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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
プロローグ~霧の中に、何かがいる!

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第6話 「どこにいるの?」

第6話


 月明かりの下で笑い合った声が、潮風にさらわれて消えていく。


 その直後だった。空気の湿りが、ふっと変わった。港の奥、白い霧の向こうで、誰かが息を吸い込むような気配。美優は小さく肩をすくめ、夜の匂いを確かめるように息を止めた。


「それにしても、どうして水城市みずきしだけが……少なくとも現代では、ここだけに、濃霧こんな現象が襲いくるのかしら」


 美優は小さく首を振り、月を仰ぐようにしてつぶやいた。


「なぜ霧が現れるのか。どうしてあんな化け物が潜んでいるのか。そして──この街だけに、なぜ……。私の知る限り、説明できる人はいない。ただ一つ、『ゴースト』と呼ばれる存在。『ゴースト』は私たち、それぞれ一人に一人、存在していること。まったく同じ姿をしているのに、なぜか人を襲う」


 翔太はただ頷いた。美優が、自分の言葉で冷静さを取り戻そうとしているのが分かったからだ。

 

「『カスケード』は謎だらけなの。『ゴースト』だけじゃない。過去の文献を見ると、霧の中には得体のしれない化け物も混ざっているって話よ。──これに関しては、私も信じられなかった。でも、翔太くんもさっき見たでしょ。海のあの巨大なのっぺらぼう」


 翔太の脳裏に、月すら闇で覆わんとする”黒い巨影”が思い出される。

 ぽつり、と答えた。


「『ヒトガタ』……だよな。雑誌やネットで見たことある」

「そう。あんなもの見たの初めてだし、伝承は本当だったんだって」

「でもあれ、あくまで、『都市伝説』の怪物──。つまり架空の存在。本当に存在していたのかな」

「分かるわけないじゃない。でも──なんか引っかかるわ。本当に今夜、この霧に乗って来たのは『ゴースト』や『ヒトガタ』だけなのかしら」

「つまり?」

「今回は、国際魔術会議ユニマコンの対応が早すぎた」


 翔太の脳裏に、神表洋平かみおもてようへいの姿が思い出される。


「あの悪魔祓い師のこと……か。そうか。あれも国際魔術会議ユニマコンの……」

「そういうこと。もし国際魔術会議ユニマコンが事前にこれを察知していて、先回りで準備をしていたとなると──私たちが気づかないうちに、事態はもっと深刻なほうへ移行していたってことになるんじゃないかしら」


 美優は息を整え、ふと芽瑠の方に目をやった。芽瑠は六歳。大人の話をただ黙って聞いているのは不安でしかないはずだ。美優が芽瑠を最後にみたのは二歳の頃。翔太が小六で転校する前のことだ。


(子どもってこんなに早く大きくなるのね……)


 美優はしみじみそう思った。そして、芽瑠の髪をそっと整えながら、自分の膝にのせるように抱き寄せる。袖からのぞく手首は、まだ子どもの線を残していた。


「芽瑠ちゃん、大丈夫? 怖くない?」

「芽瑠、大丈夫!」


 だが、来年、小学生に入る予定の芽瑠は意外にも落ち着いている。


 そんな芽瑠の頬についている小林のおばさんの血のりを、美優は指で優しく拭ってあげた。そしてまるで自分の子にでも見せるかのような微笑みを芽瑠に向ける。

 制服のリボンが少しゆるんでいて、襟の影からのぞく鎖骨が白く光って見えている。


「そっか。偉いね。そうだよね。お兄ちゃんたちがあんな事故に遭っても、芽瑠ちゃんだけは無傷だったんだもんね。芽瑠ちゃん、強い。偉い。偉いよ、芽瑠ちゃん」


 芽瑠の頭をなでた。

 芽瑠はニカーっと笑った。


「お姉ちゃん、助けてくれてありがとう。お姉ちゃん、大好き」

「ありがとう。私も大好きよ」

「お姉ちゃんあったかい、こわいのどっかいった」


 芽瑠は美優に抱きつく。


「こら、くすぐったい、そんなとこ触らないで」


 美優は声を上げて笑った。自分の胸に顔をこすりつけてくる芽瑠。なんだか、小さい頃の翔太との幼少期を思い出す。なんだかんだで幸せだった日々。その思い出の中には、翔太の父と母の姿もあり──。ここで美優は、これまで、まだ、ちゃんと伝えてなかったことを伝えた。


「……お父さまとお母さまは残念だったわね。遅ればせながらお悔やみ申し上げるわ」


 翔太はかすかに笑った。けれどその笑みの奥に、悲しみが滲んでいた。


「私、始業式のとき……。さっきも言ったかもしれないけど、本当は声をかけたかったの。でも、翔太くんが事故でご両親を亡くしたことを知ってたから。言葉の選び方が分からなかった。触れてほしくないって。翔太くんの背中が肩が、目が。そう語っていたように感じたの。そのまま機を逃して、避けるみたいになってしまった。本当にごめんなさい」

「いいよ」


 翔太は力なく言った。無理して少し笑ってるな、と美優は思い、少し切なくなった。


「美優の目は確かだったよ。俺も……あの頃は、人と話す気になれなかったし」


(それに、小学生からの同級生たちと話す気にもなれなかったし……)という言葉を翔太は呑み込んだ。


 実は成長し、背も伸びた今でも胸の奥で重い塊として残っている。教室のざわめき。俯く自分を見下ろす視線。過去に押しつぶされそうになることはいまだにある。

 

「でも同じクラスになれて良かったとも思ったわ」


 え……と翔太は美優を見た。美優の目がそんな翔太を捉える。


「なに? 疑ってんの? 本当よ」

「う、疑ってなんかないよ。ちょっと昔を思い出して……」

「ああ……」


 美優はすべてを察した。いじめ……子どもは残酷だ。今は、それには触れないでおこう。


「もね……翔太くんが――芽瑠ちゃんも――生きててくれて、本当によかった。その安心感が“今後いつでも話しかけられる”、きっとそんな甘えを生んだのね」


 だがその表情は苦々しい。翔太の父と母の事故死は、翔太にとって大きすぎるショック。この哀しみは続くだろうし、四十九日過ぎてから……そうも考えていた。翔太くんはどうなんだろう。もう心の傷、少しは言えたんだろうか。その葛藤に翔太の言葉が割って入った。


「いいんだよ。とにかく俺と芽瑠は生き残った。目を覚ましたら窓の外には見慣れた水城の光景であれは驚いたな。俺が生まれ育った場所、どうしてここで俺は寝てるんだって」

「水城市民総合病院ね。きっとひどい交通事故だったんでしょう。──でも私、話さなければいけない。一ヶ月前のその頃のことを。翔太くんが病院で眠っている間に起こった『カスケード』のことを」


 翔太は喉を鳴らした。「うん」と答える。


「一ヶ月前の『カスケード』。あれは、すぐに国際魔術会議ユニマコンが対応して、十六年前のような悲惨すぎる被害はなかった」


 黙って聞く。


「もちろん、多くの亡くなられた方は出たわ。これが『カスケード』か、って私も初めて肌身で感じた。でも『ゴースト』の数は十六年前と比べて明らかに少なかった。逆にそれが不気味だって、うちの父も話してた」

「毎回、同じってわけじゃないってことか」

「でもおかしいのよ。文献では三百年に一度、多くても百年に一度──それが常識だったのに。それがこんなに頻発した記録はない。それが今回は十六年前、一ヶ月前、そして今。頻繁すぎない? 何かが起こり始める予兆じゃないかとすら感じるの」

「予兆……?」

「そう。予兆。私たちが想像もしないような何か。こんなに立て続けに『カスケード』が起こったことなんて歴史上ない。お父さんの話からしても国際魔術会議ユニマコンがここまで活発に動いているのも過去に例がない。少なくともここ数十年は……」

「…………」

「分からない。でも、嫌な予感がするのよね。もう平凡な日常は送れないんじゃないかって」

「…………」


「大げさなことを言ってるつもりはないの。でもね……翔太くんがすぐ傍にいるのに、どこか遠くにいるような気がするの。これって、気のせいかしら」

「え……。それはどういう?」

「あくまでも、よ。あくまでもそんな気がするだけ。翔太くんとの間に感じる、これまでとは違う距離感。ただお互いが成長したから? それとも、もしそこに“何か”の意思が介入しているんだとしたら」


 そこで芽瑠が美優を見上げた。美優の胸を押し上げるようにして無理に顔を向け、弱々しい声でつぶやく。


「お姉ちゃん……、震えてる……」

「え?」

「ここ」

「ああ!」


 スマートフォンのバイブだ。


「スマホね」

「やだ、なんか怖い」


 芽瑠が怯え始めた。


「怖がることはないわよ。ほら、ただのLINES」


 美優は、スカートのポケットからスマホを取り出す。そして芽瑠に見せる。

 

 着信名は「吉川よしかわりこ」。


「ほらね。大丈夫。これ、私の親友」

「親友……?」

「一番、大事なお友達ってこと」


 そう言っている間にもバイブは鳴り続けている。通話の震え方じゃない。ということは、メッセージが連続で届き続けている、ということになる。それがもう数十秒続いている。不思議になって美優はスマホの通知ウインドウを見た。通知ウインドウが異様なほど重なっている。無数に。


「え?」


『うみ、どこにいるの? 大丈夫?』


 “うみ”というのは美優のニックネームだ。名字の“海野”から来ている。メッセージは、そこから始まっていた。美優はLINESを開いてメッセージの未読部分を見る。その間もメッセージは送られてきている。


『うみ、どこ? 生きてる? 私、心配だよ』

『あ、うみの匂いがする』

『うみ、こっち? こっちにいるの?』

『こっちだ』

『こっちね』


「え。何?」


 なんだかおかしい。あまりも立て続け。そして今も。コメントを打ち込むタイムラグもなく。

 次々。

 続々と。

 バイブは鳴り続け、メッセージが届き続ける。


「これ……どういうこと……?」

「どうした?」

「分からない。分からないけど、止まらないの!」


 LINESはバイブを鳴らし続ける。連続で。すごい早さで。


「バグ?」

「違う! おかしい! おかしいよ! こんなの!!」


 その瞬間、港の空気が、まるで誰かが息を吸い込んだように引いた。

 画面では、いまだメッセージが増え続けている。


『うみ、私、分かるよ、分かってきた』

『うみ、あなたの匂いがする』

『あれ、他に誰かいるの?』

『うみ、私、心配だよ。本当に無事なの?』

『誰? 一緒にいるのは誰?』

『あ、ここね。このトラック置き場のどこかにいるのね』


 美優が感じていた“予兆”。それが今、確かにこの場で形になりつつある。

 バイブは無機質に、機械的に続き、そして。


『入り組んでる、ここすごく入り組んでる』

『うみのこと、探すね。私、探すね』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』

『近くだよね、あなた、きっと近くにいる…!』


 思わず美優の口から悲鳴にも似た声が漏れ──

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