第197話 左腕の代償
第197話
ついにロキの背後を取ったベールゼバブ。
ベールゼバブによる飢餓の双刃での剣戟のフルパワーは、一撃で1500メガトン。
比較するなら、広島型原爆が約15キロトン。
ベールゼバブの一振りは、それを1億倍以上も凌駕する。
この力が都市を襲えば、一瞬で半径200キロメートルが蒸発するだろう。
大地は焼け焦げ、山脈はその輪郭を失い、海さえもその場から吹き飛ぶ。
だが、それはほんの序章に過ぎない。
彼の本当の恐ろしさは、一撃一撃が地球そのものも標的とできる点だ。
剣から迸る衝撃波は、地表から地殻を貫き、マントルへ到達する。
マグニチュード15以上の超地震を同時に数百発起こすかのような効果だ。
これは大陸を一つ跡形もなく消し去るだけでなく、地球自体を回転軸からわずかにずらす恐れさえある。
さらに相手の生命を吸い取るデバフが付与できる。
相手が神であろうと、この一撃を受ければ、無傷では済まない。
ただ、ロキの固有結界によって今、ベールゼバブの能力は相当、弱体化している。
それでも、このベールゼバブの一撃はロキを慌てさせるには十分だった。
レーヴァテインで受け止めるのが間に合わないと見るや、体を捻り、最速の逃げを打った。
だがただでは逃げられない。
左腕と引き換えだ。
瞬時にしてロキの左腕は蒸発した。
同時にロキの固有結界に再現された水城の街も消え失せていく。
ロキが左腕を犠牲にしたには理由がある。
完全に避けきってしまえばメガトン級の大地震が発生してしまい、この固有結界を維持できなくなるからだ。
(固有結界を張れるのは、よくて一日に1~2回。それ以上張ると、戦うだけの魔力も力も失ってしまう。一度、固有結界を貼った以上、これを破られるわけにはいかない……!)
左上を犠牲にしたことで、飢餓の双刃により、ロキの生命力が大幅に削られた。
だが、まだ余裕はある。
ロキは蒸発してしまった左腕に魔力を込める。
周囲の空間が歪み、空間は急激に形を変え始めた。
最初は骨のような白い構造が浮き上がり、それに絡みつくように赤黒い筋肉が形成されていく。
筋繊維が絡まり合い、まるで何百匹ものミミズが一斉にのたうつような不快感を伴って、その形状が明確になっていく。
「なるほど。左腕一本で、我が必勝の一撃を緩和したか」
ベールゼバブもこれには驚いているようだった。
「困ったものだ。アレを出すには必殺じゃなければならないっていうのにな……」
「いや、驚いたぞ」
ロキは答える。
「腐敗などの自らの能力ではない純粋な暴力で仕掛けてくるとは」
「狡知の神・ロキを倒すのに、搦め手は得策とは言えまいよ」
「確かに。搦め手は、我が最も得意とするところ。それを見越しての純粋な一撃。どうやら真剣に向き合わねばならなかったのは我のようだ。非礼を詫びよう」
「はっ! らしくないな」
ベールゼバブはそう言って再び飢餓の双刃を構える。
「アレをかわされた以上、俺もとりあえずこの場からは失礼したいところだ。なんせ相手はロキ。誰もその考えを読めぬ厄介者。俺に詫びると言いながら、すでに結界の再生を始めているではないか」
そのベールゼバブの言葉通りだった。
蒸発した水城市が、不思議な力で少しずつその姿を取り戻し始めている。
ベールゼバブが切り裂いた病院もそうだ。
光の粒子が一気に集まり、それはすでに元の形を型どりつつある。
それだけではない。
ロキとベールゼバブ、その周囲には再び、霧のようなものが漂いつつあった。
「いいや、逃がすまいよ」
ロキはニヤリと笑った。
「そちは逃さん。危険すぎる。ここで勝負を決めておきたいところだ」
その言葉を放ったロキの顔の前をひときわ濃い霧が流れていった。
ベールゼバブが恐怖を感じたのはまさにこの時であった。
いつの間に、だろう。
ベールゼバブは囲まれていた。
霧の中にいる人影に。
「ま、まさか。貴様……」
ベールゼバブは目を見開いた。
「そんなこともできるのか……!?」
ベールゼバブを取り囲んでいた人影たち。
霧の中のその人影たちはすべて。
ロキだった。
10体はいるであろう。
分身の能力があるのか。
いや、これは……。
「お察しの通りだ。魔界のプリンスよ」
そうロキは笑う。
「これは俺の『ゴースト』たちだ。俺は、この霧をあやつって、自らの『ゴースト』を作ることができるのさ」
一斉に、ロキの『ゴースト』たちが霧の中からクスクス笑いを始める。




