第79話 八雲在斗登場
第79話
「大黒町。新たに国際魔術会議の拠点となった街」
【撮影】愛媛県八幡浜市大黒町。港から市街地をつなぐ旧メインストリート。現在も多くの車が行き来している。
『なるほど、状況は分かった』
ビデオ通話。国際魔術会議、水城市問題対策本部の最高管理官・九十九十三は、大熊英治の報告を聞いても眉一つ動かさなかった。
『魔王』『セイテンタイセイ』、その名を聞いても、だ──
(……こりゃあ、こいつら。“もう把握済み”って顔だな)
大熊は刑事の勘で、その疑いを深める。
『被害は遺憾だ。人員は直ちに補充する。水城市で現在起こっている現象について、新たにわかった情報を持つ者も派遣しよう』
「人員の補充……。ですが、ここまでの“大物”が水城に訪れているとなれば……」
『何の問題もない』
九十九管理官はメガネを中指で押し上げながら答えた。
「水城には『八雲特別班』を投入する」
「八雲……!?」
国際魔術会議でも、最上位に数えられる“処刑専門部隊”。
悪魔祓い師である神表洋平がかつて所属していた班でもある。
その後ろ盾にいるのが、神表洋平の父――神表主水神父の直属部隊だ。
俗に、“教会の裏側”を請け負う部隊と噂されている。
その『八雲特別班』が来るということは、大熊の水城市での指揮権がなくなってしまうことも意味している。
(若造が……)
大熊は、モニター越しに九十九管理官を睨みつける。だが、九十九はまったく意に介していない。
『今後、大熊調査班の生き残りは『八雲特別班』の指揮下に入る。配備は一週間後。それまでに、新たにホテルのワンフロアと会議室を借り上げよう。そこを新たな拠点とする。……それと、情報は上へ一本化する。現場判断は八雲の到着まで保留だ。指揮系統は一本。異論は現場記録にのみ残せ。報告は以上』
プツン。
とオンライン回線が切れ、九十九の姿が消えた。
大熊は拳を握りしめ屈辱に震えた。
九十九十三……、国際魔術会議の水城市対策本部の最高管理官にして、日本代表幹部。その実力と指揮力の高さでまたたく間に国際魔術会議のトップクラスまで上り詰めた男。
いわゆる国際魔術会議の官僚的存在だ。元刑事で叩き上げの大熊にとって、いかにも面白くない存在だった。
◆ ◆ ◆
『八雲特別班』が水城市に訪れたのは予告通り、大熊が指示を受けてから一週間後。
水城市・大黒町にある『ホテル・ハーバービュー』の十二階。客室はエージェントたちの寝泊まり用に。その階にあるジュニアスイートが、たった一週間で会議室用に改装された。
国際魔術会議にはどれだけ金と権力があるんだ、と大熊自身も呆れる。
その会議室。
「はじめまして、大熊英治本部長。私が『八雲特別班』の参謀総長、八雲在斗です」
そう言って八雲は、柔和な笑顔を浮かべて握手を求めてきた。
とても二十代後半には見えない若さ。美青年だが、どこかしらただならぬ雰囲気を漂わせる。
「お目にかかれて光栄です」
八雲は笑顔のまま、握手の力だけを一瞬だけ強めた。
気に食わねえ……大熊は仕方なく応じる。
握手と挨拶を終えた大熊と八雲は、さっそく会議用テーブルの席についた。
窓からは水城湾が見渡せる。
「大熊さんのお噂はかねがね……。その人望、ナイフ術、またここぞという時にしか出さない大規模呪法。刑事時代からの資料も読ませて頂きましたが、大変お人柄も好ましく、素晴らしいエージェントですね。お会いできたこと、重ねてうれしく思っています」
白々しい……。大熊は眉の根をわずかに寄せる。
「どうも」といなした。
「さっそく報告書にも目を通しました」
「どこまで読んだ?」とだけ返す。八雲は「必要な範囲で」と微笑む。
「これに我々が得た情報を照らし合わせると、あなた方をほぼ全滅に追い込んだ阿修羅像というのは、報告にあった『セイテンタイセイ』が操る人形だったと考えて間違いありません」
「あの阿修羅が発した言葉を認めるのか。『セイテンタイセイ』……だぞ」
それを聞いて、八雲はノートパソコンに何かを打ち込み始めた。
「以前の大熊本部長が拠点にしていた倉庫に残っていた魔術解析機の波長も確認しました。これです」
八雲は、ノートパソコンのディスプレイを大熊の方へ向ける。
「こちらが倉庫に残った波形です。これが拠点にあった波長。マイナスからプラスまで、独特の波が描かれているのが分かると思います」
「ああ、これはワシも確認した」
八雲は満足気に頷く。そして即座に別ファイルを重ねた。
「そして、こちらが過去の“某禁忌案件”」
マークされていたフォルダ名は、《封印指定・閲覧制限S》。
八雲は別のデータ波長を見せる。先ほどの波長より極端なライン。これがどうしたと言うのだ。
「このデータと、拠点のデータを合わせてみます」
パソコンを操作して、その二つのラインを重ねてみた。
「どうですか?」
見れば、波の大きさは違えど、形、角度、色、すべてが驚くほど一致している。
「規模は違うが……気味が悪いほど、同じだな」
「でしょう。過去事例の統計から“近似値”を抽出しました。このパターンは過去の『セイテンタイセイ』の記録を分析し、割り出したデータです」
「過去の!?」
大熊はひっくり返りそうになる。
そして目を剥いて、八雲に迫る。
「『セイテンタイセイ』が現れるのは初めてじゃねえのか!」
「原本は閲覧権限が限られますので、加工値で失礼」
なぜそんなとんでもないデータが国際魔術会議に……
やはりこの組織。一筋縄じゃないどころじゃない。
真っ黒じゃねえか──!
「いや、お考えになっているだろうことは大体、分かります。ですが今は時間がない。この『セイテンタイセイ』という『聖魔』は非常にイタズラ好きな性質を持っていましてね。今回の件も、おそらく、殺戮が目的ではない。“試技”――もっと言えば、“戯れ”に近い所作でしょう少なくとも、今のところは」
「からかった……!?」
思わず大熊は激高する。
「あの殺戮……。俺がどれだけ部下を失ったか──!? それを、からかった……だと!?」
ダン! とテーブルを叩く。
だが八雲は顔色一つ変えない。「はい」と柔和な笑顔のおまけつき。
──人間の命を、将棋の駒の動きでも確かめるように、ってことか。
「お悲しみはもっともです。ですがこちらで得た情報と合わせますと、そう考えるのが最もパターンに当てはまります。そしてあの阿修羅像は傀儡、操り人形。あなた方の戦力の確認。同時にその傀儡の力を試してみた、という見方も成り立ちます」
大熊は唖然とする。
だが、(いや……)と、大熊は思い直した。
多くの犯罪者を取り調べた自分だから分かる。
──こいつ、嘘を真実に混ぜながら話してやがる。
「そして、次に訪れた大量の“天使像”についてですが……」
八雲はパソコン画面を切り替えた。天空に舞う“天使像”の監視カメラの映像が映し出される。
大熊はその前に八雲の指に視線を移す。
爪の付け根に薄い聖油の匂い――教会筋の匂いだ──と、直感した。
「これの正体については現状、まだ調査中です。ただし、これは確実に、直近の『カスケード』によって訪れたと我々は見ています。阿修羅と天使……どちらも“像”なので同一視されても仕方ありませんが、これは『セイテンタイセイ』と敵対する派閥。それが私の隊が出した答えです」
大熊は腕組みをして、不快そうに椅子に深く腰掛ける。
それは大熊の出した答えと同じだ。
それに。
(憶測や推測ってもんじゃねえ。やたらと“断定”してきやがる)
「つまり、前回の『カスケード』で訪れた存在は二つ以上。『セイテンタイセイ』と、あともう一柱。おそらく大熊さんらの分析通り『魔王』でしょう。ソロモン72のどれか、まではこちらでも把握できかねますが、現状の人員不足の大熊班には荷が重い……これで私たちの隊が呼ばれた理由も分かってもらえるのではないでしょうか」
「随分となめられたものだな?」
大熊は八雲を睨みつけた。
「まさか」
と八雲は軽くかわす。
「単に数の問題ですよ。それに、『セイテンタイセイ』と言えば、『西遊記』にも登場する孫悟空です。東洋で信仰される崇高な神の一つ。そんなものがこの水城に現れたのですから、これはまさに異常事態」
「『カスケード』の活発化……、それと何か関係が」
「ええ。『カスケード』が狂った……。これは『カスケード』システムにバグを起こした『第三の理』が動作している”兆候”を指し示します」
「『第三の理』……!?」
「その正体は未確定ですが、既知の神話階層とは“異端の理”です。神話でも宗教でもなく――“観測できてしまった異常法則”とでも言うべき存在ですね。」
いよいよ、きな臭くなってきた。
「十六年前に起こった『カスケード』。それが数ヶ月前から急加速。これが何を意味しているか」
「……やはり、“666の獣”がこの地に現れた」
「ビンゴ!」と八雲は笑う。爽やかさが憎たらしい。
「そうです。“666の獣”はすでにこの世に生を受けている。『審判の日』に向け、その肉体は成長を続けている」
「ジャッジメント・デイ、ねえ」
「簡単に言えば、こうです。今起こっている現象はすべて、多かれ少なかれすべて、“666の獣”に起因します。そしてその影響が、水城だけではなく、この日本……いや、世界中に広がりつつある。──ただ、少々気になるんですよ。大熊さん。あなた、もしかして何か掴んでいるんじゃないですか?」
大熊の脳裏に北藤翔太が浮かんだ。
──まだ確証はない。
だが、伝えるべきか?
(いや。これはまだ胸に閉まって置くのが無難だ)
八雲はしばらく大熊の答えを持っていたようだったが「OK」と、お手上げのジェスチャーをした。
「とにかく今の課題は、『セイテンタイセイ』撃退ですね。あの『聖魔』が操る傀儡が一つや二つじゃない可能性。あとは『魔王』。それから水城の市民をどう守るか」
「『魔王』、その正体探るのが先じゃねえのか?」
「おっしゃる通り。そしてその『魔王』が操る“天使像”。あれらがこれ以上、市民を殺害しないよう抑止。この二つが、私が大熊さんに与える指令となります」
「理解した」
クソ生意気なガキの命令でも、不本意ながら承諾する。大熊の判断と概ね一致しているからだ。
さすがは、国際魔術会議最強軍の司令。
(まったく気に入らねえ)
「あと、くれぐれも注意してくださいね。これは大熊さんだからこそお話するのですが」
と、八雲は窓外の反射で自分の顔を確かめ、声を落とす。
大熊はその変貌ぶりに驚く。
──途端に、人を人として見ていない者の目になりやがった。
「……録音は切っています。ここからは非公式で」
「ふん……いいだろう」
『セイテンタイセイ』ほどの者がこの世に顕現しているのと同じように、さらに位相の違う何者かが、こちらで活発化している可能性があります。もっといえば、より強力な……」
「それも『第三の理』ってやつか?」
「その通り。ですから決して、敵が二つだけではないこと。不意を付かれないよう油断は禁物で」
大熊の眉がピクリと動いた。
「油断? 誰に口を聞いてるんだ? 若造」
「いえ。決して大熊さんを過小評価をしているわけではありません」
「……」
「ご気分を害されたのなら申し訳ありません。しかし、私が今お話したことは、大熊さんにとっても突拍子もない異変だと思いまして。何卒、私の話を信用ください。大熊さんの部下にも新たな人員を補充しましたから」
大熊は驚いた。
「ワシらは同じ行動を取るんじゃないのか?」
てっきり、八雲に手足のようにこき使われるのかと思っていた。八雲は立ち上がりながら言う。
「いえ。当面は並走。現場は大熊班、探索は当方」
「つまりは、ワシはワシの裁量でしばらくは動けと」
「そういうことになりますね。動線が交わると、“位相ノイズ”が増える」
八雲はにっこりと笑った。
「こちらは、別に存在する『第三の理』。これについての調査を強化します。
「ああ、そうかい。それはご苦労なこって。つまりこっちは『カスケード』関連だな」
話が早いとでも言うように八雲は笑った。
「はい。ただ、『セイテンタイセイ』『魔王』それ自体の出現では撤退。あくまでも……」
「使い魔」
「さすが。大熊さんとお仕事できて良かった」
「じゃあ、こっちもあんたらのお手並み拝見と行こうか。
八雲はにこりと笑う。
挑発にもことごとく乗ってこない。
「では、くれぐれもご安全に」
そう言って、八雲は会議室を後にした。
大熊は、やっと、せいせいした気分になった。
そして、ポケットからたばこを取り出す。
火をつけようとしたところで壁紙をみる。
『室内禁煙。喫煙は喫煙所で』
「はあ。しけた時代になりやがったな……」
大熊は見るからにがっかりといった表情で、ポケットにたばこをしまい直した。
八雲在斗イメージ
◆ ◆ ◆
それから数分。
大熊は席も立たず、ひたすら考えていた。
(『セイテンタイセイ』の過去のデータ……)
大熊も国際魔術会議は長い。だが、なぜ国際魔術会議がその報告をすんなり受け入れ、あまつさえそのデータまで握っていたの分からない。
(八雲の周辺も洗う必要もありそうだ)
大熊は頬の古傷を親指で押さえた。
あれは、“知っている者の話し方だ”。
つまり、こう思った方がいい。
──敵は外にだけはいない。
(おそらく、国際魔術会議の謎の鍵……それを握ってるのは八雲……アイツだ)
八雲との直接のコンタクト。
思いもせず核心に近づいた。
大熊はそう確信して、その老いた目を光らせる。
◆ ◆ ◆
数日後。
──夏休み。だがこの日は、星城学園の登校日だった。
突如、翔太らの一年A組の教室に、吉川りこが入ってきた。
美優の親友、それが大慌てで。
「うみ! 大変――今すぐ来て!」
この靴音が廊下に跳ね、教室の空気が一段冷えた。
全速力で走ってきたのか、りこの顔は紅潮し、額に汗が浮かんでいる。
「どうしたの?」
美優は席を離れ、りこの呼吸に合わせて短く問い返す。
「クラスの高木くんが、三年生の人たちに連れて行かれちゃった! なんか、調子に乗ってるからヤキを入れるとか何とか」
「ヤキって……」
不良漫画でぐらいしか聞いたことない言葉だ。
今日日、ヤキって……。つい笑いそうになって我慢した。
だって、それが本当だとしたら。
「誰が、何人で、どこへ? 先生は?」
「それが、先生に告げ口したら、ヤバいことになるって、皆、脅されて……」
「そんな……」
卑劣だ。許せない。美優の正義感に火がつく。
美優と翔太の視線が合う。
聞こえていたようだ。
翔太はペンを静かに置き、上衣の袖口を握り直す。
「改めて訊くわ。場所はどこ?」
「確か……学校の裏にあるお社、あそこ普段は誰も来ないから」
「王照院ね! 分かった。すぐ行く。りこ、保健室前で原田先生を足止めしといて」
美優と同時に、翔太も立ち上がる。
阿吽の呼吸。
二人で教室から走っていく。
その二人の行動が揃いすぎて、りこは驚く。
「え、美優も行くの!? 翔太くんも!?」
返事は後回し。
今はクラスメイトを助けに行くのが先だ。
一階へ降りる。裏の王照院に行くなら非常口の方が早い。
翔太はドアを押さえ、美優を先に通す。
その後、すぐ背を追う。
二人の想いは同じだった。こんな揉め事、滅多にあることではない。確かに高木は今どき珍しいヤンキーだ。だが、気はいいやつ。クラスでも人気がある。
それが、一昔前のような喧嘩沙汰。
この学園でも、いつもと違うことが起こり始めている……と美優は感じる。
(もしまた、これが何か、昨今の怪異と関係あることだったら……)
美優の背筋が伸びる。
“見て見ぬふりをしない”――それが美優のモットーだ。
二人は鳥居が連なった坂道を駆け上る。
影が段となって足元をずらす。
風が一度だけ逆流した。
翔太も美優も立ち止まらず、呼吸だけを一段深くする。
高木がいるのは、この先だ。




