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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第180話 血まみれのアリス

第180話


「ねえ。どうしたの? 遊ぶの? 遊ばないの?」


 そう、この金髪碧眼の少女は囁きかけてくる。


「ねえ。この少女って……」と南雲麻衣は言う。

「ああ。間違いなくこの世の者じゃない」、高木英人は答える。

「狩って回ってたって」

「おそらく、俺たちエージェントのことだろうよ」


 ──だが一体、何の目的で……?


 そんな若手エージェント二人の前にベテラン・大熊英司が立ちふさがった。


「つくづく、この『カスケード』ってヤツは恐ろしいな。狩ったって……後輩たちも結構な猛者揃いなんだぞ」

「大熊さん……!」


 前に出ようとする高木を大熊は制した。


「お前の棍の魔術紋を見ろ。やっこさん、相当厄介なヤツだ」


 大熊に促されて高木は棍の魔術紋の変化を見る。


 青い魔術紋が白に近い黄金色へと変化し、禍々しき曲線がまるで幾何学的な模様を描く。これは。


「このパターンは……!?」


 ──“神”!


 そう。神の属性を持つ幽世の者に現れるパターン。


 だが、なぜだ?


 このトロールと少女に、なぜこのパターンが現れる……!?


「私の名前はアリス」


 と、金髪碧眼の少女が名乗った。


「私と遊んでくれないなら仕方ないわ。じゃあやっちゃって。トロール」


 ウガアアアアアアアアアアアアアアアア!と咆哮を上げてトロールがこちらへ向けて走り始めた。


 その身の丈は5メートルほどだろうか。巨大な棍棒を振りかざして襲いかかってくる。


「大熊さん、ここは俺が!」


 高木が飛び出した。


 棍を振り回し、自身の魔力を棍へと込めていく。再び魔術紋の紋様が変化した。


「お前の腕力と俺の魔力……勝負だ!」


 高木を叩き潰す勢いで振り下ろされる巨人の棍棒。それを細い棍一つで受け止めようとする高木。


「高木くん!」


 思わず麻衣が手を差し伸べようとしたその時である。


 カアアアアアアアアアアアアアアアアン!


 甲高い音が濃霧の中に響き渡った。


 そして棍棒を振り下ろしたはずのトロールは、逆に棍棒を押し返され背後にのけぞりそうになっている。


 高木英人の棍術。魔力。その棍に触れたものをことごとく弾き飛ばす力。


巴削ともえそぎ!」


 いわゆる磁石の同極を合わせた時のような強力な反発力。これが高木の棍に触れた瞬間に発動。魔力を大量に消費するが、この高木の技・巴削ぎはそうそう破られることはない。


 なにしろ相手の力が強力であればあるほど、その「反発力」は強くなる。


 実体があり、物理攻撃をしてくる者にとっての天敵的な技であった。


 かくして、のけぞり腹を見せてしまったトロール。これを見逃す大熊ではなかった。


「シュッ!」


 鋭い声とともに何本ものナイフがトロールの急所へと刺さっていく。臍の下、みぞおち、心臓、喉笛、アゴ、鼻、そして両目玉。


 トトトトトトトトトン!と小気味よくリズムを刻みながら刺さっていき、トロールは激痛の悲鳴を上げる。


 だが。


 アリスを狙ったナイフだけはアリスを素通りする。


 いや。


 おそろしいスピードで避けたのだ。


 上へ。


 天高く。濃霧の中へ。


「逃がすかっ!」


 その空を覆う濃霧へも大熊のナイフが何本も飛ぶ。ナイフは濃霧に飲み込まれ、その行き先は見えない。だが。


 そんな大熊と高木の頬に生暖かい液体が降ってくる。


「これは……」


 指でそれを拭う。赤い。血?


「大熊さん、やった!」


 思わず高木が笑顔を見せた。上空に逃げたアリスを大熊のナイフが捉えた証拠だ。勝機が見えてきた、そんな高木の想いはまるで春先のちぢれ雲のように消える。


 ストン!


 気づく暇もなかった。それほど油断しており、そしてそれほど早かった。


 棍を構える高木。その棍の上に。


 体中をナイフで刺されたアリスが軽やかに立っていたのだ。


 アリスの体中から血が流れ出している。痛々しくナイフが突き出している。その血まみれの姿と彼女が魅せる妖しい笑い顔はまるで、地獄の底で咲く花のようだった。


「巴削ぎ……。やっぱりそうだね。お兄ちゃん。これは力と比例して反発する力を生む魔術の技。確かにトロールの攻撃とは相性が悪いわ」

「こ、この……! どけ!」


 だが高木の棍はピクリとも動かない。それどころか体を支配されてしまったかのような拘束感もある。


「あがいてもムダよ。だって今の私はまるで天使の羽のような軽さであなたの武具の上に立っているんだもの。だけど、良かった。これであなたの技の正体が証明できたみたい」


 その高木の体を、アリスから滴り落ちる血がぽつぽつと汚していく。


「こなくそ!」


 大熊が飛び上がった。それぞれの指の間にナイフを挟み、その右拳でアリスの顔面を撫で斬りしようとする。


 死角からの攻撃。だがアリスはそれをいかにも「読んでいた」とでもいうかのように、ふわり、と高木の棍の上から飛び降りた。それから体重をも感じさせない動きで、後ろへふわりふわりと退いていく。


「すごい、すごーい。とてもいいコンビネーション。でも忘れてない? トロールは……」


 グワアアアアアアッ!とトロールが復活して雄叫びを上げた。


「たいていの傷は自己治癒しちゃうんだから」


 先ほどの攻撃よりも早かった。まるで見違えるようなスピードでトロールはその棍棒を横にいで、大熊、高木、麻衣の三人を吹き飛ばそうとしてきた。


「くっ……!」


 巴削ぎ発動……! しかし高木が魔力を完全に込め切る前に、その棍棒は高木の棍を撃った。相手の力を磁力へと変換し、同じ磁力の極を棍に帯びさせる「巴削ぎ」。だが不完全な状態で受けてしまったため、こちらが吹き飛ばされる羽目になってしまった。


 一気に空っぽの広いガレージの奥に叩きつけられる三人。コンクリートの壁に激突し、みしりと体がきしむ音をそれぞれが感じる。


「ほら。私だけに気を取られていた報い。トロールだって、強いんだから」


 霧の向こうからアリスの声が聞こえる。


 それを高木は忌々しく聞いていた。


 そして気付いた。


 大熊が高木と麻衣の肉のクッションになっていたことを。


「ぐぅ……」


 大熊が呻く。あのスピードと威力をほぼ殺すこともできず、コンクリートの壁に叩きつけられたのだ。しかも高木と麻衣を前にして。無事で済むわけがない。


「大熊さん!」


 高木は思わず叫んだ。そんな高木の呼びかけに大熊は苦虫を噛み潰したような表情をしてつぶやく。


「大げさに騒ぐんじゃねーよ。これぐらいなんてことない」

「でも!」と麻衣が痛みに体を震わせながら言う。

「南雲のおじょうちゃん。こっちはな。ただ歳くっただけで班長になったわけじゃぁないんだ」


 へっへっへと大熊は笑う。


「お、大熊さん……?」


 目を丸くした高木の前で、誰よりも早く大熊が立ち上がり、ぱんぱんとコートについて土埃をはたいた。


「無事……なんですか?」

「ん? ああ。お前ら二人程度、余裕余裕。まあ南雲のお嬢ちゃんが思ったよりも重かったがな」


 麻衣は顔を真赤にした。


「え、どういう……?」

「いや、単純な種明かしだ」


 そういうと大熊は自身のコートを開いて見せた。


防暴呪符ぼうぼうじゅふさ」


 よく見るとナイフが何本も仕込まれたコートの裏側にびっしりと、魔術紋が刻まれている。


「こいつは三回まで、強烈な物理的攻撃をなかったことにできる魔術紋だ。西洋の魔術というよりは東洋神秘主義から生まれたもんだな。いざなぎ流って四国の呪術だ。出動前に、あの国際魔術会議ユニマコンお抱えの陰陽師の爺さんに仕込んでもらった」

「なんで黙ってたんですか!」

「いやあ。敵を欺くにはまず味方からって言うだろ? この老体だ。万が一のことを考えて、ついな……」


 自分だけ……という想いと「抜け目ない」という想いが高木の中で交錯した。そうだ。この人はいつもそう。


 おそらく大熊よりも優秀で強いエージェントは数多くいるだろう。だが大熊ほど老獪ろうかいなエージェントは他にいない。


 力で勝てないなら知恵を使う。普通なら自身の持つ能力に合わせて準備をするものだが、この大熊という老人は、そんな型にはまった作戦をするりと抜け出した戦い方をする。自分の能力を過信せず、使えるものは何でも使う。プライドなんて、どこにもない。


 どちらかと言えば高木は猪突猛進型の攻撃を得意とする。ゆえに頭脳派の大熊と相性がいい。高木が先手攻撃すればサポートを。大熊から攻撃する時は高木がとどめをさしやすいように。


 この臨機応変ぶりが大熊と高木のタッグの強みだった。


「さすがね……。ごめんなさい。大熊さん。アタシ、ちょっと大熊さんのこと誤解してたかも」


 思わず麻衣もこの大熊の機転を褒めた。


「とんでもない強力な能力、魔術を使うエージェントをアタシはたくさん知ってる。蓮實も柄谷もそうだった。でも大熊さんってそんな能力に頼り切らず、経験で戦っているのね」

「まあ、どうにもならん時はどうにもならんがな」

「アタシ、勝てる気がしてきた。少なくともあのトロール。あれを潰す手段はあると思う」

「本当か、麻衣?」

「それは興味深い。聞かせてもらおうか」

「まず、ね……」


 南雲が語ろうとしたその時である。


「余裕なんだね、お兄ちゃんたち。そんなに長い作戦会議なんてしちゃって」


 その囁くような声にそこにいる全員が振り返った。


 いや。


 正確には、高木と麻衣の二人。


 大熊は……。


「うごああああああああああ……」


 大熊の背中から胸にかけて何かが貫通していた。


 それは。


 少女の腕だ。


 そう。あの金髪碧眼の少女・アリス。


 アリスが背中から胸にかけて、大熊の肉体を、その細い腕で貫いていた。


 アリスの腕から大熊の血がぽたりぽたりと滴り落ちる。


「でも、もう作戦会議の時間はおしまい。そろそろ殺すね」


 体中ナイフで刺され血まみれのアリスが、高木と麻衣を見下ろしてにっこりと笑った。

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