第44話 ラ・ヨローナの呪い
第44話
“白い女”──
そのあまりに異様な姿に、美優は反射的に翔太の道着の裾をきゅっとつまんだ。
「翔太くん、あれ……っ!!」
「え?」
声が震えている。
その美優が指差す方を見る。
だが──
「あれ?」
声を発したのは美優の方だった。
そこに、その姿はすでになかった。
さっきまで“いたはず”の場所には、電信柱の影だけが長く伸びている。
「何もないみたいだけど」
「嘘……でも、確かに……!」
美優はウソをつく子じゃない。
だから翔太は、心臓を強く鳴らしながら視線を凝らした。
「何を見たんだ?」
「女の人……」
「女?」
「白い……異国の服を着た……女の人が」
翔太の心臓がドクン! と打った。
それって──
「女の人が……こっちを見て、笑ってた……」
記憶が蘇る。
あの、諏訪崎。
瑚桃が襲われた。
それをデルが撃退した。
まさか!
(あれで、死んだんじゃないのか!?)
「翔太くん、あそこ!」
再び美優が叫んだ。
急いでその指の先を見る。
今度は、はっきり“そこに見えた”。
白い異国服。白い顔と手足。
──白目が消え、闇だけが覗く黒い“目”。
笑っているように口角だけが吊り上がっているのに、笑い声は出ない。
代わりに、子どもの泣き声だけが、彼女の喉の奥から“逆再生”でこぼれてくる。
(まさか、そんな……)
アレだ。デルピュネーをも苦しめた、あの悪霊。
“白い女”。
姿を消し、そして現れを高速で繰り返しながら、デルピュネーを翻弄した『ラ・ヨローナ』。
今回も、同じように道路の向こうから翔太の家まで近づいてくる。
翔太の家は星見山の麓にあるため、やや高台にある。
やや広めの駐車場があり、その脇から坂を上り、折り返してさらに登った先が翔太の家で、敷地内に教会と住居、道場や物置などがある。
その坂を、『ラ・ヨローナ』は登る。
時には直線で。時にはジグザグと。
フッ! フッ! フッ!
姿を消しては現れ、そのたびにスピードを上げる。
「ヤバい! 逃げろ!」
次に『ラ・ヨローナ』が現れたのは──翔太の家の塀の上。
だが。
バチン──
『ヴゥアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
青白い六角の火花がはぜた。
たまらず、『ラ・ヨローナ』の身体が弾かれる。
(──結界か!)
結界に阻まれたのだ。
デルをも苦しめたあの悪霊。
だがここまでは入って来られない。
ならば、安心か──
そう思ったのと同時に。
「キャアアアアアアアアアアアアア!」
叫んだのは美優だった。
美優は、その場でへな、と腰を落としてしまった。
「む、むり……! ああいうのだけは、本当に……無理っ……!」
声が涙声になる。
翔太は一瞬、ぽかんとした。
──強い美優が、こんな風に震えるなんて。
その直後、翔太はハッとした。
そうだった……。
小学生の頃からだ。
美優の唯一の弱点。
──“幽霊”。
怪談嫌いは今も変わってないらしい。
小学生時代、林間学校の肝試しでも泣きながら逃げ出していた。
これにはクラス、いや学年全員が驚いた。
男子を泣かせるほど強い美優が泣く。
そんな珍しいことはない。
(まさか……克服したものとばかり──)
デルピュネー、しゃべる猫・シャパリュ。
これら化け物に、ほぼ驚かず順応した美優。
だが、“幽霊”だけはまだダメらしい。
美優の適応の資質の外にある。
美優は、子どもの頃と同じように翔太の脚にしがみつき、肩ごと小刻みに震えていた。
「いや……、いや……」
「美優、立て! 早く家の中へ!」
「う、動けないよ……」
この意外さに翔太も一瞬、動けない。
だが──
(──守れ。今度は、お前の番だ)
突如、翔太の中の自分がそう囁きかける。
(お前はいつまで守られているつもりだ? 守る側になろうと思わないのか?)
カッと胸が熱くなった。
ムッとした。
自分で、自分の声に。
そんなの思わないわけがないじゃないか!
(なら、今、お前がやれることは何だ?)
──うるさい。
分かってる。言われなくても!
胸の奥で、何かが“カチリ”と噛み合った。
翔太は美優を抱えて玄関へ向かう。
そのまま家の中へ匿った。
まずは視界から遠ざける。
幸い、あれは結界の中までは入れない。
ならば視界を切ってしまえば……。
──いや。違う。
(それだけじゃ、ダメだ……)
翔太の脳裏に、ある名が浮かんだ。
まずは時間稼ぎ。
そのために必要なこと。
それに最適な、その名。
そして口にする。
その者の名は──
「デルーーーーーーーーーーーーー!!」
思わず声が張り裂けた。
翔太の声と、まるで同時だった。
いつ外に出たのか。
デルピュネーは、まるで呼ばれる前から察していたかのように、夜空を切り裂いて飛来した。
「ブチかまし、まくりメキます!!」
槍を振りかざし、『ラ・ヨローナ』の目の前に着地する。
その勇姿に、翔太は勇気をもらう。
(よし、今のうちに美優を家の中へ……)
それを見届け、デルは『ラ・ヨローナ』を睨みつける。
目にも留まらぬ速さの一閃!
デルの槍が翡翠色に閃き、『ラ・ヨローナ』の胴が“紙を裂くように”断たれた。
空気すら遅れて割れる。
それほど速い一撃だった。
『ヴゥアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
だが、肉体が裂けた瞬間にはもう“次の姿”がそこにいた。
デルの攻撃を無効化するように、
白い女は、裂け目すら残さず元の形へと戻る。
黒い涙を流しながら。
両手を掲げながら。
デルピュネーにとって二度目の対戦。
だが、『ラ・ヨローナ』のこの“物理無効”を相手にしてもなお、デルピュネーの表情に「諦め」の文字はない。
攻撃を素早くかわしながら、再び槍を振るう。
今度は、『ラ・ヨローナ』の腹に大穴が空いた。
向こうの景色が見えた。
しかし。
また、『ラ・ヨローナ』の姿が消える。
現れる。
完全体に戻っている。
斬る、消える、“完全体”で現れる。
貫く、消える、“完全体”で現れる。
この三拍子が、延々と続く。
──“物理無効”。
それは強大な攻撃力を誇るデルピュネーには、天敵のような存在。
それでもなお、デルピュネーは攻撃の手を止めない。
分かっていても、前に出るのをやめない。
そこへ、美優をリビングに寝かせた翔太が戻ってきた。
デルピュネーの苦戦を、再び目の当たりにする。
(今のうちに……今のうちに俺ができるこ……!)
俺の中には太陽神ラーだっている。
その力が使えれば……。
だがどうすればいいんだ。
それに。
──『やめろ』
皆は翔太から、その「声が聞こえた」と言っていた。
翔太には聞こえなかった声だが。
その声の力が自分の中にあるのなら。
それを使えば……?
(美優は……美優は、俺が、守る!)
そう決心を固める翔太の背後から、ひょうひょうとした声が投げかけられた。
「いやあ〜、やってるやってる。……でもねぇ、翔太。逆なんだよ、逆」
シャパリュだ。
いつの間に、そこに……!
「なんか勘違いしてるよ、翔太。逆さ。アレの狙いは、美優じゃない」
「逆?」
シャパリュは、場違いなくらい軽い足取りで空中を“ぷかぷか”漂っていた。
そしてデルの戦闘を眺めながら、こう言った。
「あれの狙いは、君さ」
「お、俺……!?」
シャパリュはその翔太の声を無視する。
そして「見ちゃいられないや」と肩をすくめた。
「やっぱりねえ。デルも苦戦してるねえ。仕方ないことだけど」
あまりにも呑気な声。
もしかしたらシャパリュは、あの“白い女”の恐ろしさを知らないのかもしれない。
「そうは言うけど、あいつ、前もデルとの闘いで……」
言いかけた翔太の口元を、
シャパリュのぷにぷにした肉球が“むにっ”と塞いだ。
分かってる、というような顔で。
「ストップ、説明は僕がやるから」
まるで友人同士のような扱いで。
「なかなか倒せなかったんだろ? それに見れば分かる。デルのあの動き、あれは二戦目だね。そして苦戦……。まあ、そりゃあそうさ。相手がアレだからね。あんなタチの悪い悪霊が現れるなんて。『カスケード』でこっちに流れ着いた誰かのしわざかな?」
「知ってるのか?」
「ああ、知ってるさ」
シャパリュはどや顔をする。
「あれはね、中南米じゃ名の知れた悪霊さ。神の怒りを買って、自分の子どもを探して泣き歩く“永遠の母親”。人さらいなんて、彼女にとっては朝メシ前だよ」
シャパリュは軽く言う。
「そう。でも、彼女に“それ”をかけたのは、日本語で言う神々の一柱……『リリン』と僕たちが呼んでる者の誰かだ。僕たちと同じ、この『方舟』の住人のはず」
「『方舟』……って?」
あまりの話の展開に、翔太の理解が追いつかない。
「ああ、今の君には関係ない知識さ。忘れて。でも、今この水城市をじわじわ恐怖に陥れているのは、おそらくアイツ。案外、水城の人たちはのんびり屋さんだからね」
「じゃあ、今のこの市内の緊急事態も……それより『連続飛び降り事件』や『失踪事件』も。やっぱり、あいつが……?」
「いや、多分、違うね」
シャパリュは、ふるふると首を横に振った。
「全部が全部、そうとは限らない。少なくとも『失踪事件』の“真犯人”ではあるだろうけどね」
「じゃあ、あいつさえ完全に倒せば……」
「ね? だから……“倒せば万事解決”なんて、そんな単純な世界じゃないのさ」
シャパリュの声は軽い。
けれど──言葉の裏だけは、妙に重たかった。
「確かに、この水城じゃ、あまり危機感を抱いてない人のほうが多い。南国気質ってやつ? 楽観的というか、危機感が足りないっていうか……。でも、アレは“そこそこ”なんてレベルじゃ危険だ。何者かの使い魔として召喚された存在だと僕は思っている。それがこの水城で何かを起こそうとしている。放っておいていいことはない。このままじゃ“大被害”さ。みんなが警戒していない間に、とんでもないことが起きるよ、きっと」
「とんでもないこと?」
焦りが、そのまま言葉になる。
「それは、なんとかならないのか? デルでも無理なのか?」
「う~ん。デルが本気出したら、下手すりゃ街全体、廃墟だからなあ」
「じゃあ、俺の力はどうだ。きっと俺にでも出来ることはあるんだろ。あんな歪な魂……」
言っていて悲しくなる。
「いや。今の翔太じゃ無理だよ。それに、下手に覚醒されたら、君は僕たちの“敵”になる。『ラ・ヨローナ』より先に、デルと僕が君を殺さなきゃいけなくなる」
「そんな……」
──お前は、無力。
心の中で、そんな言葉が音を立てて落ちた。
「じゃあ……。それじゃあ、どうにもならないってことか。俺じゃ。何もできないのか、俺は」
「そうだね。今は、まあ、そうなるね」
「簡単に言って! じゃあお前はどうなんだ、シャパリュ。お前なら、この状況、ひっくり返せるのかよ」
「そうだよ」
「え?」
あまりにシンプルに言われてしまい、翔太は目を丸くする。
デルにも俺にも出来ないことが……
シャパリュには出来る?
「あ。その目は、さては信じてないね」
「い、いや。そ、そんなことないけど」
「……忘れたのかい? 僕が“英雄殺し”の“呪い”を操る怪物だってことを」
「それは、聞いた……」
「それは、聞いた……」
「なら分かるよね。つまり──アイツは、“僕の領域”ってことになる」
シャパリュは意味深に、にやあっと笑った。
「それにね、今は無力な君でも、いずれ“すべて”分かる時が来る。何か出来るようになる。……あ。でも、そんなことより、このままじゃこの辺一帯、デルが破壊し尽くしちゃいそうだね。本気を出そうか迷ってそうだ。それは困る。あまり目立ちたくはない。僕がやっつけちゃうしかないよね、これ」
「ちょっと待ってくれ。俺にも“すべて”が分かる? 何かができる? それって……」
「行ってくるね〜!」
シャパリュは翔太の質問をきれいに無視した。
バイバイとでも言うように尻尾を振って、戦場へと向かっていった──
◆ ◆ ◆
デルと『ラ・ヨローナ』の激しい戦闘は、今も続いている。
切り裂いても、突き刺しても、姿を消し、また再び完全体になって襲いかかってくる。
キリがない。
再び、デルピュネーが『ラ・ヨローナ』の首を落とした。
だが、消えるとまた無傷に。しかも別の場所に現れる。
それでもデルは諦めない。表情一つ変えず、頭上で槍を振り回す。
『ラ・ヨローナ』は姿を現しては消えを繰り返しながら、デルピュネーを翻弄する。
それでも、少しずつ『ラ・ヨローナ』が翔太の家から遠ざかっているのは事実だった。デルピュネーの猛攻に圧されているのだ。かつてゼウスを倒したと言われるギリシア神話最強の怪物テュポーン。そのテュポーンから力を認められた怪物がデルピュネーである。神話上の存在。悪霊ごときに遅れを取ることはない。
ただ、問題は“物理無効”の呪いだ。
再び、『ラ・ヨローナ』を串刺しにする。
だが、空中でその姿が消える。
そしてまた、デルピュネーの背後に無傷で現れる。
この繰り返し。
(やむを得ないかもしれません……)
デルがそう覚悟を決めかけた、その時だった。
そのループに、割って入ったものがいる。
「やあ」
シャパリュだ。
『ラ・ヨローナ』が再び姿を見せた、その目の前に、シャパリュが先回りしていた。
「君、ちょっとやりすぎだよ」
これには、さすがの『ラ・ヨローナ』もわずかに動きを止めた。
「先回りは想定外、といったところかい?」
シャパリュは余裕しゃくしゃくだ。
「君の特技は“物理攻撃無効”。デルピュネー級の斬撃も無効に出来る“呪い”って、割とすごいよね。誰か知らないけど、『リリン』の中でもかなり高位の存在の“呪い”だ」
『ラ・ヨローナ』は、喋っているシャパリュに強力な打撃を打ち込む。
だが、当たらない。
シャパリュは、ことごとく“すり抜けるように”かわしていく。
「ただね、“呪い”なら僕にも勝ち目があるんだよ。僕の“呪い”は、多くの者を倒し、恨みを溜め込んだ英雄たちの力でできている。この“呪い”はまた特殊でね、“呪い”に反作用を起こすことができるのさ。つまり、後天的に与えられた“呪い”なら、引き剥がすことができる」
それが耳に入ってないのか。
シャパリュの前から『ラ・ヨローナ』の姿が消える。
そして、一瞬でシャパリュの背後に回り、死角から狙う。
それを、ひょいと避ける。
「人の話は最後まで聞いたほうがいいよ」
避けただけでなく、彼女の顔に、自分の顔をすっと寄せた。
速さだけならデルピュネー級だ。
「その程度。速さも圧も、デルには届かない。君の武器は怪力と物理無効だけ。デルとは相性で勝負になっても、“呪い”持ちの僕相手じゃ──君は分が悪すぎ」
『ラ・ヨローナ』はシャパリュを振り払おうとする。
それも、風のように避ける。
「つまり、君は僕たちをなめすぎているのさ。僕がムカついているのは、そこのところだね。デルだって、敢えて実力を落として闘っている。そんなことにも気づかず、なんなの、その得意げな攻撃。そろそろ“分からせてあげる時間”……それが、今、訪れたのさ」
そこへ、あの熊のように振り下ろされる一撃──
だがシャパリュは、ピンクの肉球で「ちょん」と受け止めた。
火花だけが散り、『ラ・ヨローナ』の方が吹き飛ばされる。
「もう、せっかちだなあ」
瞬間、シャパリュの目が、ぎらりと光った。
「僕が、君の“呪い”を一瞬だけ、解いてあげる。デルが覚醒する前にね。そして、こっちの方が君にとっては“まだ”幸せな結果となる」
シャパリュは前脚と後ろ脚を、バッと大きく広げた。
「あ、そっか。そう言えば、まだ名乗ってなかったね。僕は君の“呪い”を解く者……その名はシャパリュ。よっろっしっくねーーーーーーーーーーー♪」
突如、その背後から二十、いや三十以上の“影の尾”が伸びた。
これが、一斉に『ラ・ヨローナ』へ噛みついていく。
避けられない。
体中を食らいつかれ、『ラ・ヨローナ』が、ついに悲鳴を上げる。
「どうだい? 英雄の怨嗟を編んだ黒蛇たちに捕まった気持ちは? でも、これだけじゃ終わらせないよ。君には、もっと手痛いお仕置きが必要だからね。さあ、覚悟はいいかい? じゃあ、行っくよ〜!」
『ラ・ヨローナ』
「良さそうかも」「続き読みたい」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします。
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、さらに良いアイデアが湧くかもしれません。
ぜひよろしくお願いします!




