第7話 メイド服とスピア
第7話
(何、何なの……!?)
美優は必死に悲鳴を押し殺す。そしてこの次に来た文字列は──。
『うみ、大好き』
『大好きなだよ』
『大好き、大好き』
そして。
『大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き』
呪いのように続く“大好き”。思わずスマホを放り投げそうになる。だが、体が動かない! あまりのショックに体が脳の指令を拒否している。
そして次に届いたのはメッセージではなかった。スマホで撮影したであろう写真。
それは、格子状の路地のようになった長距離トラック置き場を俯瞰して撮影されたものだった。
「これ……」
空からコンテナ置き場を見渡すような構図。
「もしかして、この場所?」
上を見上げる。ドローンなどは飛んでいない。なのに、不自然なシャッターポイントからの画像が、次々と送られてくる。
「こ、こんなのどうやって撮るの!?」
ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!ピコン!
「なんだよこれ! こんなバグ聞いたことない」
「これ、怪異? ──で、でも、お父さんからも聞いたことない! おかしい、これ絶対に何かがスマホか電波に干渉してる!」
撮影場所はどんどん美優らに近づいてきているようだ。そしてついに、その画像から美優ら三人がうっすら判別できるほど近づいてきた。止まらず、さらに近寄ってくる。すでに顔が分かるほど近くから撮影されている! ──その最後に、送られてきたのは。
そのスマホを覗き込む、美優のスマホのインカメラから撮られたと思われる美優のアップの顔写真だった……
「イヤアアアアアア!」
悲鳴が金縛りを解いた。美優はスマホを放り投げる。スマホはカラカラと音を立てながら、アスファルトの上を転がった。そのスマホから不気味な声が漏れ聞こえる。
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンン』
腹の底まで響くようなその唸り声──
緊張。
焦燥。
恐怖。
絶望。
不安。
翔太の肩がこわばる。美優は芽瑠を強く抱きしめる。その美優を守るように翔太はスマホと美優らの間に立つ。
(これも……『カスケード』の現象?)
庇うように立ちふさがったものの体がうまく動かない。まるで夢の中のように地面がふにゃふにゃに揺れ、足元にアスファルトの感触がない。
逃げられない。
逃げたくても逃げられない。
せめて美優や芽瑠だけでも。
二人だけでも逃さなきゃ……!!!
地平を失いグラつく翔太がそれでも脚を思い切り大地へ叩きつけた時である。
一陣の風が吹き寄せた。夜を震わせるように、ほんの刹那。そしてどこからか、軽やかな足音が近づいてくる。まるでこの大地の揺れなど無関係なほどスムーズに。
ひたっ。
ひたっ。
ひたっ。
「誰だっ!」
翔太が叫んだ。だがどこから聞こえてくるのか分からない。しかし足音は止まらず、明らかにこちらへ迫ってくる。近寄ってくる。
──そこで、見た。
月明かりに照らされた。小さくて華奢な影。少しずつこちらへと歩を進める。
(お、女の子……!?)
やがて、その華奢な少女に落ちた影を、月明かりがそっと奪い取っていった。
まず目に映ったのは、風にほどける白銀の髪。夜気をすくうたび、光の糸が舞う。長いまつげの下、冷たい星のように瞬く翡翠色の瞳。細く柔らかな髪先が肩を撫で、太ももまで届くメイド服の裾が、月光をすくい上げるようにひらめく。
その佇まいは、この場の戦慄とは似つかわしくなく──
まるで、恐怖の底から呼び覚まされた“夢”の具現のようだった。
翔太には、彼女が現実の存在には見えなかった。
ただひたすらに、白く、可憐で、どこか懐かしい。
そして、ほんのかすかに……危ういほどの美しさを湛えていた。
そのメイド服が、静かに唇を開いた。
「落ち着いてくださいませ。翔太さま、美優さま」
──俺たちの名前を、知っている……!?
(なんで……?)と、虚をつかれた想いがした。
だがその声は淡々として抑揚に乏しいのに、不思議と胸の奥を鎮めてくれる。
不思議な安堵感が心を安らがせてくれる。だが、それが妖しい──!!!
「わたくし、デルピュネーと申します。どうか、デルと呼んでくださいまし」
デルピュネー。
デルと名乗るその少女は宝石を散りばめた槍を抱きしめるように構えていた。
白銀の髪が月明かりに揺れる。
夜風にひらめくフリルのメイド服、首元で揺れる小さなリボン。
そして宝石のエメラルド顔負けの輝きを映すその瞳は、月光を受けてさらにきらめいている。
翔太も美優も、一瞬、言葉を失った。恐ろしい怪異のただ中だというのに、目の前にいるその少女は――あまりにも可憐で華奢だった。その彼女の唇がキッと引き結ばれる。武人としての威厳が突如、少女の表情に宿った。そして。
「──来ます」
ドクン!
ドクン!
ドクン!
地の底から湧いてくるかのような鼓動。
美優のスマホからだ。
地面に落ちていた美優のスマホが、無機物であるにもかかわらず、生き物のように不気味に脈打ち始めていた。
画面が黒く滲んでいき、平らな液晶が膨れ上がっていく。まるで内側から“何か”が這い出そうとしているかのように。
「美優、下がれ!」
突如現れた、見た目まだ中学生のメイド服少女。
先ほどから異変を起こし続けている美優のスマホ。
そのどっちにも警戒しながら、翔太は美優と芽瑠の体全体を隠すように距離を詰める。
庇い立つ。
やがて、赤黒い肉のようなものが画面を破って溢れ出した。
スマホの大きさなど無視して湧き出てくるその肉塊。
どろりと地面に滴ると、蒸気を立ち上らせた。
その匂いは鉄錆と血を混ぜ合わせたように生臭い。
それはぐにゅりと歪みながら。
胎児が成長する過程を早送りしているかのように驚くほどの大きさへと膨張していく。
そして、”それ”は飛び出した。
ずぶり。
肉塊を突き破り、巨大な「腕」が。
毛むくじゃらの皮膚に浮き上がる筋肉。
血管は怒張し、腕の長さは翔太の身長を優に超える。
それが二本、宙を掻き回し、獲物を探すように蠢いている。
「やーなのッ!」
翔太の背から芽瑠が悲鳴を上げる。
さらにその腕の表面に、ぎょろりと目玉が次々と生え出す。
無数の瞳が一斉にキョロキョロと動き回り、やがて翔太を捕捉する。
ぞっとするほど執拗な視線が、彼を射抜いた。
まるで「見~つけた」とでも言わんばかりに。
「…………!」
翔太は美優を庇ってはいるが、足がすくんで動けない。
この光景を前に、何かできる人間なんているのだろうか。
──逃げる? そんな生易しいことではない。
前方にはこのスマホの化け物。背後にはメイド服。逃げ道は前後ともに塞がれている。
例え足が動いたとして、一体どこへ逃げれば良いのか。
──上か? そう翔太が上空を見上げた時だった。
デルピュネーが、静かに告げた。
「ご安心くださいませ、翔太さま。ここからは、わたくしの役目でございます」
だがこのメイド服は違った。そのスマホの怪異に目を遣り、翔太たちの目の前を一歩、また一歩と進んでいく。この少女がこちらに何かをしてくる気配はない。
だが油断はできなかった。なぜなら。
メイド服の少女の翡翠の瞳は、縦に割れていたから。
そう。爬虫類のように。
「もう少しお下がりくださいませ。安全には配慮いたしますが万が一ということもございます」
その言葉が終えるより前に、空気が弾けた気がした。そして次の瞬間には、彼女はもう宙にいた。
視線が追いつく前に世界が一コマ飛ぶ。
消えたのかと錯覚した。
だがその軌道はエメラルドグリーンの光の軌跡でなんとか追うことができた。
トラックコンテナの、狭い路地のような隙間。
その上空、夜空を天高く舞い上がるメイド服。
一体、何メートル飛び上がっているのだろう。
メイド服のスカートが夜空にひるがえり、リボンが軌跡を描いた。
残像だけが複数本、空に糸を引く。
その手には同じくエメラルドグリーンに発光する宝石があしらわれた槍。
それは彼女の身の丈に合わず、やたらと大きく見えた。
そのメイド服が軽々と槍を振りかざす。
そして例の、鈴のように澄んだ声で、こう叫んだ。
「──ブチかまし、まくりメキます!」
この後のことはよく見えていない。
まず、音が遅れて来た。
振り下ろされた槍が、大気そのものを震わせる。
一撃は斬撃ではない。圧縮された風塊だった。
高速で振ってきた槍の一閃が向こう五メートルを切り裂き、肉塊の巨腕を一気に粉砕した。
さらに地面もえぐっている。
余波だけで周囲のトラックが宙に跳ね上がった。
コンテナはバラバラに裂かれて夜空を舞う。
タイヤが内側から破裂し、フォグが千切れて渦を巻いた。
鉄骨が悲鳴を上げる。
鉄の塊が回転しながら宙を踊り、ゴオオオオオン、と轟音を立てて遠方に落下する。
空に散る火花と金属の悲鳴。まるで戦場の幕開けを告げる鐘の音のようだった。
翔太と美優は思わず腕で顔を庇う。視界が白く飛び、鼓膜が揺さぶられる。
何が起きたのか、理解も常に“一瞬遅れ”で追いつく。
その隙間からようやく見えたのは――
小柄な少女の姿をした、メイド服のその“存在”が、因果を置き去りにして、槍ひと振りでこの空間そのものを叩き割る光景だった。
着地と同時に、デルピュネーは槍を旋回させる。
軌跡が円環を描くより早く、結果だけが先に現れる。
細い腕とは思えぬ速さと重み。鋼鉄の嵐が吹き荒れ、肉塊があっという間に刻まれる。
飛び散った肉片が夜を汚し、地面を赤黒く染める。
残っていた巨腕の断片すら、槍の衝撃で粉砕される。
コンテナの側板が内側から盛り上がって凹み、空気の波が遅れて頬を叩いてくる。
外見は中学生ほどの、可憐な少女。
けれどその力は、重機をも凌駕する怪力。
スピードは眼球の追従限界をはるかに超える。
「はああああああああッ!」
最後の一撃。
突きが放たれ、風切り音が追いかけてくる。
とどめの槍が突き刺さった瞬間、肉塊は爆ぜるように四散した。多くの肉片をばら撒いて。
……静寂が訪れたのは、この後ようやくだった。
残されたのは、風圧に揺れる翔太と美優の髪。耳の奥でキーンという残響が遅れて散っている。
もう一つ、それは。
――路面に叩きつけられ、まだかろうじてその形を保っている巨大な指とそこに浮かんだ目玉。
それが、まだピクピクと蠢いていた。
跳ね飛ばされ飛散したトラックたちの跡地となったこの空間。
デルピュネーと名乗ったメイド服の少女は、そこで、槍を器用に回転させ、矛をおさめるように、その小さな腕と体の間に挟み、固定した。
キャラクター名・デルピュネー/イラスト作成=ゆぅ様(https://twitter.com/abcdeaabcz)




