第60話 被害者なき大量殺人
第60話
北藤翔太が“反キリスト”としての半覚醒を果たした、あのサバトの夜。
水城市を襲った『濃霧』は、これまでで最も大きな被害を残した。『ゴースト』たちの襲撃により、死者三十名以上、行方不明者五十名近くという、多くの人々の悲しみを生み出した。
あまりにも大規模なその『カスケード』を受け、事態を重く見た国際魔術会議はさらなる警戒を発令した。日本支部からも多くのエージェントが捜査に訪れ、市や警察、消防との『ゴースト』対策会議が開かれる。緊急事態宣言発令の是非も含め、連日の話し合いや調査が続けられた。
水城の海からやってくる『濃霧』は、古くは鎌倉時代の文献にも記されている。だが、そんなに多く起こる現象ではなく、何百年と現れなかった時代もあった。それが昨今、頻繁に訪れている。
さらに言えば、
今回の『カスケード』によって、バフォメットとはまた別の、“何か”が魔界からこの地へ訪れた可能性も示唆されていた。
それは一体、何者なのか──?
成宮蒼=魔王ベレスは、セイレーンらにその調査を命じていた。
その結果、“訪問者”とは別の、ある異様な現象が発見された。
――『カスケード』。
それは水城市沖にある、この世と情緒体界をつなぐ“大穴”から訪れてくる。
その“穴”が。
水城市内の街中のあちこちでも見つかったのだ。
もちろん、それは『カスケード』を起こすほどの大きな“穴”ではない。
いわば、小さな隙間/亀裂と言っていいほどの小さなもの。
その“隙間”が、不特定多数の場所に、現れては消え、現れては消えしているのだ。
つまり、水城市沖にある“大穴”という本体のほかに、小さな“穴”が水城市内のあちこちに点在している。しかも場所や規模を変えながら、一時的に開いたり閉じたりを繰り返しているのだ。
これも『カスケード』の急速な活発化を意味していた。
おそらく、それが理由なのだろう。
その日から、水城市では「幽霊を見た」といった怪奇現象の報告が相次いだ。
例えば、ある夕暮れ時、犬の散歩をしていた若い女性は、街中で、平安時代だか鎌倉時代だかの和の服を着た小さな女の子が、背中を向けて壁際にうずくまっている姿を見た。
犬がそれを見てけたたましく吠え、すると、その姿はすうっと消えたと言う。
また別の報告によれば、深夜の地下鉄。
その車窓から、すれ違う電車の中に、武者姿をした男たちがぎっしりと並んでおり、その全員がこちらを見ている──
そんな異様な光景を見たという事件もあった。
これは集団パニックとして片付けられたが、あまりにも立て続くこれら“怪異”の報告に、人々は恐れおののき、夜の街の人通りが減り、繁華街の飲食店が大きな打撃を受けたことも問題視された。
そんな、ある日の早朝である。
◆ ◆ ◆
新町商店街
【撮影】愛媛県八幡浜市・新町商店街。アーケード街となっており、その先はT字で同じくアーケード街の銀座商店街へとつながっている。
アーケード型商店街で用品店を営む木村正一郎は、いつもの習慣で朝のジョギングを行っていた。
やたらと蝿が飛んでいるな、という印象があったと言う。
同時に、匂い。
なんとも言えない腐臭が、街の中に漂っていたとも証言した。
だが水城市は港町。漁師が多く住み、魚の消費量も多い。
それらの生ゴミがたまたま多い日なのだろうと木村は感じていた。
軽快な足取りで街中を駆け抜けていく。
夏前とはいえ、朝方はまだ涼しい。
ホッ、ホッ、ホッ、と息を弾ませる。
やがてじっとりと汗ばんで来た頃、木村はスピードを緩め、ウォーキングへと切り替えた。
周囲の景色を楽しみながら歩き、そして再び自宅があるアーケード街へ入る。
「私がジョギングに外に出た時は、何も異変はなかったんですよ!」
と木村は強調した。
一時間か一時間半の間。
自宅のあるアーケード街を離れ、ジョギングし、戻ってきたその間。
木村は、ふと、アーケードの所々に置いてある店先のポリバケツに目をやった。
いや、目が行った、という表現の方が正しいだろう。
とある一つのポリバケツから、女性のものと思える腕が垂れていたのだ。
(酔っぱらいが、家と間違ってポリバケツに入り、そこで寝込んでしまったのかな)
木村はそう思ったらしい。
そして声をかけた。
「ダメだよ。夏が近いと言っても、そんなところで寝てたら風邪ひくよ」
返事はない。
おかしいぞ、と思った木村はポリバケツの蓋を開けてみた。
だが。
「うわあああああああああああああ!!!」
そこで木村が見たのは、ぐちゃぐちゃの肉塊となった複数の人間の死体。その肉塊から、一本、きれいな腕だけがはみ出して、するりと垂れていたのだ。
そこにあった目玉と、木村は目が合った。木村は腰を抜かした。
そして震える指で110番をしたのだと言う。
◆ ◆ ◆
その後、警官が押し寄せ、さらなる恐ろしい事実が判明した。
このアーケード街に並んでいる無数のポリバケツ。
三十個はあろうか。そのすべてに、肉塊となったぐちゃぐちゃの人体が押し込められていたのだ。
この光景に、現場で嘔吐をしてしまった警察官もいたと聞く。
それだけ凄惨な状況だった。
ただ、この事件には一つ、どうしても解明できない不思議な点があった。そしてそれが、警察を悩ませ続けることになる。
この事件による被害者。
数十人はいると思われるその被害者について、警察は「これだけ多くの人間が一度にいなくなった」という報告を、一件も受け取っていなかったのだ。
では、この遺体たちは、一体、どこから来たのか。そして何者なのか。
遺体はほぼすべてが原型をとどめておらず、衣服も発見されなかったため、捜査は難航を極めた。
前回の『カスケード』の失踪者ではないかとの声もあったが、それを証明できるものは見つからず、証拠も不十分だった。
被害者なき、大量殺人事件──
水城市は、徐々に、その不穏の影を濃く、大きくしていく。
街中に開いた“穴”。立て続けに起こる“怪異”。そしてこの“ポリバケツ肉塊事件”。
これらすべてが、北藤翔太や海野美優たちの、新たな物語へとつながっていく──
キャラクター名:海野美優
イラスト:岡虎次郎 様(@oka_kojiro10)
これで第一章は終了です。これから新たな物語、第二章「怨霊編」が始まります。もし、ここまで読んで、「あ、ブクマや星評価忘れてた」という方がいらっしゃいましたら、一考いただけますとうれしいです。では引き続き、何とぞよろしくお願いいたします!




