第66話 地蔵の如き、憑くもの
第66話
ねずみ島から車で十分。海沿いの坂を登ると、秋瀬家の別荘が現れた。
二階建ての西洋風の家。芝の庭は小さいが手入れが行き届き、一面窓に夜の海が丸ごと映る。
その窓のあるテラスはリビング&ダイニングに面している。客を招いた会食も出来そうな広さがあり、こうした間取りやセンスからも、瑚桃が結構なお嬢様育ちだということは見て取れた。
真っ黒な海にところどころ浮かんでいる小さな灯り。
あれは、漁師が夜釣りを行っている光だろうか……
「すごく素敵な別荘ですね」
リビングのソファーに座った美優は瑚桃の父・伸一郎に笑顔を向ける。
「ガッハッハ。皆さまの血税で、とても快適なバケーションライフをお送っております」
「全国すべての警察官の名誉を傷つけるな!」
瑚桃がゲンコツを食らわし、黒い大きなソファーにバフッ! と腰掛ける。
「ここ。おじいさまから受け継いだ土地なんですよね。元々、こっちの方が実家で、水城市内の方の家は、パパが仕事に通うのに買った家。……おじいさま、すごいお金持ちだったんです。だから瑚桃も一応、お嬢様なんですよねー!」
「グーパンで頭が痛いよ、瑚桃」
「パパがふざけるのが悪いの! いーだ」
あの瑚桃がお嬢様。そのギャップもすごいが、この父も父だ。金持ち感がまったくない。
それだけ、祖父からお金に関しては慎ましやかに育てられたのだろう。
瑚桃は父親の前では背伸びもせず年相応に見える。その仲睦まじさが微笑ましい。
一階にはこの広いLDKのほか、トイレ、バスルームがある。
客室は二階だ。
翔太、美優、瑚桃、瑚桃の父には一つずつ部屋が充てがわれた。
芽瑠とデルピュネーは同じベッドで。
「すまんのう。部屋が足りず。だが、ベッドはすべてセミダブルだ。なんとかそれで勘弁してほしい」
芽瑠は「はーい」と片手を上げ、デルピュネーは「いえ、まったく問題ございません」と礼儀正しく頭を下げた。
そのデルピュネーのメイド服が、瑚桃の父は気になってしょうがない。
まあ、当然だ。
「その……。デルさん、だっけ。あんたはいつも、その服装を……?」
「あーやっぱ、そこが気になりますかー。そりゃ気になりますよねー。私ですら引きましたもん。だってメイド服ですよ。さすがにメイド服は……。それで芽瑠ちゃんの保育所の送り迎えとか、スーパーで買い物とか行ってるんでしょ? どんな目で見られてるんですか? 気にしないんですか? どーなんすか? その辺」
翔太らはそれぞれ着替えを済ませて部屋着だ。その中で、デルピュネーだけが、いつものメイド服。違和感はさらに増している。
だが、デルは驚くほどあっさりと答えた。
「いえ、わたくしはいつもこの服装ですし、これしか持っておりません。人の目を気にする……というご心配は今言われて初めて気づきました」
「ハート、強っ!」
瑚桃がツッコむ。
「ふーむ。外人さんの感覚は分からんのー」
と、瑚桃の父も首を傾げた。
「まーいい! まーいい! 服はその人の個性だ。個人の自由、大いに結構。犯罪なければ全部よし! さあ今夜は是非、ゆっくりと休んでもらいたい。テレビもゲームも、サブスクも、使い放題だ! それぞれ好きに楽しんでいってくれたまえ!」
そう言うと、ガハハと笑いながら奥の部屋へと消えていった。
それを見届けたあと、瑚桃がくるりと半回転して、翔太らに体を向ける。
「じゃー何しますー? ダリオカートだったら、アタシ、絶対に負けませんよー!」
◆ ◆ ◆
奥の部屋に戻った伸一郎は、書類の封筒から写真を並べた。
青いポリバケツ。肉片。血痕。
──『被害者なき大量死体遺棄事件』。捜査は完全に停滞していた。
歯型も指紋も一致なし。行方不明者との関連もゼロ。
DNA鑑定は数が多すぎて進まず、市外からの失踪届もない。
「どこから来たのか分からない遺体」だけが残った。
届け出ベースでは「誰も行方不明になっていない」のに、目の前には大量の遺体だけがある──それゆえに、この事件は『被害者なき大量死体遺棄』と呼ばれている。
「……こんなの、警察で扱えるのかよ」
伸一郎は黒塗りだらけの資料をめくる。
国際魔術会議が渡してきた“極秘”のはずの書類は、肝心な部分がすべて塗りつぶされている。いわば「ノリ弁」資料だ。
かろうじて読み取れるのは、「カスケードの活発化」「この世ならざる者」「小さな亀裂」といった断片的な語だけだ。
しかも政治家の武田泰啓が後ろ盾となり、
警察庁からは「国際魔術会議と協力せよ」とのお達し。
実質、あちらが国家の“上”。
それが。
──気に入らねえ……!
「情報は出さねえのに、こっちの情報だけ吸い取る……」
苛立ちを押えて写真に戻る。
どれも「短時間で海沿いのポリバケツ全部に肉片を運んだ」とは思えない。
常識では不可能だ。
ポリバケツはざっと三十八個。一個あたり三人分の死体として──それを一時間から一時間半のあいだに、全部運び込んだというのか?
怪異かもしれない、という国際魔術会議の見立ては無視できなくなっていた。
どう考えても、人間業ではない。
(まあ、何十人もの人手とトラック三台あれば出来ねえ数じゃねえが……)
だが被害者は誰?
人目につかず、それだけの規模で人が動けるか?
(市民の未来を守るためにも……俺がやるしかねえか)
伸一郎は深く息を吐き、再び黒塗り資料へ目を落とした。
目撃情報の見落としがないか、関係ない文章にまでチェックを入れる。
少しでも、事件の鍵となるヒントを探し出したい。
怪異なら怪異と、分かる根拠が欲しい。
(こりゃ、今夜は徹夜になるぞ……)
カラン。カラン。
伸一郎はロックのウイスキーをいっぱいまるごと飲み干した──
◆ ◆ ◆
──その頃。
夜の林で、“ピシッ”と小さな音がした。
折れたのは竹ではない。
風景そのものに白い亀裂が走り、そこから煤のような薄いモヤが呼吸するように出入りしていた。
『カスケード』の濃霧を小さく縮めたような、それは──始まりの兆しだった。
◆ ◆ ◆
夜中。瑚桃は、ふと、目を覚ました。
「う~ん、トイレ……」
瑚桃の眠りは浅かった。
部屋に入った後、しばらく眠ることが出来なかった。
あまりにも今日はいろいろなことが起こりすぎた。
海水浴、空に突如現れた黒雲、そこに現れた巨大な“一つ目”──
それだけでも神経が高ぶってしまうのに、今夜は、翔太と同じ屋根の下にいる。
淡い想い、淡い気持ち。
“恋”と呼ぶには熟しきってないものかもしれないその感傷。
その“相手”が、壁をへだててすぐ隣の部屋で寝ている。
(もし、センパイが、夜中、あのドアを開けて入ってきたら)
そんな冗談のような期待もあった。
ドキドキと高鳴る心臓。シンクロして高まっていく想い。
だから、なかなか寝付けなかったのだ。
そんな中、トイレへ行くために体を起こす。
ひどく体が重い。
二階の廊下を歩いて階下へ。
あくびをしながらゆっくりと階段を下っていき、LDKに出る。
階段は月の光に薄く縁どられ、LDKは水槽みたいに静かだ。
トイレはLDKの奥。バスルームのすぐ側にある。
そちらへ曲がる。
曲がった先に月明かりはない。
闇だ。
(怖っ……)
と、その時だった。
トン。
トン。
トン。
小さな。
何かの足音のような音が聞こえる。
(何? 誰かいるの?)
同時だった。突然、瑚桃の腰あたりの背丈のものが、スッと瑚桃の横を通り過ぎた。
「キャッ……!」
見えたのは、小さな影ぼうし。
その影はダイニングキッチンの中へ入っていき、冷蔵庫の方へと歩を進める。
「芽瑠ちゃん……?」
最初はそう思った。
にしてはおかしい。
あんな小さな子が、灯りもつけずに、しかも1人で、こんな暗闇の中を歩き回れるだろうか。
トイレの電気がついていた気配も感じられなかったのに。
え、うそ、じゃあ一体……何!?
その小さな影は冷蔵庫を開けようとしていた。
冷蔵庫の取っ手に手を伸ばす。
月明かりがあるのにいまだ影は影のままだ。
明らかに芽瑠じゃない。
いや。
人間じゃない!
『バクッ!』
いつもの日常音が響いて、冷蔵庫の蓋が開いた。
(ちょ、ちょっと待って。アレ、勝手に冷蔵庫まで、開けちゃったわよ……)
夢かと思った。
だが夢ではない。
その小さな黒い影が、足音が、そして冷蔵庫を開ける音が。
瑚桃にはハッキリと聞こえていた。
その影ぼうしは冷蔵庫の蓋を少しずつ開けていく。
ほの赤い庫内灯が点灯する。
そして、その庫内灯に照らされた、その姿は。
石彫の地蔵だった。
「う、うそ……」
思わず後ずさる。
庫内灯で赤く照らされた地蔵は、そんな瑚桃が立てた物音に気がついたようだった。
ゆっくりとこっちに顔を向けてくる。
それが石なのに……だ。
ついにその目が瑚桃を捉えた。瞳は彫られていないのに、視線だけが確かに届く。
何を考えているか分からない、無表情な、その顔。
(で、で、で、出たっ……!)
本物の怪異だ。
その場から逃げようとした。
瑚桃はキッチンを見ないようにし、LDKの方に向けて走る!
(お、お地蔵さん!? お地蔵さんが何で動いているの!? なんで、アタシん家の別荘にいるの!?)
怪異は何度見てもそうそう慣れない。
『ラ・ヨローナ』を見たぐらいでは、耐性は生まれない。
体が震え上がり硬直しそうになる。
声を出そうにも声が出ない。
そして、次の光景を見た後、瑚桃の精神は限界を超えることになる。
LDKに庭側壁一面に設置してある、例の大窓。
そのすぐ外に。
おびただしい数の地蔵が、ビッシリと立ち並んでいた。
「瑚桃の別荘近くの竹林」
【撮影】愛媛県八幡浜市・真網代近辺の竹林




