第208話 殺戮の姫君より【破】──血のティーカップ
第208話
空気が一瞬、止まった。
「……っ」
美優の肩が跳ねる。翔太は息を吸いそこね、喉がひゅっと鳴った。
「腕だぞ?」大熊は指を二本、くいっと曲げてみせた。「白くて細いガキの腕だ。それを刃みたいに通された。こっちの背中から胸まで、いっきにな。で、『そろそろ殺すね』だとよ」
「“殺すね”って……そんな、遊びみたいに……」
「そうだ。遊びの声色だ。怒ってもいねえ。楽しそうでな。ああ、こいつ、“殺す”ってのを、ワシらが“お茶いれる”くらいの感覚で言っとるんだって、そこでやっと分かったわ」
大熊は自嘲気味に笑って、続ける。
「でな? ワシはそのまま貫かれて“終わり”……じゃなかった。そこからがもっとタチ悪い。あいつ、自分でワシのことぶっ刺しておいて、ワシをテーブルに縛りつけて、穴もちゃんと塞いで、イスに座らせやがったんだ」
「……え?」翔太が眉をひそめる。「治したのか? 殺してから?」
大熊は、翔太のちょっと敬意をかいたタメ口にウインクで答える。
だがどこかで、翔太の何かを探っているようにも見える。
「そうだ。“殺したあと、ちゃんと使えるように直してから、質問する”って感じだな。お医者さんごっこって知ってるか? あれの悪魔バージョンだ。しかも“かわいいお茶会”のセットつきで」
美優の喉がごくりと音を立てた。
「痛いとこは止めてくれるんだよ。次に遊べなくなるからな」
「待って」美優は顔をこわばらせ、少し前に乗り出した。「お茶会って、さっきも言ったわよね。どういう意味? まさか、本当に……」
「そこからがふざけてる。霧の路地の真ん中に、白いクロスのテーブルが出た。おとぎ話の姫がずらっと並んでな。シンデレラだの赤ずきんだのが、ワシの血をティーカップに落として、『こぼしちゃった、あらごめんなさい』だ。お茶会だとよ。で、こっちは椅子に縛られて、高木と南雲は鳥かごで吊られてる──そういう遊び場だ、あいつらにとっては」
大熊の声は低くなっていく。内容だけがどんどん悪夢じみていく。
「高木と南雲がな。カゴん中で血まみれでぶら下がってた。まだ息はあった。だけど気を失ってた。あいつら、ワシらを“並べて”見物してんだ。新しいおもちゃが手に入ったから紹介します、みたいなノリでよ。……ああいうのをな、ワシは今まで“敵”って呼んできた。だけど、あれはもう“敵”じゃねえ。あっちは、自分の部屋にぬいぐるみ並べてんだよ。並べて名前呼んでるだけなんだ」
「やめて……」南雲が小さく震えて呟いた。「やめてよ、それ……」
翔太は拳をぎゅっと握りしめていた。指の関節が白い。息が荒い。
「で、ここからが重要だ」と大熊は続ける。「“あなた、『反キリスト』って言葉に聞き覚えあるわよね?”って。“『666の獣』の正体、あなた知ってるでしょ?”って。“教えて?”って、あのまま笑って聞いてくるんだ。ティーカップでワシの血くるくる回しながらな」
再びピキ、と翔太の肩が固まった。
大熊はそれを見逃さない。
(――まだ、確信するには弱い反応だな……)
彼の瞳の奥で、そんな色が一瞬、揺らめいた。でも何も言わない。ただ、ゆっくりと湯呑を動かしただけだった。
「“666の獣を復活させる”って、そいつらは言いやがった。“反キリストを起こす”。“あの子を起こす”。“この街はそのための『受胎』なんだよ?”ってな。楽しそうに、ティーカップの取っ手、握ったまんまで」




