第194話 交渉決裂
第194話
魔王ベレスはロキのその呼びかけに、ちらと瞳をそちらへと移した。
ロキの右手にはいつの間にか、杖が握られている。
(悪夢の杖……レーヴァテインか……)
ベレスはそれを見やって思う。
レーヴァテイン──。
杖の全体は漆黒の光沢を放つ金属でできており、見る角度によって青や赤の微かな燐光が揺らめく。
杖の軸には炎の形状を模した複雑な文様が刻まれており、それがまるで生きているかのように波打つ。そしてこれは、持ち主の手に応じて脈動する。
杖の先端には、燃え盛る小さな炎が宙に浮いて揺れており、その炎は消えることがなく、照らされた濃霧の中でもひときわ眩しく輝く。杖の先端部分は、螺旋状に絡み合った棘のような金属で構成されており、それが燃え盛る炎を囲む形になっている。
杖の下部は、古代のルーン文字が刻まれた鍔に繋がっており、これらの文字は北欧神話の呪文を象徴している。文字は時折、赤く輝き、何かを囁くような音が微かに聞こえる。
またこのレーヴァテインは持ち主の意志に応じて、杖の長さや形状が変化し、時には全体が小さく短剣のような形に縮むこともある。また、戦闘時には炎をまとった大剣へと変化し、杖としての静けさから一転、破壊的な力を発揮する。
「手を組む……。なるほど、君にとってもあの蠅の王は、今ここで倒しておくべき敵だと認知しているのかい」
「そうだな。我としては、あの666の獣が完全な姿になるのを見たい。その獣を消そうとする蠅の王は我々の敵ということだ」
「つまり僕の目的を君は知っている?」
ベレスは黒と赤と青の紋の蝶たちの間から、鋭い視線をロキに送った。
「僕はあれ……北藤翔太を、人として、平穏な生命をまっとうさせるつもりだ。君の望む、獣へ孵化させる気は毛頭ない」
「それは分かっているさ、相棒。だが……」
仲間のような顔をしているがロキは狡知の神。
決してその表情から自分の思惑を見せない。
「今現在、我々の目的は一致しているんじゃないのか? どうだベレス」
「…………」
ベレスは沈黙を答えにする。これにロキは畳み掛ける。
「とにかく今、蠅の王ベールゼバブはアレを消そうとしている。我はそれを止めたい。それはお前もそう。アレを守りたい。だから手を組もう。我らが二人がかりでかかれば、蠅の王とて大した敵ではない」
(何を企んでいる…。こいつは息をするように嘘をつく。口車に乗るわけにはいかない。が。しかし)
「そう、しゃっちょこばるなよ、ベレスよ」
押し悩むベレスにロキがにいっと笑った。
「我はなんも悪巧みなど考えておらん。素直に、蠅の王を消してしまいたいだけだ。我とお前の仲じゃないか。数千年にも及ぶ……。いいだろ? ちょっとぐらい手を貸したって」
「ごめんだな」
ベレスはロキを拒絶した。
正直、ロキの力は計り知れない。
誰もその実力の程は分かっていない。
それなのにロキが災害LEVEL9と言われているのは、その危険度である。
そこかしこに、会話にも戦術にも、何についても、その中にトリックを忍ばせ仕掛けているからだ。
暗器のようなものである。
どんな罠が飛び道具が潜んでいるかわからない。
もちろん今、この会話にどんな罠が潜んでいるか、分かったものじゃない。
ゆえに、危険度も「地球破壊クラス」のLEVEL9。
ロキ相手では、ちょっとした油断が命取りになりかねない。
ベレスは視線をベールゼバブに移し、ロキにピシャリと言い放った。
「僕は、この獣が孵化しないよう護るだけだ。君と手を組むにはリスクが大きすぎる。君はコレを、目覚めさせようと何か企んでいるかもしれないだろう?」
「なるほど。恐れているのか」
ロキは静かに言った。だがその口調からは心情は読み取れない。
「返事がないということは、つまり我を信じないと」
「…………」
ベレスは応えない。
「なら、勝手にさせてもらおう」
そう言うと、ロキは転換素早く、すぐにベールゼバブへと対象を移した。
そして次の瞬間……。
ロキはその場から消え失せた。
いや、瞬間移動。
ほぼ同時にベールゼバブの真正面に現れたのだ。
レーヴァテインでベールゼバブを槍のように突きながら。
目にも止まらぬスピードだった。だが。
ベールゼバブはその攻撃を大きく背を反らして避けた。
レーヴァテインの切っ先の炎がベールゼバブの胸の衣服を、わずかに、焦がす。
しかし、早さではロキも負けていない。
その反り返ったベールゼバブの背中を、ロキは隙だと狙い、力強く蹴り上げた。
「ぐ……はっ!!」
ロキの蹴りのその威力に、ベールゼバブの肉体は一気に上空へ吹き飛ばされる。
「逃さん!」
ロキはベールゼバブを追って竜巻のように上昇する。
そして次の瞬間にはベールゼバブのすぐ横までたどり着き、そのままレーヴァテインを剣のように、その胸あたり目掛けて振り下ろした。だがベールゼバブもすぐ応戦する。
「北欧の神ごときが!」
「な……」
ロキのレーヴァテインを受け止めたのは、2本の短剣だった。
柄には黒い翅がデザインされている短剣。これをクロスしてレーヴァテインを挟み込むようにする。
「飢餓の双刃!」
途端にベールゼバブのスピードが増した。
その2本の短剣がロキを襲う。
とてつもない手数。まるで千手観音のようだ。
ロキも負けない。高速で繰り出されるロキのレーヴァテイン。
だがベールゼバブは、それを2本の短剣でさばききっている。
一歩も劣らない。
「なるほど。その短剣は持ち主の高速移動を可能にするものか」
「それだけではない」
だが、ベールゼバブの表情には余裕がない。
それほどロキが思いの外、“強い”のだ。
しかし、だからと言って、魔界のプリンスたるもの、このまま好き勝手されるわけにはいかない。
「よく見ろ。お前の自慢の杖の先の炎を」
その言葉にロキがレーヴァテインを見ると、切っ先の炎の大きさがわずか半分になっている。
「この飢餓の双刃の刃は、触れたもののエネルギーを奪い、私に還元する!」
ベールゼバブの動きの速さが、力が、いつの間にか増していた。
レーバテインの力を吸い取り、それを自らの力にしている。
(なるほど。魔具というのは厄介なものだな)
そんなロキの顔面スレスレをついに飢餓の双刃の一撃が捉えた。
思わずロキは怯む。
そして、これを逃すベールゼバブではなかった。
双剣の間に黒い糸のような煙を発生させたのだ。
「瘴気か……!?」
気付いたロキが三重にも四重にもエネルギーのバリアを張る。
何かして来るに違いない……!
「この瘴気は“飢え”が実体化したものだ」
ベールゼバブは勝ちを確信したかのごとく口にした。
「そしてエネルギーを吸収しながら、対象を絡め取る……!」
その瘴気の糸がロキへ向けて、カウボーイの放つ縄のように飛んだ。
そのままバリアごと縛り付け、ロキを手繰り寄せようとする。
「腐れ! 腐敗せよ!」
同時に、ベールゼバブを守っていた背後の蝿の大群が、巨大なもう一人のベールゼバブの形を成していた。
蝿で形成された巨大な蝿の王。
本物と違う点は、腕が何本もあることだ。
「蝿神降臨!」
蝿で出来た巨大な何本もの手がロキのバリアを捕らえた。
握りしめ、ミシミシとバリアにヒビが入り、そして。
ロキは、バリアごと、数十本の巨大な蝿の手によって握りつぶされた──!




