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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第一章 サバト編~その愛は、死を招く

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第17話 その名は「こもも」

第17話


 星城学園せいじょうがくえん高等部・屋上――


 お昼ご飯代わりのサンドイッチを平らげた翔太は、屋上に仰向けに寝転んだ。

 昨日の惨事が、まるで遠い夢の泡だったかのように。

 頭上には春特有の薄い雲が流れ、その切れ間から、どこまでも澄んだ青が覗いていた。


 デルピュネーと呼ばれる半人半竜のメイド服の少女は、昨晩から翔太のお目付け役兼給仕役となった。翔太はそれを受け入れた。


 いや、受け入れざるを得なかった。

 逃げても、もう“昨日の世界”には戻れないと分かっていた。

 選択肢など、最初から与えられていなかったのだ。


 ──そのデルピュネーが作った朝食を食べながらしてくれた話の一部を翔太は思い出す。


 ◆   ◆   ◆


「『ゴースト』についてですか……?」

「そう。親父からその名は聞いたことはあったんだけど、俺、よく分かってなくて」

「なるほど。確かに翔太さまの重要性を考えるに、ご認識されてない事柄が多いことは私どもにとっても不安材料ですね。では是非、『情緒体アストラル、つまり『ゴースト』について、デルの方からお話しましょう」


 翔太はまだ完全にこのメイド姿の少女……いや、半人半竜の怪物を信用したわけではない。だが、あんなことがあった後だ。


「そうですね……どこからお話しすべきか」


 デルは一度視線を落とし、静かに続けた。


「過去の実例を挙げましょう。1774年――聖アルフォンソ・マリーア・ディ・リゴーリの件です」

「1774年!? やけに古い話だな」

「ええ。──ある時、聖アルフォンソ・マリーア・ディ・リゴーリは、法王クレメンティウス十四世の死の床にはべるという騒ぎを起こしました。ですが聖リゴーリは無罪を主張。その夜、断食のために独房に入っており、しかも、そのアリバイもございました」

「それじゃあ」

「はい。人々は、聖リゴーリではない、“何か”を見たのです。また1887年」


 デルピュネーは続ける。


「父親と二人の娘がお付きの者と狩りに出た時の話です。娘たちは先に帰ることになりました。ですがその途中、彼らは丘の上で白馬に乗った父の姿を見たのです。父は帽子を振って娘たちに応えました。娘の証言によれば、その時、父が乗っていた馬は怪我をし、汚れ、震えていたそうです。そして、少し目を離した瞬間に、その父と馬の姿は消え失せてしまったとのこと」

「消えた……?」

「そうでございます、翔太さま。その後、娘たちは帰宅した父に尋ねました。馬が怪我をしていたので、父も傷を負っているのではないかと。ですが父は、丘の上には行かなかったし、怪我もしていない」

「不思議な話だな」

「この現象は、フレデリック・マイヤーズが1903年に出版した研究書『人間の性格と肉体の死後の生存』に、しっかり記録されています」

「あとで調べてみる……」

「ところで、翔太さまはドッペルゲンガーという現象をご存知でしょうか」


 知っている。この世には自分とそっくりな人間が3人はいると言われていて、万が一、遭遇すると不慮の死を遂げてしまうという、オカルト話だ。


「学術的には“二重体”と呼ばれていますね。自分以外のまったく同じ人間が現れる現象。これは過去から現在に至るまで、頻繁に目撃されています。その一例が『ゴースト』」

「『濃霧』の中に潜んでいるのはドッペルゲンガーのたぐいってことで合ってる?」

「正確には『ゴースト』は、それが“バーサク化”──暴走した“情緒体じょうちょたい”です。『カスケード』が関与したか否かで、境い目の濃度が変わります」


 そう言いながら、デルは翔太と芽瑠が食べ終わった皿を片付ける。


「実は、『濃霧』……つまり『カスケード』は元々、世界中であった現象です。もっとも今はこの水城市みずきしのみで観測されており、他の“穴”は塞がっているようですが」

「水城にだけ……」

「はい。人間の世界にも狼男や吸血鬼、ドラゴンなどの伝承は伝わっていますでしょう? あれは『カスケード』によってこの世界に来た、わたくしどもの同類の逸話が伝わったものでしょう」


 ◆   ◆   ◆


 屋上で空を見ながら翔太は思う。

 デルピュネーの話から計算すれば、少なくともここ200年ほどは水城以外で『カスケード』は起こっていない。


 それは水城が、幽世かくりよと最も近い場所とされているから。


「からエジプトの古代神が俺という肉体を得て転生し、最悪の破壊者も取り憑いた」


 ……そんなもの、望んだ覚えはない。

 自分が特別だなんて信じたくない。

 どちらかと言えば、誰よりも臆病で、誰よりも傷つきやすい人間だ。

 いじめられっこの高校デビュー。……なんて情けない響きだろう。


 夢だと想いたかった。だが、朝起きてデルピュネーを見た今となっては、自分が見せられたあの“魂の在り方”も夢ではなかったことを意味する。悪魔の話なんて信じて良いのか。でも現実は現実。「そのままをそのまま受け入れるんだ」──シャパリュの言葉が脳裏にこだまする。


 そのシャパリュは、アーサー王時代の怪物。デルピュネーはギリシア神話の魔獣。成宮蒼なりみやそうにいたっては魔王──ソロモン72の魔王の頭領だとされる地獄王……。


 世界中の「神話」や「伝承」のミックス。こんなデタラメな怪異。これをそのまま受け入れなければならないいのか。


 翔太は昨晩多くの怪異体験をし、さらには自身の“正体”らしき、おぞましい“魂の在り方”を目の当たりにした。


 ──君は世界の破壊者だ……


 魔王ベレスは、その翔太を守ると言う。覚醒しないよう、穏やかにその人生をまっとうするのを見守るのだという。“平穏”を好む翔太にとって、それはそれでありがたいし、デルピュネーは本物のメイドのように朝から世話を焼いてくれた。西洋風の朝食も美味しかった。


「虚構」と「現実」の境が、指の隙間から零れていくような感覚──かざした右手の輪郭が、青空ににじむ。


 この手に、本当に、それだけの力が備わっているというのか。

 世界を、この宇宙をも、破壊する力が。

 すべての神話に登場する神や悪魔、怪物や妖魔、それらすべてを凌駕するという化け物めいた力が……


 思いにふける翔太の心の中でかすかに聞こえる声。


『センパイッ! セ~ンパイッ!!』


 空の彼方から響いてくるように思えたが。


『センパイってば!』


 いや――違う。

 現実の声だ。けれど、夢の残響のように遠く感じる。

 まだ、どこかで“世界の縫い目”が鳴っている。


 しかしこれは聞き慣れた声。

 水城に戻って以来、やたらと絡んでくるもう一人の幼馴染。

 年下の中等部三年生の女の子。


「センパイッ! もう、何ぼーっとしてるんですか!」


 翔太の顔を覗き込んだのは。


 春の陽より明るい笑顔。

 あの闇の夜を知る彼にとって、それはもう、手の届かない“安全な日常”の象徴。


 ──こもも。

 秋瀬瑚桃あきせこももだった。


挿絵(By みてみん)

星城学園。山の中腹あたりにある学園。春には桜が満開となり景色も美しい。

【撮影】愛媛県八幡浜市 愛宕中学校

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