第20話 かごめかごめ
第20話
「お腹すいたし♪ 学校ってこの時間のためにあるよね~!」
美優の親友・吉川りこがお弁当を広げた。ハンバーグにタコさんウインナー。プチトマトにポテトサラダ。お弁当は二段になっていて、一段目は白飯がぎっしりと詰まっている。
「うみ~、どうした? お弁当、手つかずじゃん?」
りこに顔を覗き込まれ、のけぞりそうになった。
「食べる、食べるわよ! ただちょっと食欲がないっていうか」
「そう? さっき昼休みなったばかりの時、歩いてく北藤くんの方見てたみたいだけど」
「そんなことないわよ。ただちょっとぼ~っとしてただけ」
「なんでもない?」
「なんでもない!」
そう。なんでもないのだ。
いや、なんでもある!
(どうして、私、翔太くんの家で眠り込んでいたんだろ。しかも朝まで……!)
◆ ◆ ◆
今朝五時頃、目を覚ました美優は、そこが翔太の家だと気づく。
L字型になったソファーのもう片方には毛布をかけられて眠っている芽瑠の寝顔と、見たことのない猫。ソファー脇では、翔太が体育座りをするように眠っていた。
もちろんこの時、美優は、翔太が自らの過酷な宿命を知ってしまったということは知らない。
「おはようございます、美優さま」
美優に声をかけてきたのはメイド服の少女だった。
「デルでございます。覚えてらっしゃいますか?」
(あれ?……この子、どこかで……)
美優の記憶に、昨晩のコンテナ置き場で起こった光景が蘇る。
スマホ画面から盛り上がり出てくる肉塊。そして身の丈以上の鬼のような手。
それを切り裂いたメイド服の少女……。
『ブチかまし、まくりメキます』
「あっ!」
そうだ! あの少女だ!
「今日からわたくし、翔太様と芽瑠様のお世話をすることになりました。引き続き、よろしくお願いします、美優様」
美優は混乱する。翔太の家で寝ていたことも。そのメイド服の少女が翔太の家にいたことも。
美優は、丁寧にデルピュネーに翔太の家を送り出された。
(私……、あれから記憶がない……。一体、どうしちゃっていたんだろ……!?)
◆ ◆ ◆
起きたら、すぐ傍に、幼馴染の男子の寝顔。
思い出すだけで恥ずかしくなって赤面してしまいそうになる。
そりゃ、小さい時には、お泊りのようなことは何回もあった。だが、大きくなってから。さらには、男の子の家に泊まったなんて初めてだった。
動揺したのを悟られただろうか。美優はりこを伺い見る。
いや大丈夫だった。
りこはすでに“食べること”に全集中を注いでいて、美優の弁当のサーモンのムニエルを「じー……」と見ている。
「……いる?」
美優はほっとして、苦笑いしながら聞いた。
「いいの!?」
美優はサーモンを弁当箱のふちまで寄せて、りこの箸へそっと渡した。
かすかに転がりかける。
サーモンは弁当箱の縁で、ちょこんとためらって止まった。
りこはそれを、さも嬉しそうに頬張った。
途端に、りこの顔がぱっと華やぐ。
なんて幸せそうな顔をするんだろう!
りこは周囲にお花を撒き散らすようなうれしそうな表情で、サーモンをもぐもぐしている。
食いしん坊で無邪気な私の親友。トレードマークのポニーテールに、くりくりした瞳。
癒やしだ──。
美優はりこのその、屈託のない表情や性格を心の底から愛していた。
りこの恋愛相談にも、何度も付き合った。
口ぶりは明るいけれど、恋に落ちるたび全力で、泣く時も全力な子だった。
基本、年上好きだった。
時には、りこが好きになった人が、美優を狙っていたこともあった。そんなことがあっても、りこは、笑って美優に接してくれた。
『仕方ないよ。恋愛ってそういうもんだもん。うみは可愛いし。それに私の大親友だから、私が好きになった人が美優の価値を分かってくれるなんて、逆にうれしいかも!』
そんな意地らしいところも、美優は好きだった。
「それにしてもビックリだよね~。あの北藤くん、四年ぶりに見たら、まるで別人みたいに背が伸びてて」
突然、りこが翔太の話を振ってきた。思わず美優はビクリと肩を震わせる。
「あ、ああ……。まあ一応、男の子だからね」
「ちょっとカッコよくなったよね。北藤くん」
りこは次にタコさんウインナーを口に放り込みながら、いたずらっぽく美優の表情を伺う。
「な、なによ」
「うみ、北藤くんとは仲良かったじゃない?」
「そうだけど」
「でも、なんでせっかく再会したのにあんま話してないの?」
「……」
「四、五年ぶり? せっかく久しぶりにもう一回逢えたのに、どーして話しないの?」
「いや、話してないって、つもりもないけど……」
「ふーん」
と、りこがニヤっと目を細める。
瞳がきらりと揺れる。
「もしかして……意識してる……って感じ!?」
う……。
――他の誰かが同じようなことでからかったのなら、美優は無視していただろう。
だが、りこは別だ。
りこは信用できる。
嘘もつきたくない。
ちょうどその時、校庭の上を風が抜け、遠くでフェリーの汽笛が一度だけ、低く腹に触れた。
校庭を渡る風が、ふたりの間の空気をほんの少しだけ甘くした。
美優は明かし始める。
「意識……してないって言えばウソになるかな」
案外正直に。
校庭の隅で、風に舞った桜の花びらが一枚だけ、美優の弁当箱の端に落ちた。
「翔太くん……、お父さんとお母さんを交通事故で亡くしたじゃない? 同情しているってわけじゃないけど、それってどういう気持ちなのか、やっぱり考えてしまうわけ。だって、翔太くんが笑って友達と話してるの、昔から、あまり見かけなかったんだもの。小学生の時なんて、結構、妬みからのいじめもいっぱいあって、それを止めてきたし、そんな長い付き合いの幼なじみとしては、そりゃあ気になります、っていうか」
「ふ~ん」
「それに翔太くんの亡くなったご両親、うちの両親とも仲良かったし、お葬式は私も参列したし」
「ふ~ん」
「なによぉ」
「つまりは、北藤くんはうみの初恋のキミってわけだ」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「フ、フ、フ……♪ そんなウソ、この恋バナ探偵・莉子様には通じないのだよ」
「こないだは特撮専門家って名乗ってなかった?」
「特撮もいいのよ! 特撮も! いいよね~、私は歴代レッドに恋してるんだ~♪ ねえねえ、なんでレッドには女の子がいないんだと思う?」
「知らない」
「あ、でもシンケンジャーでは、レッドの先祖がお姫さまだったか~。あれは画期的だったよね~! レッドは男だけのものじゃない! 女の子だっていいんだ! って、それを初めて見せた斬新な作品でもあったのだよ、フムフム」
「だから知らない!」
「じー……」
「今度はなに?」
「私の体が、野菜が足りないとJアラートを発してくる……」
「はい、ブロッコリー」
「太っ腹だね~! やっぱ元生徒会長は違うわ~♪」
りこはブロッコリーを弁当のふちに円く並べて、ケラケラ笑った。
ハムッ! と幸せそうにブロッコリーを頬張る。
「う~ん、おいちい♪」
「Jアラートは収まった?」
「うん! 次は、うみ特製・ミートボールアラートに変わった!」
美優は笑いながらため息をついた。
それにしても、この子はよく食べる。
なのに、太らない。
学園内に関係者がいなかったとはいえ、昨晩、数十名の犠牲があったとは思えないほど、驚くほどいつもの〝日常〟だった。
翔太が昼休み後、早退したことと、中等部の後輩の瑚桃が翔太の居所を聞きに来たこと以外は。
(でも、あんなにたくさん喋れたの、久しぶりだったな……)
美優の“日常”、そこにあった翔太との断絶の四年間が、埋められつつある。
そんな、ちょっとアップデートされた、美優の“日常”。
ほぼ変わってはいない。変わってないと思っていた。
その日の夕方、あのフェリー乗り場のビルでその事件が起こるまでは。
昼に腹へ触れたあの汽笛が、夕方ふたたび海を鳴らしたその時に、彼女らも「当事者」となってしまう──
◆ ◆ ◆
夕刻――。
星城学園高等部1年B組の生徒が、一人、また一人とフェリー乗り場へ集まって来ていた。
その中には、昼休みに、栗落花淳をカツアゲしていた田村智美らの姿もある。
「生徒の足並みはゆっくりで、まるでなにかに操られていたようだったとの証言もある」
後に新聞はそう伝えた。
「あんな光景、珍しかったから声でもかければよかった」との後悔の声も新聞には記されていた。
辺りが薄暗くなり始めた頃、フェリー乗り場のビルの屋上には一年B組の約半数以上が集合していた。
一人ひとり、次々と手すりを乗り越えていき、そして屋上の縁に立つ。
それは行列をなしているような姿に見える。
美優のお弁当のブロッコリーみたいに、影が等間隔で、屋上の縁に沿って並んでいく。
風がやみ、汽笛が再び、鳴った。
夕暮れ雲の空を背景に見えるビル。
屋上の縁にズラリと並んでいる生徒たちのシルエット。
この時点で気づいている市民も数人はいたという。
「か~ごめ、か~ごめ」
生徒たちは何故か、童謡の『かごめかごめ』を合唱し始めた。
「か~ごのな~かの、と~り~は~、い~つ~い~つ~で~や~る~」
夕暮れを背景に、屋上の縁に並んで童謡を歌う高校生たちの列……。
「よ~あ~け~の~、ば~んに~」
生徒たちの歌声に気づいて、ビルを見上げるフェリー客や通行人たち。
「つ~るとか~めがす~べった~」
だが、この後、あの惨劇が待っていると思うものは1人もいなかった。
「うしろのしょ~め~ん、だ~れ~……」
歌が終わる。
──風が止んだ。
音が先に落ちた。
それから、人が落ちた。
屋上にいた十数人の生徒たちは、一斉に。
揃って。
屋上の縁を蹴り、宙へ飛び出したのだった。
海に沈んでいく夕陽。
オレンジ色に染まる雲。
それを背景に。
何人もの黒いシルエットが。
パラパラと、屋上から身を投げ出した──。
周囲からの猛烈な悲鳴がほどけ。
数十人分の若者のおびただし血や内臓が路面を波打ちながらひろがったところで、三度目の汽笛が、海に響いた。




