第168話 姫君たちの呪われたお茶会
第168話
──本当にボクはこのままあの少女の後を着いて行ってもいいのだろうか?
アリスの背中を見ながら乃々は自問自答を繰り返す。
街は完全に濃霧の中に沈んでいる。「鍋料理」と書かれたのろしが立つ小さな日本料理屋、昔ながらの「たばこ」と書かれた看板、カーテンや雨戸を締め切った一般住宅、赤・白・青のらせん状の床屋のアルヘイ棒、……それらすべてがうっすらと、幻想的に霧の中からその存在を幽かにアピールしている。
何度か『ゴースト』の群れにも襲われた。だが、このアリスと自称する少女は大鎌でぶった斬るだけではなく、なにか薄い手裏剣のようなものを飛ばし、切り裂き、倒していた。
アスファルトに刺さったその手裏剣を乃々は手に取った。
トランプだ。
アリスはその大鎌と同時に、トランプを武器として用いているようだ。
「あのさ……この道は本当にホテルに向かって通じているのかい?」
乃々はおそるおそるアリスに聞いた。アリスは答える。
「道はね、どこへも通じているし、そしてどこへも通じてない。そんなものなの」
意味がわからない。
「……哲学的なお話、とてもありがたいんだけどさ。お願いだよ、ボクはホテルに帰りたいんだ。こうしてボディガードをしてくれるのも感謝している。だからどうか、ホテルへと案内はしておくれよ」
アリスはスカートをひらひらと翻しながら乃々を振り返ってウインクをした。
「悪いけど、私にも行くところがあるから」
まるでおとぎの国の美少女。はちきれんばかりのほほ笑みを乃々に向ける。
「それに、私と一緒にいさえすれば、あなたは完全に安全なの。それってとっても素敵なことじゃない?」
だが先程見た、あの悪魔のような耳まで口が裂けた笑顔を乃々は忘れられない。それともあれは、濃霧が見せた幻だったのだろうか……?
いやいや。そんなはずはない。このアリスと名乗る少女の人間離れした運動能力、そして『ゴースト』の群れをものともしない、攻撃力。
間違いなく、彼女は、“人間”ではない。
しかしながら、彼女からはぐれてしまえば、乃々はこの濃霧に、そして『ゴースト』に襲われてしまう。肉片も残らないぐらいキレイに喰われてしまう。ゆえに、この子から離れるわけにはいかない。離れられない。逃げようにも、それは自身の命を捨てることと同義だ。いわば自分の命が人質なのだ。そうなると残された道は一つ。
従うほかない。
乃々の脳裏に翔太の顔が浮かんだ。もし今、側に翔太がいればどれだけ安心できるだろう。見知らぬ街で遭った見知らぬ災害。加えて今は、人とも化け物とも知れぬ少女について歩いている。
「翔太くん……」
思わず乃々の口から翔太の名が漏れた。
(ボクを助けておくれよ……)
それは切実なる想いだった。
その名を聞いて、アリスは振り返った。
「あら。それはウサギちゃんのボーイフレンドの名前?」
「あ……え……」
乃々は動揺する。
「確かに、男友達には違いないけど……。ボクは彼に会うためにここへ来たんだ。あの暗い目をしたボクの同級生が、しっかりと高校生活を送っているかを確かめるために。だけど……」
「へえ」
アリスはイタズラっぽく笑った。
「好きなんだ?」
思わず乃々は否定した。
「そうじゃない、そうじゃない!」
乃々の顔が耳まで真っ赤に染まる。
「そうじゃないけど……」
アリスは「ん?」と乃々に顔を近づける。
「とにかくボクは、ホテルへ帰りたいんだ──ッ!!」
そう必死に叫ぶ乃々の姿を見てアリスはコロコロと笑った。
「大丈夫。私たちのお茶会に来れば、ウサギちゃんのことも守れるし、もしかしたら良いことがあるかもしれないよ」
「良いこと……?」
「そう」
「こんな状況で良いことなんてあるのかい?」
その時だった。
霧の中から、いや上空から。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
獣の鳴き声のようなものが響き渡った。
そして、それに呼応するように。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
あちこちから似たような声が上がる。──これは……何だ……?
「ウサギちゃんにも喜んでもらえると思うなあ」
その咆哮をものともせず、にいっと笑うアリス。乃々は心臓が止まるかと思うような恐怖をその笑顔から感じた。
もしかしたら『ゴースト』や化け物に襲われることを承知で逃げ出したほうが実はよっぽど安全なのではないか。この少女と共にいるほうがよっぽど間違った選択なのではないか。
水城市は空まで届く史上最大規模の濃霧により、まるで迷宮じみた様子を見せている。さらにさっき霧の中から聞こえてきた複数の、獣の如く鳴き声。
完全に別の世界に迷い込んだ気分だ。異世界。いや不思議の国……。
よく見ると、濃霧に覆われた空に、天まで届くような巨大な影がいくつか見えた。その影はだらりと両手を下げ、そのすべてがこちらを静かにじっと、見守っている。
(巨人……?)
巨人が複数体、霧の中に見える。
そんななか、アリスが不意に明るい声を上げた。
「さあ。お茶会会場にようやく着いたわよ!」
見ると、霧の中を一直線に。
まるで道を作るように。
不思議なろうそくの灯りのようなもの左右にが並び。
そしてその先には。
そこが道路の上にもかかわらず大きなテーブル。
そのテーブルの上にはさまざまな豪華な料理やスイーツ、いわゆるイギリスのアフタヌーンティーのようなタワー状の籠に載せられたお菓子、ブレッド群。
そこから少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえ漏れていた。
先客。そのテーブルを囲む少女たちに、乃々はなんとなく見覚えがあった。
(ウソ……だろ? まさか、そんな……!?)
そう、それは。
絵本の中で見かけたことのあるお姫さまたち。
シンデレラに白雪姫。赤ずきんに、茨に囲まれた眠りの森の美女。
それらおとぎ話の姫君が一同に介して、霧の中にもかかわらずスポットライトの下で豪華絢爛なお茶会を開催していたのだ。
文化祭のコスプレ?
幻?
いや、現実逃避はもうよそう。
それにこの禍々しい雰囲気。
華やかに見えながら、どこか化け物や魔女のような独特の不安感。
名状しがたき者たち。
這い寄ってくるような無言の絶叫。
まるで地獄の窯の底が抜けたようなおどろおどろしいその場所で、きらびやかな姫たちが紅茶を飲み、スコーンをかじり、ケーキやムースをうれしそうに食べ、楽しそうに話している。
(ここにいちゃダメだ……!)
逃げ出そうとした乃々。その背後で、突如現れた巨大な鉄の扉が重低音を上げながら閉まった。その鉄の扉の前を開けようと乃々は両手で何度も叩く。だが扉はビクともしない。
「さあ、こっちよ」
突然、手を引かれた。振り返るとそこにはまた別の、美しい長い髪の少女。だがその下半身は。
──魚だった。
「まさか……」
その声は虚しく霧の中に響き渡った。
乃々はそのまま腕を引っ張られ、アスファルトの中へと沈み込んでいった。
(なんだ、なんだ、なんなんだい!)
まるでアスファルトが水のよう。その乃々の手を引く少女は下半身の尾びれをうまく使い、まるで海の中を泳ぐかのように先へ先へと進んでいく。
息が苦しい。呼吸ができない。
だがその姿に、乃々は見覚えがあった。そう。上半身は女性の体で下半身は魚。
――人魚姫!?
ゴボゴボゴボ……。大量の空気が乃々の胸から吐き出される。
溺れる……その寸前にプハッとアスファルトから顔が出た。その乃々を、シンデレラや白雪姫、ジャスミン姫、眠り姫らが笑顔で見つめている。
「さあ、お茶会を始めましょう」
白雪姫と思われる少女が優しく微笑んだ。
人魚姫は、まだ震えている乃々の体を、アスファルトの下で優しく抱き寄せてくれている。
「離さないわよ。あなたは私たちにとって、とても特別な貴賓だもの」
「き、貴賓って……?」
「そう」
その声と共にガラスの靴のヒールの音を鳴らせながらシンデレラと思しき少女が乃々の手を取った。
「“666の獣”の関係者……。私たちはあなたから色々なお話を聞きたいの」
「私たちはアレを手に入れたい姫たちの集まり」
「さあ、美味しいお菓子と紅茶があるわ。私たちと一緒に楽しみましょう?」
乃々はアスファルトから、まるでプールから引っ張り出されるかのように、道路の上へと導かれた。
そしてその背後では、鉄の扉が何枚も現れた。そしてそれらが次々にそれぞれ重苦しい音を立てながら閉まっていった。




