第239話 神表流エクソシズム②
第239話
野津は神表を睨んだ。
「おい……!」
声が掠れる。
喉が、血と海の匂いで焼ける。
「一体……何が起こったっていうんだ」
野津は言う。
「どうして昼間になっても『濃霧』が消えない。どうして、こんな化け物たちが街を跋扈している」
神表は軽く笑う。
かまわず、野津は続ける。
「それに、お前が今やったこと……それは何なんだ!」
神表は木刀を肩の上でトントンと弾きながら言った。
「いや。俺、実は国際魔術会議のものですからね」
「ユ……ユニマ、コン……?」
謎の多い組織だとは聞いていた。
だがこんな、魔法使いみたいなヤツが本当にいるなんて、信じられなかった。
「ユニマコンって、あの、国際魔術会議か……!」
「それ以外、何があるって言うんですか。あ~あ、それより感謝してくださいよ。これでも、俺、先輩たちを助けたって形なんですから」
これだけの惨状を目の前にしても、口調が軽い。
野津も噂だけは、知っていた。
国際魔術会議には、本物の魔術師たちが相当数所属している。
その力を駆使して、怪異から人類を守っている。
だがその権力は、一国の政府どころか国連をも動かし、世界の支配層側にいる──
(あれは、噂なんかじゃ、なかったのかもしれねえ……)
これだけ不思議な力を操る存在がいるのだ。
しかも、星城学園の生徒。
こんな身近にも、潜んでいた。
世界ぐらい、本当に、簡単に牛耳っているのかも知れない。
今井を抱えたまま、野津は正体不明の恐怖に襲われた。
そんな野津に近づきながら神表は言う。
十字架に架けられた死霊たちを指先で軽く確認しながら。
「ドラウグルってのはですね、その中身は死霊なんですよ。海とか戦場とかで死んだ奴らが、名前を忘れられ、海底に沈んでいる。それらが、魔の力により、受肉したものですね。北欧あたりでは有名な伝承ですよ。肉は死体。動いてるのは怨嗟。それを固定してるのはルーン──北欧の呪術です」
「北欧……」
「ヨーロッパの北の方ですよ。……そして、こいつらは肉体は魔そのものだから、俺の悪魔祓いで、光へと召すことができた。──ただ、魂たちはそうは行かない。魔に魅入られてしまったという大罪を犯してますからね。だからこうやって、浄化される過程があるんですよ。……でも、そろそろ、終わりそう、かな?」
「終わる?」
「まあ、見ててくださいよ」
そう言うと、神表は目を閉じた。
口が引き結ばれ、今までにない真剣な表情になる。
そして。
手にした木刀。
その先で路面を、カン! と打った。
「Mitte eos.(彼らを送れ)」
その瞬間だった。
路面の血だまりが、音もなく逆回転した。
ぐるり、ぐるり、と。
水面にできるはずのない渦ができる。
黒い水が血を集めて、一本の線みたいになる。
その線の縁に、読めない文字が一瞬だけ浮いた。
「Per nomen vocatum.(名を呼ぶことによって)」
野津の喉が鳴る。
(……今、何した!?)
神表は、何でもないみたいに続ける。
「俺がやってるのは“救済”。結び目を外して、魂をほどいて、帰らせる」
野津は食い下がる。
「結び目……? 帰らせる……?」
神表は笑って言った。
「まあ、これ以上は知る必要ないと思いますよ、先輩方」
軽口。
でも、目は笑ってない。
その瞬間だけ、野津は神表に、人間じゃない、何かの気配を感じた。
神表は木刀を垂直に立て、峰を指でなぞった。
まるで刃があるみたいに。
そして──小さく呟く。
「……解けろ」
言葉が落ちた瞬間。
白金色の円が、足元でひとつだけ脈打った。
ドクン。
心臓みたいに。
次の瞬間、これまで張られていたこの血の魔法陣が縮む。
ぎゅっと縮んで──消える。
それと同時に、世界の空気が変わった。
十字架と救われなかった魂たちの姿が消えた。
同時に結界が、ほどけた。
そして――昼の光が、消えた。
さっきまで確かに差していたのに。
まるで、上から布を被せられたみたいに。
そこへ『濃霧』が戻って来る。
押し寄せるんじゃない。
湧く。
地面から。
死体の影から。
血だまりの縁から。
呼吸の隙間から。
またたく間に、バスの姿が見えなくなった。
野津の周囲も、『濃霧』の白に包まれる。
その後、音が戻ってきたような錯覚に襲われた。
ざわざわ。
ざわざわ。
霧の擦れる音。
人間の息じゃない。
海が息をしてるみたいな音。
視界が消える。
路面の死体も、白に塗りつぶされる。
今井が、野津の腕の中で小さく震えた。
恐怖からか、歯が、かちかち鳴っている。
再び、野津たちは『濃霧』の只中に置かれた。
目の前の神表の姿がうっすらと見える。
そして言う。
「ドラウグルの魂の浄化も済んだみたいですね。十字架も消えたし。あ、あと、安心していいですよ。この辺り半径一キロほどのゴブリンとトロールはすでに全部、倒してるんで。とはいえ、まさかドラウグルまで現れるとはなあ……。とりあえずもう安心なはずだけど」
「全部……倒した?」
野津は思わず聞き返した。
それはそうだ。
自分たちは、決死の覚悟で、ヤツらと闘った。
戦わずに逃げ出したりもした。
それを。
──倒した?
神表はあっさり言う。
「うん。倒した」




