第18話 カメアの波動
第18話
瑚桃イメージ
──秋瀬瑚桃。
星城学園・中等部三年生で、翔太の家の近所に住んでいる後輩だ。制服のスカートは思いきり短く、腰にはベージュのカーディガンを巻いている。明るめの髪色が陽を弾き、軽く巻いた毛先が風に揺れた。
瑚桃は小さい頃から翔太によくなついていた近所の妹的存在だ。
星城学園は中高大一律の学校。中等部と高等部は同じ敷地内に設置されているため、こうやって中等生が高等部に潜り込むことも容易にできる。
「こもも……?」
名前を呼んでみた。確かめるように。
あの夜の続きなのか、それとももう別の現実なのか。まだ、夢の中を歩いているような気分だ。
「そうですよ、瑚桃ですよ。センパイ、アタシ、LINES送ったっしょ? 既読スルーとか泣くんですけどぉ~? それに昼休み、中庭のベンチで待ち合わせって。それが、なんで屋上で寝てるんですか~!? てか、なんで名前呼ぶのに疑問形? もしかして、アタシの顔、忘れたって言うんですか? ヒドみ満載なんですけど」
「っていうか、顔、近い!」
頬にかかる髪の毛がふわりと翔太の頬をかすめ、シャンプーの香りが届く。
まだ成長しきれていない脚線は細く、太もものあいだに少しだけ空気が残る。
その隙間さえ、翔太には“幼い日の名残”に見えた。
だが反射だろう。翔太の心が半歩だけ引く。
(……ダメだ。あの頃の、誰の笑い声も刃みたいに刺さったあの痛みを、まだ引きずっている)
それが逃げの癖だと気づき、同じだけ心を踏み戻した。
そんな翔太の気持ちを知らずか……。
「なんですか、センパイ照れてるんですか。カワイ~♪ ですね、センパイ」
瑚桃は唇の端を尖らせて笑い、白い歯をのぞかせる。小悪魔みたいに挑発しているのに、どこか子どもっぽい。
瑚桃には高等部初登校の時に見つけられ、しきりにインスタのアカウントを聞かれた。だが生憎、翔太はインスタをまだ始めていない。
実は瑚桃も普通におしとやかにしていれば、それなりに真面目に見えそうな子だ。いや、元々は引っ込み思案でおとなしい子だった。
だが翔太は、そんなその瑚桃の“背伸び”を嫌いではない。
どこか無理をしているのは分かっていた。たぶん彼女なりに、昔みたいに守られるだけの自分から抜け出したいのだ。
(瑚桃も、しばらく見ないうちに成長したんだな)
そう考えるようにしている。
翔太は、瑚桃とのLINESの内容を思い出してみた。
『センパイ、私、相談があるんですけど』
『なに?』
『なにって、うーん。ちょっと、とある噂を確かめたいっていうか?』
『噂?』
『うん。心霊スポット』
『ほかを当たってくれ』
『そんなじゃけんにしないでくださいよ。なんかね、中等部の校舎の裏に旧校舎あるじゃないですか。あそこで、学校で非業の死を遂げたある女の子の霊が夜な夜な現れるって……。泣き声が聞こえるんですって。夜中。それがね、その子の泣き声だけじゃないんですって。赤ちゃんの泣き声も聞こえるんですって』
『学校の七不思議みたいなやつ? うちにもそういうのあるんだ』
『あ、あとね。幽霊電車。その電車に乗ったら最後。どこかへ連れ去られちゃうんです。怖くないですか?』
『んー。うん』
『あ~もう面倒くさい、今、通話できます?』
『いや、今から芽瑠を散歩に連れて行くところ』
『もういいです。ならいいです。ミリ単位いいです。デシリットル必要ないです。明日のお昼休み。中庭の噴水のところで待ち合わせできます? そこでお話します』
瑚桃からのスタンプ、スタンプ、スタンプ、スタンプ。
この先はない。
翔太はこの後、芽瑠と港へ向かい、そして『カスケード』に遭った──
フェリー乗り場で、運送会社の長距離トラック駐車場で。自宅、魔王ベレスの作った結界の中で。さまざまな事件に遭遇した。
「あぁ」と翔太。忘れていた……。
それほど壮絶な夜だったのだ。
「ごめん、つい考え事しちゃってて」
と、翔太は言い訳をした。
「まあ、いいんだけどさ。確かにぃ。昨日、また『濃霧現象』起こったし、仕方なとは思うけど」
瑚桃は膨れて見せる。
そして、この軽口も敢えてであろう。
もしかしたら、翔太が落ち込んでいるかもしれないと元気づけようとしているのだ。
わざとらしく腕を組んで見せる、その白い二の腕が制服の袖からのぞき、むしろ可憐さを際立たせていた。
「でさ、センパイ、ねえねえ、そいで、返事、返事は?」
「返事?」
「そそ。次の土曜、ちょっと街を探索してみません? 旧校舎に行こうかと思ってたんですがぁ、なんかさっき小耳にバシ挟んだんですけど、なんか高等部の三年女子が行方不明になってるって……」
(え……?)
行方不明者? 濃霧の被害者だろうか。それとも何かまた別の。瑚桃は翔太の顔色を伺う。
「――あ。嫌そうな、顔……」
思わず翔太は慌てる。
「いや、嫌じゃない、嫌じゃないんだけど」
「嫌じゃないんならなんなんですか」
「ていうか、よく俺がここにいるのが分かったな」
動揺を悟られそうだ。昨晩の衝撃で受けた心の傷がまだ言えてない。
翔太は話題を変えてみる。
「いや、屋上は俺のお気に入りスペースっていうか。でも意外と他のヤツは来ないし。転入してきてからはいつもここで昼寝してんだけど、それはまだ俺のクラスにも知ってるヤツいないし」
「フフン?」
瑚桃は得意そうに笑った。
「中庭でいくら待っても来ないし。センパイの教室に行ったら、センパイ、いなかったのね。で、ほら、センパイの幼馴染いるじゃないっすか。あの優等生」
「美優?」
「みゅう?」
「“みゆ”だよ」
「あ、そうだ。うみちゃんだ」
「お前、先輩に向かって、“ちゃん”付けもないだろ」
「まぁまぁ、固いことは言わず。うみちゃんとは小さい時遊んだこともあるんですから。この間も、ほら、あの『みなと湯』でバッタリ出くわして」
「あの新しい観光施設だろ。お前も、温泉なんか入るんだな」
「私だって地元の温泉ぐらい入りますよ。ってか、センパイも、女の子を“お前”呼ばわりしないでくださいよ」
ああ言えばこう言う。いつもの瑚桃だ。
「で~♪ その、うみちゃんに聞いたら」
じろっと目で制す。
「あ、えーっと、えーっと……。その“うみちゃんセンパイ”に聞いたらぁ~♪ やっぱり“知らない”って! だからアタシ、考えたんですよぉ~。センパイが昼休みに行きそうなところ。で、学園ドラマとかだとよくお昼休み、生徒が屋上とかで遊んでたりするじゃないですか」
「まあ、そうだな……。でも、うちの生徒はあまり来ないぞ。大体、中庭に行ってるし。わざわざ階段を上がって屋上までってヤツいないし。そもそもここ殺風景だし」
「で~♪ アタシ思ったんです。センパイ、絶対屋上だな~って。そしたらドンピシャ☆ ……いやあ、コレって運命なのかなぁ~♪ 運命ってあるのかな~なんて思っちゃう系乙女? だったりして」
「思っちゃう系乙女ならおとなしくしろよ。もう来年、高校生だろ」
「いいですよ~センパイ。その“是非もなし”って感じの口調。いいじゃないですか、センパイ。でも、いつもセンパイつれないから、アタシはただ……」
瑚桃が少し顔を赤らめた。
風でスカートが揺れ、細い脚がきらりと日の光を反射する。
「センパイと、うみちゃんセンパイみたいに仲良くなりたいなって……」
その赤面に翔太も驚いた。そうだ――こももは、元々こういう子だった。
強がりのギャルっぽい仮面の下に、あの頃のままの幼さが、まだちゃんと息づいている。
「お前、そうやって、ふと可愛いとこ出してくるんだよな」
と、翔太はからかった。
「いつも可愛いですよーだ!」
瑚桃は、顔を真っ赤にしながら、イーッと口を横に引き伸ばした。
風にそよぐ髪が頬にかかり、まだ少女の輪郭を残した横顔が一瞬まぶしかった。
スカートの裾がふわりと揺れ、光に透けるその脚は、健康的なのにどこか“未完成”のラインを残している。
ただ翔太は、話しながら、自分でもその言葉の“柔らかさ”に少し戸惑っていた。
目の前の少女が、いつの間にか“守る対象”から“眩しい存在”に変わっている──そんな感覚。
日常――。
こももの笑い声が、現実と夢の境をかき混ぜていく。
昨夜のあの闇も、血の匂いも、まるで誰かの悪い冗談のように遠ざかっていく。
けれど胸の奥では、まだあの声が、微かに息をしている。
(……やっぱり俺は、騙されているんじゃないのか?)
悪魔は人を惑わすと言う。俺は、本当は、別の目的で……。だが何のために。じゃあ昨日見たあれらは何だったんだ……?
校舎の向こうでチャイムが鳴った。
昼休み終了の五分前の予鈴だ。
昼休みのざわめきが風に押され、遠くへ消えていく気がした。
一瞬だけ、時間が止まったような静けさ――。
その時、ポケットの奥で、翔太のスマホが震えた。
「あ、ごめん、瑚桃。電話が……」
目に見えるほど瑚桃の顔がむくれた。
「ぶー。いいですけど、早くしてくださいね」
「悪い。ちょっとそこから景色でも見ていてくれ」
「……は~い」
翔太は瑚桃が離れたのを見る。
十分に離れたのを確認して、スマホを取り出した。
画面を見る。
非通知?
「もしもし?」
翔太は訝りながら通話に出る。
スピーカーからは、あの、少女の声が聞こえてきた。
『――翔太さま、翔太さま』
「この声は……デルか?」
『今、電波に干渉して、翔太さまのスマホに直接声を届けています』
その声は、金属の膜越しのように微かに歪み、教室のガラス窓が風でもないのにわずかに震えた。
翔太は驚く。電波に干渉──? 化け物はそんなことも出来るのか。
翔太は周囲を見回した。姿は見えないが、デルは、実体を情緒体化し、人の目には触れぬようにして、今もこの近くにいる。そうやって、翔太を守っているのだろう。
だが一体、何だ。
もしかして……!
「芽瑠に何かあったのか?」
翔太は訊いた。何か緊急のことでもあったのではないか。
だがデルは、いつもの抑揚のない話し方でこう答えた。
『いえ。芽瑠さまは、私がきちんと白浜保育所まで送り届けました。そうではなく、先ほど、翔太さまにお渡ししてある“カメア”から妙な波動を感知したのです。詳細はまだ分からないのですが念の為、ご帰宅いただけますか?』
「カメア?」
と、翔太はネックレスを胸から引き出した。ダビデの星と呼ばれる六芒星が描かれた指環にチェーンを通してある。「ベレスさまからです」と言われ、今朝、デルから渡されたものだ。
“カメア”とはヘブライ語で“お守り”のような意味らしい。
「いや。特に、何か変わったところはないようだけど」
翔太はその指環を指でいじりながら言う。
『とにかく、学校にはデルから連絡を入れておきます。翔太さまは早急にご自宅へお帰りください』
「いきなりだな。帰らなきゃいけないようなことなのか?」
『分かりません』
デルピュネーは正直に答えた。
『ですが、ちょっと気になるのです。デルはしばらくここに残って、その原因が翔太さまにあるのか、それともこの近辺にあるのか、因子を絞るために、まずはここで確認してみたいと思います』
「よく分からないけど……、とにかく俺は、すぐ家へ帰ればいいんだな」
『そういうことです』
「分かった」
『デルも調査が終わったらすぐにお側へ戻りますので、帰宅の道中、くれぐれもお気をつけて』
そこまで聞いて不意に、いつも自分を守ってくれていた大事な幼なじみの顔が脳裏をよぎった。
(美優……)
そうだ。ここは最も重要な部分だ。
「一応、確認しておきたいんだが」
と翔太は念を押すように聞いた。
「その波動って……もしこの学校になんらかの、お前たちが言う問題があった場合、生徒はどうなるんだ? なにか危険があるんじゃないのか?」
デルは少しだけ沈黙した。
「デル、もしもし? 聞こえてるか?」
『……差し迫った危険はないと考えられます』
デルようやくは答えた。けれどその声にやや戸惑いが隠されている。
いや。ただの思い違いかもしれない。
デルがこのように続けたからだ。
『子どもたちの命についてはデルが保障します』
そこには強い意思が感じられた。
『今は翔太さまの身を最優先に。とにかく、翔太さまにはこの場から離れていただきたく思います』
プツッ──
と、電話は切れた。
どうやらデルなりに、かなり自分の身を案じてくれているらしい。
となると、帰るしかなさそうだ。デルがそう言うなら、確かにこの学園で、何かが起こりつつあるのだろう。
背後を振り返る。
瑚桃が屋上の手すりの真ん前でたそがれている。
わずかに風が吹き、髪の毛とスカートの裾がほんの少し流れた。
空の色が、わずかに青白く濁っている。
それが少し気がかりだったが……
(じゃあ、きっと、この子も大丈夫、だよな)
翔太は瑚桃のもとへ、ゆっくりと歩いていった──
そして、このデルピュネーの嫌な予感は、思わぬ形で当たることになる。
──それはまだ、翔太の知らぬところで、静かに始まっていた。
瑚桃と美優が出くわしたと瑚桃が語った「みなと湯」
【撮影】「八幡浜市黒湯温泉みなと湯」。
愛媛県八幡浜市の新たな観光資源。
中国・四国地方では初となる、黒湯(モール泉)という珍しい泉質の温泉。
元は埋立地のテニス場だったが、その地下950mから突然、湧出した。
この黒湯は、保湿・保温効果に優れ、肌がスベスベになることから「美人の湯」とも呼ばれる。
露天風呂には、塩分を多く含んだ地下水を使用した「塩湯」が使われ、肌の引き締め効果もある。




