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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第222話 ゾーンブレイク/海の屍鬼

第222話


『濃霧』の中で繰り広げられる激闘。


 ドラウグルは、蹴り飛ばされる、砕かれる、貫かれる──

 たった数分、最初だけ見れば、人間側が圧倒していた。


「なんだよ、ただのゾンビじゃねえか!」

「足りねえな、スリルがよ!」


 水城工業や宇和島の不良たちが、口々に吠えながら殴り、蹴り、斧を叩き折る。


 芦原空手の小野山のローキックがドラウグルの膝を粉砕し、

 宇和島第三の柴田のジャブ連打が顔面を砕き、

 小野山の舎弟・櫻井が横からの回し蹴りで首をへし折る。


「ジャブ、ジャブ、ストレート……っと!」


 柴田のストレートが、ドラウグルの鼻骨を砕いた。


「小野山ぁ、なんてことないなあ」


 柴田は得意満面だ。


「相手がバケモンと聞いてビビってた俺が情けないわ」

「無駄口を叩くな!」


 小野山が叱りつけた。


「ヤツらだっておそらく、様子見だ……。俺らがどんな敵か、分からないでいるんだ。その躊躇ちゅうちょしている間が、隙だ。だから一気に畳み掛ける」

「そう……。一気に……ね」


 柴田の動きは素早い。ステップも速い。

 ボクサーのパンチに比べれば、ドラウグルの斧の動きなんて、感覚だけで避けられてしまう。


「じゃあ、一気に行くぞ! 小野山、見てな!」


 白濁した目。

 水膜に覆われた青白い肌。

 光を吸い、青いルーンがかすかに滲む金属ビキニ。

 片手斧を握る、細いのに異様な腕。


 これら異形を素手で。

 しかも、拳を壊さないよう手加減しながら。

 さらにはよろい部分は避けて。


 柴田は次々と攻撃を繰り出す。


 柴田を中心に、ドラウグルたちが体勢を崩していく。

 それが、輪のように広がる。


 柴田は興奮していた。

 試合の時よりも、感覚が研ぎ澄まされているような気持ちになっていた。

 ──負けるわけがねえ。この俺が、戦闘の素人相手なんかに!


 ただやっかいなのは、相手が、まるで地面を滑るように移動してくることだった。

 移動の手前の呼吸が見えない分、思いもよらぬ方向から攻撃を浴びせられることもある。

 特に死角からは、ヤバい。

 相手は斧。

 当たれば終わり。

 だが、その死と隣り合わせな感覚が、柴田を異常な興奮状態へと導いていた。


 だから遊んでしまう。

 相手をサンドバッグのように思って。

 倒れそうになったり、よろめくのを楽しむように。


 例え五体に囲まれていても、柴田の拳とそのスピードがあれば、全体を攻撃しながら、一体一体、地面に転がすことができる。


(うはっ! こりゃあおもしれえ、練習相手だ。実は俺、ゾーン状態に入ってるかもしれねえ)


 ゾーン。それは、人間が自身を縛る鎖を解き放って、最大の力を発揮する脳の状態。

 すでに、十体は倒した。

 もうあと十体ぐらいも余裕だろう。


(なんたって、小野山さんだって、いるんだからな)


 そう思った時だった──


 ある一体のドラウグルの「唇」が、微かに吊り上がった。

 あまりに人間的な、しかし“人間とは違う”歪み。

 白濁した瞳孔の奥で、黒い影が蠢いた。


 ゴッ。


 柴田には、何が起こったか、一瞬分からなかった。

 ぽかんとした表情になる。

 違和感を覚えて、自らの手を見る。


 ボクサーの拳は、突き出すスピードと引き戻しのスピードがほぼ同じだ。

 ゆえに、拳を引く時。

 そこを攻撃されるなんて、まったく頭に浮かばなかった。

 だから。

 柴田は自分の腕を見て──


 右腕の肘から先が、なかったことが信じられなかった。


 どこにも。


 ない。


 この『濃霧』が邪魔をして。


 どこに落ちているかすら、分からない。


「…………え?」


 柴田は、自分の腕を探すように、霧の中を見回す。


 次の瞬間──


 霧の中から、腕が飛んできた。

 柴田の右腕だった。

 指先がまだ痙攣している。

 その『濃霧』の中から、ドラウグルが出てきた。

 こいつだ。

 ──俺の腕を投げてよこしたのは、こいつ……!?


『濃霧』が……笑ったように揺れた。


 海の屍鬼たちが、ゆっくりと、しかし確実に“数を増やして”いた。


 魚市場の骨組みの向こうからも、同じ白濁した目がもう十数体、静かに近づいてくる。

 海藻の髪が揺れる。

 水膜の肌が光を返す。

 よろいに刻まれたルーン文字が脈打つように淡く発光する。

 どこか遠くで、潮の満ち引きのような低い音がした。


 柴田が、膝から崩れ落ちた。

 折れた腕の断面から血が噴き、アスファルトに真っ赤な水たまりが広がる。

 『濃霧』が血の色に染まる。


 ドラウグルたちの白濁した目が──

 いっせいに、その血を見つめていた。


 まるで“合図”のように。

 霧が、震えた。

 そして──


 海の屍鬼たちが、ゆっくりと口を開いた。

 喉の奥から、海水が泡立つような、

 ごぼ……ごぼ……という“呼吸音”が響く。


「ぎゃああああああああああああっ!」


 ようやくコトを理解した柴田が叫んだ。

 その叫び声は、霧の中にいる全員はおろか、バスの中にも響き渡った。


 野津が、その声の方を見る。

 今井も、構えをそちらの方に向ける。


 そうだ。勝てるわけがなかったのだ。

 もともと。

 単なる人間風情が。

 この“海の屍鬼”の大軍に、

 立ち向かえるはずがない。


 地獄が、歩き出した。

 音もなく。

 その正体を剥き出しにして。


 ──そして、ここから始まるのは、単なる殺戮ショーだった。

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― 新着の感想 ―
まだ押せるとこちらも錯覚してしまいました。ドラウグル、強すぎます。地獄が歩き出したって表現すごく好きです。
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