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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第三章 蝿の王編

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第164話 妖獣・バジリスク

第164話


 その者はドラゴンの翼に、蛇の尾を持っていた。


 体長はおよそ3メートル。鶏冠とさかのある雄鶏おんどりの姿をしており、その吐く息には木を枯らし、草を焼けただれさせ、石をもくだく猛毒が含まれていた。さらにはその視線に睨まれただけで生き物の魂を破壊してしまう目玉──。


 バジリスク。


 ギリシア語で「小さな王」を意味するその者。貴族や団体が紋章のモチーフにするまでにヨーロッパの文化に根付いた怪物だ。


挿絵(By みてみん)


 ドラゴンの翼をはためかせ、木の幹のようながっしりとしたにわとりの脚とその爪で翔太を鷲掴みにし、夜の空を舞う。


 翔太としても何が起こったかわからない。ただ感じるのは耐え難いほどの“激痛”。肉をえぐられた脇腹からは肋骨があらわになっており、内臓が一部、垂れ下がりブラブラと揺れている。


「翔太くん!!!!!!!!」


 そんな翔太に美優の声が届く。だがバジリスクの爪は翔太の肺にもガッシリと食い込んでおり、翔太がそれに答えることはできなかった。


(すぐに治癒すると言われていても、さすがにこいつは……!)


 太陽神ラーの転生体であり、反キリスト=666の獣の種を宿す宿命の者といえど、痛覚は“ヒト”のまま。ただ命に関わるほどの痛みゆえ、一時的にでも痛みを麻痺させる脳内モルヒネがドバドバと出ていることだけが幸いだった。


 だがこのままでは。


(──殺される!)


 いや。翔太を殺せる者など本当に存在するのか。自分自身の不死を翔太はうまく脳内でイメージができない。666の獣とは。果たしてその本当の力とは? ……とにかくこのままではどこともわからぬ闇の中へ連れ去られるだけだ。諦めてはいられない。


(……っの、野郎!)


 鶏の脚から自分の体を引き剥がそうと必死でもがく。だが、さらに強く爪が肉体にズブズブと食い込み、ぐはっと大量の血液が吐き出された。


(ダメ……か……)


 必死にあがく翔太。だが。


 シュッ!


 一閃! エメラルドグリーンの光の筋が夜の闇を切り裂いた。翔太はバジリスクを急襲した二つのエメラルドグリーンの瞳に見覚えがあった。


「デル!」


 そう。デルピュネーだ。デルピュネーが銀髪をなびかせながらバジリスクの脚を一刀両断にし、翔太をバジリスクから引上した。そのまま翔太を抱えて降下する。


 バジリスクは激怒した。片脚になったにもかかわらず、雄叫びを上げながらデルピュネーを追う。


 デルピュネーは翔太を抱えたまま反転した。そして反撃に転じようとした。


 バジリスクを見た者は生きては帰れない……。それほどまでに危険なこの怪物の前に立ちふさがる一人の少年の背中があった。


 その少年は木刀を手にしていた。


 そしてその木刀を大きく振りかぶり、上段の構えを取った。


「あれは……!?」


 デルピュネーもその存在を知っていた。


『カスケード』が起こった夜に突如、水城のフェリー乗り場に現れた悪魔祓い師。


 星城学園に転入し、何知らぬ顔で翔太とクラスメイトになった生徒。


 国際魔術会議ユニマコン所属で、何を考えているかよくわからないその言動。


 その目的は何かと、デルピュネーも要注意人物としてマークしていた人間。


 神表洋平かみおもてようへいが、バジリスクの前に飛び出してきたのだ。


「ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー」


 神表の口から神言しんごんが放たれる。


 バジリスクはドラゴンの翼を広げ、突如目の前に立ちふさがったこの人の子へと襲いかかった。


 そのくちばしが開かれ、爆炎が吐き出される。


 だが。


 一撃。


 神表は黒姫のたった一振りだけで、炎ごとバジリスクを、その頭から尾にかけて真っ二つにした。


 縦に裂かれたバジリスクの体が、神表とデルピュネーを挟むようにして地上へと堕ちていく。


(強い……!?)


 思わずデルピュネーは目を丸くした。まさか、この少年が、この悪魔祓い師が、人間が。あれほどの強力な魔物を真っ二つに、しかも一撃で倒すなぞ思いもしなかったからだ。


 デルピュネーと神表はその距離を保ったまま、ゆっくりとグラウンドの上に着地する。そして血まみれの翔太を抱えたまま、もう一本の腕で神表にその槍を向けた。


「どういうつもりですか」


 静かに尋ねる。


 神表の眼鏡の奥の目はどのような表情をしているか見えない。


 デルピュネーは警戒した。


 まさか人間が。


 単なる“ヒト”が。


 あのバジリスクを一撃で倒す力を持つなんて。


 神表は木刀をビュッと一振りしてバジリスクの猛毒の血を払うと、それを肩に担いだ。


「なるほど。あんたが報告書にあった北藤翔太ほくとうしょうたり人。コーリキュオンの番人。デルピュネーか」


 ピクッとデルピュネーの眉間に力が入った。


「どこまで知っているのです」

「いやあ。何も」


 神表はへらっと笑った。


「まあ確かに、北藤翔太ほくとうしょうたについては観察していたよ。学校でも、どこにいても。それが親父からの命令だったからな」

「どこにいても?」


 デルピュネーはさらに警戒をする。


「ああ。江戸岡交差点での葉山ひまり事件。百鬼夜行だな。あれには関わるな、手を出すなと国際魔術会議ユニマコンのお偉いさんからも言われていたから顔を出さなかったが、しっかりとあんた達の活躍は見せてもらっていた」

「あの場にいた、というのですか」

「ああ。いたよ。手出しはできなかったが」

「あなたは悪魔祓い師ですよね。何の為に、このデルの前に現れたのですか」


 そう。デルピュネーは怪物ではあるが、もともとは悪魔のような存在だ。つまり、神表にとってもデルピュネーは倒す敵となる。


「いや。あんたを祓いに来たわけじゃない」


 そう言って神表は夜の闇へと目を向けた。


「大天狗の暴走……、バーサク化したペルセウス、そしてメドゥーサ。あの場でのあんた達の行動、存在には正直驚かせてもらったよ。それと国際魔術会議ユニマコンの報告書で必要最低限の情報は手に入れた。それである程度の関係ぐらいは理解しているつもりだ。つまり、ギリシア神話の怪物よ。あんたは、俺ら人間の敵ではない」

「…………」

「まあ、あんたの強さはこの目でしっかりと見たつもりだ。だが俺の力、そしてこの黒姫」


 そう言うと、神表は愛おしそうに自身の木刀を撫でた。


「この黒姫を持った俺は、悪魔や怪物の天敵。人や神属性の敵には平凡であっても、お前ら悪魔たちだけは圧倒的な力で滅ぼすことができる。おそらくあんたには負けないほどの強さで、だ」


 この少年が言っていることは本当だ。珍しくデルピュネーの危険を察知する能力が作動している。この少年はいわゆる、対悪魔用の兵器。悪魔専門の殺し屋のような存在なのだろうとデルピュネーは察した。


「ですが何故、わたくしたちの前に……?」

「なるほど。悪魔の直感を鈍らせるような瘴気しょうきがこのあたりに撒かれているわけか」

「直感を鈍らせる……?」

「そうだ。だからあんたは、バジリスクの襲撃に対して一歩、対応が遅れた」

「まさか」

「その、まさかだ」


 突然、神表が木刀・黒姫を構えた。


「とんでもねーヤツが今もこの場を監視している!」


 その横に薙いだ黒姫は、その場を飛んでいた一匹のはえを捉えた。はえは真っ二つになり、その姿を消す。同時に、デルピュネーにもわかるほどの強い瘴気が吐き出されてきた。


「こ、これは……?」

「出やがるぞ」


 神表が警告する。デルピュネーが身構える。そして周囲を見回した、その時である。


 ズブリ!


 その痛みに思わずデルピュネーは目を見開いた。


 まったく気配に気づけなかった。


 デルピュネーはゆっくりと自分の胸を見る。


 そこから。


 メイド服を突き破った何者かの腕が伸びていた。その腕の指先から、デルピュネーの血がポタポタと滴り落ちる。


「まさか……」


 デルピュネーは背後を見る。そこにいたのは。


 まるで無垢な笑顔をした青年。襟の深いコートで顔の半分を隠し、だがその白目は黒く、瞳は銀色。何より特徴的なのは。


 頭の上にある光る輪。いびつな形をした天使の輪が、その者の頭上に浮かんでいたのだ。


「だ……堕天使……!?」


 そう。


 デルピュネーは背後に現れたある堕天使の右腕によって、背中から胸を貫かれた。


 その者は、すでに動けなくなったデルピュネーから翔太の肉体を奪い取り、左腕に抱えた。


 そして、デルピュネーの胸を貫いていた腕を引き抜いた。


「…………!!!!!!!!」


 まるで噴水のように周囲へと撒き散らされるデルピュネーの血。その血を浴びても無垢な笑顔を崩さない、謎の堕天使。


 声にならない声を上げたデルピュネーの手から、槍が転げ落ちた。

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