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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第169話 死に至る談笑

第169話


「さあ、こちらにいらっしゃい」


 退路を絶たれてしまった兎谷うさたに乃々。広い円卓には数々のお菓子が並べられ、それぞれ姫君たちは紅茶を楽しんでいた。


 気づけば、円卓の周囲はいくつもの燭台に囲まれている。その燭台の向こう側では濃霧が蠢き壁のように行く手を阻んでいた。とても逃げ場はない。


 乃々は渋々、覚悟を決めた。


 水城市で濃霧と共に起こると言われる怪異。耳袋的だったその噂を、この目でしっかと見てやろうと開き直った。


 白雪姫が乃々を促す。促されるままにその隣に着席する。シンデレラが乃々のために新しく紅茶を淹れた。赤ずきんは足元に寝そべる狼の頭を愛おしそうになでていた。眠りの森の美女こといばら姫は、ほほ笑みを浮かべたまま微動だにせず、じっとこちらを見つめている。


 あ~こりゃ仕方ない。乃々は少しむくれてテーブルに頬杖をついた。


「で。ボクに何が聞きたいって言うんだい」


 その乃々の口ぶりがおかしかったのか白雪姫がコロコロコロと笑った。


「とても肝が座っているのね。あなた。私、あなたのこと、とても気に入ったわ」

「あー。それはどうも」

「あのね。私たちはあの“666の獣”についてお話をしていただきたいの」

「そうですのよ。是非、教えていただけないかしら?」

 

 赤ずきんが口を挟む。だが乃々からすれば何のことやらわからない。ろくろくろくのけもの?


「だからそりゃ一体なんなんだい?」


 それを聞いて、姫君たちは困ったように目配せをし合う。そんな時、アスファルトから人魚姫が頭をすいっと出して言った。


「じゃあ、こっちの言い方のほうがいいですわね。あなたが中学時代、共に過ごした少年がいるでしょ。その子について私たちはお話を聞きたいの。ウサギちゃん。だってあなた、その子に会いに来たんですもんね?」


 ――翔太くんのことかな?


「どんな男の子だったのかしら。教えてくれない?」


 にこりと笑顔の人魚姫。だがその姿はまるでアスファルトの上に置かれた生首のようだ。乃々が「うえっ」と思っているその間にシンデレラが乃々の前にティーカップを置く。


「とても美味しいわよ。ご賞味あれ」


 確かにいい香りがする。だがなんだか独特の匂いだ。それに、こんな怪異たちが出したものに口をつけてもいいものだろうか。人懐こいことには自覚がある乃々も、さすがにこれには躊躇してしまう。だから紅茶に手を伸ばさずに言い放った。


「そもそも翔太くんのことを聞いてどうしたいって言うんだい」


 白雪姫は答える。


「単に興味があるの」


 姫君は口々に喋りだす。


「あの子がどんな中学時代を送っていたのか」

「そのお話に興じながらアフタヌーンティーを楽しもうと思っているだけなのよ」

「本当にそれだけかい?」

「ええ」


 姫君たちは顔を見合わせて微笑んだ。


「思春期の少年少女の青春のお話、とっても素敵だもの」


 乃々は行儀悪くぽりぽりと頭をかいた。


「なんだか解せないなあ。なんでそんなこと話すためにここに連れてきたのか。でも聞かれて困るような話でもないし、この濃霧じゃホテルへ帰るなんて到底ムリだ。仕方ないからちょっとだけだぞ」


 乃々は中学時代の翔太について語り始めた。


 乃々と翔太が最初に出会ったのは小学6年生。翔太が引っ越しをして来た時だった。


 立派な教会の前に引越し業者のトラックが止まっており、その荷物量からもかなりいいところのお坊ちゃんなんだとわかった。


 その時は特に翔太のことについて気もとめていなかった。背の小さいかわいらしい子。その愛らしい顔立ちと裏腹に目つきがやたらと暗い。通りすがりに感じたのはそれぐらい。


(なんだか、やたら負のオーラをまとった子だなあ)


 まるで道端に転がる石でも見るかのように乃々は思ったものだ。


 翔太と本格的に会ったのは中学の入学式。クラスも偶然、同じになった。それでわかったことだが、翔太はとにかく自分から目立たないよう、強いて心がけているようだった。


 何故だろう。乃々の中に翔太への興味が湧く。一体、この子の過去に何があったというのか。


 そして。


 中間試験の時に新たな情報を得た。翔太はなんと、学年で2位というとんでもない成績を叩き出したのだ。この頃から周囲も翔太に興味を持ち始めた。それを乃々は遠巻きに見ていた。そう。まだ単なる同級生Aに過ぎなかった。だがある日、事件が起きる。


 なんてことない日の朝。いつもと変わらない通学路。いつもの睡眠不足でぼうっとしながら渡った交差点で。赤信号を無視したトラックが乃々へ向けて猛烈なスピードで突っ込んできた。


 気づいた時には眼前にトラックのバンパーがあった。助からない、本能的にそう悟った。死はあまりにも無遠慮で実感なく、そして残酷である。受け入れる準備もなくただただ流れる光景に身を任せる。だがその時だった。


「えっ……!?」


 とんでもない速さで乃々の体にぶつかってきた者があった。目の前の景色が恐ろしいスピードで流れた。自分が上になっているのか下になっているのか。何が起こったのか。竜巻にでも巻き込まれたみたいだ。つまり、とにかく乃々には何が起こったかわからなかった。


 しかしただ一つ、自分にぶつかってきたのはトラックではないことだけは理解できていた。


 それが証拠に。


 気づけば乃々の体は誰かに抱きしめられ、アスファルトの上に転がっていた。


 ボク、生きてる……。


 そして、そこから見える景色を見て驚がくすることになる。


 なんと数メートルも先。


 横断歩道を渡った歩道にまで乃々の体は連れ去られていたのだ。


(何これ。どういうことだ?)


 体に痛みはない。擦り傷一つ負っていない。数メートルも飛ばされて、まったく平気というのはちょっとあり得ない。


 改めて乃々はその、自分を助けてくれた者の顔を見た。


 それが北藤翔太だったのである。


 翔太がとっさに飛び出し、乃々を救ってくれたのだ。


「あ、ありがとう……」


 乃々は赤面しながらお礼を言った。


「怪我はない?」


 相変わらず暗い目つきの翔太が小さな声で囁くように言う。


(この人、こんなに運動神経よかったっけ!?)


 自信なさげな雰囲気と、今回の現象とのギャップ。


 この時からだった。


 乃々が翔太に絡むようになったのは……。


「いや、実際あれは驚いたよね。ボクよりも10cmも小さい男の子があんなに素早くて力強い動きをしたんだから。普段クラスで一人ぼうっとしている彼からは想像もつかなかった。特に体育の成績がその時はいいわけでもなかったし」


 そこで異変に気づいた。


 話を聞いていた全員が、驚くほど、前のめりになってこちらを見ているのだ。


 その目は大きく見開かれ、嫌な感じの笑みをうっすらと浮かべている。


(うわ。怖っ!)


 怯みそうになったが、とりあえず乃々は「それで」と話を続けようとした。だが、その乃々の腕を隣の白雪姫がガッと掴んで止めた。


「その時、なにか変わったことはなかった? 光を見たとか、影を見たとか」

「な、なんだい! ここからがボクと翔太くんの馴れ初めの山場なのに」

「本当に彼は、自分の身一つであなたを助けたの?」

「その時、彼になんらかの異変は感じなかった?」

「あなたの心になにかが侵入してくるような妙な感覚は?」


 なんだか必死すぎる。


 な、なんだいきなり! そこまで食いつかれるような話をボクはしたっけか?


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』


 再び濃霧の中のどこかにいる巨人の吠え声が聞こえた。


「ちょ、ちょっと離してくれよ。腕、痛いよ」

「いいえ。とても重要なことかもしれないの」

「もっとよく思い出して、その時に何が起こったのか」

「彼がそんな力を発揮したのはその時だけ?」


 身を乗り出し、目をカッと見開いている姫君たちに乃々は再び恐怖を感じ始めた。


 普通じゃない。


 やっぱりボクはここにいるべきではなかった。


 白雪姫、赤ずきん、アリス、シンデレラ、それぞれの目がまん丸になり、こちらをうつろに見つめる。その表情から狂気すら感じる。


 ――やっぱり、この人たち、関わって良い存在じゃない!


 当たり前のことだった。だが乃々はその感情を敢えて麻痺させていたのだ。


 ギリギリと締め付けられる腕。その痛みに乃々はうめく。


 皆が身を乗り出しているなか、いばら姫だけは、いばらの奥でじっとこちらを睨めつけていた。


 それもまた不気味だ。もしかしたらこの場で自分は殺されてしまうのかも知れない。


 まずい、逃げなきゃ。


 でもどこへ? 濃霧に飛び込む? いや、それも自殺行為だ。じゃあどうすればいい!?


「ほら、思い出して」

「その時、きっと何かを感じたはず」

「その異変を。さあ!」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて」

「教えて!」


 戦慄が走った。ここはまぎれもなく化け物の巣だ!


(助けて……)


 助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けてッ!


 思わず乃々の心に助けを呼ぶ祈りの心が生まれる。混乱していた。とにかくここを抜け出したかった。ウソだと想いたかった。やわらかであたたかな布団にくるまりたかった。


 その祈りが届いたのかどうか。


 それとも神は容赦なく乃々を裏切ったのか。


 突如、濃霧の影をぶち破って現れた者があった。


 濃霧がまるで波がはじけるかのように飛び散っていく。


 その者は何か「棒」のようなものを振り上げ。


 いきなり。


 姫君たちが囲んでいる円卓を、スイーツやティーセットごと真っ二つに叩き割った。


 一斉に、姫君たちは円卓から飛び退いた。


 それはまるで獣じみた禍々しい動作とスピードだった。


「何者っ!?」


 アリスが再び大鎌を手にした。


 その声を背にして、この闖入者はゆっくりと振り返った。


 肩ごしに見えたそれは猿の顔をしていた。目が金色にギラギラと輝いていた。


 思わず乃々は椅子から転げ落ちる。そしてその姿に目を凝らす。


 中国の時代劇で見るような仰々しく高貴な着物。ヒゲを蓄えた精悍で老獪な表情。姫君たちの顔をゆっくりと見回し、そして、その口元がニヤリ、と笑った。


「ほうほう。なるほど。ぬしらの正体、もう大体、予想がついたわ」


 姫君たちの形相が変わった。この猿の大男を前に。膨大なオーラを放つ化け物を前に。


 一方で、尻餅をついて怯える乃々。


 異様な緊迫感がこのお茶会を支配している。


 そう。


 やはりこのお茶会は、魔物たちの饗宴場。


 そしてこれを叩き潰しに現れたのは。


 道教の高位クラスの神であり、魔王クラスの力を持つ元邪悪な化け物。


 この世に長く棲み、多くの信仰を集めながらもいまだ畏れられる恐怖の存在。


 歴史的な通り名は孫悟空。


 つまりはセイテンタイセイ。


 如意棒と数多くの仙術を駆使するアジアの覇王であった。

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