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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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第48話 ひび割れた祝福

第48話


 ──再び、美優。


 床一面に広がる血溜まり。その量の異常さに、美優は息を呑んだ。

 だが、血の匂いが強くなるほどに、ぼんやりしていた意識が少しずつ輪郭を取り戻していく。


 自分を縛り、この薄暗い倉庫へ監禁した男――それは隣のクラスで、翔太とも親しく見えた栗落花淳つゆりじゅんだ。


 間違いはない。

 見覚えがある。だが――


 目の前の“淳”は、記憶の中の彼とはまるで重ならない。

 背は15センチ以上も伸び、腕も胸板も、まるで急成長を“巻き戻し再生”したかのように膨れ上がっている。


 筋肉も隆々《りゅうりゅう》。まるでヘビー級の格闘家のようだ。

 幼い輪郭の顔だけが取り残され、身体だけが無理やり引き伸ばされた“破れたマネキン”のようで、美優の背筋に冷たいものが降りた。


 肩で服がきしみ、呼吸のたび胸郭が獣みたいに上下する。落ち窪んだ眼窩に、どこか血走った赤が沈んでいる。非常灯の赤だけを眼球の中心に差し込んだみたいに、不自然で……怖い。


(これは……)


 と美優は思った。

 闇に落ちたあの悪夢。その中心に“こちらを覗き込んでいた顔”と、今の淳の輪郭が重なってしまい、美優の心臓がきゅっと縮む。

 淳は美優に顔を近づけたままで、こう聞いてきた。


「僕が、どうして失望し、怒っているのか……分かるかい?」


 顔が触れそうな距離で、淳は甘く、だが濁った声で囁いた。

 分かるわけがない。美優は怒りを胸に秘めながら頭を横に振る。


「……君が、そんな“安い女”だったとは思わなかったからだよ」


 ──売女ばいたですって!?


「お前は聖女ぶってるだけだ」


 そう言うと、淳は立ち上がった。その背中は、筋肉で膨れ上がり、逆三角形を描いていた。

 腕の太さは、美優の太腿よりも明らかに太い。

 ――いや、人間の“比率”ではない。

 

 引き締まった尻。鍛えにくいと言われている太腿の筋肉。盛り上がったふくらはぎ。

 そのどれもが、美優がイメージしていた淳とは別人だ。


 もしかして私が監禁されている間に、十年は経ってしまったのではないか。思わずそう錯覚する。


「最初は僕も、北藤ほくとうを張ろうとしていたのさ。なんだか気に入らない上に、僕の計画も邪魔しようとしたし」


 しかも、いつの間にか、翔太のことを呼び捨てにしている。


「僕の邪魔をしようとするし、やたらと調子に乗ってるし。しかも、何やら使い魔のようなものも使役しているじゃないか。こいつ何者だ、と思ったよ」


 おそらくデルピュネーかシャパリュのことを言っているのであろう。

 この少年は彼女たちに会ったことがあるということだ。


「この不思議な力を持っているのは僕だけだと思っていた。強くもなったし、幻術という魔術すら使えるようになった。僕は十分に君を守れる存在になった、そう思っていた。なのに、あの北藤のヤツ……!」


 淳の目が怒りに燃えていた。


「アイツ、何でも持ってるじゃないか。力も、使い魔も」


 そして美優を睨みつける。


「そして君も」


 突然のことに美優は驚く。


「しかも、“俺”の大事な大事な『ラ・ヨローナ』まで奪いやがって……!」


 何のことを言っているのかわからない。それよりも。


(“俺”……!? この人が? さっきまで“僕”だったんじゃ……)


 そんな美優に再び淳は近づき、人差し指で美優にしていた猿ぐつわをちょんと落とした。


「で、一体、海野うみのは、北藤のなんなんだ?」


 猿ぐつわが取れて、呼吸が楽になる。急に酸素が喉を刺激し、美優はケホケホとむせ込んだ。


「なんなんだって聞いているんだよ!!」


 そう言うと、淳は背後にあった木の箱を、八つ当たりするかのように蹴った。

 木箱は大きな音を立てて粉々になってしまい、中から扇子やら提灯やらお神輿の飾りの一部やらが転がり落ちる。


 とんでもない力だ。

 だが美優は怯まない。


「……ただの幼なじみよ」


 毅然として答えた。


「ああ!?」


 まるで不良のように凄みながら、首だけでこちらを振り返った。そして再びこちらへ来る。

 その足音はまるで巨人のよう。


「ただの幼なじみだと!? ウソをつくな!」

「ただの幼なじみよ! なんか文句あんの!? あんた、一体、何が言いたいわけ!?」


 美優も言い返す。


「ただの幼なじみのわけあるか! じゃあ、なんでお前が北藤の家に泊まってんだよ!」

「……!」


 虚をつかれた。なぜこの男は、自分が翔太の家にお世話になっているのを知っているのか。バレないようにしていたのに。もしかして、翔太くんちに出入りしているのを見られた……!?


 その時、美優はハッとした。


 不安と懸念がここでつながった。


 そうだ――あの“視線”。

 美優が自室で着替えたときに感じた、あの刺すような気配。

 淳は幻術で姿を薄くし、翔太の家の周囲を彷徨っていたのだ。

 閉めたはずのカーテンの向こう、美優が部屋着に着替えるその瞬間まで覗いていた……!


「もしかして、あんた……!」


 そうだ。覗いていたのは、この男・栗落花淳だ。間違いない!


「答えろよ! なんでお前が北藤の家に住んでるんだよ!!」


(背中を、見られていた……? よりによって、この男に──!)


 吐き気が、美優の胸の奥から込み上げる。


 ◆   ◆   ◆


 夕方、翔太の家の周りをうろつく淳。

 その淳の目に、美優が映る。

 翔太の家へ入っていく美優。


 ◆   ◆   ◆


 翔太に充てがわれた自室で着替えをする美優。

 淳は幻術を使い、まるで風のように透明になり、翔太の家の周囲を散策する。

 いくつかある窓のうち、その一つから、美優の気配がにじんでくる。


 閉められたカーテン。その先を見るために幻視を利用する淳。

 そこには無防備な下着姿で、部屋着に着替えようとしている美優の姿が……


 ◆   ◆   ◆


 夜も深い時間、『ラ・ヨローナ』を連れて、翔太の家を襲撃しようとした。

 道場から汗だくで出てきた美優と翔太。

 仲睦まじく話している二人。

 こんなに遅い時間に。

 しかもまた、二人で家に入ろうとしている。


 同じ屋根の下に……だ。


 幻術で影にまぎれながらも、嫉妬で体を震わせる。心の中だけで叫びを上げる。


(うわあああああああああああああああああああああああああ!)


 ◆   ◆   ◆


 そして今。美優の目の前の淳の瞳が怒りに染まっている。

 嫉妬の炎が宿っている。


「そんなに北藤がいいのか? ああ? 幼なじみってのは、そんないいものなのか!」


 強がってはいても、美優は思考がついてこない。


(この距離で逃げられない……。もし、この男が“本気”で何かをするつもりなら……わたしは……)


 恐怖が喉の奥でつかえ、呼吸が浅くなる。

 おそらく、この調子では、この男は翔太をもその場で亡き者にしようとしていた。

 だが、なんらかのトラブルがあり、それを成し遂げられなかったのだ。


 苛立ちは、すでに頂点まで達している――美優の『マグス』としての感覚が、それを告げていた。

 だからこそ──怖い。


「今は俺の方が背が高い。体もでかいし、力も強い。北藤なんか、もう相手にならねえ!」


 自分の一人称がハッキリと「僕」から「俺」に変わっている。さらには、こうして見ているうちにも、少しずつ、どんどん、その肉体が膨れ上がっていっているようにも見える。異常だ! 何か、想像を遥かに超える何かが起こっている。そしてそれは私にとって……


(最悪──なことだわ)


「格闘術? そんなもん、知らねえ。でかいほうが勝つ、力の強いほうが勝つ! それが摂理なんだよ。俺はあの悪魔にお願いした。体をデカくするように。誰よりお強くなるように。そのためにいくつもの魂をあの悪魔は食らった。そのために俺も努力を惜しまなかった。どうだ、見ろよ。今は北藤より俺のほうが勝っている。俺が北藤に負ける要素なんてどこにもねえ!」


 淳は身動きできない美優のあごを掴む。無理やり、上を向かせる。


「なあ、俺のほうがいい男だと思わないか? 北藤みたいなチビなんかよりよう」


 そして左手を美優の太腿に這わせた。

 美優の皮膚が総毛立つ。抵抗しても、震えが止まらない。


「今の俺は北藤より背も高い。力もある。喧嘩だって負ける気がしねえ。

 それに……俺には“後ろ盾”がついた。でかいバックだよ。

 この街も、この国すらも、いずれは俺のものになるんだ」


 その間も淳の手は美優の太腿をもてあそび続けている。

 そこから、下腹部、腹、胸の谷間、と指を上げていき。


 美優の右の乳房をギュッと握った。


「……!」


 屈辱に震えながら、美優は気丈に振る舞う。


「でかいバック? 何なのよ、それ。政治家か何かでもついてるの? それとも大金持ち? その大金で、身体改造や整形でもしたの?」

「バカか、お前。そんなんでこの肉体が得られるわけねえだろ。もっとでけえもんだよ。俺は巨大な“力”を手に入れたんだ」


(狂ってる……! 本気で言ってる……この人)


 どうあがいても、拘束されたままでは逃げられない。

 恐怖がじわじわと指先から痺れのように広がっていく。


 淳の手はタンクトップの上から、美優の乳房を触り続けている。

 その顔は恍惚としていて、そのニヤケづらが気に入らない。


(気持ち悪い……!)


 心底、気持ち悪い。吐き気がする。美優は睨みつけた目を淳から決して離さない。


「あんた、一体何がしたいのよ。そんなことして楽しい? 嫌がってる女に」

「へえ、気丈なんだな」

「それにさっきから悪魔、悪魔って。まさか、前回の『カスケード』って……」

「そうだな。どうせお前は俺の女になるんだし、教えておいてやるか」


 淳は美優の体から手を引き、そして少し後ろに下がった。


魔導書グリモワール

「魔導書?」

「ゲーティアって魔導書を知ってるか?」


 もちろん聞いたことがある。ソロモン王が封じた悪魔たちについて書いてあると言われる書だ。


「『ゲーティア』の“逆儀式”を試したんだ。十字は逆に、祈りは嘲りに。

 アーメンは喉で裏返す。

 ……そしたら来たんだよ。“王”が。

 まず俺は身内の魂を差し出した。契約のためにな。

 だが王は言った――“完全体にはまだ足りない”って。

 だから、俺は人の魂を集めた。

 幻術と『ラ・ヨローナ』で運んで、食わせて……

 王は透明な魂を自分の色に染めていく。

 それは……“美しすぎて”俺ですら震えた。

 その結果がこれだ。俺の体も、力も……全部“王”のおかげだ」


 ──身内の魂。誰か、身内を殺したのだろうか。


「そこからが問題だ。魔王は、自身が完全体になるには多くの人間の魂が必要だと言い出しやがった。その手助けとして、魔王は俺に幻術や使い魔をくれた。あれは傑作だったぜ。俺をいじめたり、無視してたやつら、全員がビルから飛び降りる姿はよ」


 隣のクラスの集団飛び降り事件だ!


「その後は、信者が欲しいと言いやがる。だが、そうすることで俺のことも強くしてくれると。だから俺は色々と頑張ったさ。一人ひとり、いや時には数人かな。ここへと連れてきてたんだ。そうさ。連続失踪事件のほとんどは俺さ。俺がやったんだ。人をさらう悪霊のラ・ヨローナとこの幻術を使ってな。……知ってるか? 人間の魂って色々な色をしてるんだ。赤や青、マーブル模様みたいになってて、それはそれは綺麗なんだ。魔王はそれを、“透明”にしていく」

「魂の色……」


 美優の体から冷や汗が噴き出し始めた。この人は頭がおかしい。いや、おかしくされている。完全に狂っている。悪魔に取り憑かれている!


「その透明な魂を悪魔が自分の色に染めていくんだな。それはそれは、おそろしく幻想的だったぜ。いや、まさに悪魔的というべきか。俺ですら小便ちびっちまった。だがな、俺はやり遂げたんだよ。悪魔は完全に復活した。魔王を自ら名乗るほどに。そして俺のこの体も……。悪魔ってのはすげえな。神なんて当てにならねえ。Et… …teM… irrīdē……。聞こえるか? 神は黙ってる。神の愚かさを教えてやるよ。この力で」


 そう言うと、淳は倉庫の床に片足をついた。そして、まるで、空手でいう“瓦割り”のような姿勢だ。


「これが、俺が得た力だ!!」


 そして思い切り、床に拳を叩きつけた。


 次の瞬間、倉庫全体が揺れた。


 ──衝撃波。

 次に目を開けると――コンクリート床が、まるで紙粘土を殴ったみたいに陥没し、拳を中心に半径一メートル以上の“クレーター”が穿たれていた。


(……翔太くん。早く……来て……。いや、違う! 来ちゃダメ! 翔太くんが殺されちゃう!)


 思考が空転し、美優は自分でも何を願っているのか分からなくなる。

 その胸に、初めて“死ぬかもしれない”という確かな恐怖が芽生えた。

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