第170話 鳥かごの中のウサギ
第170話
突如、濃霧の中から現れた猿の顔をした化け物。その者から起ち上がるオーラと言おうか、気と言おうか。あまりにも強大な存在感に乃々は震え上がる。
次の刹那。
乃々の体がふわりと浮いた。
(え……?)
いつの間にか、乃々はその猿の化け物の腕の中に抱かれていたのだ。
まったく気づかなかった。まったくその動きは見えなかった。その動揺が乃々を揺さぶる。
「な、なんだい、これ。離してくれ! ボクなんて喰っても旨くないぞ!」
いくら暴れてもまったく動じない。とんでもない腕力と肉体の硬さだ。蹴ろうが殴ろうがビクともしない。そんな乃々を見もせずに、この猿の化け物は言った。
「そう慌てるでない。我はお主の味方だ」
「味方?」と乃々は動きを止める。その乃々の匂いを嗅いでいるのか、猿の鼻がヒクヒクと動く。
「なるほど。このおなごの“獣”の匂いに惹かれて迷い出おったか。悪いが、このウサギ女は主らには渡すつもりはない」
アリス、白雪姫、シンデレラ、赤ずきんらはじりじりとにじり寄ってきていた。
「おのれ。セイテンタイセイ。邪魔立てするか」
シンデレラの声を聞いて乃々はこの猿の化け物の腕の中で飛び上がりそうになった。
「セイテンタイセイ!? セイテンタイセイって……。あの斉天大聖・孫悟空かい?」
「いかにも」
とセイテンタイセイは笑った。
「同姓同名の偶然じゃなくて?」
「いかにも」
「その名を勝手に名乗ってる頭のおかしい人じゃなくて?」
「いかにも」
(なんて日だ……)と乃々は思う。話には聞いていた水城市の『濃霧現象』。まさか、おとぎ話に出てくるヒロインたちに会うとは思わなかったが、次には「西遊記」の孫悟空と来たものだ。
水城市に訪れる怪異。初めて訪れたこの土地で、まさかこれだけの怪異に出くわすなど、どんな偶然だろう。空気を読まずマイペースに生き、日常は平和だーとお気楽だった乃々をしても、驚嘆せざるを得ない。
セイテンタイセイは片手に乃々、片手に如意棒を持ってアリスらを威嚇する。いつの間にか、姫君たちの目は血のように真っ赤に染まっていた。今にもこちらへ襲いかかって来そうだ。その姿、発せられる瘴気はまるで化け物。つまりその本性を表してきた。
「そのウサギ女を返しなさい」とシンデレラ。
「断る」とセイテンタイセイ。
両者の間に緊張が走る。
──即座に。
その緊張の糸を切る者が現れた。
不思議の国のアリスだ!
アリスが手にした大鎌を振りかざして天高く舞う。
「やああああああああああああああああっ!」
自身の身丈よりも大きな大鎌。猛烈なスピードで、先手必勝とばかりに振り下ろされる。その直前。
これよりもさらに速いスピードで、セイテンタイセイは如意棒を伸ばした。そしてそのがら空きになった脇腹を横に薙ぐ。
「グッ……!」
苦痛にゆがむ声を残して、アリスが濃霧の中へ吹っ飛んだ。だが姫君たちの攻撃はこれで終わりではない。
両手のひらをかざした赤ずきんから、幾体ものオオカミの影が出現した。そのオオカミの影がセイテンタイセイの体のあちこちに次々と噛み付いていく。次にいばら姫の背から何百本もの薔薇の蔓が湧き出し、うねうねと蠢きながらセイテンタイセイに巻き付く。
「愚かなことを」
攻撃に移ろうとしたセイテンタイセイの動きがピタリと止まった。何者かに両足首をガッシと掴まれていのだ。
人魚姫だった。
アスファルトの中から現れた人魚姫がセイテンタイセイの両足首を握って、その動きを封じていたのだ。
「ちょこざいな!」
セイテンタイセイは地面にドンと如意棒を突き立て、そのまま如意棒を上空へと伸ばした。みるみるセイテンタイセイの体が上昇し、人魚姫もアスファルトから引きずり出される。
いばら姫の薔薇の蔓は、上へ逃げたセイテンタイセイへ向かって迫る。あくまでも逃がすつもりはない。しかしセイテンタイセイは落ち着いたものだった。大きく息を吸い込むと、口から爆炎を吐き出した。蔓が一瞬にして燃え上がり、灰になって崩れ落ちる。炎に包まれたいばら姫が大きな悲鳴を上げる。
そして、そのさらに上空。
突如、巨大なリンゴが現れた。そのりんごには目玉が一つついており、さらには巨大な口もあった。開いたその口の中にはまるでサメのような尖った歯が無数に生えている。
白雪姫の毒りんごだ。
油断していたセイテンタイセイは一瞬にしてそのりんごに呑み込まれた。りんごの刃のような歯がセイテンタイセイをズタズタに切り裂く。
……と、思いきや。
セイテンタイセイは72の変化の術を使っていた。
乃々の体を護るようにして体を丸め、自らの肉体を大理石へ。球体となり、中の空洞に乃々を入れた。掴む足を失った人魚姫は手をうごめかしながら落下していく。
そして。
大理石の球体となったセイテンタイセイは、四方八方へ大理石の巨大な棘を放った。
これによって白雪姫の巨大りんごは口の中からいくつもの大理石の棘に串刺しにされ、息絶え、その身を弾けさせる。
りんごの身が四方八方へと飛び散る。
すぐさま元の姿に戻ったセイテンタイセイは、空中に大きな鳥かごを具現化した。
「え……」
まったく気づかなかった。ほぼ同時に乃々は、その鳥かごの中に閉じ込められていた。
「これ、何!?」
「主は邪魔だ。その中に入っておれ」
「えええええええええええええええええ!」
だが、この隙を狙われた。
再び濃霧からアリスが飛び出してきた。アリスは大鎌でセイテンタイセイの左腕をバッサリと斬り落とす。
「ぬおっ」
さすがにバランスを崩すセイテンタイセイ。これに追い打ちをかけたのが人魚姫だった。
まるでイルカのようにアスファルトから飛び跳ね。
そのままセイテンタイセイの体を抱えて再びアスファルトの中へ。
地中の奥深く深く。どんどん地下へと潜っていく。
まるでコールタールの中へと連れ込まれたかのよう。当然、呼吸などできない。あがこうにも、まるで深海の水圧がかかっているかのように重く思うように動けない。
「あなた、これからどうなるか、わかる?」
人魚姫がセイテンタイセイに囁いた。
「私が手を離した瞬間、この大地の海は再び岩と土に還る。つまり、生き埋めになるのよ」
「ほう」とセイテンタイセイは不敵に笑った。
「やれるものならやってみるがよい」
この余裕の発言に、カッと人魚姫の頭に血が昇った。
「この東洋の猿めが!」
人魚姫はバッとセイテンタイセイを放り投げた。途端にセイテンタイセイの肉体は土や岩石の中に封じられる。
「この地の下で永遠と化石となって滅びよ!」
真っ赤な目で睨みつけ、ひらりと身を翻す人魚姫。勝利を確信した。これで勝ったはずであった。
そのつもりだったのに。
「……!?」
何者かが人魚姫の尾びれの根本を掴んだのだ。
あり得ない……! 振り返った人魚姫が見た、それは……!?
「残念だったな」
セイテンタイセイだった。
「我はもともと石から産まれた石猿ぞ」
ニヤリ、とセイテンタイセイは笑い……。
そこからは一瞬であった。
地割れが起こった。
大地が引き裂かれた。
その地割れは上部へ伸びていき。
そして大地を覆っていたアスファルトを突き破った。
もうもうと上がる土煙。その中に立っていたのは。
ギラギラと金色に瞳を輝かせるセイテンタイセイと。
瀕死の状態でその手からぶら下がっている人魚姫の姿だった。
とんでもない能力……。これにはさすがの姫君たちもおののいた。
この間にセイテンタイセイは人魚姫を放り投げると。
そこに転がっていた、先程斬り落とされた左腕を拾った。
左腕とその傷口を合わせる。
みるみるうちに左腕はくっつく。
「なるほど。不死。その噂は本当だったようですね」とシンデレラが言う。
「そうか。我の名は西洋でも響き渡っておるか」
「ですが、こちらを侮ってもらっては困ります」
そう言うと、姫君たちは一斉に襲いかかってきた。
赤ずきんはオオカミの影を。
いばら姫はいばらの攻撃を。
アリスは大鎌を。
白雪姫は巨大りんごの群れを。
だが、セイテンタイセイにはまったく焦った様子はない。
みるみるうちに、セイテンタイセイの肉体が崩れていくと。
まるで砂のように崩れ落ちてしまった。
「な……!?」
逆に焦ったのは姫君たちのほうだった。突然、目標が消失したのだ。
それだけではない。
崩れ落ちたその砂粒一つひとつが。
まるで砂嵐のように宙を舞い、渦を巻き、姫君たちに巻き付いてくる。
「これは……!?」
たまらず上空へと飛んで逃げたシンデレラの耳元で何かが囁く。
「お主らの正体はもうわかっておる」
「……!?」
そう。
砂粒に見えるそれは。
そのそれぞれが極小になったセイテンタイセイ。
何万何千何百もの分身を出し。
それぞれを砂粒ほどの大きさに一気に縮め。
筋斗雲に乗って宙を駆け回り。
その一体が今、シンデレラの耳元に囁いているのだ。
「お前がこやつらの頭領だな。そろそろ主らの飼い主を呼ばんと、主ら、ここで何をすることもできず全滅するぞ……」
シンデレラはまるで悪魔のような怒りの形相を見せた。
だが次の瞬間には。
赤ずきんも、アリスも、いばら姫も、人魚姫も、白雪姫も。
シンデレラ共々、消え失せてしまった。
「逃げたか……」
ちっと毒づくセイテンタイセイ。
そんな中。
上空で宙から吊るされた巨大な鳥かごの中で。
乃々が大暴れしながらこう叫んでいた。
「早くここから出せやい! ボクはカナリアじゃないぞ!」




