっきまで紫色に腫れていた小指も何もなかったかのようにきれいになっている。


 まさか……


「その、まさか、です。海野さん」


 元崎は美優の心を読むように言う。


「“これ”、使い方によっては、治癒も可能なんです。素晴らしいでしょ?」


 “魔術回路”──そして“イーナリージア”。

 攻撃、防御の為だけにあると思っていた力。

 翔太のような数奇な運命を持つ人間にだけ与えられたものだと思っていた力。


 それを。


 この元崎は、自由自在に取り扱っている。


「こんな使い方、まだ、北藤くんは教えられてないでしょ。だから私が、実践して見せた。見えてますか、北藤くん。あなたも“修行”を続ければこれぐらい簡単にできるようになるんですよ」


 翔太の毎晩の苦痛と冥船メスケトトの儀式も知っている。

 何もかもお見通し。

 この男は。

 神か。

 悪魔か。


(勝てない……)


 勝ち気な美優が。

 ちょっとやそっとでは折れない美優の心が。

 圧倒的な異変を前にして。

 今、負けを認め始めている。


「あ~あ。怖がらせる気はなかったんですけどね。いいですよ。ま、そこに座って、ことの成り行きを見ててください。もうすぐ終わります」


 元崎は、温かな声でそう言った。

 かと想うと、再び翔太に向き直り、翔太の髪を掴んで、持ち上げる。


 それも、片腕で。


 翔太の体が浮き上がる。


 髪の毛が抜ける音が響いた。


 とんでもない腕力。


 翔太は痛みに顔を歪ませている。


 吊り下げられ、無抵抗な翔太。


 これを元崎は容赦なく滅多打ちにする。


 顔面、折れた鎖骨、みぞおち、あらゆる場所を。


 拳で。手刀で。蹴りで。


 壊していく。


 破壊していく。


 翔太が派手に血を吐いた。


 骨が鳴り、ヒビが走る。

 折れた骨が肉を割り、血が跳ねる。

 内側まで、拳で潰されていく。


 その返り血で、元崎の顔も真っ赤に染まっていく。


 野津はもはや、息をすることも忘れてしまっている。


 だってこれは。


 もはや、喧嘩ではない。


 ただ一方的な。


 破壊。


 殺人。


 何もできないでいる美優の目から涙があふれた。

「動け、動け」と自分に言う。

 体はピクリとも反応してくれない。


(翔太くん……!)


 絶望。

 この日、初めて美優は、「諦め」という感情を、知った。


 そこにいるのは何も彼らだけじゃない。

 不良も野津だけじゃない。


「やべえよ、元崎さん、そこまではやばいって!」


 遠巻きに見ていた不良たちが、あわあわしながら、逃げ始める。


「お、俺は知らねえ!」

「俺も!」

「な、な、何も見てねえ! 俺たちは何も見てねえ!」

「お、おい、お前ら……」


 止めようとするも、野津の心もすでに、恐怖の鎖に巻かれている。

 それは硬く、冷たく。


 野津は最後に一度だけ歯を食いしばり──そこから先を、覚えていない。

 その根性と芯の強さで知られている野津でさえ、気を失ってしまった……


 今、この場でまともに息をしているのは。

 元崎と美優。そして、息も絶え絶えの翔太だけ。


 続く元崎の執拗な攻撃。


「どうしました! 反撃はないのですか? 北藤くん!」


 徐々に人の形を失っていく翔太。

 呼吸のたび、右肺が笛のように鳴る。


 美優はそんな元崎と翔太へと、右手を伸ばそうとする。


 脚は震えて動かない。


 だが、この右手。


 右手だけでも。


 私は、翔太くんを、守るんだ!


 届け! 届け! 届け!


(じゃないと……)


 涙が溢れ出る。


(翔太くんが、殺されちゃう……!)


 それでもやまぬ元崎の攻撃。


 美優の心に再び炎が灯った。


 何かが私を動かそうとしている。


 脚が腕が。力を取り戻しつつある。


(動け……、動け……)


 武者震いのような震えがガクガクと美優を揺らす。


 右手のひらが熱い。


 鼓動と同じ速さでじわりと脈を打つ。守るためなら、動ける。


(私が……! 私は……!)


「うーん。まあ、こんなものですかね」


 元崎の攻撃が止まった。


「買いかぶり過ぎました。実際、がっかりです」


 元崎はため息をついた。


「もう少し、やれるのかなと思ったのですが」


 そう言って、元崎は攻撃していた腕を下ろす。


 返り血で真っ赤になった元崎は、

 もはや単なる肉の塊のようになってしまった翔太を、

 残念そうに見る。


 その。


 元崎の右側頭部。こめかみに向けて。


 美優の核弾頭のような強烈な蹴りが、目にも留まらぬ超スピードで飛んだ。


 電光石火!


 ──動いた!


 動いてくれた!


 そして見事に急所を急襲!


 涙は流れ続けている。だが魂の中の“何か“の炎が、美優を動かしていた。

 美優の恐怖は、別のものへと姿を変えていた。

 それは『マグス』の力か。それとも別の──?


「翔太くんは……」


 さすがの元崎の手の力が緩み、翔太の体がどさっと地面に落ちる。


 美優は、次の攻撃に移ろうと、しゃがみ込む。

 体中が魂の炎で満ちた感覚がある。


 ──せ《・》な《・》い《・》!


「翔太くんはっ! 私がッ! 守るッ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブクマ・ポイント評価お願いしまします!
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ