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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第234話 魂縛〈たましばり〉/『ドラウグル』解放戦線①

第234話


 野津には何が起こっているか、分からない。

 ドラウグルが、その声の主を一斉に見たこと以外は。


(誰だ……?)


 握りしめた拳だけはほどかず、声の方を見る。

 ドラウグルたちの背中越し、『濃霧』の向こうから、妙な軽口が聞こえる。


「あー……これ、視界最悪だな。

 霧はさ、戦う前に片付けとこうか」


 ──え?


 当然の反応だ。

 野津も、今井も、言葉が出ない。


(何言ってんだ……?)


 そっちの方が先に立つ。

 そこに、こんな言葉が聞こえてきた。


「――ミカエル小聖式・清域展開アエル・クラリタス


 神表はそう告げると、

 左手で胸元に奇妙な印を結び、

 右手の木刀で、地面に向かって小さな円を描いた。


 ──そのときだ。


 野津らの足元から、光が滲み出した。


 幾何学文様。

 重なり合う円。

 欠けた環。

 回転の速さが、それぞれ違う。


 ごく薄い白金色の円が一瞬だけ灯る。


 その円の内側に、

 見慣れない文字――

 ラテン語ともヘブライ語ともつかない、

 角ばった聖句が、重なって浮かび上がる。

 意味は分からないのに、見ているだけで心がざわついた。


 円はひとつではなかった。

 いくつも、重なっている。

 大きさも、回転の向きも、速度も、全部違う。

 自分の目が、霧より信用できなくなる。


 次の瞬間──


 爆発ではない。

 衝撃でもない。


 ただ、下から押し出されるように、『濃霧』だけが、上空へと噴き上げていく。

 途端にあらわになった。

 バス周辺が。

 路面が。

 建物の輪郭が。


 おそらくバスの半径十メートルぐらい。

 きれいな円状に、『濃霧』がそこだけ、一瞬で、空へ押し上げられていく。


 ゴウッ!


 それは、天を覆っていた雲をも突き破った。

 遥か上空に、真っ青な青空が円状に見える。


「風が、霧を……?」


 やさしい日差しが、落ちてきた。


 街全体じゃない。

 この場所だけ。

 バスと、血と、死体と、人間たちを包む範囲だけ。

 この辺りだけ、霧が晴れた。


 野津は驚きを隠しきれない。

 それは、今井も同じだ。

 ただ、龍雅だけが、まだ、ぐにゃぐにゃになった金属バットを握りしめている。

 その龍雅の視線だけ、そこに突如現れた男に向けられていた。

 野津もそちらを見る。

 そこにいるのは、星城学園せいじょうがくえんの制服を着た、メガネをかけた少年。

 少年は言う。


「あ~あ。同じ学校のヤツいるじゃん。身バレしちゃうな、これ」


 少年の手には、木刀が握られていた。

 そしてドラウグルや、路面を見回す。


「うわっ。ひっどい血の匂い。来るのが遅かったわ。やべ。死体まみれじゃん」


 その少年の言う通りだった。

 特にバスの周囲がひどい。


 まず、バスの側面が、搭乗口を残して完全に引っ剥がされていることに野津は驚いた。

 そして、そのバスの中には、原田先生。後輩の高木。……彼らは生きている。


 だが、その周りでは、もはやどれが運転手か、サラリーマンか、三十代夫婦の妻だったのか、ぐちゃぐちゃで分からなくなった死体が転がっている。

 それをそれぞれ、ドラウグルたちが囲んでいる。

 そのドラウグルたちも、その少年の方を見ていた。


 路面は、完全に血で濡れていた。


 臓物が、道の中央に落ちている。

 腸なのか、胃なのか、もう判別できない。

 骨は砕け、肉は潰れ、

 目玉らしきものが、靴跡の中で潰れていた。


 生きていた人間が、

 どんな順番で壊されたのか──

 想像できてしまう分だけ、吐き気がする。

 息をするだけで、気持ち悪い。


「それにしても、ドラウグルの数が多いな。ちょっと間引くか」


 少年は、無造作に木刀を振った。

 それは、目の前のドラウグルに対してだった。

 明らかに首を狙った横薙よこなぎの一打。

 これを見て、今井が驚きの声を漏らす。


「……え?」


 今井の驚きは当然だった。

 木刀は、確かに、ドラウグルの首を、ねるように振るわれた。

 だが、首が墜ちない。

 しかし、首の「接続部分」だけが消失している。

 切断面から血も出ない。

 代わりに、魔法陣のような、淡い金色の幾何学文様だけが空中に残っている。


(どうなってるんだ!?)


 そのドラウグルは一切の動きを止めた。

 そして少年は言う。


「あんたら、ドラウグル相手に、”肉“を相手にしてただろ。それじゃ、こいつらは倒せない」


 野津も今井も息を呑む。

 今井だけが呟く。


「切ってない……

 当ててもいない……

 なのに、首が……首だけが……」


 龍雅は、無意識に一歩下がっていた。

 理屈は分からない。

 だが、神表が、

「殴っちゃいけない相手だ」

 という感覚だけが、骨に刺さる。


「ドラウグルの本体は、”呪い“そのものだ。つまり、物理ではなく“位相”を制さなければ、倒せないんだよ。だから、いくら金属バットで殴っても、竹刀で相手の骨を砕いても、腕力で引き裂いても、意味がないんだ。……なあに、驚くことはないですよ、先輩たち。俺は、魂の結び目を外しているだけなんで」


 そしてまた、一振り。


 同じように、首の「接続部分」が消え、代わりにそこに金色の魔法陣だけが残る。


「ドラウグルは、その肉体は、単なる死体だ。動力は怨嗟えんさの集合。分かりやすく言えば、悪霊だな。あと、それを固定しているのは、ルーン。つまり、北欧の呪術だ」


 次々に、ドラウグルの首に魔法陣を作っていく少年。


「つまり三層構造の呪い……。殴って壊れないのはさ、壊す順番が違うからなんだよ。つっても、結構、バラバラになってる個体もあるな。あんたら、何者だ? 拳や竹刀や金属バットだけで、ここまで持ちこたえたのか? それはそれでめっちゃすげーんだけど。あと、竹刀持っている先輩、すっげー可愛い」

「え……私……?」


 言われて今井が、ちょっと引いたのが分かった。


(何、言ってやがんだ、このバカ)


 助けられたくせに、野津ですら、そう思う。


 やがて、ドラウグルたちが、カタカタと動き始めた。

 ドラウグルの鎧や手斧のルーン文字が光り始め、その少年へ向けて戦闘スタイルを取る。


「うん。知ってた。金縛りは一瞬だよな。そろそろ動き始める頃だって思ってた。じゃあ、やりますか。悪魔祓い。ゴブリンやトロールなんかより、こっちの方が、俺の専門分野なんだよな」


 そして少年は、ぽつりと一言だけ告げた。


「――Solve vinculum animae.(魂の縛りを解放せよ)」


 ラテン語。

 短い。

 だが当然、野津たちには、意味が分からない。


 一拍置いて、

 神表は、別の言葉を低く続けた。


「Bindr slitni. Rúnar falla.」


 北欧語だと、後から野津は知る。

「縛りは裂け、ルーンは落ちる」

 という意味だった。


 そんな野津たちに、少年は告げる。


「俺の名は、神表洋平かみおもてようへい。名前だけでも覚えていってネ♪」


 そして、その、神表と名乗った少年は、木刀の切っ先で、空中に円を書く仕草をする。


「ミカエル秘儀――

 魂錨解放陣アンクル・オブ・ソウル


 その瞬間、

 地面に浮かんだ魔法陣が、

 ──回転をやめた。 


「さあ。悪魔祓いの儀式なんて、あんま見られるもんじゃないよ。ちょっとすごいって思ったら、おひねり、よろしくパーリナイ♪」

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