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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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題56話 猫達のホーンセクション

第56話


『光陰の矢』は夜空そのものを裂く白閃となり、

『地獄の業火』は火山の噴出を思わせる深紅の奔流となってベレスへ叩きつけられた。


 それは、大地ごと標的を焼き抜くための術だった。

 光と炎はひと塊となり、轟音とともにベレスとセイレーンの姿を完全に呑み込む。

 衝突点の空気が悲鳴のように振動し、

 視界は白と赤に塗りつぶされる――現実そのものが焼却されていくようだった。


 爆心から奔った衝撃波は山肌をえぐり、舗装路を波打たせ、

 住宅街の窓ガラスを一斉に震わせた。


 国際魔術会議ユニマコンのエージェントたちも、

 神表洋平かみおもてようへいも、

 広場と自然保護地域を区切る繁みを越え、岬の崖へと続く夜の森の中へ吹き飛ばされていった。


 森の木々は嵐のように一斉に傾き、葉が裏返って白く光る。

 遠くのフェンスはろうそくのように柔らかく歪み、

 金属の悲鳴を上げながら海へと崩れ落ちていった。


 崖を這い上がり、森の中を徘徊していた『ゴースト』たちも、

『濃霧』とともに、まとめて海へと叩き落とされた……。


 これはもはや、魔術ではない。

 軍事兵器をも凌ぐ、理不尽な破壊だ。


 最新鋭ミサイルの弾頭すら可愛く思えるほど、

『光陰の矢』と『地獄の業火』の衝突は、世界そのものを抉り取った。


 炎が消えたとき、直径二十メートルの大穴だけが残され、

 内部では真っ赤に融けた大地が、ゆっくりと泡を吐くようにうごめいていた。


 ――そこに、魔王ベレスとセイレーンの姿は一片もなかった。


 これを見て、『コシチェイ』は三つの顔すべてに満足げな笑みを浮かべた。


『ゲッゲッゲッ。やりすぎてしまったかのう』


 大穴から、その後ろの溶岩化した大地から、もうもうと黒煙が立ち上っている。


『まだまだ完全体というには、足りぬな』


 バフォメットは不満を漏らす。


『コシチェイ』は、そのバフォメットに駆け寄った。そして祝辞を述べる。


『バフォメットさま。改めて、受肉じゅにく、おめでとうございます』

『ウム』

『まずはこの地の人間どもを惑わし、幻術でかどわかし、混乱に陥れたうえで市政を握る……。

バフォメットさまの悲願であった“魔の国”の建立、その準備が整っておりますぞ』

『ほう……』

『すでに連続失踪事件により、人々は不安と恐怖をその心に宿しております。

 ここにバフォメットさまのお力が加われば、ものの数年でこの地を収め、

 使徒を行政へ送り込むことも 容易かと』

『また邪魔が入らねばな』


 バフォメットは『コシチェイ』を睨みつけた。


『ひっ!』


 恐怖に怯える『コシチェイ』。


『いえいえ。今回、色々と邪魔が入ったのは偶然にございます。私も油断などせねば、ここまでの醜態をさらすことはありませんでした』

『責任をとってもらおう』

『え……?』

『あのような者たちが、この世にすでに顕現していたこと。何者かは分からぬが、それを完全に見落としていたぬしの失敗――見逃すわけにはいかぬ』

『そんな……!』

『幸い、主の肉体は特殊で不死身なのであろう? これぐらい、造作なく受け止められるはずだ』


 そうバフォメットが言った直後だった。

『コシチェイ』の体が、真っ二つに切り裂かれたのは。


『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!』


 バフォメットは大笑いを上げる。


『そう大げさな声を出すでない。主であれば、ものの数分で、その肉体、元に戻るのであろう』


『コシチェイ』は虫の息だ。

 だが、不死身である。

 少しずつ、バラバラになった骨たちが、その三つの頭を中心に集まっていく。


『コシチェイ』が許しを請う。


『申し訳あり……ません……。バフォメット……さま……』


 それから、バフォメットは、今回の受肉じゅにくの巫女となった少女に目をやった。


 海野美優うみのみゆ


 美優は怯えている。だが視線は逃げない。これにバフォメットはひざまずいた。


『この“巫女”が我の魔力を増幅させるたまとなる。完全体となるにえとなる』


『コシチェイ』がようやく自らの身を復活させ、ハアハアと肩で息をしている。


『幸い、その身に宿す“マグス”の力は失われておらぬようだ。『コシチェイ』。この“巫女”を連れ、新たな拠点へと向かうぞ』

『は、はい……。バフォメットさま……』


 そしてバフォメットの目が美優の意識を強引に刈り取り──


 ◆   ◆   ◆


 美優は、再び夢を見ていた。


 夢に現れているのは父親だ。


 父が泣いている幼い美優に語りかける。


「ダメだよ、転んだぐらいで泣いちゃ。美優はお父さんとお母さんの子だろ?」

「でも、パパ、パパ。膝からいっぱい血が出てる」

「大丈夫、美優。僕と美優は特別なんだ」


 そしてこう続ける。


「美優には、お父さんと同じような不思議な力が流れている。それは魔法のようなものだ。だからお父さんだって傷の治りが早いんだよ」

「でも、痛いの。私、痛いの」

「その痛みもすぐになくなるよ」


 父は笑った。


「いいかい。美優は僕たちにとってはもちろん、世界的に見ても特別な子だ。それは自分や自分の大事な人、家族や友達、そして世界中の人たちを救う力だ」

「違うもん。私、そんな力、ないもん」

「あるよ、美優。ほら、もう血が止まってきた」


 父の笑顔が美優を覗き込む。その笑顔を見て、美優は傷を見てみる。血が止まっている。もうほとんど、治りかけている。


「すごーい!」


 美優は驚きの声を上げた。


「だから、さあ。起きるんだ、美優。君を待つ人の為に……」


 その夢の中で、うっすらとトランペットの音色が重なっていき──


 ◆   ◆   ◆


『な、なんじゃ、この音は……!?』


 静まり返ったはずの諏訪崎すわざきの多目的広場。

 そのどこからか、管楽器の音色が聞こえている。


『ムウ……?』


 バフォメットも周囲を見渡す。


『どこだ?』


『コシチェイ』が周囲をキョロキョロと見渡す。


 その音色は、不自然なほど澄んだ“祝祭の調べ”だった。

 この壊滅した広場に、もっとも似つかわしくない音だ。


『まさか!?』


 二柱の悪魔の目は、同時に、目の前に空いた大穴に注がれた。


『こ、この中か……?』

『こ、これは……』


 バフォメットの様子がおかしい。


『どうされましたか?』

『……感じぬのか?』

『え?』

ぬしは、感じぬのか……この“異様”を!』

「はぁ……?」


 すでに煙は晴れており、そこにはぽっかりと大きな闇が口を開いている。

 その闇の底、漆黒の爆心地から、管楽器のパレードのような不思議な楽曲が聞こえてくる。


 パーーーーーーーーーーーーーーーー!


 崖の底から、戦場に似つかわしくない明るいラッパの音が突き抜けた。


 そして徐々に。


 ようやく。


 『コシチェイ』の目にも見えてくる。


 大穴の暗闇の斜面を、

 猫たちが二足歩行で、足並み一つ乱さず登ってくる。


 金・銀・黒・白。

 毛並みはそれぞれ異なれど、瞳孔は不自然なほど均一に細い。

 揃いの軍楽隊の制服を着て、

 その足取りは、人間の軍隊以上に正確だった。


 パパラパッパ! パーーーー、パラパッパ、パラッパッパ、パーーーー!!!


『なんじゃ、これは!』


 猫たちの音色は、祝福と葬送のあいだを揺れる奇妙な旋律で、

 耳ではなく魂の奥に直接響いてくる。


『まさか……』


 バフォメットはうめいた。

 猫たちの楽団を割り、

 ゆっくりと浮上してきた影――それは、完全無傷の魔王ベレスだった。


 焦げ跡すらない。

 衣が揺れるたび、その周囲だけ“温度”が世界から消えていく。


 炎も光も、彼には触れられなかった。


『無傷、だというのか……!?』


 猫の演奏の中、ベレスが無表情でこちらを見る。

 目は静かな遠雷。

 怒りは燃え上がらず、その色が、沈んだ湖底で密度を増していく姿のようだ。


 周囲の溶岩さえ、ベレスの足元に近づくと“水面”のように静まり返り、

 ただ恭しく道を開けた。


『コシチェイ』は思わず退く。


 そのベレスの横に、瞬時に、北藤翔太ほくとうしょうたを抱えたセイレーンが姿を現した。


「ベレスさま。北藤翔太はこの通り、保護しております。傷一つありません」

「よくやった。レーン」


 ベレスは優しい笑みをセイレーンへと向けた。

 刃のように冷たい声色の奥で、一瞬だけ、春風の揺らぎが生まれる。


「お怪我はありませんか」

「多少の痛みはあった。だが痛みという感覚も久しぶりだ。――忘れた毒の味見、というやつかな。寧ろ心地いい」


 ここに来てバフォメットは初めて、自分が大いなる勘違いをしているのではないかと確信した。


 バフォメットはサバトの悪魔である。

 世界の悪魔崇拝の王中の王であり、いわば、この世の“魔”の元締めと呼ばれている。

 歴史上の多くの悪魔事件。十六世紀の魔女狩り。その首謀者も彼だ。


 だが。


(もしや……あれが、ベレスと名乗ったのは、ハッタリではなかったのか?)


 そんなはずはなかった。魔界でもなかなかお目にはかかれぬ、雲の上の存在。


 いや、あり得ない。あり得ないのだ。

 ベレスといえば、“怒れる”恐怖の魔王だ。

 バフォメットは散々に無礼を働いた。

 ならば、その時点で滅ぼされていてもおかしくない。


 だが、サタンやルシファー。ほかアスタロトやベールゼバブなど、名の知れた王は魔界の奥深くに潜んでいる。それと同格、もしくはそれ以上の存在が、この世に出てくる理由など、ない。


 だがベレスといえば、怒れる”恐怖の魔王。

 バフォメットは散々に無礼を働いた。

 ならばその時に、滅ぼされてしまっていてもおかしくない。


 なのにこの男は。


 穏やかすぎる。


 だが『コシチェイ』にこれは伝わらない。

 それほどまでに位相いそうが違いすぎるのだ。


『なるほど。どこの小悪魔か知らぬが、お主らもワシと同じように不死身の肉体を持っておるようじゃのう』


『コシチェイ』は、ゲッゲッと笑いながら、猫の行進隊の方へと近づいて行った。


「今宵は、悪魔祓い師(エクソシスト)の小僧にも、お前にも、ワシの最大出力の魔術を無効にされ、本当に酷い夜じゃった。だが、諦めるが良い。バフォメットさまが復活された今、貴様ら、小悪魔共に、ワシらは倒せん。そうじゃのう」


『コシチェイ』はきっちりと整列している猫の間を歩きながら自らの秘密を明かし始める。


『お主らに、どうしてもワシを倒せない理由を教えてやろう。まず、一つに、ワシの魂は、“ここ”にはない』


 ベレスは無表情でそれを聞いている。

 猫の楽団は、呼吸のように強弱を織り、彼の足音に合わせて和音を敷いた。


『それはな、隠してあるからじゃ。ワシの魂は、ある“針”の先にある。その針は卵の中に入れておる。その卵がどこにあるか……』

「……」

『それはアヒルの中じゃ。ではそのアヒルはどこにおるのか』

「……」

『それはウサギの中じゃ』

『や、やめろ! 『コシチェイ』! それ以上、その御方に近づくな!』


 バフォメットが止める。

 だがこの青年を小悪魔だと見くびっている『コシチェイ』には届かない。


『そのウサギはどこにおるか。それはな、しっかりと鉄の箱の中に閉まっておる。この鉄の箱は強固でな、滅多なことでは破壊できぬ』

「そうか……」

『しかもその鉄の箱は、とあるオークの樹の下に埋めてあるのじゃ。どうじゃ?』

「ふむ」

『世界中には何億本ものオークの木がある。それが、お前らには、見つけられるかな? いや、見つけられまいて』


『コシチェイ』はいかにも愉快そうに笑った。


『ゲッゲッゲ! そうじゃ。ワシの肉体と生命は別々になっておる! しかもワシは、その針の先にある魂を傷つけられん限り、死ぬことはない。つまり、主がいかに強大な魔力を使ったとて、ワシは何度でも蘇る! 蘇るのじゃ! 主の魔力が果てるまで! 分かるじゃろう? 無駄なんじゃ。ワシを倒そうとしても。主には、ワシは殺せぬのじゃ!』


「なるほどな」


 ベレスは静かにそう言うと、ポケットから、とある小さな光るものを取り出した。指先で摘む所作は、花弁を折るよりも慎ましい。


「では、スラヴの、ロシアの伝承通りというわけだ」

『……な、なんじゃと?』

「この針に見覚えはないか?」


 ベレスは、指先で摘んだ“針”を、光にかざした。

 その動きは、あまりにも優雅で――だからこそ恐ろしい。


「これは、お前の魂の在り処だろう?」


 柔らかな声が、死刑宣告のように響いた。


『な……、なんじゃと!?』

「信じられないか」


 ベレスは迷いなく“針”を折った。

 本当に、それだけの動作だった。


 乾いた“コト”という音が、

 この戦場の中心で、世界を断ち切る合図となった。


 途端に。


『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 凄まじい断末魔。


『コシチェイ』の体が、悲鳴とともに螺旋状に歪む。


「これが、答えだ」


 ベレスの声は低く、澄んでいた。

 それは宣告ではない。ただの“事実の読み上げ”だった。


『ウソじゃ、ウソじゃ……!』


 骨が逆方向に折れ、肉がねじ切れ、

 三つの顔が“異なる方向”へ引き裂かれながら潰れていく。


 世界の中心に吸い込まれるように、

 彼の身体は一点へ収束し――


『どこで、それを……!』


フッ……。


『コシチェイ』の存在は、ポツン、と黒い点にまで絞り込まれた。

 その黒い点は、ゆっくりと下へ落ちていき――

 大地に触れた瞬間、音もなく消え失せた。


 その一部始終を見ていたバフォメットはガタガタと震え始める。

 巨体に似合わぬ、紙片のような震え方だった。


「死んだか」


 ベレスは、何事もなかったかのように言う。

 猫の楽団が一拍、息を吸い、また歩調を戻す。


 巨躯きょくのバフォメットの瞳孔が。その山羊特有の横に広がる瞳孔が。

 恐怖にかられ、大きく開かれた。


 ベレスはゆっくりとバフォメットを振り返る。

 その眼差しには、怒りすらない。

 比較の対象にすらならぬものを見る、冷たい遠雷だけがあった。


「ようやく理解したか。

 ……お前如きが“魔王”を名乗るなど、十万年早い。」


 ベレスの足もとに、影がもう一つ増えた。

 それは彼自身の影ではない。形を持たぬ“穴”のような闇で、

 バフォメットの膝から力を奪い、地面へ縫いつける。


 そして猫楽隊の演奏は、ちょうど「終曲」の和音へと静かに沈んでいった。

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