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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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第49話 生贄の祭壇

第49話


 人間離れ、という言葉では足りない。鉄球を叩きつけても、ここまで深くは砕けないはずだ。

 床のひび割れから、まるで生き物の呼吸のように白い粉塵がふわりとあがる。


 拳の円だけが切り抜かれたように、コンクリートが粉雪のように砕け散り、淳の拳は手首まで沈み込んでいた。沈んだ拳の周囲で細かな砂粒がざらりと蠢き、床が“生きている”かのような錯覚すら覚える。


 拳が抜けた瞬間、遅れてガラガラと――まるで骨が崩れるような軋み音が、倉庫いっぱいに響く。

 淳は口角をゆっくり吊り上げた。美優の恐怖を確認してから味わうように。

 その笑みは、喜びというより獲物を確かめた捕食者のそれだった。


「どうだ? これを見りゃ分かるだろ。北藤に勝ち目なんて、もう一つもねぇ。ゆっくり“壊して”、全部見せてやるよ。男としての格の違いってやつを。――殺すさ。お前の目の前で、確実にな」


 声色が段階的に低くなり、最後の「殺す」だけが異様に甘い。

 自分の言葉に酔い、陶酔が淳の瞳にじわじわと満ちていく。

 言葉が麻薬となり、彼自身を溺れさせているのが分かった。

 その瞳の奥に、淳以外の“誰かの影”が揺れたようで、美優の心臓がひときわ強く跳ねる。


 危険だ。


 これが悪魔に魅入られた人間の末路か。


「お前も見たいだろう? 海野美優うみのみゆ。お前の幼なじみがどれほど情けない男だったかを」


 美優は答えない。眉尻がほんのわずかに上がり、下唇が震えるように尖る。

 怯えながらも、瞳の奥にだけ小さな炎が宿る。

 恐怖と怒りが同時に煮える匂いだった。頬骨に薄い紅がさし、睫毛の影が揺れる――怒っているのに、可愛い。そのギャップを、淳は面白がる。


「へえ」


 淳は鼻で笑い、また一歩、距離を詰めた。


「いい根性だ。海野美優。その精神、その肝の強さ。さぞや、魔王はお前の魂を気に入るだろうな」


 そして美優の肩を思い切り掴んだ。


「……つっ!」

「それじゃ仕上げだ。魔王がこの世で肉体を得る為に必要な最後の物……。お前の苦しみ、悲しみ、怒り、そして痛み……。そろそろ北藤が来る時間だ。ヤツを魔王に捧げる。さあ、準備をするとしよう。もちろん、お前にも協力してもらうさ。俺の未来の花嫁にな」


 その言葉と同時に。

 壁の隙間、床の割れ目、照明の影――暗がりという暗がりから、細いつるが“気配だけを残して”顔を出した。生まれたばかりの赤子の指のように、震えながら。

 一本、二本……と数えかけた指を嘲笑うように、その数は一瞬で“無数”へ変わった。

 空気が濁り、倉庫全体がざわざわと“呼吸”し始める。

 

 ぬめりを帯びた皮膜に細い毛根が逆立ち、蔓はずぞ……ずぞ……と、皮膚を吸い上げるような湿った音で伸びてくる。蔓どうしが数珠のように絡み合い、時に舌のように先端を割っては、試すように空気を味わう。その“音”だけで、脳の奥を針でつつかれたような吐き気がこみ上げる。


 血溜まりをものともせず這い、その赤を吸ったかのように、不気味な艶を増していく。触れた血が跡を残さず消えていく。まるで“食べている”ようだ。美優の周囲を円形に取り囲み、呼吸のたびに胸郭の上下に合わせて、じり……じり……と円が狭まっていく。


 まるで美優の呼吸音そのものを“餌の合図”にしているようだった。


「イヤ、嫌……」


(何これ? 一体、これは何!?)


「アハ──ハ、ハハハハハハハ!」


 声が上ずり、途中で裏返る。興奮と恐怖が混じった、壊れた笑いだった。

 そして、それらが一斉に、美優へと襲いかかった。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「さあ……バロメッツ。

 “聖女”を逆十字に捧げろ。サバトを始めるぞ。

 女の祈りなんざ、まとめてねじ折ってやれ」


 淳の背後で影が揺れた。つるが応えるように、小さく“ぴしゃり”と床を叩いた。


 ◆   ◆   ◆


 諏訪崎すわざきの遊歩道がある辺りの先。


「関係者以外、立入禁止」の札を超え、北藤翔太ほくとうしょうたは「諏訪崎多目的広場」へと歩を進める。


 この辺りは照明が乏しく、闇が道を飲み込んでいる。

 森が両側から押し寄せ、一本道は“抜け道ではなく獣道”に近かった。

 草木の間で、何かが揺れる。風ではない。

 その時、胸に違和感があった。


 ──『カメア』


 胸元のカメアが、不意に脈打った。

 指先にまで熱が伝わり、鼓動を煽るように跳ねる。

「急げ」でも「戻れ」でもない。警告と呼ぶには不吉すぎる震えだった。


(この先に……何かがいる……!)


 翔太は気を引き締める。

 デルピュネーはいない。シャパリュもいない。

 今は自分の身、一つ。


 なのに……。


 そう思うが、選択肢は一つしかない。

 だが、いざとなったら、とも思う。

 呼び出せば来てくれるだろうか。


 ──デルだけでも。


 やがて見えてくる駐車場。


 過去にはこの広場では、野球大会、サッカー大会、盆踊りなど様々な催し物がなされていたが、数年前の大雨で大きながけ崩れがあって以来、使われなくなってしまっていた。


 補修計画はあった。だが、市と自然愛護協会の対立で棚上げ――以来、夜の広場は“忘れられた場所”になっている。


 かつて、翔太の子どもの頃は、ここへ野球観戦や市民運動会、盆踊り大会など連れてきてもらったことがあった。子どもの頃に見た光景と、また夜に見る光景とは、まるで違う様相。


 この先に美優が……?


 駐車場の先にある多目的広場から、明かりが灯っているのがぼんやりと見えた。その明かりの中には、何十という影が、火の揺らぎに合わせていっせいに首を上下させている。

 それは言葉の形を保たない詠唱――“呻き声の連続”に近かった。


 いや、祭壇のようなものまであり、宗教的な儀式のようにも見える。

 祭壇の中央には、緑黒い大樹――いや、つるが束ねられて樹に偽装されたもの。

 白布が十字に張られているように見えた――が、

 次の瞬間、翔太は違和感に気づく。

 あれは“逆十字”だ。


 神を冒涜するもの──

 それに貼り付けられた”白”。あれは。


 人間……?


 両手を左右に大きく開かれた人の姿。見えるのは上半身のみで、下半身は、蔓の束に“呑まれ”、かたまりの内側に埋もれていた。

 まるで人間を素材にした彫刻の途中のようだ。

 こうべを垂れ、長い黒髪で顔が見えない。だが翔太には分かった。

 分からないわけがない!


(美優……!)


 そう。囚われ、哀れにもなにかの植物のつるの十字架に掛けられた、自分の幼なじみ・海野美優の姿だった。あれを引きはがしたら、美優は崩れるのではないかという恐怖が、胸を締めつける。


 異端とはいえ、神父の息子である翔太は瞬時に悟った。


 これは。


 サバトだ。


 悪魔を讃える儀式。


 悪魔信者たちが。


 美優を生贄に。


 何かを、呼び出そうとしている……!


(美優!!)


 翔太は考えるより先に、地面を蹴り出していた。

 肺に冷たい空気が刺さる。視界の端で、霧が“逆風”のように揺れた。

 同時に。


 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!


『濃霧警報』を告げるサイレンが遠く市内の街の方から聞こえてくる! 

 あの濃霧が、『カスケード』が、また水城市を襲ってきている!


(これ以上、一体、何が起こるんだ!)


 思わず街の方、つまり背後を見た翔太の頬。そこへ、何かが近づく気配があった。

 翔太は反射で身をひねる。

 直後、闇を裂くブウゥンという風鳴りが頬をかすめた。

 当たっていたら死んでいたと本能が即座に断言する速度だ。


 その音と同時に何者かが闇の中から姿を現す。


 翔太はロンダードの要領で、横向きに両手をついて体を回転させると、宙で体を捻り、そのまま風切り音の方を見ながら着地した。


(いてっ……)


 顔に手をやると、頬に触れた指がじわりと赤く染まる。

 かすり傷のはずなのに、皮膚が焼けるように焼け付くように痛い。


 ――かすっただけで、これかよ……


 翔太は、そのぬしを見る。


 闇の中から現れたのは、190センチは超える巨躯。

 影が歩くのではない。影そのものが“せり上がってくる”。

 体中が鍛えられ、まるで格闘家のような肉体を持っている。

 そして、ゆっくりとこちらに顔を向ける。


『濃霧警報が発令されました。外出している人は、すみやかに自宅にお帰りください。繰り返します。濃霧警報が発令されました。外出している人は、すみやかに……』


 うすぼんやりとした駐車場。風が吹き、雲が流れ、一瞬だけ月が顔を出した。その月明かりに照らされ た顔だけは、見覚えがあった。


栗落つゆ…………?」

 

 栗落花淳つゆりじゅん――だが、肉体が完全に別物だった。

 さらに身長が伸びている。

 筋肉も膨れ上がっている。

 次の瞬間、ニヤリと笑い、影の塊として突っ込んできた。


 だが、そのすべてが大振りだ。


 翔太は、ダッキングとスウェーバックでかわしながら、後方へと退いていく。

 だが、かわしたはずの先に“拳がもういる”。

 空気が破裂し、胸骨に衝撃が走った。


「っぐ…!」


 肺の空気が勝手に逃げ、世界が一瞬、白くなる。

 視界が裏返り、体が勝手に宙へ跳ね上がる。

 背中に鈍い痛みが突き刺さった。


(ちぃっ!)


 翔太はシラットの基本型へ入る。

 近づいてくる拳の手首あたりにこちらの手首を当て。

 突進してくる力を外側に流し。

 そのまま手のひらを相手の手首に絡め。掴み、相手の力を利用して前へと引き倒す。


 ……そのはずだった。


 相手の手首に手のひらを絡めようとしたその瞬間。

 拳そのものが“岩”のように動かなかった。

 翔太の体は拳の威力に巻き込まれ。


 吹き飛ばされた!


 拳の重さが桁違いだった。


 後方へ。とても体のバランスを保てない。

 翔太の体は、バランスを失い。

 宙中を舞い。

 そのまま駐車場のアスファルトに背中ごと叩きつけられてしまった。


「痛って!」


 思わず声が漏れる。

 だが、休む暇はない。

 上空には、すでに飛び上がって攻撃態勢に入っている男の姿。 

 そして、翔太の顔面へ向けて、大男の拳が振り下ろされた!


「く……っ!」


 ガンッッッッ!


 間一髪だ。


 翔太は顔を横にそらし、大男の拳を避けた。だが。

 ギリギリで頭を外したはずなのに、衝撃が襟元から背中まで貫いた。


 ──痛い!


 拳が落ちた地点のアスファルトが、花弁のように割れて弾け飛んだ。

 その欠片がいくつも翔太の頬を打った。

 男の拳は、翔太の顔面に命中こそしなかったものの、すぐ横のアスファルトを砕いた。


 ──“素手”で。


 アスファルトを。


 翔太はゾッとした。


 ──もし、これが当たっていたら……。


 冷や汗が流れる。こんなの“人”の力ではない。


「お前、栗落花つゆり……だよな……?」


 自分にのしかかっている大男に、思わず翔太は尋ねた。


 ──この拳がかすっただけで死ぬ。

 理性より先に、身体がそう判断していた。


 大男はニヤリと笑った。

 その巨躯、肉体、力。

 すべてが、翔太の知っている栗落花淳つゆりじゅんではなかった。

 だが、顔は紛れもなく、栗落花淳、その人。


「待ってたぜ、この時をよ」


 淳は言った。

 口調も違う。何もかもが違う。


「言いつけ守ってご苦労さんなこって。ちゃんと使い魔たちを置いてきたようだな」

「お前、栗落花だよな……。どうして、こんな……」

「ああ? この体か?」


 淳は首をポキポキと鳴らした。


「鍛えたんだよ」


 明らかにふざけ、からかっている口調だった。


「まあ、どうでもいいじゃねーか」


 そしてこう続けた。


「だが、まあ。ここでお前をっても、遠すぎて海野美優うみのみゆには見えないからよ。場所を……」


 同時に、淳は翔太の服の襟を掴む。

 瞬間、身体が軽くなった。


「変えようぜっ!」


 そのまま、多目的広場の方へと投げ飛ばされる。

 視界が反転し、星が足元に流れていく。


(ウソ……だろ……?)


 体重60キロを超える翔太の体が軽々と、夜空を舞った。


 何メートル飛ばされただろう。何の抵抗もできず、祭壇近くに落下する。

 体が激しく大地に打ち付けられた。


「――ッ!」


 胸の奥で何かが鈍く折れた感触が走る。


 土の上で思わずもがく。息を吸うたび、胸の内側で鋭い痛みがうごめく。


 芋虫のように多目的広場で体を丸める。

 淳はのしのしと歩いて近づいてくる。

 その足音だけで、重さと狂気が伝わった。


「死ぬにはまだ早いぞ。北藤。お遊びはこれからだ」


 多目的広場では何十人もの人間が何か儀式を行っている。

 不気味な詠唱の声。

 祭壇には、おびただしい数のつるに絡め取られた美優の姿。


 まだ立ち上がれない。

 その時、ふいに、白い指のような霧が翔太の視界を撫でた。

 風向きとは明らかに逆の方向へ滑っていく。

 霧が意思を持っているようにしか見えなかった。


 濃霧警報のサイレンがなお遠吠えのように続く。

 高台になっているが、この諏訪崎すわざきの多目的広場にも『濃霧』が到達した。


 ──くそっ! 動け! 俺の体……!


『濃霧警報が発令されました。外出している人は、すみやかに自宅にお帰りください。繰り返します。濃霧警報が発令されました。外出している人は、すみやかに……』

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