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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第174話 霧の病院

第174話


 昨日の悪夢の文化祭が終わり、夜が明けて午前10時を過ぎた──。


「まさか、私までここに閉じ込められちゃうなんて思ってもみなかったわ」


 星城学園・保険教諭の原田由香里は待合室で不機嫌そうにひとりごちた。


 朝になっても濃霧が消えないことで、水城市立病院は帰宅難民でごった返していた。夜中から救急車の要請の電話が絶え間なく鳴り響いている。


 しかし、この濃霧のため救急車は出動できない。もし濃霧の中を走ろうとすれば、『ゴースト』の群れに遭遇してしまう。小さな車両ではそれに乗り上げてしまう危険性がある。


「すみません‥‥俺らのせいで先生まで巻き込んじまって」


 星城学園No.2の喧嘩自慢・野津俊博のづとしひろがすまなそうに原田先生を見た。


「あら。いいの、いいの! 高校生は元気が一番だもの! ただ困ったわよね。帰宅難民であふれてるじゃないの」

「いつも感謝してます!」


 と深々と頭を下げたのは翔太のクラスでも唯一の不良生徒である高木だ。


「大丈夫。それより右目はどう? まだ腫れが引いてないようだけど」

「自分はもう大丈夫っす。それより野津先輩のほうが」

「俺は平気だ。もう治療も終わったし、打撲ですんでいるから安心している」

「全身打撲の重症だけどね」


 原田先生がからかうように言った。


「でも野津くんはさすがね。まだ結構、痛むはずなのに。やっぱり日頃からお父さんと漁に出て鍛えているからかしら」

「いや、そんないいもんじゃないスよ」


 野津は照れたように言い、そのあと、受付に殺到している群衆を見て眉をひそめる。


「それより、あれ」

「ええ」


 原田先生は脚を組み替えながら不穏な表情で受付を見つめた。


「まずいわよね。みんなパニックになりかけてる」


 広い待合室の受付には大勢の人々が押し寄せ、不満を口にしていた。いつになったらここから出られるのか、救急車で家まで運んでもらえないのか、何か手立てはないのかと、口々に騒ぎ立てている。


 怒りは、恐怖は、パニックは、伝染する。一人二人ならまだしも、これが数人、十数人ともなるとヒートアップし、まるで暴徒のような様相を見せる。


 一晩、病院内で過ごさざるを得なかった上に、現在はもう午前10時。


 濃霧は晴れることなく、奇妙な重低音の咆哮が数十分おきに院内に響いている。


 みんな、怖いんだ。みんな、疲れているんだ。


 原田、野津、高木は不穏な予感を抱きながら、次第に喧嘩腰になっていく受付の前の人々の様子を見ていた。


 昨晩──。翔太が妖獣・バジリスクに襲われたあと、野津俊博、翔太のクラスメイトで唯一の不良である高木は、学園の保険教諭である原田由香里の車で、ここまで運ばれた。


 当然、学園の番である元崎恵もとざきめぐみも乗っていたのだが‥‥。


「元崎さん! 濃霧警報のなか、出ていくのはさすがにヤバいっすよ!」

「ああ。私は大丈夫ですよ、野津さん」

「大丈夫って」

「慣れてますから」

「慣れ‥‥」

「ちょっと気になることがありましてね。どうしても行かなければいけないんです」

「でも、朝になって濃霧が晴れてからでも!」

「野津さん」


 ずいっと元崎が野津の目と鼻の先まで顔を近づけた。


「な、なんスか?」

「『ゴースト』を濃霧のなかで見つける方法、知ってます?」

「いや、それは‥‥」


 濃霧警報が起これば自宅待機が当然だ。野津も『濃霧現象』中に外出したことはなかった。


「知らないですけど」

「簡単なんですよ」


 元崎はお得意の、人を食ったような笑顔を見せた。


「あいつら、目が金色に光るんです」

「え‥‥」

「それを避けながら歩けばいいんですよ。掴みかかってきたら殴り飛ばせばいい」

「そんな! あいつら人を喰うんですよ!」

「私がそう簡単に喰われると思います?」


 元崎のお気に入りのキャッツアイのサングラスの奥で、元崎の瞳が不敵に輝いているのが見えた。


 野津は思わず身震いした。


 これだ。この迫力‥‥。だから俺は、いつまでたっても元崎くんには勝てねえ。


「じゃあ、私はお先に。野津さんはここで大人しくしてるんですよ~」


 とぼけた笑みで右手を振りながら、その背中は濃霧の中へと悠々と消えて行った。原田先生もこのやり取りには唖然としていた。


 そう。


 昨日の学園祭。


 野津らと、水城工業の小野山薫ら4名。そして宇和島第三工業7名との三つ巴の乱闘騒ぎがあった。


 結果は宇和島第三工業の圧倒的な勝利。


 特に最後に現れた男‥‥190cm以上の巨漢・疋田麗央ひきたれおには、握力150kgを誇る野津でも、一方的な殴打の前に成すすべはなかった。正直、野津は元崎以外に負けたことはない。あの水城工業の小野山相手にさえ、何度か負けはしたものの回数でいえば勝ち越している。


 その野津が、怪我をしていたとはいえ、手も足も出なかった。


(もし、アイツが元崎くんとやったら‥‥)


 さすがに元崎が負けるのは想像ができない。しかし、あの男の本気の力を野津はまだ見ていない。未知の力。愛媛でも名高い元崎に挑んでくるその根性。もしかたら元崎でさえも‥‥?


「きゃあああああっ!」


 その時、売店のほうから悲鳴が上がった。思わず野津は立ち上がりそちらへ向かう。揉め事や困っている人を放っておけない性分なのだ。


 体中がまだ痛い。歯を食いしばりながら駆けつけたその売店では。


「それは俺の焼きそばなんだよ、返せ!」

「うるせえ! 俺の指のほうが先に当たったんだ! 俺のものだ!」

「おにぎり独り占めすんなよ!」

「こっちは娘が腹すかしてんだよ!」


 壮絶な食料品の奪い合いが始まっていた。


「まずいわね」


 いつの間にか原田先生も野津のあとに続いていた。


「このままじゃ病院内が無茶苦茶になるわよ」


 奪い合いは次第に喧嘩に発展し、やがて棚がドミノ倒しになるほどの大騒動へなった。


「お前ら、やめろ!」


 野津が暴徒の中へと身を投じる。だがいくら野津でも、これほど大勢の人間が暴れている場所に入ってどうにかなるものでもない。人混みに揉まれ、全身の打撲から激痛が走る。


「落ち着け! くそっ! てめーら、それでも大人かよ!!」


 レジの店員が逃げ出す。その空いたレジスペースに入って、勝手にレジから金銭を盗もうとする者も現れた。


 おかしい。


 水城市はこんなに治安の悪い街ではない。


 一体、何がどうなって、こうなっているのか。


 人々の目は血走っている。口の端から泡を吹いているものもいる。


 その時、ふと。野津の前を一匹の大きな蝿が横切った。


(清潔なはずの病院に蝿‥‥!?)


 そういえば。


 保健室の窓を破った怪物の脚が、あの翔太を襲う前にも、保健室に何匹かの蝿が飛び回っていた。


 何かが起こっている。


 濃霧だけじゃない。


 水城の街で、何かヤバイことが起こり始めている。


「お前ら、いい加減にしろ!」


 レジから金を盗もうとしていた中年の男の腕を野津が掴んだ時。


 同時にその男の腕を掴む手があった。


 野津はハッと目を上げた。


 そこにいたのは。


 小野山薫。


 水城工業NO.2で実質、トップではないかと言われている男。


 力士のように体中を筋肉と脂肪に覆われた芦原空手の使い手。


 その小野山が、思いっきり、そのレジ泥棒を頭上へと振り上げ、背後へと投げた。


 怪力。野津に負けずとも劣らぬその怪力。投げ捨てられたレジ泥棒は床に落ち、背中を強く打ったのか、ひゅうひゅうと呼吸困難になってのたうち回っている。


「よお、野津。お前もここにいたのか」


 そんな小野山の鼻には分厚くガーゼが貼られている。そう。宇和島第三工業のヤツらに折られたのだ。


「小野山!」

「なに驚いた顔してんだよ」


 小野山はガーゼを貼られた顔のまま笑う。


「それより、ここはそろそろヤバイぜ」

「ああ。ここにいる全員が感情的になり始めてやがる」

「いや。そんなことじゃねー」


 そう言うと小野山は、ガラス張りの市立病院の入り口付近を指さした。

 ガラスの向こうは濃霧で真っ白だ。


 その右端あたり。

 何者かが両手をガラスにつけ、必死にガラスの壁を押そうとしていた。


「そこだけじゃねえ」


 小野山が次に指さしたのは左端。


 ゴン、ゴン、ゴン。


 何度もガラスの壁に頭をぶつけて入ってこようとしている人影がある。ぶつかってはよろめき、よろめいてはまたガラスの壁へと頭ごと進もうとして、またぶつかる。


「あいつら。噂に聞く『ゴースト』ってヤツじゃねえか?」


 ゴン。


 ゴン。


 ゴン。


 思わず野津は凍りついた。


 そう。その2つの人影の瞳は。


 ──どちらも金色に輝いていた。

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