第163話 鶏の爪
第163話
「まいった……。今日は厄日だ」
まだ体をふらつかせながら野津俊博は言った。
寺沢龍雅をはじめ、宇和島第三工業の連中はまだ目を覚まさず転がっている。
目潰しを食らった目からはまだ涙が流れていた。薄ぼんやりとしかその場が見えない。
危なかった。勝てたのはギリギリだった。根性、気合い。金属バットで頭を殴打されたのだ。立っていられるのが自分でも不思議に思う。だがとにかく……。
(勝った……)
「野津さん!」
背後から声がした。翔太のクラスメイト、高木健二だ。全速力で階段を駆け上がって来たのか肩で息をしている。
「遅くなってすみません! 大丈夫ですか、野津さん!」
駆け寄り、野津の体を抱えるようにして支える。
「ああ。もう終わった」
「誰ですか、こいつら」
「よくわからねえ。宇和島のヤツららしい」
「宇和島?」
宇和島市はこの水城市の南方。特急電車で35分ほどの位置にある城下町だ。そこの不良が何故……?
「まあいいです。肩貸します。とりあえず保健室行きましょう、野津さん」
「悪い。頼む」
そうして高木が野津を抱えあげようとした時。
「おい」
突如、背後から野太い声が聞こえた。即座に振り返った高木のその右頬に。
何かとんでもなく重いものが飛んできた。
ゴッ!
同時に鈍い音。
(え……)
その衝撃に、高木の意識が一瞬で刈り取られる。そしてそのまま床に叩きつけられるようにして転がされてしまった。
これを見て野津は激高する。
「高木ィ!!」
そして高木に拳を叩き込んだ何者かを見る。
それは龍雅と同じ制服を着ていた。大きい。身長は190近い元崎と同じぐらい。さらにはとんでもなく分厚い肉体。肩幅。同じ高校生とは思えないほどの貫禄。
疋田麗央。そう。遅刻した宇和島第三工業の番格・疋田麗央がようやくこの星城学園に到着したのだ。その三白眼が野津を見下ろす。その無表情の瞳からは何の感情も読み取れない。
野津は再び、床に倒れている高木に目をやった。完全に気絶をしている高木の姿にふつふつと怒りが再燃する。ふらふらだった肉体に再び力がみなぎる。
「この野郎!!」
野津は最後に残った渾身の力を振り絞って右ストレートを麗央へと放った。だが、それは。
パン!
と。
麗央の左手で軽々と受け止められてしまった。
「な……!?」
「なんだ? これは?」
麗央は表情一つ変えずに言う。
信じられない! 野津は思った。やはりダメージが抜けてないのか……?
一瞬であれこれ思考が脳を巡る。だがその直後、野津の目の前が真っ白に染まった。
おそろしく速く、異常なほど重い拳。
麗央の攻撃が、野津の顔面を捉えたからだ。
(い……ってえ……)
負けずに野津も拳を返した。だがそれが届く前に。
ゴッ!
再び麗央の拳が野津の顔を吹き飛ばした。
「こ、この……!」
野津は今度は麗央に掴みかかろうとする。しかし、その脳天に向けて。
麗央の肘が真上から落ちる。とてつもない衝撃が野津の体を脳天から足先まで貫く。
(つ、強え……)
野津の膝がガクリと落ちた。
それからは一方的だった。麗央はほぼ突っ立ったまま、拳を直線的に出し続ける。
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
何度、麗央の拳を食らっただろう。しかも相手は肉体をほぼ駆使しない余裕の手打ち。なのに。
(その全部が強烈に効きやがる……)
まったく反撃もできずにやられ放題になるなんて、元崎を相手にした以来だ。
(ダメだ……)
ついに野津の頭の中に「敗北」の二文字が浮かんだ。
(元崎くん……)
なす術はない。
野津は麗央の拳を雨のように浴び。そして。
──沈んだ。
※ ※ ※
野津が目を覚ました時、目の前には見覚えのない天井が広がっていた。
ここは……?
「保健室ですよ。野津さん」
聞き覚えのある声に横を向く。そこには元崎恵の顔があった。
「元崎くん!」
「ああ。まだ動かない方がいいですよ、野津さん。先生が応急処置はしてくれましたが、おそらくこのまま病院行きになると思います」
「元崎くん、俺……俺……」
野津の目から涙が流れ落ちる。悔しいのだ。
「すみませんねえ。私がいなかったばっかりに。痛かったでしょう」
「すみません! 元崎くん! 俺、負けちゃって……」
「まあ誰にも失敗はあります。そう気を落とさないことですよ」
「野津さん! すみません! 俺が役立たずで……」
その時、逆側から高木の声が聞こえた。
「高木……か?」
そこには腫れで右目が完全にふさがり、ガーゼで手当てされた高木がベッドを覗き込んでいた。
「良かった……無事だったか」
「申し訳ありません! 俺、俺……」
(……ん?)
その高木の横には見覚えのある顔。そう。あの学園裏の神社で元崎と強烈な死闘を演じた北藤翔太。そして水城工業の小野山を蹴り一発で沈めた海野美優が寄り添っていた。
「そうか。北藤と海野は、高木のクラスメイトだったな」
「ほんっと不甲斐なくて申し訳ありません! 俺にもっと、力があれば……」
泣きじゃくる高木の肩に美優がそっと手を置いた。
「高木くんは良くやったわ。ちゃんと野津先輩のピンチに駆けつけられたじゃない」
「で、でも俺……」
「いえ。海野さんの言う通りですよ、高木くん。あなたはあなたでしっかりと役割を果たそうとしました」
「怪我も軽くて良かったじゃない。きっとリベンジできるわよ」
そんな会話を翔太はじっと見つめている。そう。学園の中庭で。高木は他校生がうろうろしているから自分に「気をつけろ」と忠告してくれた。その高木がこんな目に遭ってしまったのだ。さらには、学園では元崎に次ぐ力を持つであろう野津先輩も。
自分がその場にいれば……とまでは思えない。
何と声をかけるべきかわからない。
自分は不良ではない。だが、こんなひどい有様を見れば……。
そんな翔太の目の前。
何かの虫が通り過ぎて行った。
翔太は思わず拳を出す。
その手のひらで潰れていたのは。
──蝿だ。
保健室に蝿……?
「それよりも野津さん。相手は一体、誰だったんです?」
声をかけられ、野津は再び元崎の方を向く。
「いやあの……。全然、知らないヤツらです。でも宇和島がどうとか……」
「宇和島……」
元崎は考え込む。
「私も宇和島のヤンキーのことはよく知りませんけどねえ。あなたをここまで痛めつけられる方があんな所にもいたとは」
「あいつら元崎くんのこと探してたみたいです」
「私……ですか?」
「そうです。多分、元崎くんと勝負をする為に……」
「なるほど」
元崎に宇和島の知り合いはいない。だが自分の名前が愛媛県でそこそこ知られていることは知っている。だとしても突然、意味もなく殴り込みに来るものだろうか。
「ただの縄張り争いにしても、あまりに唐突にすぎる。いくら不良と言えどもまったく知らない人を相手に、そんなに凶暴に、しかも文化祭なんて人の目につく場所に来るでしょうか」
「わかりません。でもとにかくヤバいやつらでした。中でも強いのは金属バットとか武器を使う卑怯なヤツと、後は元崎くんぐらいデカいヤツの二人。特にデカいヤツの方は圧倒的で、俺が怪我をしてなくてもまともに相手できたかどうか」
「ふむ」
宇和島か……。翔太はその会話を聞きながらどこか居心地の悪さを感じていた。遊びに来ていた兎谷乃々のことも気になる。完全にほったらかしにしてしまっていた。
翔太はその場を離れ、窓際へと歩いて行く。もう日が暮れており、空には星が瞬いている。
「あら嫌だわ。また蝿。なんで今日はこんなに飛んでいるのかしら」
不意に保険の先生が言う。保険の先生の周囲には三匹ほどの大きな蝿が飛び回っていた。彼女はふう、とため息をつくと、椅子から立ち上がり、野津が寝ているベッドの方を向いた。
「まあ、今回の事は先生たちには黙っててあげるから。野津くん。目が覚めたなら今から病院。高木くんもよ。まあ喧嘩するぐらい男の子は元気な方がいいけれど、やりすぎはダメ。次からは、他校のヤバそうな不良が入ってきたらすぐに先生たちに報告すること。今日のことが公になってないなんて、奇跡みたいなものなのよ」
「いつもすみません。先生。私たちのことを理解してくれまして」
元崎が頭を下げる。
「いいの、いいの。逆に最近の生徒って若いくせに元気がないのかってぐらい優等生なんだから、あんたたちぐらいヤンチャなのがいて、先生も治療のしがいがあるわ」
その保険の先生の目の前をまたもや蝿が横切って行った。
「あらやだ。もう、本当に嫌だわ」
保険の先生がそう言葉を発したのとほぼ同じ時。
「…………!」
美優の中のマグスの力が何かに反応した。そのシグナルが表すのは“危険”。今、この場に何かの危険が迫っている──。
「翔太くん!」
思わず声をかける。
だが一瞬。
遅かった。
翔太がいる辺りの窓ガラスが一気に割れた。
まるで何かの大砲が撃ち込まれたように。
ちらばるガラスの破片。そして。
翔太の右側の脇腹のあたりが。
爆音と共に弾け、半円形の穴が空いた。
「…………!?」
「翔太くん!!!!!!!!!!!」
何が起こったわからない。そんな翔太の口から大量の血が吐き出される。
さらには。
夜の闇から巨大な鶏の足のようなものが入り込んでくる。
翔太はそれに穴の空いた体を鷲掴みにされ。
額にはソロモンの六芒星が描かれたカードのようなものが貼られ。
あっという間に。
そのまま窓の外へ。
夜の闇の中へと引きずり出されてしまった。
いち早く駆け出した美優だったがその指先は翔太のつま先にも届くことなく。
翔太は巨大な翼の羽ばたき音と共に消え失せる。
翔太が……。
──さらわれた!




