第35話 心霊探偵・瑚桃②
第35話
カラオケ屋のネオンが瞬き、その隣では落語の劇場が人を待っている。
おでん屋の湯気がネオンに溶け、甘いお出汁の匂いが足もとにまとわりつく。
「危なかった~」瑚桃は小声で笑って、スニーカーの踵をコツ、と一度だけ鳴らした。
22:30。失踪したクラスメイト探しの探索……
本命はフェリー乗り場だったが、警らの青い回転灯が波の端に規則正しく反射していて、心構えの軽い“探偵ごっこ”にはまぶしすぎた。
デニムの袖口をひと折り。胸もとで防犯ブザーを一度だけ確かめる
(カチ)
「はい、撤退~。大人怖い~」
そう言って、彼女は次の候補の繁華街にコース変更する。
だけども、いいこともあった。
ライトアップされた波止場がぼんやりとする。遠目にも幻想的で美しかったのだ。
夕方から夜にかけて、そのフェリーターミナルがデートスポットとなるのは納得だ。暗闇に呑まれそうな海腹をライトがゆらゆらと照らす、その非現実感と言ったら……!
(でも、ちょっと遠回りになっちゃった)
そして2番目の候補だった繁華街へ。
ここ、『水城一番街』は水城市の中で唯一の歓楽街で、星城学園の大学生が主な客だ。この先をもっと深く入った二番街は、港町らしく、漁師や農家ら、おじさん達が集うスナックやクラブが所狭しと並び、いつも賑わっている。
だが、さすがに『高校生集団飛び降り事件』『連続失踪事件』があったからだろう。
いつもよりは人通りが少ない。
それでもホッとする瑚桃だった。
(これだけ人がいたら大丈夫だよね)
瑚桃は道行く人たちの顔をちらちらと伺いながら、そして路地にも目を配りながら、注意深く歩いていく。
まるで探偵ごっこ。
自分でも子どもっぽいと分かっていたが、構わない。すでに暴走を始めた好奇心は止まらない。瑚桃は、そんな自分が、それでも大好きだ。だが。
(もう二十五分……。そろそろ引き返さなきゃ。でも、あと五分だけ……)
そう言い訳して、一歩だけ前に出る。いつも、それが“冒険”のはじまりだった。
──と、突然、その腕を掴まれた。
(じ、事件……!?)
一気に現実感が戻り心臓が跳ね上がる。
だがそれは単なる、二人連れの酔っ払いの大学生のようだった。
「お姉さん、ちょっとだけ付き合ってよ」
「俺らちょっと、会うはずだった女の子たちにドタキャンされて、超寂しいんだよね~」
ナンパだ。今この町で起こっている事件のことなんて興味ない、といった警戒感がゆるみ切った雰囲気。まあ、自分も人のことは言えないが……。
「ねえねえ。いいでしょ。お姉さん、ヒマなら──」
その軽い声が、夜の湿気の中でやけに粘ついていた。
瑚桃はにこりと作り笑いを作った。
「未成年です」
「え……?」
「条例、読みます?」
言いながら、前髪クリップを“ぱち”と戻す。笑顔は柔らかいのに目だけが笑ってない。
大学生二人は「どうする……?」とでも言うかのように顔を見合わせる。
それを見逃す瑚桃じゃない。
(どうするもこうするもないーっつーの)
なので。
「すみません。お兄さんたち犯罪者にしたくないので、それじゃね~♪」
瑚桃は踵を内側に切り、手首をくるりと返す──家庭科で縫い針を避ける時の要領だ。
そのままダッシュ! 脚の速さには自信がある。
雑踏の中、息を切らして逃げる瑚桃。
二十数メートルで角の自販機にぴたりと立ち止まり、はぁはぁと胸を上下させた。
「……はぁ~、面倒くさっ!」
自販機のガラスにうつる自分へ、両頬をぺちぺちとする。
(探偵には危険がつきものっていうけど、アレはないわ、ウケる)
もちろん本音では全然、ウケてない。
(……て、いうか、乙女だからこその危険? 貞操の危機? 何、あの頭、ピザポテト詰まってます~みたいなノリ)
ちなみに瑚桃はポテチはピザポテトより、ノーマルうすしお派だった。
(ナンパスキル低すぎ。もうちょいRPGで鍛えて出直しなよ。ていうか、あのノリでよく社会出られるよね。社会、優しすぎん? こちとら中学生だっつーの。その上、人を「チョロイン」みたいに扱ってあれ、どーなの。ああ、もう、時代クソバグってるかと思った。意図せずタイムリープして、マーティ・マクフライみたいに未来をクソ変えるところだった。あまりのショックで異世界転生するところだった。悪徳令嬢に生まれ変わってイケメンたちに溺愛されるかと思った。一瞬、女神様さま見えた)
チョロインとは、主人公にすぐ惚れる“チョロいヒロイン”のこと。そして中学生にして瑚桃の最も愛する映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だった。
(マジ萎えるわーないわー)
あんなヤツら、デロリアンにひかれて死んでしまえ!
……と、言いながら、(そんな大人っぽく見えるのかな)――その部分だけはほんのり嬉しい。
でもまた時間を無駄にしてしまった。時計を見ると、もう家を出て35分……。
結局、この繁華街も特に怪しい様子はない。街を歩く人は皆、陽気だし、こうこうと街灯もともっている。あてが外れた……こんな場所に事件のヒントなんて転がってるわけなんてない。
ママに怒られる前に帰るか、と思った、その時だった。
路地の口に、ラーメン屋の赤提灯。その先。瑚桃はそこで、この場には似つかわしくない、白い人影を見た。
「え?」
ワンピースなのだろうかドレスなのだろうか。
日本、というより、どこか外国の、しかも一時代前のような服装をした女性。
頭から白いベールをかぶっており、顔が見えない。
濡れたアスファルトにネオンが縞を描き、その上を白い裾が音もなく滑った。
風は止んでいるのに、髪だけが頬をかすめた。空気がなんだか湿っぽい気がした。
(……何?)
時間は気になる。(う~ん、どうしよどうしよ)……だが一瞬で、好奇心が勝った。(ま。なんとか言い訳できるっしょ。友達と長話しちゃった~とか)
無計画にもほどがあるが、とにかく瑚桃は即座に、その路地に入り込む。
そして白い女性が横切った角の先を見やる。……が。
(あれ? 誰も……いない……?)
確かに、見た。
でも、いない。
突然、消え失せたかのように。
瑚桃は頭をかしげながらも、その白い女性が進んでいったであろう方向へと路地の深みに足を踏み入れる。
すると。
(うそ……!?)
今度は、少し先の十字路を、同じ白い女性が“滑る”ように通り過ぎた。
まるで瞬間移動。
(どうなってるの……!?)
瑚桃は、その女性が横切った場所へ走る。
そして角から頭だけ出した。
その女は次の角を左に、繁華街のメイン通りの方へ。
(よし、今度こそ……!)
ところが角を曲がった時に見えたのは……。
女ではない。グレーのパーカーを頭からかぶった男の背中だった。
「……あれ?」
その瑚桃の声に、前を歩いていたパーカーの男が振り向いた。
「何?」
とその男が言った。
マスクをし、フードを深くかぶっているため、顔がよく見えない。
「何? なんか用?」
「え、いやあ、あの」
瑚桃は慌てて言い訳を始めた。
「ごめんなさい。ちょっと、なんか知り合いっぽっていうか? どっかで見たことあるな~っていう白い服を着た女の人を見かけちゃって、声をかけようと追いかけてたから、つい……」
身振り手振りで、アセアセしながら適当なことを言う。
だが。
「白い服の女?」
その瞬間、空気が“裏返った”ように静まった。
周囲の音が全部吸い取られたみたいに、雑踏が少しだけ遠のく。
「おかしいな。僕はどう見ても男だし、白い服も着ていない。どうしてそれを見間違えるかな」
片手はポケットのまま、距離だけ詰めてくる。
「君、高校生? 見ない顔だけど。もしかして星城学園の生徒じゃない?」
「いや、あの……」
中等部です! とは言えない。
というか、この人。
(ヤバい……)
それは本能からの警告だった。
そしてその警告は現実のものとなる。
「痛ッ!」
突然、ものすごい早さで、男は瑚桃の手首を握った。
そして、ひねり上げてくる。
「ちょっと詳しく聞かせてもらおうか」
とんでもない握力だった。ギリギリと手首を締めつけられる。
「いや、違います! ごめんなさい、違う、間違っちゃっただけ!」
「いいから来い」
「ちょっと、痛い……」
その時、フードから片目だけが見えた。
その目に自分の目を射抜かれた瞬間、瑚桃の脳裏にとある映像が浮かんだ。
◆ ◆ ◆
そこは薄暗い、どこか南国っぽい森の中。
女性。頭から白いベール。顔はそのベール越しにうっすらと見える。
だが、おぼろげな輪郭しか分からない。そして、“あの”白い服──。
◆ ◆ ◆
思考の輪郭が、霧でふちどられたみたいに溶けていく。
まばたきのたびに、世界がコマ送りになる。
音が“順番を間違える”。サイレンが角を曲がっても、距離が変わらない。
「……来てくれるね」
その声に。声色に。
奥手で、素直な自分だった──そんな“昔の自分”が、誰かに撫でられた気がした。
ほんの一瞬だけ、マスクの内側に“笑顔”が見えた──気がした。
瑚桃は頷いていた。
防犯ブザーからは、いつしか、親指が滑り落ちた。
(なんで、頷いたんだろ……)
その意識にも薄くて白いベールが巻かれる。
瑚桃の脚が一歩、フードの男に歩み寄り――
瑚桃が繁華街で見かけた“白い女”
キャラクター名「ラ・ヨローナ」




