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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第237話 魂縛〈たましばり〉/『ドラウグル』解放戦線④

第237話


 光の落ちている空間に、円が浮かび、内側が黒く沈んだ。

 そこに影絵が、勝手に回り始めた。


 そこに映ったのは──


 溺れる人間。

 戦場で倒れる兵士。

 瓦礫の下で、名前を呼ばれない子ども。


 ただの映像じゃない。

 悲鳴の「音」だけが、遅れて漏れる。

 水の音。骨の折れる音。土に顔が押しつけられる音。

 ——野津の胃が、きしむ。


「まさか、これ……」


 野津の言葉を意外な人物が引き継いだ。


「こいつら、怪物じゃ、ねえんじゃないか?」


 疋田だった。

 疋田は察知していた。

 あの影絵の中で死んでいく人々が、実は、ドラウグルという器の中に閉じ込められていただけだったのではないかと──


 まるで、その心を読んだかのようだった。

 今井が、疋田の言葉に、コクリと頷いた。


「……あれが……、このバイキングの女戦士みたいなやつらの中身……?」

「ナイス、アンサー!」


 今井の言葉に、神表が笑った。


「そう。こいつらは、名前を呼ばれず死んだ者たち。ただの怪物じゃない。悲惨な死を迎えた者たちの残骸……それが、ドラウグル。だから、こいつらに攻撃しても無駄なんだ。もう死んでいるんだからな」

「じゃ、じゃあ、どうやって、こいつらを、ぶっ倒せるんだ」


 と、野津。

 神表は、当然とばかりに言った。


「必要なのは、救済だよ」

「救済?」

「そう。別の言い方をすれば、浄化。それこそ、悪魔祓い師の本領発揮ってことになるんだよ。そこの怪力の先輩」


 その顔を見て野津は驚いた。

 その光景を見る神表の顔が、真顔だったからだ。


 影絵の人々は、どれもが悲惨な死を遂げている。


 海に投げ落とされ、重い鎧のまま沈んでいく兵士。

 氷の上で脚を折り、仲間に置き去りにされる戦士。

 戦場の泥の中で、腹を裂かれ、名前を呼ばれぬまま息絶える少年。

 村を焼かれ、逃げ場を失い、斧で打たれる女。

 倒れたまま、誰にも弔われず、夜を迎えた者たち。


 どれもが、死にきれなかった顔をしていた。

 誰ひとり、怒った顔をしていなかった。


 怒りでもなく、恨みでもなく、

 ただ──「帰りたい」という顔だ。

 帰る場所を探しているのだ。

 探し、焦がれ、そして哀願している──


 それを見て、すっと今井の頬を涙がすべった。


「苦しんでいる……。苦しみから解放されたいがために、生きた生命を欲しがった……」

「その通りです。かわいこちゃん先輩」


 そして、神表は静かにこう言った。


「……帰ろう」


 派手な詠唱はなかった。


「もう、戦わなくていい」


 この地の魔法陣がすべて、白金色に変わる。


「もう、求めなくていい」


 神表は、木刀を胸の前で水平に構えた。


「Non vi. Non ferro. (力ではなく。刃でもなく)」


 低く、続ける。


「Per nomen vocatum. (名を呼ぶことによって)」


 さらに、重ねるように、別の言語。


「Shema. Shema, ruach shavur. (聞け。聞け、砕かれた魂よ)」


 言葉が終わるたび、魔法陣の文字が一段ずつ白くなる。

 金色ではない。白金色。

 その白金色の光が、まるで心臓のように、ゆっくりと脈打ち始めた。


 強くなるのではない。

 やさしく、脈打つように広がっていく。


 影のドラウグルが、初めて“膝をつく”。

 影だけが、力を失って崩れ始めた。


 音が消える。

 風が止まる。

 影が、ほどけていく。


 ドラウグルたちは、震えた。

 初めて、影が“抵抗するのをやめた”。

 そして──


 ドラウグルの身体が、崩れるわけでもなく、

 砕けるわけでもなく、


 ──砂のように、ほどけていく。

 ただ崩れるんじゃない。

 光の粒になって、上へ昇る。


 鎧のルーンが最後に一度だけ光って、静かに消える。

 斧が解け、腕が解け、肩が解け、顔が解ける。

 白濁した目だけが一瞬だけ“人の目”になって——それから消えた。


 誰かが、ひとつ、深く息を吐いた。

 それは悲鳴ではない。

 泣き声でもない。


 ──安堵だった。


 悪霊たちは、叫ばない。

 抵抗しない。


 ただ、光に溶けて、消えていく。


 残った肉体は――

 ただの死体として、地面に倒れる。

 転がる。


 もう、動かない。

 もう、戻らない。


 野津は、血を押さえたまま、立ち尽くしていた。


(……これは戦いなんかじゃねえ)


 野津は思う。


(助けた……)


 ──終わらせるための儀式だ。


 ゴクリと喉を鳴らす。


(それとも、終わらせただけか)


 どちらでもいい。

 少なくとも――

 もう、これ以上、誰も喰われない。


 野津は、血の乾き始めた指を見下ろし、

 ゆっくりと、拳をほどいた。


 痛みが、戻ってきた。

 生きている証拠だった。

 神表は、いつもの軽い笑顔に戻った。


「いやー、ゴブリンやトロールはまだしも、ドラウグルとか聞いてないって」


 昼の光の中で、間の抜けた声。


「単なる見回りだけのつもりだったのにさ」


 誰も、動けなかった。

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