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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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第27話 格闘術・シラット

第27話

 

 翔太は不良たちの前に、静かに立った。

 見ていられなかった──それだけの理由で、体が動いた。


 その背後には栗落花淳つゆりじゅん


 胸の奥で、幼いころの靴音が一瞬よみがえる。

 逃げる足、地面の冷たさ。誰も助けてくれなかった校庭。

 立ったはいいが、脳裏がざわめいた。やかましいほどに。

 翔太はそのざわつきを、数を数えるようにして一つずつ沈めていった。


(大丈夫だ、イケる……はず)


 だがまず、翔太が足を向けたのは淳へ、だった。


「立てるか?」


 そう手を差し伸べる。

 淳はその手を取り、翔太の肩を貸してもらいながら立ち上がった。


「う、うん」


 翔太が拳を入れた不良はピクリとも動かない。


 その時、翔太のスマホが震えた。


 非通知──。


 おそらくデルピュネーだろう。

 翔太は通話ボタンをタップする。


「もしもし」

『デルでございます』


(やっぱりな)


 思ったとおりだ。


『翔太様、問題ございませんか? 場合によっては助太刀いたしますが?』


 どうやらまた肉体をアストラル化して近くで見守っているらしい。仕事熱心なことだ。翔太は手短に答えた。


「大丈夫だよ、デル。これはデルの出番じゃない」

 一拍おいて、低く続ける。

「……俺の“領分”だから」

『ですが……』


 言葉を切るように通話を閉じ、ポケットへ戻す。喉の奥で固く結んだ言葉を、自分に向けて繰り返す。


(これは、俺の──)


「これは、俺の問題だッ!!」


 そんな翔太へ威圧的な言葉が放たれた。


「思い出したぜぇ。お前、北藤ほくとうだろぉ」


 その口調を聞いた瞬間、胃の奥が冷たくなった。

 忘れたはずの名前が、刃のように戻ってくる。


「身長があまりにも違うから最初、分からなかったよぉ。俺がわかるかぁ?」


 翔太は改めてその顔を見る。

 声変わりはしているが間違いない。


 ──覚えている。


 小学生時代。


 翔太をイジメていた先輩の一人だ。名前は確か。

 ──金子かねこ


金子かねこだよ、金子宏樹かねこひろき

「金子センパイですよね。お久しぶりです」

「やあ、こんにちは、イジメられっこの北藤くん」


 金子はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「お前、中学に上がる前に転校しなかったっけ? 戻ってきてたのか」

「……」


 翔太は沈黙で答えた。

 金子は拳をボキボキと鳴らしながら近づいてくる。


「不意打ちにしてはよくやったというべきだろうが、そんなんハッタリにもならねえぞ」

「……」

「お前、弱かったよなぁ。なんだっけ? なんとかっつー格闘技やってたわりには、一打一打がハエが止まったぐらいにショボくてよ」


 金子は小学生時代から柔道を習っていた。


 当時から体は大きい方だったが、高校三年生になった今はさらに大きく、ゴツく、身長は190センチほどあるように見える。


 体型はまるで鉄の弁当箱のようだった。

 四角く、分厚く、まるで人間というより装甲の塊。

 あの装甲の中には筋肉がぎちぎちに詰まっているのだろう。


「まあ、あの頃から逃げ足だけは早かったからな。すばしこくて。だが捕まえてしまえばどうってことない」


 金子は柔道の構えを取る。


「イジメられっ子は、イジメられっ子と仲良くぅ……」


 金子の脚に力が入ったのが分かった。


「ふたりまとめて、お仕置きだあぁぁぁああああっ!!」


 その巨躯きょくに似合わず、金子の動きは恐ろしく早かった。

 柔道選手特有の、一瞬の突進力だ。

 靴底が屋上の床を鳴らす。風が、さっきと逆に流れた。

 翔太の瞳が静かに、氷の冷たさを帯びていく。


 そして。

 

 翔太の動きはさらに早かった。

 逃げる足はもう使わない。


 金子が奥襟を取りに伸ばした右腕を、翔太は左手で“はじく”ようにいなした。

 わずかに軌道をずらし、半歩、右肩線を空けて懐へ滑り込む。

 金子の懐に敢えて巻き込まれるように見えた。

 その瞬間——回りながら右肘を、顎へ!


 淳には、旋風つむじかぜが巻き起こったかに見えた。

 ただ、風だけが翔太の周囲を回った。

 そう感じるほど、翔太の動きが人の動きを越えて見えたのだ。


 金子の左手が、勢いの惰性で、翔太の右腕があったであろう場所で、開いたり閉じたりした。奥襟を取った後、翔太の制服の袖口を掴み、投げようとしていたのだろう。

 だが翔太は、それをかわしての内側からのカウンター。

 まるで居合抜きのごとく目にも留まらぬスピード。


(な……、なんだ?)


 金子は一瞬、何が起こったか分からない。


 脳震盪のうしんとうだ。


 顎の先が鋭く撃ち抜かれ、頭蓋が揺らされる。

 脳を内側から何度も壁にぶつけて、意識が断たれる──

 それが、翔太の修めたシラットの静殺法。


 金子の体はそのまま、前のめりに崩れ落ちた。


 ──油断だった。


 おそらく、翔太をなめてなかったら、少なくとも奥襟ぐらいは取れたであろう。柔道とはそれほど、喧嘩において最強クラスの格闘技だ。


 だがこれを、翔太の格闘術=シラットが上回った。


 金子の油断、翔太の素早さ、技のキレ、すべてが合わさっての綺麗な一本勝ち。


 金子の体が床に沈んでいくのを、誰も直視できなかった。


 しかし、静寂が続いたのはほんの数秒。

 別の不良が翔太の胸ぐらを乱暴に掴んだのだ。


「つ~かま~えた~♪」


 その相手も身長は180センチほど。

 体格にこれだけ差があれば、余裕でいなせると思ったようだ。


「調子に乗ってんじゃねーよ、この野郎!」


 グッと全力で翔太の体を引き寄せる。


 それが仇となった。


 翔太は胸ぐらの手を切って引き離そうとも、後退しようとしなかった。

 逆に、引きの力をそのまま借りて、すっと懐へ入る。


「ちょ……え?」


 力いっぱい引き寄せたつもりだったので、逆に翔太が懐に入り込まれ、一気に力が抜けた。

 胸ぐらはわざと掴ませた。

 そして引かれる流れに任せて相手に近接し、同時に両手を素早く相手の後頭部へ。

 そのまま左右つないで、十指を絡めた。


 ガッシと両指を固定。息を一つ吐き、そのまま。


 グルン!


 体を軸ごとひねる!

 重い空気が回った。

 相手の後頭部を手のひらと腕、肘で固めて。

 そこからの、自分軸への誘導回転。

 遠心+体重で相手の体も、翔太と同じ方向へとねじられる。


 見た目には、翔太の体と相手の体が一つの軸となって、回転したように見えた。


 遠心と体重を重ね、相手の体ごと地面へ。


 そしてコンクリート直撃寸前に、致命傷は避けるよう顔の角度を少し外し、後頭部固定に全体重を乗せる。


 そのまま相手を、顔面ごと。


 ゴンッ。


 ──叩きつけた。


 ひどく鈍い音がした。


 その一撃には、怒りではなく“正確さ”しかなかった。

 コンクリートの床に押し付けられた不良の顔。ピクリとも動けない。

 そこから血が広がる。鼻血でも出たのだろう。


 さすがの不良たちも、そして淳も。

 このかん、まったく身動き一つできなかった。


 それほど早かったのだ。

 それほど凄まじかったのだ。


 静寂の中、翔太は指をほどいて、ゆっくりと立ち上がった。

 呼吸は乱れていない。眼だけが、真っ直ぐ前を見る。


 翔太に、逃げる足は、もうどこにもなかった。


「……行こう、栗落花つゆり


 指全体をゆっくり開き、息を整える。

 昔の震えが、指先でようやく消えた。

 パンパンと体についた埃を払う。

 そして、屋上のドアへ歩いていく。


「ま、待って。北藤くん!」と、淳は慌てて続いた。


 もうすでに、その二人を止める者は、誰もいなかった。

 

 翔太と淳はそのまま屋上を去る。


 声もなく立ち尽くす不良たちと、三人の倒れた不良生徒を置いて──。

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