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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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第37話 心霊探偵・瑚桃④

第37話


『ヴアァアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 空洞を抜ける風のうなりが、耳の奥で何度も跳ね返り、声が凍りつく。

 喉笛へ迫る黒い口腔──。

 瑚桃こももは“死ぬ”と理解した瞬間でさえ、声ひとつ出せなかった。


 胸の奥で、心臓だけが自分の意志とは無関係に暴れていた。


 こんな終わり方、想像したこともなかった。

 事故や病気、老衰──死というものは、もっと“順番”を踏むものだと思っていた。


 だが水城市では、その順番が平然とねじ曲がる……。


 死の直前には走馬灯がよぎる──そう聞いたことがある。

 だが瑚桃こももの脳裏に浮かんだのは。


(センパイ……)


 幼い日の北藤翔太ほくとうしょうたの、不器用で優しい笑顔だった。

 その笑顔が、瑚桃はたまらなく好きだった。

 あの頃、翔太は傷を作っていても、必ず笑ってくれた。

 だが再び四年ぶりに会った時にはあまり笑わない少年になってしまっていた。


(もう一度、センパイに会いたかったなあ、あの笑顔、見せてもらいたかったなあ)


 瑚桃がどれだけしつこく絡んでも、翔太はいつも正面から受け止めてくれた。

 困った顔をしながらも、必ず返してくれた。


 だからこそ──叱られたあの言葉さえ、瑚桃には宝物だった。


 ここへ来る前、センパイは「ふざけるな」と叱ってくれた。

 アタシの身の心配をしてくれた。それはきっと。


 ──ちゃんと、アタシのことを見ていてくれているから。


(センパイの言う事、ちゃんと聞かなかったから天罰が下ったのかな……)


 恐い。けれど今はそれ以上に──

 “もう二度と、あの笑顔が見られない”ことの方が、胸を締めつけた。


 生きることを諦める。「死」と「痛み」を受け入れる。

 その覚悟をした瑚桃こももが次に見たのは。


 ぱちんっ──!


 空気が跳ねるような音とともに、円形の光がまばゆく咲いた。


「え……!?」


 瑚桃こももと”泣く女”、その紙ほどしかない隙間に突如、エメラルドグリーンの魔法陣がひらりと咲いたのだ。


 この衝撃に、”泣く女”の体は、十メートルは吹き飛ばされた。


(何、今度は何が起こるの……!?)


 そんな瑚桃こももが見たものは……。


 魔法陣からまず現れたのは、宝石をあしらった槍の切っ先。

 次に、小さな手。白銀の長髪。エメラルドの瞳。

 あどけなさの残る顔立ちの、メイド姿の少女──デルピュネー。

 光の揺らぎの中で、彼女だけが“重さを持って”降り立つ。

 

 と、同時に。


「瑚桃ォーーーーーーーーーーッ!」


 街の方から、聞き慣れた声が裂くように届く。

 白い線を描くヘッドライト。こちらへ向かってくる自転車の影。

 それは──


「センパイ……!?」


 センパイ……つまり、北藤翔太ほくとうしょうただった。


 翔太は”泣く女”とデルの脇を疾走で抜け、瑚桃の直前で急停止。

 その勢いのまま自転車を投げ、膝で路面をすりながら瑚桃を抱きとめる。


 あたたかい腕に触れた瞬間、世界がやっと元の色を取り戻した。

 

「センパイ! センパイ! センパイ! センパイッ!!」

「大丈夫か! 瑚桃こもも!」

「センパイ……、センパイ……嘘、嘘じゃないよね」

「嘘じゃない! 俺だ!」

「センパイ……! センパイ……ッ!」


 瑚桃は翔太にしがみつき、子どものように泣き出した。

 翔太の胸板に頬が触れる。汗と柔軟剤の匂い──“生きている匂い”だ。


 翔太は兄のように瑚桃の頭をなでる。


「相変わらず世話が焼けるな、お前は」


 その声に、瑚桃の涙はさらにあふれた。

 震える指先さえ包んでくれる、その大きな手が恋しかった。


 まるで子どものように大声をあげてわんわんと泣く。

 その胸に顔をうずめて泣く瑚桃。あったかい。そして、すごく優しい筋肉の硬さがある。


 ◆   ◆   ◆


 実は。

 この場に現れたのは翔太とデルピュネーだけではない。


 ツツジの茂み。その影から二つの影が、静かに様子をうかがっていた。


 国際魔術会議ユニマコン──

 大熊英治と、その部下の高木英人。

 ”666の獣”=『反キリスト』を追うエージェントである。


「大熊さん……あれは……!?」

「ああ。どこか異国の悪霊だな」


 深夜。翔太が自転車で出ていくのを見て、二人は車で尾行していたのだ。


 高木は腰の武具を伸ばし、青白い紋が走るこんへと変化させる。


「行きますか?」

「いや、まだだ。観測を優先する」

「いや。人間だけでも助けたほうが……」


 大熊は目を細めた。


「まあまあ。そう慌てなさんな。これだから若いもんは……」


 大熊の声が一段と落ちる。


「あの北藤神父の息子が……クロかシロか。これは、それを確かめる結構な好機だと思わないか……?」

「……………!」


 高木はその”声”に圧されて固まってしまう──


 ◆   ◆   ◆


 魔法陣の衝撃で十メートルも吹き飛ばされた“泣く女”は、

 地面を転がりながらも、傷ひとつ負っていなかった。

 白いベールの奥から、濡れた髪を揺らしながら、ゆっくりと起き上がる。


 その細い体を、震えが小刻みに走る。

 いや──震えではなく、怒りそのものだった。


 輪郭にはデジタルのバグのようなノイズが走り、

 身体が二重にも三重にもぶれて見えるほどの高速振動。

 “泣く女”の怒りが、空気にすら裂け目を作り始めていた。


 地面の砂だけが先に彼女の震動に反応し、小さく跳ねていた。


 “泣く女”の前に、デルピュネーがすっと立ちふさがる。

 槍の切っ先が月光を裂き、エメラルドの瞳が妖しく輝いた。


「どこかの悪霊風情……」


 デルピュネーは微動だにしない声で続ける。


「テュポーン様に認められたわたくしに、勝てるとお思いですか?」


 風が止まった。二体の間だけ、時間が張りつめる。


 対峙する。

 ギリシア神話の妖獣デルピュネーと、

 中南米に名を轟かせる“泣く女”──。

 異界同士の怪異が、夜道を挟んで真正面から向き合った。


 刹那、空気が止まる。


「──ッ!」


 踏み切りは同時。

 デルの雄叫び、路面を蹴る衝撃、跳ねる砂、震えるガードレール。

 殺意の奔流ほんりゅうが夜を裂いた。


 一歩早く、デルピュネーの一撃が”泣く女”を貫かんとする。


 デルの槍は、確かに“泣く女”の心臓を貫くはずだった。

 だが、刃は何もない空を裂いた。


 姿が──消えた。


 いや、違う。

 デルの右斜後方。死角。

 “こちらを向いた視線だけ”が、空気より早く届いた。


(瞬間移動……ですか……)


 ベールで顔を隠し、白い異国の服を着たか細い体。

 白い異国衣装が風を裂き、ベールの奥から冷たい唸りが漏れる。

 次の瞬間、嵐のような豪腕がデルに叩きおろされた。


「な………!」


 デルですら目を見張る怪力。

 槍で受け止めても、衝撃は殺しきれず、ガードレールへ弾き飛ばされる。

 鉄が歪む重音とともに、デルの身体は崖際まで押し出された。


「なるほど」


 それでもデルは無表情のまま立ちあがり、槍を構え直した。

 まるで想定内とでも言っているかのような、落ち着きぶりだった。


 そしてその”落ち着き”は、決して虚勢きょせいではないことはすぐ分かる。

 デルピュネーの速度が、また急激に上がったのだ。


 だがそれでも刃は何度も空を切り、そのたびに白い影は消える。

 デルが周囲へ目を走らせるたび、夜は沈黙だけを返す。


「なかなかに面倒ですね」


 目を閉じ、気配を読み取る。

 波が──止まる。

 “泣く女”が出現する瞬間だけ、海からの砕波音が無音の直線になる。


 その刹那。あらぬ方向から”泣く女”の豪腕が振り下ろされた。

 デルピュネーは今度はしっかりと槍の柄で受け止める。


 即座に反撃へ。だが、またしても”泣く女”は姿を消す。

 デルピュネーが様子を窺う。

 再び”泣く女”が襲う。

 超高速で繰り返す。

 現れては消え、消えては現れのいたちごっこ。


 人間の目には、舞い散る火花しか見えないだろうこのスピード。


 そして、


 翔太が瑚桃を抱き寄せた瞬間だけ、

 微細な砕波が戻る──


(いま翔太さまの魂から……波動が……?)


 デルの眉がかすかに動いた。


「……のんびりしていられません。力をほんの少し、解放します」


 デルは風を残して姿を消し、“泣く女”の消失タイミングすら追い越す速度で間合いを詰めた。

 槍が薙ぎ払う──


 ぶん、と空気が裂け、

 “泣く女”の腕が夜空へ回転しながら舞い上がる。


 勝利の手応え──

 そのはずだった。


 だが”泣く女”は片腕を失ったまま、再び姿を消してしまった。

 そして次に気配とともに現れた先では。


 ──切断された腕が“元通り”だった。


(物理が……効かない?)


 脚も断つ。

 だが、再度の出現ではまた再生されている。


(……やはり。“死ねない”系統)


 デルは理解する。


(この女の正体はおそらく、『ラ・ヨローナ』ですね)


 中南米でその名が知られる『ラ・ヨローナ』……意味は”泣く女”。

 彼女が、神からかけられた呪い──


 それは“物理的な死は許さない”。


 デルピュネーの基本は物理攻撃だ。

 そうなると。


(相性は最悪です)

 

 そう思いつつも、まったく怯む様子がないデルピュネー。

 だが、そのほんの少しの”思案の時間”が『ラ・ヨローナ』にとっては十分な隙となった。


 “泣く女”の白い手が、闇を裂いて伸びる。

 デルピュネーの銀髪が、鷲掴みにされる。

 デルのスピードが一瞬、封じられる。


 夜が、一瞬だけ沈黙した。


 そして。

 振り返る暇すら与えず、

 熊が獲物を砕くような剛腕が、


 デルの顔面へと叩きつけられる──!

「良さそうかも」「続き読みたい」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします。


していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、さらに良いアイデアが湧くかもしれません。


ぜひよろしくお願いします!

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