第62話 オン・ザ・ビーチ②
第62話
瑚桃イメージ
瑚桃が選んだビキニは、いわゆるテクスチャーホルター。トップはバンドゥタイプで、バックストラップがリボン結びできるようになっており、後ろ姿までフェミニンに可愛く見えるデザインのものにした。ミドルウエストのボトムが、自慢のウエストのくびれとヒップラインで大人っぽさを強調。試着を重ねた末に決めた一品だ。
一方で美優が選んだビキニは同じくバンドゥタイプだが、胸全体から腕にかけて広めのフリルが体を一回りするようについており、それが風になびいてよりフェミニンに。オフショルのためデコルテや肩の若い素肌がのぞき、そこに小ぶりな十字架のネックレスがアクセントになっている。鎖骨から肩にかけての、稽古で引き締まったラインが、健康的なセクシーさをさりげなく醸していた。
その美優が言う。
「可愛い水着……。瑚桃ちゃんって着痩せするのね」
「いえ、うみちゃんセンパイこそ。それに意外と華奢で細いのに驚きました」
「筋肉隆々かと思った? 瑚桃ちゃんはすごく女の子っぽい柔らかな感じがとても羨ましいわ。中学生にしては成長も早い感じだし……」
だが、瑚桃がじっと美優の胸を見つめているのに気づいて、思わず真っ赤になって腕で胸を抱きしめるように隠した。
「やだ、あんまり見ないでよ。フリルで誤魔化してんだから」
「いえ……結構、あると……思います。ゴクリ……」
「これはパットの使い方! 昔、お母さんのスタイリストさんに頂いたものなの」
「パット……。あのー、うみちゃんセンパイ。超キモい質問しますがカップは一体……」
美優は周囲を見渡し、口元を手で隠しながら小声で言った。
美優は少しだけ逡巡して、でも隠し通さず明かす。
「……Eよ。でも、別にそんなのどうだっていいじゃない」
「E!」
私より上……。自信あったのに……。瑚桃は目に見えてガックリと肩を落とす。
「って言っても、私、アンダーが65あるかないかだから、単にそれでカップ数が大きいだけだけど」と美優。
「そっすか……。細身なんすね……。細身なのに、そんなにお胸フラワーボンバーなんすね……」
「私としては、肉感的な瑚桃ちゃんのスタイルの方が可愛らしいと思うわよ。メリハリもあるし。それに、まだ成長期! 身長も私より高くなる可能性はあるわけだし、男の人は、あんまり私みたいな細身より、そっちの方が好みなんじゃないかしら?」
「うみちゃんセンパイ、身長いくつでしたっけ……」
「158。小学生の頃から大きい方だったから、もうほとんど伸びてないかな」
「そっか。あと三センチで追いつくっすね。いいなぁ。アタシも、早く大人になりたいなぁ」
アハハハハハと笑うが、二人とも目は笑っていない。
(何よこの子、まだ中学生のくせにビキニとか色気づいちゃって)
(どうせセンパイへのアピールで、必死に選んだ水着なんだんでしょ! アタシ、絶対に負けないから!)
特に瑚桃からは強い対抗心が出ており、美優はそのバチバチ視線を大人の余裕でいなそうとしていた。
◆ ◆ ◆
「ごめん。遅くなった。待ったか?」
「美優お姉ちゃ~ん! あと、瑚桃のお姉ちゃ~ん! お待たせ!」
翔太と芽瑠がそこに表れたのは数秒後。翔太はごくごく普通のトランクス調の水着。芽瑠は、ピンクボーダーのワンピースのキッズ水着で、肩紐の部分にはビキニのようなフリフリが。胸元と、スカートの裾の赤いラインがワンポイントになっている。すでに浮き輪を装着しているのが愛らしい。
その背後にはデルピュネーの姿も。
「ちょ、ちょっとデルさん!? 水着着てまで、何、槍とか持ってるんですか!?」
最もシンプルなタイプの紺色のビキニ。膨らみかけの胸を隠すように、両手で例のものものしい、エメラルドグリーンの宝石を煌めかせた槍を装備しての登場だ。
その瑚桃の言葉に、デルはあっけらかんとこう言う。
「槍、いけませんでしたでしょうか?」
「いや、別にダメって言ってるわけじゃないですけど、ビキニに槍ってなんかこうマニア受けぽいって言うか、思わずアタシの中の男の部分がデュフフフって歓喜のキモ笑みを浮かべそうって言うか……」
デルは微笑んだ。
「何かの為の備えでございます。瑚桃さま。昨今は、不審な事件が多うございますから」
それでも。
「でも、もし気になるのでしたら、傍らに置いておきますね、瑚桃さま。わたくし、このような場に慣れておりませんので」
としゃがみ、シートの横の砂の上にそっと槍を置いた。
この水着はおそらく美優が選んだのだろう、と瑚桃は思った。
(だって。センパイにそんなセンスあるわけないだろうし)
瑚桃がいろいろ考えるなか、芽瑠は子どもらしく、「あちっあちっ」と、砂の熱さを、うれしそうに飛び跳ねながら楽しんでいる。
「よし。じゃあ、せっかくだし、早速、海に入るか!」
翔太はそう言うと、一目散に海へと飛び込んで行った。
「お兄ちゃん、待って~!」
と、芽瑠が追随する。
(あ、ちょっと、センパイ! アタシの水着の感想っ……!)
瑚桃は明らかにがっかりするが、美優は「さっすが男の子。元気ね」と笑う。
なんというオトナの余裕。いや、同じ幼馴染で同級生だからの近さゆえの余裕か……?
瑚桃は「ムムム……」と再び口に出しかけたが、それならアタシはよりセンパイの近くへ!
「アタシも泳ぎたい! うみちゃんセンパイ、アタシ、先行きますね!」
そう言い放ち、「待て~センパイ!」と翔太のあとを追って行った。
◆ ◆ ◆
だが実は、翔太が急いで海に入ったのには、彼なりの切実な事情があった。
(やば……。やっぱ、水着の威力って半端ない……)
美優とは同じ屋根の下で暮らしてもう数ヶ月になる。だが翔太がこちらへ帰ってきてから。成長した美優の水着姿を見たのはこれが初めてだった。いや、正確には小学校三年以来。
我が家のように部屋着でくつろぐ美優の姿は見慣れた。しかし、やはり、肌の露出は高校一年生、十五歳の男子には刺激が強すぎる。ついでに言うと、美優のおへそを見たのも、おそらくこれが初めてだ。
翔太は自分が、オトナの女性のおなかやそのラインを見ることに、結構な興奮を覚えることを初めて知った。
だから、動揺を悟られないよう、逃げ出したのだ。
(平常心、平常心、平常心……!)
海中で念仏のように唱える翔太。海から顔を上げ、頬をパンパンと叩き、浮つく心を正そうとする。
(俺はヘンタイじゃない! こんなことで慌てたら、キモいヤツって思われる。ダメだ、ダメだ、ダメだ! 落ち着け。まずはみんなが楽しめるように──兄貴面、兄貴面!)
相手を“女”として見てしまったら相手に失礼だ、という紳士的な考えが翔太にはあった。翔太の基本方針は程よい硬派。それは、いじめられ、オドオドしていた当時の自分を隠すための仮面。
そんな翔太の、“男”としての戸惑いや葛藤や煩悩とはまったく無関係な芽瑠は、波打ち際で波と戯ている。波が引けば追いかけ、押し寄せれば、逃げる。そんな芽瑠を、瑚桃は抱え上げた。
「よ~し、芽瑠ちゃん。お姉さんと遊ぼー!」
瑚桃作戦その①『将を射んと欲すればまず馬を射よ』。その実力行使だ。
瑚桃がそんな企みをしているのもどこへやら、そこへビニール製のボールを持ち、イルカの浮き輪を引きずりながら美優もやってきた。
「せっかくだし、私も遊んじゃうかな」
そう笑う美優の笑顔は、瑚桃から見ても輝かしい。──か、勝てない……
◆ ◆ ◆
妹の芽瑠。そして美優や瑚桃との海。
皆でビーチバレーを楽しみ、イルカの浮き輪の上に乗って波間を漂い、水をかけ合う。
ひとしきり遊んだ後は、翔太はほかを残し、一人、パラソルとシートへ戻る。
「おかえりなさいませ、翔太さま」
「あ、うん。ただいま」
そして、海で遊ぶ女の子三人を見た。
瑚桃はイルカの浮き輪にまたがり、波でバランスを崩し、「きゃっ!」
だがすぐに浮き上がり、翔太に向けて親指を立てる。
美優は腰から上を水面から出し、髪を高めに結び直している。
そのうなじに、太陽光が反射し、一瞬だけ光の輪が浮かび上がった。
美優は比較的アンニュイな雰囲気を漂わせるタイプだ。だから、あんな弾けた笑顔を見ることは珍しい。
つい口に出そうになる。
(キレイ──だ)
それは心の底からの正直な気持ちだった。
(あんなにキレイだったんだな……アイツ)
美優はもともと一年生にして、星城学園でも一、二位を争うほどのアイドル的人気がある。
だが男子生徒と絡むことを好まず、普段は親友の吉川りことばかり一緒。女子たちともあまり群れないため、男子からは高嶺の花のような存在として捉えられている。
髪色は染めないのが信条。今も日本人は黒髪が一番美しいと思っていると言っていた。得意科目は理数系。だが父親が大学教授で本の虫なこともあり、小さな頃から読書は習慣づけられていた。現代文ぐらいならそこまで根を詰めて勉強しなくても、そこそこの点数。そして父の影響か、民俗学や宗教学にはやたら詳しい。
それでいて、運動神経も悪くない。シラットの技術は翔太と変わらないほどだし、体育祭で活躍出来るレベルには良い。中学時代の弓道部は高等部ではやめたものの、容姿端麗、成績優秀で文武両道とくれば、心無い女子生徒の嫉妬の標的になることもある。
ちなみに、中等部時代は生徒会長も務めた経験がある。
「それで中等部時代は女子の先輩に目をつけられたこともあるわ」
と、教えてくれたこともあった。
「ほんっと、嫉妬ってウザい! もっとも、私は自分らしく生きることを重視してたから、そんなに気にはしてませんでしたけど」
そんな意思の強さも魅力だ。
つまり、さまざまな意味で目立つ女子生徒であった。
そんな美優と俺は一つ屋根の下で暮らしている……
当たり前になってしまったが、実はこれは、バレたら学校中を敵に回してしまうんじゃないだろうか……? 翔太が忘れたがっていた幼少期の心の傷が開きかけた時である。
「翔太さま、胸の指環に変化はございませんか?」
「え……。ああ」
ふと、デルピュネーに声をかけられ、翔太の心の傷は難を越えた。
翔太はチェーンでくくったその指環をいじりながら言う。
「うん。特に変わったことはないようだけど……」
「そうでございますか」とデル。
「では大丈夫でしょう。最近は『カスケード』の大幅な拡大で、デルは警戒しておりましたので」
「……! そのことなんだけど」
翔太は気になっていたことをこれを機とばかりに尋ねた。
「一体、今度は何が起こったんだ? あの栗落花淳事件は終わったんじゃないのか?」
「ええ……。まだハッキリしたことは、デルには伝えられておりません。ベレスさまがそれを探っているようですが」
「ベレス……、成宮蒼さん。まだ気を緩めてないんだ……」
「左様でございます、翔太さま」
デルの場合、相変わらず表情からだけでは、真意が読めない。
「実は……現在、水城市には至る所で、『カスケード』のちっちゃい版、つまりこの世と幽世を結ぶ“穴”に似た亀裂が生まれ始めたのです。その理由も、あのバフォメットさま事件の時に起こった『カスケード』で、何者がこの世にやって来たのかも、まだ調査中です。ベレスさま、セイレーンさまを持ってしても、その明確な原因はいまだ見つかりません。ただ、今、水城市のあちこちで起こっている“怪異”が、その小さな亀裂と関係していることは間違いないようです。ポリバケツ事件もそうでございましょう。しかし、どうやら、それだけでは説明がつかない現象も起こっているようで」
「それは、つまり……。なんかヤバいってこと?」
翔太は喉を鳴らす。
「そう。その、なんかヤバい、でございます、翔太さま。水城市はもうすでに、昔の水城市ではございません。すでにある目的へ向けて変化をし始めているのです」
「ある目的……?」
「それは、わたくしの口から明かすことはできません」
デルはそうピシャリと言う。近くから、近所に社もないのに、鈴の音が聞こえた気がした。
翔太は声を潜める。
「じゃ、そんな中で、こんなのんびり遊んでたらまずいのかな」
「そうですね。確かに今、この浜にも、薄い膜の“ほつれ”があるようです。波音が半拍だけずれて届く場所をデルはいくつか探知しております」
「それって、ヤバいんじゃ……!」
「いえ」
翔太が悲惨な光景を想像する前に、デルが微笑んだ。
「その為に、デルがいるのですから」
まるで天使だった。
神の守護者のような笑顔。だがその正体は、ギリシア神話でも最強クラスの怪物である。
翔太は思い切り首を横に振って、デルから溢れ出す煌めきを拭い去った。
「それに、ベレスさまもちょうど今、この辺りを調査しているのでちょうど良いとおっしゃられておりました……何かあっても、鬼に金棒でございます」
「えっ! 蒼さんも今、この辺にいるのか? どんな偶然だよ、それ……」
その翔太の言葉をかき消すようにして、美優が「あー疲れた」と言いながら帰ってきた。
「お、おかえり」
翔太は慌てて姿勢を正す。
だが美優はそんな翔太の男心を気にしようともせず、手をかざして、指の隙間から太陽を眺めた。
「それにしても思ったより日差しが強いわね。海開き前なのに。やっぱりオイル塗った方がいいかしら」
「そうだな。急に日焼けするときついもんな」
「で、デルちゃんでもいいんだけど、翔太くん。背中はやっぱり手が届かないの。オイル塗ってもらってもいい?」
「え……!?」
思わぬ言葉に、口から心臓が飛び出しそうになる。
「お、お、俺が……?」
「まあそうよね、そういう反応になるわよね。じゃあデルちゃんにお願いしようかしら。オイル、分かる?」
涼しい顔のままの美優。まったく本心が読めない。
なんだ、なんで最初に俺にお願いをしたんだ……!?
翔太が胸を高鳴らせているなか、デルはそれと真反対の冷静な声で美優に答えていた。
「オイル……。日焼け止めオイルでございますか」
「そう。背中に塗り拡げるだけでいいから」
「なるほど……。でもそうすると、手がぬるぬるになって、槍を持つと滑ってしまいます」
意外な言葉に思わず、美優は吹き出す。
そっか。槍か……! やたらおかしくなる。笑いが込み上げて抑えられない。
裸の肩がクッ、クッ、クッ、と震えている。
そのまま、「あ~おかし」と言いながら、また美優は翔太に視線を変えた。
「うん……! じゃ、やっぱり翔太くん、お願い」
「いや、え? ちょっと、でも……」
「いいのかって何がよ」
「だって、オイル塗るってったら、それは……その、つもり、そういうことで……」
翔太の目が美優のお腹のあたりに行く。形のいい縦長のおへそ。ほどよく肉は乗っているが、その下に引き締まった腹筋の縦筋がうっすらと見える。
「な~にビビってんの。幼なじみでしょ。私は気にしないわよ」
「そ、そうなの?」
翔太がどうしていいかあたふたしていた時である。
「や~らし~♪」
いつの間にか美優の背後に瑚桃が立っていた。
そして何を思ってか。
突然、背後から、美優の胸を鷲掴みにする。
「ちょっ!」
これには、さすがの美優も思わず赤面する。
「なんですか~、うみちゃんセンパイ。同級生の男子に、素肌を触らせるって言うんですか~。うみちゃんセンパイ、結構エッチですね~。瑚桃も見習いたいですよ~」
そう言いながら、美優の胸を揉みしだく瑚桃。
その表情は、対抗心で明らかに興奮している。
「やめ……、な、何してんの、この!」
「あれ~。いつもすました顔してるのに、何、色っぽい声出してるんですか~?」
「やめなさい! 瑚桃ちゃん、うっ……」
なんだこの状況は。
思わず耳まで顔を真赤にする翔太。
水着姿の美少女が二人、寄り添い、一人は背中から羽交い締めにして、もう一人の胸をやたらといじり回している。
「オイル塗ってもらうなら、平等にしましょ~よ~。アタシだって、センパイにオイル塗ってもらいたいんですから~」
「やめてよ! このバカ瑚桃!」
こんな思春期の男女の営みの後ろでは、芽瑠が不思議そうな顔でキョトンとしている。
「美優お姉ちゃんも、瑚桃お姉ちゃんも、お兄ちゃんも……ヘンなのぉ」
ついには、動くどころか、一言も喋れなくなってしまった翔太。
その横では、ちょこんと体育座りをしているデルピュネー。
デルピュネーは、無表情なまま、そのエメラルドグリーンの瞳で、砂の上に置いた槍を、人差し指でちょん、とつついていた。
「あ。熱……」
「ねずみ島」(満潮時)




