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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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第19話 転がり出た呪いの言葉

第19話


 ほぼ同時刻。昼休み中、翔太の『カメア』が反応する直前──。


 星城学園せいじょうがくえん中等部の校舎裏、旧校舎近く。


 ガシャッ。


 ――金属の目が一つ、きしんで潰れた。


「……つっ!!」


 フェンスに叩きつけられたのは、翔太の隣のクラス──B組の栗落花淳つゆりじゅんだった。

 鉄の網が背骨に食い込み、肺の空気が一度に抜ける。


「お前よー。浦辺さんがいないからって、俺たちのお願い、拒否きょひるってどーゆーことなのよ」

「俺たちのお小遣いはー? どこー?」

「援助って言い方のほうが好き?」

「やめてあげなよー。ほら見て、もう涙目。……ウケる」


 淳は涙目でグッとこの三人をにらみつける。


「んだよ、その目は!」


 次の瞬間、足の裏が視界を覆った。顔面を靴裏で蹴られたのだ。

 頬骨が鳴り、白い閃光が視界を裂いた。

 後頭部がフェンスにめり込み、しならせ、痛みで思わず声が漏れた。


「うっ……」


 鼻血が逆流し、鉄の匂いが喉の奥に落ちていく。ぐったりしてフェンスにもたれる淳。その淳に田村智美たむらさとみが近づき、しゃがんで目線を合わせた。


「ねえ。あんたも、もう痛いのイヤでしょ? 私は優しいからさ、三千円で許してあげる。それくらいカンパしてくれないかなあ。今日のぶんはね──」


 淳は切った唇の血を拭う。

 智美は笑った。

「今日のぶんはね──」その笑いが、淳には“永遠に終わらない”宣告のように聞こえた。

 つまり──明日のぶん、来週のぶん、そして……。

 その一言が、明日以降の全日付に赤線を引いた。


「一人千円あれば、帰りに『みなっと』の『アゴラマルシェ』でお茶して帰れるのよ。ほらね、それぐらいなら持ってるでしょ。私だって、そんなにあんたのこと、イジめたくはないからさー」


 何度となく聞かされた言葉。


 そう。


 淳は目の前の生徒たちに、またその仲間たちに、中等部時代からずっと、いじめを受けていた。


 来る日も来る日も、繰り返される暴力。巻き上げられるお金。


 それでも学校を休まなかったのは、母を悲しませたくなかったからだ。


 女手一つで淳を育て上げてくれた母。


 あざを隠すために長袖を着て、笑って「転んだ」と言った。


 味噌の湯気の向こうで聞く「おかえり」が、いちばん痛かった。


 マザコンというわけではない。


 ただただ、母を心配させたくなかった。


 それに。


 正直、恥ずかしかった。


 男として自分がここまで弱いことを知られるのが。


 いじめられていることを知られるのが。


 母の前では“男”でいたかったのだ。


 そう。これまで、ずっと……。


 ◆   ◆   ◆


 だがある日、そんな淳に“変化”が起きた。

 この事件の少し前。

 その“変化”とは……?


「……べのよう……やるぞ」

「え?」


 反抗だ。

 智美は思わず耳を疑った。


「浦辺のように……してやるぞ」

「……!?」


 確かにそう聞こえた。

 声は震えていた。恐怖と怒りと、泣きそうな幼児のような震えがまざっていた。

 声は幼いまま、言葉だけが刃物になった。


 淳がこのように自分たちに逆らってきたのを、智美は初めて見た。


 ──“変化”。その“変化”に最初に気がついたのは、この智美だった。


「浦辺? 何、何のこと言ってんの、あんた……」


 間髪入れずに淳が、智美の顔につばを放った。


「キャッ!」

「僕は……もう、昔の僕じゃない……!!!」


 淳が絶叫する。いや、叫びというより、泣き声。

 ずっと助けを待っていた誰かへの、最後の呼びかけ。

 だが、その勇気も長くは持たなかった。


「テメー! 何してやがんだ、この野郎!」


 当然のごとく、後ろの二人にボコられる。胸ぐらを捕まれる。制服のボタンが弾け飛ぶ!


(こいつら、こいつら、こいつら、殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!)


 殴られながら殺意を大きくしていく淳。


 その時。


 ふと、ボタンを失った制服の内ポケットから。


 ヒラリと1枚の写真が滑り落ちた。


「あっ!」


 思わず淳は叫ぶ。


「なんだこれ?」


 写真を拾い、不良3人は覗き込んだ。途端に爆笑する。


「あー、この子知ってるー。今年高等部入ってきた海野うみのとかいう子よねー!」

「なんだ、お前、この子のこと好きなのか? 身の程知らずにも程があるな」

「つか、イマドキ紙の写真って。時代、逆走~。昭和ですかー?」

「まあ、確かにこの子、可愛いけど。でも、あんたがねー」


 アハハと智美は爆笑する。


 その笑いは、もう人間の声に聞こえなかった。虫の羽音みたいに、同じ高さで震えるだけ。


 屈辱でわなわなと震える淳。


「返せ!!!!!!!」


 と思わず、立ち向かったが……。


 ◆   ◆   ◆


 淳は草むらに仰向けになって蒼天を見ていた。


 あの後、淳は容赦なくボコボコに殴られた。


 そして、美優の写真も「お前ごときが、おこがましいんだよ」と、ビリビリに破かれた。


「ズボン脱がしてやろうぜ」

「いいね! ついでにパンツも」

「あはっ、やめろよ、逃げるな」

「や、やめろ! やめろ!」

「やだ~! なんか可愛いのが出てきた♪」


 淳の下半身は素っ裸にされてしまった。それから何度も蹴りを喰らい……。


 今、淳はこうして、ボロボロになって、大地に大の字になっている。


 さっきまでの笑いの音を、喉で噛み潰す。

 痛み……よりも悔しさ。

 あの笑い声の中に、“人間の声”は淳にはもう感じられなかった。  

 ただの音。虫の羽音のような残酷なリズム。


「――ああああああ!!」


 叫びながら上半身を起こす。

 剥ぎ取られたズボンやパンツが見当たらない。

 おそらく適当に、茂みの中に捨てられているのであろう。

 起き上がった淳は、股間を隠しながら周囲を見回した。ズボンは……パンツは……。


 ──旧校舎の前に“それ”は落ちていた。


 海野美優の、


 破られた、


 写真の破片たち。


 破かれた海野美優の写真の一部が、風に舞っている──。


 淳は、ゆっくりゆっくりとそこまで歩いていく。


 ひらり。


 風に舞う紙片の一つが、夕陽を受け、一瞬だけ笑った。


 もう、戻らない笑顔で。


「海野……さん……」


 思わず涙がこぼれ落ちた。


 神でも誰でもいい――誰かに訴えかけたかった。


 膝から崩れ落ちる淳。


 声が潰れ、喉の奥で泡のように弾けた。


 ──おそらくそれが、彼の人間としての最後の言葉だった。


 あらわになった下半身。その恥ずかしさも構わず、まずはその写真の破片を拾っていく。


 そっと、壊れ物でも扱うように指で。


 手のひらの上に、自分の“恋”を集めていく。


 情けなさ。


 やるせなさ。


 悔しさ。


 そして。


 怒り。


「……ろしてやる……」


 涙を噛み殺しながら淳は言った。


 言葉になる半拍前、遠くで何かが微かに鳴った――翔太の『カメア』だ。


「浦辺みたいに、殺してやる……!!」


 怒りによる心臓の鼓動に、蹴飛ばされ、転がり出た呪いの言葉。


「あいつら殺してやる!! 笑ってたやつも……止めなかったやつも……全部だ……!」


 目をそらした手、ふさがれた口──その全部に”名前”はない!!!


 歯ぎしりで舌が切れ、口内に腐った血の味がぶわりと広がる。

 拳が網目に食い込み、ワイヤが悲鳴のようにきしむ。

 旧校舎の窓ガラスが内側から曇り、指でなぞったような筋が勝手に現れる。

 淳の眼底にどろりと金色が滲み、光が爬虫類の皮膜を走った。


 コオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 校舎全体が、低く、遠雷の腹の音のように鳴った。

「もう、がんばらなくていい」――そう聞こえた。

 淳の唇から白い呼気が糸のように立ちのぼり、冷えた硝子の匂いが鼻の奥を刺す。

 それは恨みよりも長く熟れた悲しみ――触れた指を静かに焦がす温度をしていた。


 淳の黄金色の膜が瞳に流れ込み、黒目の形が細く縦へと寄る。

 体温が下がり、吐息だけが熱を帯びる。

 世界の輪郭が、紙の端のようにわずかに反り返った。

 旧校舎の奥で、誰かが小さくほくそ笑んだような――気がした。



挿絵(By みてみん)

田村智美が仲間たちと行こうとした四国最大規模の道の駅「みなっと」

【撮影】愛媛県八幡浜市「みなっと」

フェリー乗り場近くにある観光複合施設。

魚市場に上がったばかりの新鮮な魚介類を浜値で買える「どーや市場」のほか、

産直・物販コーナー、八幡浜の旬の食材を味わえるイートインスペース。

中でもカフェ「アゴラマルシェ」は八幡浜市民の憩いの場となっている。

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