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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第235話 魂縛〈たましばり〉/『ドラウグル』解放戦線②

第235話


 やわらかな昼の日差しに、野津は思わず目を細めた。

 眩しい。なのに、暖かくない。

 皮膚に当たるのは光だけで、空気の冷たさが残っている。

 ここが濃霧の底だからか。


(……ここだけが、昼だ。なのに、どうして……)


 音も変だ。

 さっきまで耳を埋めていた霧の「ざわつき」が、この円の中だけ消えている。

 静かすぎて、血が落ちる音が聞こえる。


 周囲はまだ、霧の向こうに沈んでいる。

 光が差しているのは、この円の内側だけ。

 ここだけ、別の法則で動いている。

 世界が切り取られた、というより——「封じられた」ように見えた。


 足元の白金色は、ただの模様じゃない。

 円の縁には、角ばった文字が走り、淡く発光し続けている。

 ラテン語でも英語でもない。ヘブライ文字みたいな線が、一定のリズムで明滅していた。


 野津は、左耳を押さえたまま、立ち尽くしている。

 血が、指の隙間から滴り落ちる。

 神表の技と魔法陣を見たいま、もはや、自分には、何かができると思えない。


 その光の中で。


 異変が起きた。


 この光景を、野津は一生、忘れることはないだろう。


 ドラウグルたちが、神表へ斧を振り上げた──


 だが。


 ドラウグルたちは、ぴくりとも動いていない。

 いや、動けないのだ。

 なのに、手斧が振り下ろされていく。

 次々と。

 神表と名乗る少年へと向かって。


 ところが神表は、まるで危険が存在しないみたいに涼しい顔をしていた。

 木刀を肩に預け、片手はぶら下げたまま。

 目だけが、笑っていない。


 一歩も引かない。

 代わりに、踵で地面を——「コツ」と一度だけ鳴らした。

 それだけで、魔法陣の縁の文字が、同じタイミングで光った。


 危険が存在しない──

 それは、そうだった。


 なぜなら。


 ──動いたのは、ドラウグルたちの、「影」だけだったのだから。


 天から、この地にだけ差してくる光。

 それによって、当然焼き付けられる路面の影。

 ドラウグルたちの足元から影が次々と神表へ向かって伸びていく。

 影は、足元から“剥がれる”みたいに起き上がった。

 本体の足が動いていないのに、影だけが前へ出る。

 影の斧が、現実の斧より速く振り下ろされる。


 影は、ただ斧を振るだけじゃなかった。

 影の神表に噛みつき、腹を裂く。

 しかも、やり方が手慣れている。

 “殺し方を知っている動き”だ。


 影の手が、肋骨の隙間に指を入れる。

 内臓を掴んで、ずるりと引き抜く。

 影の斧が、影の喉を横に裂く。

 神表の影の首が落ちる。

 影の血が、影の地面に飛ぶ。

 ——音だけは本物だった。湿った裂け音が、円の中に響く。


 影の中では、何度も殺されている。

 首を落とされ、

 腹を裂かれ、

 何度も死んでいる。


 それでも、現実の神表はまばたきひとつしない。

 血も、傷も、呼吸の乱れもない。

 ただ、影の惨劇を「採点」でもするように見ている。


 神表は、木刀の鍔元を軽く指で叩いた。

 カン、と乾いた音。

 それに反応して、魔法陣の内側の影が一瞬だけ“固まった”。

 ——神表は、影ごと制御している。


 そしていまだに、

 ドラウグルの本体も、微動だにしない。


 そして再び、影だけが動き出す。

 神表の影を襲い始める。


「……は?」


 龍雅の声が、震えた。


 影だけが戦い、

 本体は、置き去りにされている。


 ドラウグルたちは、必死に動こうとしている。

 前に踏み出そうとしている。

 筋肉が盛り上がっている。

 斧を振ろうとする気配がある。


 だが──


 体は一切、動かない。

 いや、動けないのだ。


 そして、この場に来て、野津は初めて見た。


 白濁していたドラウグルの目に、初めてはっきりとした“恐怖”が浮かんだ。

 それは獣の怯えじゃない。

「理解した人間」の怯えだった。


 理解してしまったのだ。

 これは戦いじゃない。

 逃げることも、抵抗も、許されない。


 自分たちは、

 ただただ、

 “処理されている”のだと。

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