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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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第36話 心霊探偵・瑚桃③

第36話


「よし! 次いこー、次!」

「今日はとことん飲むぞ~!」


 ──ドンッ。


「あ、わっ……」

「ごめんね、お嬢ちゃん!」

「ケンカ~? 仲良くしなよ~」


 アルコールとタバコの匂いが、ふっと鼻を刺す。

 同時に、頭の奥で“ブツッ”と何かが切れた。

 色が戻る。音が戻る。


(……アタシ、今、なにしてた?)


 瑚桃が正気を取り戻したのが分かったのだろう。


「……チッ」


 フードの男がこれを一瞥いちべつする。その視線が冷たい。

 そのまま、くるりと背を向ける。


 酔っ払いの笑い声にまぎれ、その背中が光に溶けていった。

 それでも視界の中心だけは、手招きの残像みたいに揺れている。


(……待って)


 気づけば、走り出していた。

 

 フードの男が入ったメイン通りに戻る。

 家を出て、もう一時間──

 ……のはずの数字が、二分だけ逆流して、また進んだ。


(え……なに、これ)


 違和感はあるのに、心だけが前へ引かれて、脚が時計みたいに勝手に時を刻みはじめる。

 一方で、フードの男は人混みにまぎれ、ゆっくりと消えていく。


(あの人……ついて来いって言ってる……の?)


 さっき、男の片目を見た時、明らかに自分は意識を失いかけていた。

 さらには突然、脳裏に浮かんだ白いベールと白い服の女性。


 ──今、思えば、この時に繁華街入口の交番へ駆け込めば良かったのに。


 でも、また脳裏に「薄膜」がかかる。

「追う」以外の意識が、風にあおられた雲みたいに霧散していく。


 まるで操られているみたいに、スニーカーがアスファルトを蹴る。


 すぐにメイン通り・一番街を抜け、右を見る。

 五又交差点の大通りへ向かう道。


 ──あのグレーのパーカーの背中が、ある。


 後頭部の内側で小さな耳鳴り。男が一歩進むたび、ピタリと止む。

 周辺視野だけが薄暗く、中心だけが薄く明るい。

「そこだけ見ろ」と誰かに指示されているみたいだ。


(正体を……突き止めなきゃ……)


 瑚桃はフードの男の後をつけていく。

 それが自分の意志か、誰かに従わされているのか、この時の瑚桃に知る由もない。


 ◆   ◆   ◆


(もう! このうら若き美少女に、どこまで歩かせるつもり……!)


 あれから三十分は歩いたはず。

 でも、時間を考えようとすると、意識がすぐモヤに隠れる。


(……や、やっぱちょっと怖い。けど──目を離してはいけない気がする……)


 男は造船所を通り過ぎ、諏訪崎すわざきの方へと向かう。

 瑚桃こももも着いていく。


 諏訪崎すわざきは、昼なら海とツツジの名所。

 リアス式の海岸線。その急カーブが美しく、海がきらめく絶景コース。

 海腹のきらめきや春の青空とのコントラストで、心癒される光景になる。


 ──でも、この時間は別物。街灯は点々、民家は消え、海の黒が近い。


「昔、海で溺れた女性が、電話ボックスで助けを求めてたのを見た」


 ……そんな怪談もある、いわゆる肝試しスポット。


 小学生の遠足では、ツツジの奥で野いちごを摘んだ。

 今は、その赤も白も、闇の“目”に見える。


 同じ方向に、数人。歩幅も呼吸も、ぴったり同じ。

 足音は複数なのに、返ってくる反響は“一つ”。

 気づいた瞬間、背筋が冷えた。

 自販機が一度だけ明滅。風はないのに、首筋だけ冷たい。


(あ、あの人たち、こんな時間に、諏訪崎の方へ……?)


 この先には、もう民家はほとんどない。


(……でも、止まれない。止まるなって言われてる……)


 ──周辺視野がドーナツみたいに薄暗く、中心だけが白い。


 ◆   ◆   ◆


挿絵(By みてみん)

昼間の諏訪崎

【写真】八幡浜市 移住・定住支援ポータルサイトより

(https://yawatahama-iju.com/news/5422/)


 ◆   ◆   ◆


 昼と夜とでは、こんなにも光景も雰囲気も変わるものなのか……。

 前方を行く集団が、さらにこの不気味さを増す。

 ここが怪談スポットであることが脳裏をかすめる。

 それなのに、やはり瑚桃の脚は止まらない。

 その時だった。


「やあ、僕、ちょっと抜けてるところがあるから、まったく気づかずにいたよ」


 不意に前方から話しかけられ、瑚桃は飛び上がった。

 いつの間にか、フードの男が、こちらを振り返っていた。


「すぐ後ろにいたんだね。あ……なるほど。幻視の影につられたか」


 共に歩いていた人たちは、立ち止まったフード男を置いて、どんどん先へと歩を進めていく。

 そして闇に呑まれていく。

 マスクの下で、男の顔が笑ったような気がした。


「心配ないよ。僕は“友達”を集めてるだけだから」


(友達……? さっきの人たちのこと?)


「それにしても君は、とても勇気がある子だね。僕はすごく気に入ったよ」

「友達?」

「そうさ」

「先に行った人たち?」

「ご名答」


 フードの男は言った。前を歩く人の群れはカーブを曲がり、見えなくなっていく。


「な~る。そっかそっか……アタシにも、ちょっと見えてきた」


 一瞬、瑚桃こももの危機意識が復活した。

 あまりにも強まった警戒心で、意識の霧を吹き飛ばされたのだ。


「……あんた、だよね!」


 指を突きつける。


「うちの細見ほそみくん、連れてった。ほかの失踪も、そうでしょ」 

「細見くん……?」

「他にいろんな人たちが行方不明になってるってのも、あんたの仕業でしょ!」

「あ~……。あの中学生男子のこと? さあどうかな。こんな僕が、そんなことできると思う?」

「……殺したの?」


 とぼけてはいるが、瑚桃は確信している。

 そう言いながら、サーマルのパンツのポケットに入れてあるスマホを手に取ろうとする。


 ――警察に、連絡しなきゃ……


「ひどいな、それ」


 フードの男は心外だというような大きなジェスチャーをした。


「全部が全部、僕がやったことじゃないぜ」


 男は肩をすくめる。


「全部?」

「僕がやろうとしているのは、単に友達作りさ。さっきも言っただろ? ……今、殺したりしてるのは別のヤツ。……でもまあ、それも僕の友達なんだけど」


 フードの男はそう言いながら、瑚桃に近づこうとする。


「動かないで!」


 瑚桃はスマホの緊急SOSのスライドに親指を掛けた。


「動いたら、今すぐここで110番するんだからね!」


 そしてスマホを印籠のように突き出す。

 すでにエマージェンシーモード。

 だが。


(あ、あれ……?)

 

 ……鳴らない。圏外じゃない。汗でもない。

 男の片目が鼓動に合わせて瞬くたび、親指が一ミリ止まる。

 端末が一度だけ微振動し、指が勝手に止められる。


(なにこれ……やだ、指、動かない)


 フードの男は、大声で笑い始めた。


「いやあ、さすがさすが。すごいね。この状況で意識がせめぎ合ってる」

「な、なんなの!? 何が起こってんの!?」

「悪い悪い」


 男はいかにも愉快そうに言った。


「もっと早く、こっそり呼ぶべきだったね。警察を呼ぶなら。なのに君は、僕と“会話”をしてしまった。これが失敗。大ミスなんだ。だって、さっき掛けた魔術の残り香、濃くしておいたから。気づかなかった? ……ああ。そこまでの敏感さはないか。だって君は普通の子よりちょっとだけ、自制心が強いっ、てだけだね」


(”魔術”……?)


 その言葉が引っかかった。

 一気に心がざわついた。

 同時に。

 この時に湧いた恐怖が、意識内の霧を再び活性化させる。

 瑚桃こももの正常な判断を鈍らせる。

 男が喋るたび、頭の内側で透明なフィルムがパリ…パリ…と細かくひびが入る。

 だが、すぐ自己修復する。

 この繰り返し……

 気持ち悪くなる。



 ダメっ……!



 動かない指に逆らい、瑚桃は必死に画面を滑らせた。

 その瞬間。


 ──くすっ。


 足元から小さな笑い声がする。

 冷たい指がアキレス腱をなぞる。

 ぞッとして思わず、足元に目をやる。


 そこには。


 ――アスファルトの継ぎ目が、ゆっくり割れた。

 黒い髪が、泥水みたいににじむ。

 白い手。爪の間で砂がきしむ。


「や、やだ……やだやだ……」


 声が震えた。

 次の瞬間、その冷たい手に足首を掴まれた。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 たまらず悲鳴を上げた。

 濡れた髪の生臭さが、のどの裏に貼りつく。


 さらにガンッ! と見えない力で足を引かれ、反動でスマホが跳ねた。


 乾いた音を立ててスマホがアスファルトの上を回りながら滑る。

 フードの男はおかしくて仕方がないという風に笑った。


「いやあ、本当にありがとうね。君の方からここまで来てくれて。手間が省けたよ」


 冷たい両手が、交互に脚をのぼる。

 足首→ふくらはぎ→膝裏の腱──。

 頭が出た。

 白いベール。白い異国の衣。


(この人……)


 あの繁華街の路地の女。

 それ《・・》が、路面から“生えて”くる。

 肩まで到達。

 くるり、と体を返され、正面から向き合わされる。

 瑚桃は白い女と、正面で相まみえた。


「あ……あ……」


 ガタガタと震えながら、言葉にならない声を漏らしてしまう。

 白い女はゆらゆらと揺れている。

 怖くて自然に涙が溢れてしまう。

 白い女は瑚桃の肩から手を離した。

 遠くの波音が急に平らになった気がした。


 フードの男が、微笑んだ。


「……泣く女さ」


 その声が低く湿る。


「子を失った母親の泣き声を、海が今でも覚えている」


 白い女の肩が震えた。


「彼女はね、メキシコの小さな村に住んでいたんだ。そしてある日、村へやって来た裕福な男性と恋に落ちて結婚した」


 瑚桃はその白い女から目が離せない。


「やがて二人のあいだには子どもが二人、生まれた。でも、旦那がひどいヤツで、浮気を繰り返したらしいんだ。彼女はそれに怒り狂った。その怒りに任せて、子どもを川で溺死させてしまった。……我に返った彼女は、慌てて子どもたちを助けようとした。だが手遅れだった」


 白い女は無表情のまま、じっと、瑚桃の目を見る。


「彼女は深い悲しみに襲われた。そして自らも川に身投げをして命を絶った。だけどね、彼女は神の罰を受けてしまったんだ。亡霊として蘇り、永遠に、泣きながら子どもたちの魂を求めて彷徨う悪霊にされてしまった」


 風が逆さに吹き上がる。

 ベールが舞い上がり、その奥に、黒一色の眼球が覗いた。


「結果、遭遇した人間を、亡き子どもたちの身代わりとして連れ去ってしまう悪霊となった。子を失って、他人の子で穴を埋める泣く女。人はこの亡霊をラ・ヨローナと呼ぶようになった」


 そして瑚桃は、見た。


 その目から、黒い涙が流れるのを。

 焼けた鉄の匂いが、鼻を刺した。

 そして口が開く──縦に。











『ヴアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』











 乳児の泣き声と空洞を風が抜ける笛鳴りが重なり、夜を裂く。

 髪が浮く。空気が後ろへ流れる。

 街灯の光がひとつ、すっと痩せた。

 黒い口の奥へ、夜そのものが吸い込まれていく。

 次の瞬間、白が跳ぶ──


 “泣く女”は、目にも止まらぬ速さで瑚桃へ襲いかかった!

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