第236話 魂縛〈たましばり〉/『ドラウグル』解放戦線③
第236話
(な、なんなんだ、これは……!?)
試しに野津は、自身が一歩を踏み出す。
動く。
(俺は……動ける……)
足元には、神表とかいうヤツが作った魔法陣。
そこから外には、濃霧の壁が空までそびえ立っている。
つまり、この魔法陣の中だけ。
ここに入ったドラウグルは、本体が動けない。
それは、次々と海からやってくるドラウグルも同様だった。
濃霧のカーテンをくぐり、この魔法陣に入った瞬間、
それは、動けなくなる。
本体は止まり、影だけが、ずるりと前進してくる。
足は動かない。
腕も動かない。
なのに、影だけが這い寄ってくる。
それは、夢の中で走れない悪夢に似ていた。
野津は、路線バスの方を見る。
原田先生も、高木も、床に尻もちをついたまま、この状況に声も出せず、動けないでいる。
その時、背後から野太い声がした。
「おい。野津」
片耳の傷を抑えながら振り返る。
そこに立っていたのは、宇和島第三の疋田麗央。
野津よりもさらに身長が高く、肩幅も異様に広い。
文化祭の乱闘騒ぎで、野津を一撃で沈めた殺人マシンのような男だ。
「あいつ。お前と同じ制服を着てる。知り合いか?」
野津は答えられない。
圧倒されているのも、ある。
なにせ、ボロボロの野津に対して、
疋田はまったくの無傷。
制服の乱れすら、ないのだ。
(……どんだけ、化け物なんだ、こいつは──)
──あのドラウグルたちの猛攻を受けて、全部、返り討ちにしたってことなのか。
次に、水城工業の小野山が話しかけてきた。
「ちっ。お前ともあろうヤツが、ざまあねえな。なんだその耳。出血。千切れかけてるんじゃねえのか?」
そういう小野山は、ボロボロだった。
体中、切り傷やあざだらけ。
制服もいろいろな所が引きちぎられている。
水城工業の重戦車と呼ばれていたその威厳が、見る影もない。
「野津。星城のヤツだろ。あれ。なんか分かんねえのか」
分かるわけがない。
野津は、こう答えるのが精一杯だった。
「知らねえ……。だが、あいつが俺たちに危害を加えることはなさそうだ……多分」
その時だった。
この魔法陣の中にいるドラウグル全員の口が、
ゴボッ、と、
勝手に開いた。
黒い霧が、内臓を吐き出すみたいに、喉の奥から溢れ出した。
呻き。
嗚咽。
名前にならない声。
それは敵意じゃない。
助けを求める音だった。
今井が折れた竹刀を手に後ずさる。
「いや……なに、これ……」
そんな、バス軍団を尻目に、神表は魔法陣の中を、自由に——いや、軽すぎる足取りで動いた。
走っていないのに、距離だけが縮む。
ドラウグルたちの首を斬って回る。
いや、正確には、「斬って」は、いない。
ただ――
首と胴体を結んでいた“何か”だけが、切り離される。
光が走り、接続そのものが「無かったこと」になる。
骨でも、肉でもない。
見えない糸が、ぷつりと切れる感覚。
木刀の切っ先は、空をなぞっているだけ。
ただそれだけで、その軌跡に、金色の細い線が残る。
線は一瞬だけ幾何学になり、首元で「輪」になって固定される。
数式のような、魔法陣の断片。
「……斬ってない」
と、今井は言う。
「あれは、……あれは、何なのっ……!?」
一気に緊張感が解けたように、今井は崩れ落ちた。
「私たち、何を見せられてるの!?」
切断面から血は出ない。
代わりに、淡い金色の文様が、薄い板みたいに浮かび続ける。
ヘブライ文字が一行、回転しながら刻まれ、最後にスッと消えた。
ドラウグルの体は一拍遅れて、糸が切れたように止まる。
そして今井に向かって、神表は、肩越しに軽く言った。
「見せるのは、今からですよ。かわいこちゃん先輩。……怖いの苦手? でも目は逸らさないでね。逸らすと、影に持ってかれる。ここ、そういう現場なんで。さて。こいつらが一体、何者なのか。そこでゆっくり座って見ててください♪」
魔法陣の中にいるドラウグル。
約五十体はいただろうか。
その首すべての、金色の魔法陣の首輪をつけた神表は、次に、
木刀を垂直に立て、片手で、その背に触れた。
「さっき言った、『順番が違う』って意味、これで分かっちゃうと思うなあ。分かっちゃうなあ。いや、分かっても、何がなんだか分かんないかもなあ」
やたらと無駄口が多い。
疋田が言う。
「……殴ってもいいか?」
それを野津は止める。
「いや。待ってくれ。何かが……何かを、起こしそうだ……」
その言葉通り、先ほどから口を開けたドラウグルたちの喉の奥から何か黒い煙のようなものが立ち上ってきた。
神表は木刀を垂直に立て、指で刃のない峰をなぞった。
次に、木刀を横へ払う。
その軌跡に、文字が“刻まれる”。
ラテン語が先に走る。
続いて、ヘブライ文字が重なる。
最後に、ルーンが「釘」みたいに打ち込まれた。
神表は低く息を吐く。
「Revelatio. Circulus.(真実を顕にする円)」
そして。
「顕霊符環」
その言葉と同時に。




