奴隷少女と冷酷魔王の甘美な絆④
魔王ベレス。
神をもひと睨みで滅ぼすことができる強大な魔界のプリンス。
神々とも古くから交流があり、神からも悪魔からも特別視されている規格外の悪魔。
その正体を知る者はなく、彼がいつからこの幽世にいたのか誰も知らない。
「今まですまなかった、デル」
魔界の空を蒼白の馬で駆けながらベレスは言う。その手には魔法のローブでくるまれたデルの姿。
「呪いは、呪いはどうされたのですか?」
「消し去ったよ」
そう言うとベレスはローブで隠されていた自身の胸を見せた。そこには深々と大きな穴が空いていた。そこからは生々しく血がいまだ溢れ出し続けている。
「ゼウスのヤツめ。デルが奴隷小屋の結界から出ると同時に発動する呪いを我が肉体に植え付けていた。その場所がどこかわからなかったのだが……。心臓だったのだよ。私の体の中にいくつもある心臓、そのすべてに呪いが隠されていたのだ」
「それでは」
「ああ。すべてこの手でえぐり取ったさ。また心臓が再生するには数十年はかかるかもしれないが。……とにかく間に合って良かった。手術の時間もなかったのでな」
なんということだろう!
冷たい人だと思っていた。
呆れていると思っていた。
後悔していると思っていた。
嫌われたと思っていた。
それなのに──。
自らの胸に自らで腕を突っ込み、そして心臓を。
脈打つ肉塊を。
わたくしのために。
わたくしだけのために……!
「痛むとは思わなかったのですか」
デルは言う。
「痛いとは思わなかったのですか」
「痛かったさ」
ベレスはそう言って微笑んだ。
「だが私の大切な従者だ。主君のために命をかけた誇り高き戦士だ。そんな君をみすみす辱められると考えれば……」
「考えれば……」
「そちらの方が胸が痛い」
ギュッ。
デルはベレスのローブを思い切り掴んだ。
止まらなかった。
涙が止まらなかった。
溢れ出るその液体を。
止める術は持ち合わせていなかった。
どれだけの強敵であっても。
相手が神であったとしても。
立ち向かう術は心得ている。
だが。
この涙は。
この涙だけは……。
「愛している、デル。君はすでに私の一部だ。君の栄誉。ギリシアに名を轟かせた誇り高きその魂。私は……いや僕は、手に入れたかった。君の魂を。君の心を」
「それでは……お城で、わたくしと会おうとしなかったのは」
「呪いの在り処を急いで探していた。まさか言葉まで奪われるとは思ってなかったがね」
「その間、ずっと苦しんで。痛みでもがきそうになりながらも」
「僕は、王だ」
ベレスは前を見据える。
「その姿を片時でも見せてしまったら」
「……はい」
「君の心は。君の忠誠は」
「……」
「永遠に手に入らないと思った」
さらに涙が溢れ出した。
自分なんかのために。こんな出来損ないの半竜の槍使いのために。
この人は。
この人は──!
「どうして」
思い切ってデルは訊いてみた。
「どうして、わたくしにそこまでのお言葉を」
ベレスは、その冷酷だという噂が信じられないほどの笑顔をデルに手向けた。
「君が過去の主君のために見せたその誉れ。僕だけのものにしたくてね」
「なんてことを言うのです」
デルは顔を赤くした。
「地獄の大王は、欲深いのですね」
「そうさ。欲深い」
「強欲でございます」
「強欲だ」
「いつか地獄に堕ちますよ」
「地獄、か」
再びベレスは前を見た。
「『地獄』だ。今いるこの場所が……、そして今これから始まる未来が、言葉通り『地獄』なんだ」
※ ※ ※
蒼白の馬は掛けて行く。
魔界の空を。
魔界の2つの月の間を。
切り裂くように。
流れ星のように。
──その後、魔王ベレスは幽世だけではなく、現世をも『地獄』にせんとする『666の獣』の復活を阻止せんがために旅立つことになる。
「デル、お前が僕の失われた心臓の代わりになってくれるかい?」
「はい。ベレスさま。わたくしの身は、あなたの心臓。どうぞ、いかようにもこの槍を、わたくしの槍を、矛にも盾にも使ってください」
神々も悪魔も、その双方の総称である『リリン』、そのすべてを滅ばさんとする『666の獣』。
魔王ベレスとデルピュネーは、その忠誠と愛でつながれ、そして『地球』と呼ばれる『方舟』を救わんと現世への扉を開く。
その先に何が待っているのか。
だがデルは思う。
魔王ベレスと共であれば、この命、失っても悔いなしと。
いや。
彼のために、決してこの命、失われてはならないと。
恐怖の魔王と幽世の槍使いの、次なる戦いが今、幕を切って落とされる。
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