第54話 悪魔のえじき
第54話
「大熊さん! ここに『術円』張る! 全員、中へ!」
そう言うと、神表は木刀・黒姫で自分を中心に大きな円を描いた。続いて黒姫を顔の前で縦に掲げ、その刀身に右手を添え、詠唱を始める。
「ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー。ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー。主の王冠より出ずる十二の御霊よ。四方の門は閉じ、司法の紋は放ち、堕ち行く天使の御心を惑わし、魔の三叉路にミカエルの光芒を照らさん。循環せよ、主の種たる我らの御霊を……」
神表の周囲、半径五メートルほどに紫の魔術光が走り、貝殻のように光る秘術円=『術円』が浮かぶ。頭上には薄皮が張り、神表の呼吸に合わせて半球体状に膨らんだ。
「ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー……主の王冠より出ずる十二の御霊よ——」
繰り返される詠唱。その間に大熊たちは、あちらこちらに倒れていた者を含め、国際魔術会議のエージェント全員を『術円』の中へ押し込んだ。
「御曹司! 皆、避難したぞ」
「ちょうど良かった! ……来ますッ!」
まさにその神表の言葉と同時だった。
空が真昼のように明るくなった。
上空に幾重にも連なるコシチェイの魔法陣の、さらにそのはるか上空から──
夜が裏返り、昼そのものが刃になって降り注いだ。──太陽が落ちるとは、きっとこのことだ。
その宇宙レベルの灼熱が猛烈な“光の波”となり、神表らの防御結界を真上から撃ち抜く!
「主よ!」
神表は秘術のすべてを開放する。『術円』を覆う光の膜が何重にも連なり、一枚から二枚へ、三枚から四枚へと増え、最終的に十二枚の防御壁となる。
だが。
パリン!
“光の波”の直撃に触れた瞬間、乾いた砕け音が弾ける。
一枚目が、あっけないほど簡単に破られる。
バリン! パリン!
二枚目、三枚目も連鎖するように砕け散った。
「あ、あれ?」
神表の顔に焦りが浮かぶ。
その衝撃は、『術円』の内側にまで及んでいた。鼓膜が内へ押され、歯の根が触れ合ってキィと鳴る。膝は自重の三倍に沈み、足裏に砂利の粒がめり込む感覚。まるで重力が数倍になったかのようだ。
「御曹司、この『術円』、持つのか!?」
大熊が、その“圧”に耐えかねて聞く。
「こ、これを破る魔術なんて、そうそうないはずなん、……ですけども……」
だが。
バリン! パリン! パリン! 防護壁は次々と砕けていく。神表は大熊を振り返ってこう言った。
「すみません。やっぱりダメかも……?」
「え……?」
「持たない……」
「そんな……!?」
次の瞬間だった。
バリン!!!!!!!!!!!
ひときわ大きな音を立てて、『術円』の最後の光の膜が破壊された!
全員が死を覚悟した。
ところが。
「あれ……?」
動く。
手も脚も。
体も。
「これは……」
偶然だ。──それ以外の言葉がない。
緑の醜い老人の姿をした化け物の大規模魔術。その“光の波”が、ちょうど尽きたのだ。
結果的に、神表の術が、『コシチェイ』の渾身の攻撃を首の皮一枚で防ぎきった。
神表が冷や汗を拭いながら言う。
「ふい~。危なかった……」
見ると、『術円』があった場所だけは無事だ。しかし、その外周を取り囲むように、直径十メートルはあろう大穴が穿たれていた。
『術円』の外側は垂直の断面になり、舗装・土・配管が輪切りで露出している。穴底は見えない。それほど深く、そこから熱の白気だけが上がっていた。
大熊の血の気が引いた。
(こんなん、まともに喰らったら、骨すら残らねえじゃねえか……)
だが、驚いたのは国際魔術会議のエージェントたちばかりではなかった。
『耐えた……だと……!?』
その醜い老人の化け物『コシチェイ』も、目を見開き、目の前で起こった光景に、信じられないといった表情を浮かべていた。
『太陽神『ラデガスト』さまの『光陰の矢』だぞ……!?』
『ラデガスト』──スラヴ神話の軍神であり、太陽神。その神の兵器を喰らってもなお、大熊らは傷一つなく、そこに立っている。神表とやらの、人間ごときの持つ力に驚かないでいられない。
『コシチェイ』の動きが止まったと見るや……
「重地解放!」
最初に行動を起こしたのは神表だった。重力から三分の一以上解放される秘術。大穴を飛び越えていく。空中を蹴るかのようなその脚。その下に次々と紫の『術円』が浮かび、足場になっている。
「大熊さん! この足場の『術円』は三分は消えない! これを渡って、こっちへ来て手助けしてくれ!」
そう言って大地に着地すると、神表は再び、神秘の木刀『黒姫』を携えて例の老人の化け物の方へと走った。
「さあて。本格的な勝負といこうか!」
『無駄なことを……』
老人の化け物は、大鎌を斜に構え、攻撃に備える。
「ところでさ。お前、今、ポロッと漏らしたな。太陽神『ラデガスト』と」
軽口を叩きながらの神表。走る速度は増していく。
「それって、西スラヴの神の名じゃねえの?」
と神表は、『黒姫』を「八相の構え」にした。
神表が持つ攻撃技で最も“悪魔”に対して効果的な技のひとつ。
『降魔斬り』だ!
「スラブの魔物で、老人の姿、体が骸骨とくれば」
神表の体が天高く舞う。
「あんた、『コシチェイ』だな!」
『だから、どうしたと言うのだ! お前ら人間にワシは倒せん!』
名を言い当てられてなお、怯まない。
その『コシチェイ』は大鎌を大きく振りかざし、神表を迎え撃つ。
「かかったな!!」
攻撃をかわすために頭上へ掲げた『コシチェイ』の大鎌。だが神表の『黒姫』は、その『コシチェイ』の大鎌の存在そのものがないかのように、するっとすり抜け、そのまま『黒姫』は『コシチェイ』の脳天を直撃した。
『ぬわ……!』
『コシチェイ』の頭が割れた。
『黒姫』は“力”でなく“位相の差異”で、鎌と頭蓋の間を抜けた。
つまり物質の摂理の『上位位相』、すなわち神の“位相”から──。
結果、コシチェイを形作っていた骨のすべてがガラガラと崩壊。
そしてその太刀筋は、紫色の光の筋となり上空へ走る。
光の筋から左右に光がまた伸びる。光の十字架……。
まるで十字架が、神の威厳が、『コシチェイ』の体を貫いていたかのように見えた。
「俺の『降魔斬り』は、魔界の武具もすり抜けるんだよ!!」
たまらず、『コシチェイ』は崩れ落ちる。
「やったか!」
大熊の期待が膨らむ。
だが。
『ゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッ!』
そう簡単な相手ではなかった。
みるみるうちに『コシチェイ』は、その体を復活させていく。
骨端の赤い糸──すなわち骨髄がズズと吸い合い、骨皮膜が生煮えに泡立ちながら張っていく。割れた頭蓋の切り口には小さな歯が裏向きにずらり——あの嫌な笑いが内側から増幅していく。
『お前らにワシは倒せんよ』
「どうかな?」
再び『降魔斬り』を繰り出す神表。
『があ……!』
その威力に、『コシチェイ』の肉体は再びバラバラ崩れ落ちる。
『こ、こいつ……!』
「まだ終わりじゃないよん♪」
神表はここで三度目の『降魔斬り』を叩き込んだ。
頭蓋も割れた。
ついに『コシチェイ』の体は崩れ落ちたままとなる。
そしてピクリとも動かなくなった。
「御曹司! やったのか!?」
大熊が期待の声を上げる。
「いや」
と、神表は冷静に答えた。
「最も倒しにくい悪霊っていう噂はウソじゃなかったみたいですよ」
「最も……倒しにくい……だと?」と大熊。
神表のその言葉通りだった。再び逆再生、復活。
そして肉体が形作られた後、割れた頭、その一つずつが別の頭になっていった。
『ゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッ!』
『コシチェイ』の二つになった頭が、笑う。
『無駄じゃよ。この場にいる者にワシは倒せるものはおらん。故に魔王さまはワシを使い魔として召喚されたのじゃ……』
「やかましい!」
神表は今度は下から上へ凪ぐように、『コシチェイ』の顔を斬り割いた!
しかし結果は。
「うーん。まあ、こうなるか」
察した通りだった。神表の斬撃の結果。
割れた『コシチェイ』の頭がまた別の頭を形作った。
頭が今度は三つになっただけだった。
『ゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッ!!!』
不気味な笑い声の三重奏。
「不死っていう噂は本当らしいなぁ」
神表は策を巡らせる。
(でも、なんかあったはず。『コシチェイ』を倒す方法! その方法を使わないと倒せないってのは本気みたいだなあ。親父の持ってた本に書いてあったよな。あれ、なんだっけ……)
そこへ。
「加勢するぞ!」
大熊たち、国際魔術会議のエージェント達が神表が作った足場を使って駆け寄る。
「ちょっと待って、大熊さん!」
神表はそれを制する。
「こいつ、伝承通り、ガチで不死身っぽいっす。倒す方法を今思い出してるところですけど。……喉の奥まで出かかってるんだけどなあ」
そんな神表の隙をつき。
『コシチェイ』が、その本当の力──「殺すためだけの力」を発揮した。
シュッ。
まずは、頼りないほど小さな風切り音。
同時に。
バシャッ!
さっきまで「人間の体の中」に収まっていたはずの血が、まとめて大地に叩きつけられた。
それは最も右側に陣取っていた女性のエージェントを襲っていた。
天空から、地上から、そして地下から。
三方向から、いくつもの悪霊の鎌が、ためらいもなく、何度も、何度も斬りつける。
女性エージェントの体は、一瞬で。
その肉体すべてを“格子状”──筋肉も骨も内臓も、まんべんなく切り刻まれていた。
そして、重力が思い出したかのように、少しずつ、それぞれの肉の塊がずれ落ちていき。
どさ、どさ、どさっ──
ばらばらになった身体の一部一部が、別々の生き物のように跳ねては転がり、大地にいくつもの肉片の山を築いていく。
「やば」
神表は侮っていた。
護符も祝詞も挟まる余地のない、「ただの虐殺」だと、ようやく理解した。
(瞬間移動、使えんの、こいつ? ……いや、殺したい場所にだけ移動してやがる)
その通り。数十個の肉片になってしまった女性エージェントの横。
そこに立った『コシチェイ』が、肉の山を踏み台にするように立ち、ニヤリと笑っている。
あまりの突然の凄惨な場面に、そこにいた全員が止まった。
止まったのは足だけでなく、喉も、思考も、すべてだった。
『次は、誰が、いい?』
周囲を見回す『コシチェイ』。
名前を点呼するみたいな軽さで、「順番」を選んでいる。
全員が身構える。守りを固める。
だが。
それはすべて無駄に終わった。
瞬時だった。
最も左側にいた男性エージェントの視界いっぱいに、いきなり、『コシチェイ』の三つの顔が咲き誇る。
「うわあああああああああああああああああああああああああああ!」
悲鳴の途中で声帯ごと斬り飛ばされる。
斬!!
◆ ◆ ◆
──そこから行われたのは“闘い”とは到底、言えなかった。
殺戮。純粋な大虐殺。
不死身の化け物による、“反撃の許されない”一方的なジェノサイド。
舞い散る血しぶき。濡れた線が走り、三人目の女の肩から腰が九つに割れる。白脂がふるえ、薄い筋肉の膜が引きちぎられ、皮膚が一拍遅れで落ちる。
四人目。胸郭の皮膚がめくれ上がり、剥き出しになった肺の袋が泡を吐き、その泡に真っ赤な血が混じって弾ける。
五人目。頭皮が帽子のように浮き、頭蓋骨がこんにちはする。その下から眼球だけがころりと遅れて転び、血の上をビー玉のように跳ねる。
血が地面に落ちた点から蒸気が白く胎動し、あたり一面の匂いが鉄から肉へと変わっていく。地の心音が舞台の床下から二拍遅れで響き、拍子木みたいに死のリズムを刻んだ。
現れる/消える。その一拍ごとに、違う場所から血柱が時間差で噴き上がり、やがて足元一面が、血みどろの温い海と化した。
衝撃ののち、赤だけが残り、他の色が一瞬ぬぐわれる。世界は単色になり、心臓だけが音を持った。
それでも『コシチェイ』の笑い声だけは、赤とは別の色で、この光景に塗り重ねられていく。
次々と細切れにされていくエージェント達。
『コシチェイ』は現れては、大鎌で瞬時に彼らの肉体を切り裂き。
消え。
次に現れてはまた……。
目の前に現れた時には、すでに、その人間は「人型」でいることを許されていなかった。
誰もがこの光景と圧倒的な力に体を震わせた。恐怖と絶叫がこの場に満ち、助けを求める声と、もう二度と返ってこない名前の呼びかけが交じり合う。
過去には、子どもたちが運動会で嬌声をあげ、笑いながら駆けっこをし、大人たちは地区ごとの野球大会で楽しみ、盆踊りでは多くの男女が夏を、屋台を、和太鼓を、楽しんでいたこの地。
その過去ごと、血と肉で塗り替えるコシチェイによる殺戮ショー。
「思い出」と呼ばれていたものを、一つ残らず“血のシミ”に変えていくショーだった。
だが、まだ戦う意思を持つ者もいる。
「調子ん乗ってンじゃねーぞ!」
神表洋平だった。
国際魔術会議の重鎮・神表神父の御曹司。小さい頃から神学の英才教育を受け、日本でも最高クラスの悪魔祓い術を持つ少年。
自称・敗北を知らない男──
「お前は!」
『黒姫』が、神表の怒りを受け、真っ赤に輝く。
「俺が殺す!」
神表は血溜まり上を駆けた。その神表にコシチェイはすっと指を向けた。
何かの魔術……。
『コシチェイ』が二指を捻る。
血の表面張力が逆立つ。
靴底が床に吸いつき、膝が石を打つ。
跳ね血が斑点になって頬に咲く。
神表の体はみっともない形で転ばされ、血の海に溺れてしまったかのような衝撃を受けさせられる。
「くっ!」
すぐさま、立ち上がる。
「何をしやがった……」
神表の怒りが増していく。悪魔退治に関しては絶対的な自信を持っていた。だが、倒す手法がたった1つしかない不死の化け物相手に、まさかここまで無様な姿をさらす羽目になるとは……!
そして、戦う意思を保っている者はここにもいた。
「高木! お前の聖棍で、次にヤツがどこに現れるのか読めないのか!?」
「無理です。大熊さん。俺の棍が……、ヤツの……、ヤツの魔力で弾けそうで……」
高木の棍が、右へ左へと暴れている。『コシチェイ』のあまりの移動スピードに、探知が追いつかないのだ。緊急を告げて青く点滅を続ける棍は、意思を持っているように、高木の体ごと振り回す。
「さっき御曹司が、倒す手段は一つしかないと言ってたな」
大熊は、そんな高木を見て、コートの下からナイフを補充した。
「それは何だ。どこか急所とか、核となる部分でもあるのか」
その大熊も次の瞬間、絶望に染まる。
『よお、おっさん……』
突如、大熊の前に、『コシチェイ』の三つの頭が現れたのだ。
『人間ってのは、もろい』
『コシチェイ』は大鎌を振り上げる。
『だが。お前のような年寄の肉は多少、固いのか?』
間に合わない。
受けきれない。
(殺られる──!!!!)
そう死を覚悟した瞬間である。
思わず目を閉じる大熊。
しかし、何も起こらない。
おそるおそる目を開けた。その目の前ギリギリで。『コシチェイ』の大鎌が光っている。
大鎌の刃先は大熊の眉間で静止していた。
(こ、攻撃をやめたのか?)
「なるほど。不死である以外は、それほど恐れるほどの攻撃力を持ち合わせてはいないようですね」
突如聞こえた女性の声に、大熊は慌てて視線を移した。
そして、見た。
大鎌の刃先──そこに立つ、青い長髪の美貌の女。その彼女の一本の“小指”が。
『コシチェイ』の大鎌を、その“小指”だけで、まるで玩具でも押し返すように、完璧に受け止めているのを。
「ちょっと、お遊びが過ぎましたね、『コシチェイ』」
その声音には、戦場を何度も見飽きた者だけが持つ、退屈そうな冷たさがあった。
青髪の女性は、攻撃を止めた小指に親指を添え、『コシチェイ』の大鎌の刃先を、ガラス片でも摘まむみたいに軽くつまんだ。
『な、なんだ……貴様』
「遊びすぎだと言ったんです、『コシチェイ』」
小指と親指だけの力で、金属疲労の悲鳴が刃の内部から鳴った。
それは、神表の護符も魔術も要らない、純粋な“物理”の暴力だった。
『コシチェイ』は全力を鎌にかけて、そのまま斬り捨てようとする。だが、まるで世界ごと固定されたかのように、刃は一ミリも動かなかった。
『この……』
そう、『コシチェイ』が苦悶の声を上げた時である。
セイレーンはひねりをひとつくわえた。
次の瞬間、『コシチェイ』は、自分の全身の骨が“同時に”逆向きに引っ張られるような感覚に襲われた。上下左右が消え、重力の向きが分からなくなる。
セイレーンは、小指と親指だけの力で、そのまま大鎌ごと、『コシチェイ』を勢いよく放り投げた。
『な……!』
一瞬で、祭壇まで吹き飛ぶ『コシチェイ』。その祭壇に体が半分までめり込み、石の塔が鈍く軋んだ。石目がずれ、砂だけがザラザラと、あとから滝のように落ちていく。
あまりの出来事に目を見開くことしかできない大熊。それほど次元の違う闘いが繰り広げられている。
(手が……出せねえ……)
大熊のその耳を、次に、鈴のようなコロコロとした声がやさしく撫でた。
「これでよろしかったでしょうか、ベレスさま」
美しく青い長髪。彫刻のように整った顔立ち。口元から覗くのは八重歯……いや、“牙”だ。
瞬時に見とれてしまうほどの美しさ。
しかし、その美しさの輪郭すべてが、“人間”という枠から半歩ずれている。
明らかに“人間”ではない!
そう。
セイレーンだ。
魔王ベレスの一番の側近が、そこに立っていた。
続いて、低い男の声が、この美女の問いに答える。
「ああ、それでいい、レーン」
その男は。長めの黒い前髪。全身黒のスーツ。
「スラヴの悪霊ごときが、越境して好き勝手か」
長い前髪。痩せた細い顔。その口は、ゾッとするほどの冷たい声を放った。
その場にいた誰一人、身動き一つできなかった。
『コシチェイ』の殺戮でさえ、ただの「前座」だったのだと、誰もが肌で理解した。
その中を二人は歩いていく。
一人はセイレーン。
そして、もう一人は。
成宮蒼。
つまり、『魔王ベレス』が。
降臨した──!




