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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第175話 『ゴースト』突破作戦

第175話


 病院内はすでに混乱の渦中にあった。だが皮肉にもそれが、最大の危険から人々の目をそらす結果となった。そう。玄関口にすでに現れている『ゴースト』だ。


 ガラス製の自動ドアの電源は切ってある。

 彼らがドアの前に立っても開くことはない。

 それでももし彼らが大量に押し寄せてくることがあれば。

 破られるのは時間の問題かもしれない。


「アレが来てることも、そのうちここにいる全員にバレちまうだろうな」

 小野山が言う。

「ああ。目に浮かぶよ。皆が恐怖に震えながら逃げ惑うのが」

 野津は答えた。

「じゃあ、その前にここを脱出したほうがいいっすかね」


 そう小野山の表情を伺いながら口を出したのは小野山の右腕である櫻井だ。

 野津はその櫻井を見下ろす。


「全員は無理だろうな。パニックが広がる前に、まともそうなヤツだけ連れて逃げられたらいいが」

「野津、それはこいつらを見殺しにするってことか?」

「いや。助けを呼ぶんだ」


 野津は続ける。


「親父が理事を務めてる漁業組合にコンテナトラックがいくつかある。それをここまで運べば」

「入院患者はどうする」


 小野山の舎弟の櫻井が口を挟む。


「こっちは2人、宇和島のヤツらにやられて入院しちまってんだよ」

「もちろん、入院患者もだ」


 野津は事もなげに答えた。


「そもそもこの病院は指定避難所じゃない。これだけの大人数だと市民会館が一番いい。そこに医師や機材ごと入院患者も運ぶ」

「なるほど。だがどうやって、漁業組合まで行くんだ? 救急車も出動できない状況なんだぞ」

「それはもう考えてある」


 そう言うと野津はロビーのソファーで頭を抱えて座っているバス運転手を見た。


             ※  ※   ※


 市立病院は市内循環バスの終着地点でもある。ここにバスの運転手がいるということはおそらく、市立病院に到着したのとほぼ同時に『濃霧警報』が出されたのだろう。そこで、運転手はとりあえず病院へ。つまり。


 市立病院の前にはまだ路線バスが停まったまま、ということだ。


 救急車程度の大きさであれば『ゴースト』にひっくり返される恐れがある。

 だが路線バスであればそれはない。

 野津は原田、高木にも話して、まだパニックに陥っていない人々に声をかけるよう提案した。

 小野山、櫻井も同様だ。


 星城学園、水城工業の一時休戦協定。まずは脱出、そして残りの人々を救い出すのが先だ。


 だが路線バスで運べる人員にも限りがある。


「この玄関口から路線バスが停まっている場所までには広い駐車場がある。そこを駆け抜けられそうなヤツ、この計画を聞いても冷静でいられそうなヤツ、あと危険が伴うから『ゴースト』から逃げ出せるぐらいの体力があるヤツを探してほしい」


 野津の要望はこうだった。


 全員が一斉にロビーに散らばった。問題はバスの運転手が計画に乗ってくれるかどうかだったが、これは意外にもあっさりといった。この状態から抜け出せるならなんでもいいという表情だった。


(これでうまくいく!)


 ……はずだった。まさか、こんな大誤算が待ち受けているとは野津も考えもできなかった。


「よう」


 約束していた集合場所へ戻ると、もう二度と見たくなかった顔があった。


 そう。


 宇和島第三工業。


 文化祭で野津をボコボコにした疋田麗央ひきたれお

 小ずるく身軽で容赦なく金属バットを人に向かって叩き込む寺沢龍雅てらさわりゅうが

 そのほかボクシングで小野山らを翻弄した柴田、背は低いが頭突きが得意な後藤、相手に噛み付いてでも勝ちに執着する山城。

 この5人もここにいたのだ。


 野津は努めて冷静に、原田先生へと耳打ちする。


「なんで、こんなヤツら……」

「だって~。聞かれちゃったんだもん」

「まったく……」


 計画が漏れてしまったことは仕方ない。


「まあ、同じ高校生だし、ここは仲直りしてみたら?」

「そうそう。そのボインの先生の言う通り」


 龍雅がヘラヘラと笑って、かついだ金属バットでぽんぽんと肩を打った。


「それに俺らは戦力になるぜ。どうせ、50メートルは走らなきゃいけないんだろ。その間にどんだけあのゾンビらがいるか」

「ゾンビじゃない。『ゴースト』だ」

 だが彼らにとって名前なんてどうでもいい。

「似たようなもんだろうがよ」

 そう。名前なんて……。


 口の減らない野郎だ。だが確かに、こいつらが本当に味方になってくれるのなら、路線バスまでたどり着ける可能性は格段に上がる。


「大丈夫、大丈夫。命がかかってんだから。裏切りゃしねえよ。ここは一旦、手を組んで、お礼参りしたいならあとだ」


 迷っている暇はない。ここは信じるしかなさそうだ。

 ただこっぴどくやられた水城工業の小野山と櫻井だけは、腑に落ちないようで鋭いガンを飛ばし続けていた。


(確か、乗り込んできた宇和島のヤツらは7人。今ここに5人しかいないってことは2人は入院してるってことか)


 つまり、宇和島第三のヤツらも仲間が2人、この病院内にいる。

 まさか仲間を見捨てるような真似はしないだろう。

 野津は「わかった」と龍雅の目から視線を外さずに言った。


 集合場所には神経質そうなサラリーマン風の男、あと小さな赤ん坊を抱えた若い女性、また30代ぐらいの夫婦や老夫婦の姿もあった。そして。


「お前は‥‥」


 星城学園の制服を着た女生徒。野津の隣のクラスで、女子剣道部の主将をやっている少女が立っていた。名前は確か。


今井咲いまいさきよ。野津くん、私もその作戦に乗るわ」


 今井咲。剣道三段。個人戦では県大会で優勝。全国大会でもベスト4に入るほどの実力の持ち主だ。その足元には専用の袋に入れられた防具と竹刀。偶然にしてもあまりにもラッキーだ。


「週末だったから水城剣道会の夜稽古に顔出ししようと思って持って帰ってたの。『濃霧警報』が鳴ったもんだから慌ててこの病院に避難したんだけど‥‥こんな状況になったんなら私だって打開したい。協力させて」


 野津は知っていた。たかが剣道、たかが竹刀。

 そう侮るなかれ。


 よく剣道はスポーツ化し実戦に向かないと言われるが実はそうではない。

 まず剣道を嗜んでいるものの動体視力はとんでもない。

 竹刀が飛んでくるスピードはボクシングの拳の速度をはるかに超える。

 そしてその一撃。

 これは小手などを打たれた者ならわかるが、一発で敵が竹刀を落としてしまうほどの激痛を与えることもできる。

 脇腹などに当たればその部分が紫色に腫れ上がり、悲鳴を上げてうずくまってしまう者もあるぐらいだ。


 加えてその間合い。射程が長い上に、それは変幻自在に動き回り、今井ほどの実力者の竹刀ならば掴もうとしてもなかなか掴めない。


 最も恐ろしいのは「突き」技だ。


 実は野津も剣道使いと喧嘩をしたことがある。剣道の竹刀は中段の構えならば必ず、ずっと延長線上に喉笛がある。そこから一直線に喉に向かって飛んでくる突きは、剣道未経験者であればかわすことなどできない。気づけば激痛。一発で喉を潰され、戦闘不能に陥る。その痛み、負けた悔しさ。そうそう忘れられるものではない。


 ただ今井が女子であるということだけは「危険な目に遭わせたくない」と引っかかった。だが、間違いなく戦力になるし、なにかあれば俺が守ればいい。野津はそう思った。


 病院内にパニックが広がっていく中、そうそうたるメンバーが揃った。


 不良高校生が9人。うち小野山は鼻は折れているものの芦原空手の使い手。その小野山を翻弄し、金属バットという敵ながらに頼もしい武器を持つ龍雅。ボクシングを操る柴田。そして元崎以外には負けないと自負していた野津のプライドをズタズタに引き裂いた物言わぬ巨漢・疋田麗央。高木だって喧嘩慣れはしている。宇和島のヤツらもそうそうくたばったりはしないだろう。


 そしてここへきて個人戦全国大会4位の剣士・今井咲。

 これにサラリーマン二人と、若い母と赤子、30代の夫婦、あとは老夫婦。

 足腰はしっかりしてそうとは言え、老夫婦に関しては守るのに、最新の注意が必要だろう。


 不良9人。サラリーマン2人。30代夫婦の夫。一般人で戦えそうなのはこれぐらい。

 ──濃霧の中、駐車場を駆け抜けていくにはやや不安が残るが…


 受付前では相変わらず人だかりができており怒号が上がっている。売店はもうすでに破壊されてしまった。病院の事務員や看護師らが必死に説得を続けているが、ここにいるほとんどが暴徒化し、大惨事が起こるのは時間の問題だ。


 その前に。


 その前に、俺たちがやらなければ!


 野津たちは、人目につかぬようこっそりと玄関へと向かって行った。


『ゴースト』の姿はまだ両端の二体のみ。


「行くぞ!」


 囁くような号令をかけ、野津たちは停止した自動ドアをゆっくりと開けた。外の濃霧が一気に流れ込んでくる。


「走れ!」


 無事、全員外に出た彼らはすぐに自動ドアを手動で閉め、路線バスへ向けて全力で走り始める。

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