表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/240

第45話 英雄殺し

第45話


挿絵(By みてみん)

シャパリュイメージ


 ──シャパリュの背から、闇が“噴き上がる”ように伸びた。


 よく見れば、その一本一本は“山猫”のからだを模している。

 噛みつくたび、『ラ・ヨローナ』の肉の奥から“別の何か”が呻く気配がした。

 まるで、ひとつの魂ではないように。


 たまらず、『ラ・ヨローナ』が姿を消す。


 ──が、影の山猫はあごを離さない。

 消えた先でも、影は噛みついたままだ。

 彼女の”呪い”による能力に“同調”し、一緒に消失し、ともに瞬間移動している。

 

 つまり。

 消えても、消えても。

 顎は開かない。

 捕縛ほばくだ。


『ラ・ヨローナ』は、シャパリュの思惑通り、“山猫”という名の黒い縄に順々に絡め取られていく。

 影が巻き付くたび、彼女の白い肌に小さな子どもの手形のすすが、ぽつ、ぽつ──

 浮かんでは滲み、また別の形へ変わった。


「僕の牙には、後天的に付与された“属性”を削ぎ落とす毒が混ざってる。もちろん“呪い”も例外じゃないよ。さっきの手形もね、痕跡は消えても残る。僕自身の“呪いの情報”として刻まれる」


 やがて『ラ・ヨローナ』の全身は影の山猫で覆い尽くされた。身動きは、一切、奪われる。


「本当は、終わりたいんだろう? 浄化されて、この世をさまよう苦しみから解かれたい──違うかい?」


 シャパリュの影は、『ラ・ヨローナ』の身体を高く掲げた。


 まるで十字架にはりつけられた罪人だった。黒い涙をこぼしながら、中空で喘ぐ白い女。

 その身体は壊れようとしながらも、どこか“壊れきらない粘度”を持っていた。

 まるで誰かが、彼女を壊させまいとしているように。


『ヴゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

「ん?」


 シャパリュが小首をかしげる。


「思ったより根深い“呪い”だなあ。これだけの毒でも、まだ剥がれないってことは……」


 困っている様子は、欠片もない。


「じゃ、次の手」


 シャパリュの背後に人魂めいた炎がいくつも灯った。

 焦げた乳のような匂いが風に混じった。


「“物理無効”なんだよね。なら、魔法はどうだい。死者相手には……火。火が相性いいかな」


 炎の前に、今度は幾条もの光芒こうぼうが生まれた。


「光も足そう。炎+光で加法かほうすれば、十倍コース。君の“呪い”、どこまで耐えるかな──じゃ、いっくよーーーーーーーー!」


 号令と同時に、魔が放たれる。

 光芒は一本のランスへと束ねられ、その周囲を炎が螺旋らせん状に絡み上る。

 夜が、ひと呼吸だけ昼間になった。


 直後。


 光の槍と炎の渦が、捕縛された『ラ・ヨローナ』を貫いた。

 白い肉は焼け、溶け、ただれ、真っ黒な目は蒸気となって消える。

 空洞の眼窩がんかから、黒い涙がとめどなくあふれ、蒸発し、白煙に変わって空に薄く消える。


『ヴゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 それは、彼女がこれまで知らなかった痛みだったのだろう。

 断末魔は苛烈で、悲惨で、空に哀れを撒いた。

 焼ける皮膚が波打ち、内側で何か小さなもの──

 古い子守唄の切れ端や、かつて呼ばれた名前の残響ざんきょうが、泡のように弾けて消えていく。


「……へえ。一瞬で灰になると思ったけど。やるじゃないか」


 見直したような言い方をしているが、その言葉にシャパリュの体温は感じられない。


「デルが手こずったわけだ。ごめんごめん、少し見くびってた。名のある悪霊だけはあるね。僕も自分の腕に過信があったかも──てへっ♪」


 右前脚をひと振り。


 背後に、今度は何本もの剣が姿を取った。

 中世の直剣、湾刀、短剣──柄も刃も、どれも使い込まれた色をしている。

 刃は低く唸り、刻まれた古い銘が一瞬だけ淡く光った。


「へへへ。説明しよう♪ これは、僕がたおした英雄たちの剣。一本一本に、僕本体の“英雄殺し”の呪いが沈んでる。……そうだ、『ラ・ヨローナ』。君にかかった“呪い”の源は『リリン』──それも英雄格の存在のようだよ。これなら僕の“呪い”で上書きできる。試してみるかい? 今の君の主の鎖から、ひとまず解き放ってあげようか」


 影の山猫がほどけ、闇へと溶けた。


「だから、今度は僕の“本質的な呪い”をぶつけよう。君の“呪い”と、僕の”呪い”。どっちが強いか、試そうじゃないか。まあ僕の”呪い”は超複数だから不公平なんだけど」


 言葉と同時に、おびただしいほどの剣群が飛ぶ。


 シュッ、シュッ、シュッ──。


 『ラ・ヨローナ』のからだは、みるみるハリネズミになった。

 首ががくりと落ち、地へ向かって崩れ……同時に剣は霧のように消える。


 焼けただれた白は、血管のような“黒”に侵食されていく。

 剣に宿る呪いが肉の中を枝分かれして走り、彼女の“呪い”に反作用を起こしている。

 黒い筋はやがて、目鼻口──過去にシャパリュにたおされた“英雄たち”の顔の断片を皮膚に浮かび上がらせた。

 ざわ、と一斉に、その“顔”たちが彼女の内面を覗き込む。


 声は、もう、出ない。


 それでも──。


 両手をつき、震えながら、立ち上がろうとする。

 戦う意思が、まだある。

 その彼女の鎖骨あたりから別の“小さな手”が生え、『ラ・ヨローナ』自身の首を締めた。

 すねから、背中から、胸から。

 無数の“手”が突き出て、彼女の肉体そのものを締め上げる。

 皮膚の下で、子どもの靴の影がきゅっと鳴いた。


「……驚いた。かなり強力な不死身アンデッドの“呪い”だね」


 シャパリュの“呪い”と、『ラ・ヨローナ』に施された“呪い”が、内側で噛み合い、せめぎ合う。


「いや──違うな。表面上は“呪い”に見えるけど、これは“死なないよう造り替えられた肉体”だ。なるほど。君の後ろにいる“主”の顔が、ようやく見えてきたよ」


 彼女は消えようともするが──


 ノイズ。


 部位ごとに明滅して、消えても、次の瞬間には同じ座標に“戻される”。消失の権能に、上書きがかかったのだ。もう、先ほどまでの“消失の権能”は封じられた。


「こちらの”呪い”が勝ったようだね。”物理無効”は一時的に剥がせた。……うん、頃合い」


 シャパリュは、戦況を見守っていたデルピュネーへ声をかける。


「たった今、彼女には“英雄の肉体”が付与された。源流の『リリン』の“呪い”は、僕が無理やり与えた英雄たちの“呪い”で上書きして、彼女を肉塊にくかいに変えた。でもこれ、消すには惜しいね。ベレスさまも、きっと欲しがるだろうな」

「では、わたくしは」

「分かってるだろ。”物理無効”は上書き済み。ここからは君の領分。君にしか“救えない”んじゃないかな」

「なるほど。そういうことでございますね、シャパリュさま。ではやってみましょう」


 デルピュネーは槍を構えた。


「さ、楽にしてあげよう。“呪い”じゃなく、“想い”のほうを断ち切るんだ。それでこれは手に入る」

「承りました」


 デルピュネーの槍のエメラルドグリーンの宝石が、この時だけは淡いピンク色に光を変えた。

 ──”想い”を断ち切る。

 そのために、英雄の肉塊に絡め取られ、”想い”が実体化した『ラ・ヨローナ』へ飛ぶ。


 その切っ先が──

 強制的に与えられた“肉体”を──

 一瞬で──

 怒涛の速さで──

 細切れにしていく──


 けれど、その肉片は“終わることなく”、ひとつずつ光の粒へ変わり、静かに消えていった。

 この瞬間、ラ・ヨローナはすでに“誰かに拾われうる状態”へと変質し始める。


 つまり、消滅は、完全ではなかった。

 風へ散った粒のいくつかは、夜空のどこかへ吸い込まれていった。


 まるで誰かに呼ばれたかのように。

 そして呼んだ者はもちろん──


 ◆   ◆   ◆


 その頃。


 翔太は、美優が眠っているはずのリビングへ向かった。

 勝てる、と確信したからもある。

 だが、それ以上に──


 見ていられなかった。


 それほどの気味悪さ。

 あの”白い女”が化け物のような姿に変容していくのが、グロテスクすぎたのだ。

 何より。

 あまりのシャパリュの圧倒ぶりから、”白い女”が可哀想に思えてしまった。

 まるで、自分の体の奥で同じ痛みがじん、と響くようだった。


 一方的に叩きつけられる暴力──

 それは、翔太が子ども時代に味わってきた記憶と重なった。

 これらはいまだ、翔太の心の深部で傷としてうずき続けている。

 投げつけられた石、嘲笑、涙。

 忘れたはずのものが、爪先をなぞるように甦る。


 翔太は、まだ幼い頃の自分を乗り越えられないでいる。

 そんな自分の弱さも嫌いだった。

 そして。


 ──結局俺は、何もできなかった。


 無力感。

 怪異相手に、人間が何かできるはずもない。

 だが翔太は違う。

 数奇すうきな宿命を背負わされ、さらに「神」と「破壊」の双方が宿った体。

 なのにその闘いに有利な部分はなりを潜め、「破壊」の不安だけが心を蝕んでいる。


 ──じゃあ、出来ることは。


 そう。美優を守ること。

 気を失ってソファに寝かされている美優のそばにいること。


 そう思った。


 けれど──事実として、逃げたのだ。

 気味が悪かったからもあるが、怪異が恐ろしくてではない。

 自分の内部にある“弱さ”から、目を逸らした。

 胸の真ん中に、鈍い石のような自己嫌悪が沈んでいく。

 

 芽瑠は既にベッドで眠っている。シラットをする前に寝かせておいた。

 寝室を確認する。

 芽瑠は何事もなかったのが明らかに見えるほどの安らかな寝息を立てていた。

 ひとまず、安心する。


 そして次に、美優だ。


 汗で濡れた道着。風邪はひかせられない。

 それに、結界の中だとはいえ、あんな弱気な美優を見るのは久しぶりだ。


 ──そばにいてあげなきゃ。


 そしてリビングへと入った。

 

 美優の呼吸は浅い。だが眠れているようだ。

 ソファに運んだ瞬間、美優は寝息を立て始めていた。

 それほど、恐怖が大きすぎ、心身が摩耗したのだろう。


 翔太は一度美優の部屋へ行き、毛布を取って戻ってきた。

 そっと掛けてやる。

 淡いシャンプーの匂いと、外気の雨をまとった気配が、美優の髪からふわりと立ちのぼる。

 その温度が、翔太の胸の痛みをわずかに和らげた。

 けれど同時に、

「守れなかったらどうしよう」という不安が、冷たい指で背骨をなぞるように走った。


 ──だがとりあえず、俺たちは無事だ。


 思い直し、ソファに腰を落とした。

 だがやっぱり頭を抱える。


(俺は──指をくわえて、見ているだけだった)


 積み重なるように再び蘇る無力感。

 罪悪感。

 そして、恐怖。


 強くなったはずだ。

 

 ──なのに、あれを目にして逃げてしまった。


(俺に、何ができる)


 心の底から思う。

 力が欲しい。

 戦える、力が。

 喧嘩に強くなったからといって、それでは解決できない壮大な不幸に見舞われている。


 壁の先に、今度は天まで届くような重すぎる宿命。


 悔しさが、喉の奥を焼く。

 汗が体温を奪い、寒気が思考を暗くする。


 ──戻るか。戻って、戦うか。


 いや。あり得ない。

 とてもそんな心の状態ではない。


 ──せっかく……乗り越えられそうだと思ったのに。


 もう喧嘩は怖くない。

 だから、あとは心の傷を癒やすだけ。

 そう思っていたからこそ、余計、痛い。重い。


 翔太が自分の人生を恨み始めた、その時だった。

 その時だった。


 ザアアアアアアアア……ッ!


 突然、テレビが勝手につき、砂嵐が画面を満たした。

 空気が一拍だけ冷え、耳鳴りが低く鳴る。

 棚の上の小さな十字架が、何もないのにかすかに揺れた。

 いや、かすかに空気が動く気配。

 誰か……いる!?


(誰だ──!?)


 見回す。

 人影はない。

 ひとまずリモコンを探し、掴み、電源をオフにする。


 ……消えない!


(えっ?)


 その砂粒の奥で、微かな光と、影がうごめいた。

 モザイクが収束し、輪郭が立ち上がる。


 三つの角を持つ山羊の頭が、砂嵐の奥からこちらを覗く。

 瞳は存在しないのに、真っ直ぐに翔太を見据えていた。

 次には、画面の外側、スピーカーの奥で。

 見えないもやがぶつかるようなバチッという帯電音たいでんおんが跳ねた。

 照明が一瞬、明滅した。


「っ──!」


 電源ボタンを連打する。


 プツッ。


 やっと画面が落ちた。


 ほっとする。


 静寂。


 だが次には、壁の影の輪郭が一瞬だけ逆に伸びた。

 床下で何かが遠くきしむ音がした。

 結界の結び目が軋る時の、青白い六角の火花──

 先ほど塀の上で見たそれが、部屋の隅で微かに浮かんでは消えた。


(ウソだろ……!?)


 翔太の心に別の焦りが浮かび始める。


(見間違い……? いや、結界の内側だ。破れたならデルもシャパリュも気づく。入れるのは“人間”だけ……じゃあ、さっきの気配は──“何だ”?)


 ドッドッドッドッド……!


 心拍が、やけに大きい。


 空気に、甘い鉄の匂いが混じった気がした。

 カーテンが、誰かの気配で触れられたように、ほんのわずか擦れた音を立てる。

 ラグの毛並みが、一歩ぶんだけ沈んだように見えた──

 なのに、誰もいない。


(なんだよ、これ)


 混乱。


 だが、分かった。


 ──何かが、来てる!


 確かに気配はある。だが姿はない。

 自分の体には何の異常もない。

 もし敵なら、とっくに切り裂かれているはず。


 そこで、気づく。


 美優。


(美優は……!?)


 ソファの美優へと視線を戻す。

 その瞬間、翔太の脳が一気に“真っ白”になった。


 ──そんな。

 あり得ない。

 あり得るはずが──ない。


 美優が──跡形もなく消えていた。


 毛布だけが、ぽつんと残っていた。

 主を失った重みで、ソファの縁から静かに滑り落ちていく。


 翔太が目を離した、ほんの一瞬。

 幻影を見せられ、気配に気を取られた、ほんの隙に。


 ──さらわれた!


 その残り香と温もりが、「確かに、ここにいた」という事実だけを語り──

 同時に、もう戻らないかもしれない未来の気配が、凍った針のように翔太の胸を刺した。


 さまざまな感情が渦を巻き、

 翔太の心は──

 罪悪感と恐怖の坩堝るつぼへ沈んでいった……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブクマ・ポイント評価お願いしまします!
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
[一言] 今の所、全部の46話を読ませて頂きました。 まず、42話の武術でのシーン。すごくわかりやすく描かれていて2人の凄さが文章に出ていてとても面白く読めました。 今回の44話、45話。シャパリ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ