第15話 新たなる災禍
第15話
“習合”の力ゆえに、『反キリスト』は太陽神ラーへと入り込み、肉体と力を奪おうとした。その寄生は静かに、しかし確実に進行している────世界のルールが静かに書き換わり始めたのだ。
黙示録の“獣”は、この世どころか宇宙をも呑む“破滅そのもの”だ。
神々は、獣の“卵”が孵る前兆を察知し、太陽神ラーの本質を人間の肉体へと託した──それが翔太だ。
ところが『反キリスト』はそれを見抜いていた。翔太の誕生を察すると、卵の状態のままラーの魂へ侵入。その侵入が引き金となり、十六年前の『カスケード』が起きた。あの夜は“偶然”ではない──“地球”という存在の“胎内”で進行する異変の露呈だったのだ。
これは神々にとっても想定外だった──抗う術がなかった。
卵の段階で、すでに予想を越えていた。
そして今は辛うじて“共存”──ラーの抵抗で『受胎』は阻まれているが、その均衡は薄氷だ。
だが、それも時間の問題だ。
何らかの刺激があれば、反キリストはラーを掌握し、覚醒する。
『受胎』が成立すれば、それは完全体となった“破壊そのもの”となる。
だからベレスは八十の軍団を投入した──その時に起こったのが、一か月前の『カスケード』である。
何が“刺激”になるか。それはまだ予測不可能だ。
ただ人には寿命がある。
もし、転生体が何事もなく天寿を全うすれば、ラーは消え、必然的に反キリストも再び混沌へ還る。
ゆえにベレスの狙いは単純だ──いかなる刺激からも翔太を遠ざけ、人生をまっとうさせること。
「つまり、今の僕たちは君の味方──守護者ってやつさ」
言葉は軽くても、その意味は重い。猫の微笑が冷たく見える。
シャパリュは言う。
このことを魔界で知る者はまだ少ない。同時に神界からの情報は漏れている。
反キリストを利用してサタンやルシファーへのクーデターを狙う勢力も潜んでいる。
つまり、敵は“外”にも“内”にもいる。
そうした脅威から翔太を守る存在こそが、魔王ベレス=成宮蒼だ。
彼の保護にも、やはり条件と割り切りがある。
守る理由は慈悲だけではない。
「君が反キリスト──“666の獣”に支配されたなら、この水城で『受胎』と呼ばれる強烈な怪異現象が起きる。そうなればカウントダウンが始まり、この星はおろか宇宙そのものが吹き飛ぶ。だからこそ僕たちは君を守る。今回の接触は、それを君自身に理解してもらい、僕たちを信じさせるためのものだった。だからこうして、ベレスさまの結界内で、君の魂の“在り方”を自分の目で確かめてもらったんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
翔太が遮った。
「仮に。仮にだが、完全に復活したら──どうなるんだ?」
「ん?」
シャパリュは、また言わせるのかと言わんばかりに肩をすくめた。
「まあそりゃあその時は、奴は宇宙そのものを徹底的に破壊する“王”になるだろうね。だってそれこそ彼に与えられた役割だから」
「役割……?」
「そうさ。そしてその時は僕たちだって黙ってはいない。ベレスさまはそれを望んでないからね」
「え……」
「つまり、君を止めるために全力で、君を――殺しにかかるだろう」
翔太は言葉を失った。
──これが、魔物というものか。
「要は、翔太には“平穏”に生きてくれってことさ。僕たちの願いはそれだけ。悪くない取引だろ? ──さて、ミニ談義はここまで。ちょうど主さまのお出ましだ。じゃ、僕はここで失礼~♪」
その尻尾が消える寸前、かすかに「またすぐ会うけどね」という声が耳の奥を撫でた。
一方ショックを隠し切れない翔太。
その背後には、いつの間にか魔王ベレス=蒼が立っていた。
「翔太くん──その胸の痛みは、理解しているつもりだよ」
翔太は振り返る。
その姿を見て、空気がひと息、重く沈んだような気がした。
闇が形を持って現れたかのようだ。
「おそらく、完全に覚醒した君に敵う者はいないだろう。『反キリスト』は、神話のどの存在よりも上位に立つ。次元が違う場所で生まれた、純粋な“破壊”だからだ。だが──君が人として生をまっとうし、この世を去るという選択肢も、まだ消えてはいない。僕たちが守るからね」
「本当ですか?」
その問いは希望というより、縋るような呟きだった。
妹と美優だけは──守りたい。
幼い頃に願った祈りが、再び喉の奥で軋んだ。
震える声は、あのとき助けを呼んだ少年のままだった。
「本当だ」
「じゃあ……俺が、このまま普通に生きて終われる確率は、どのくらいありますか?」
言いながら、自分でも愚かな質問だと思った。それでも、答えが欲しかった。
だが。
「……分からない」
その一言が、心臓の奥に氷柱のように刺さった。
「けれども悲観することはない。我々が君の“普通の人生”を支える。そのために僕たちはここにいるんだ。君の物語は“平穏”であればいい。──“平穏”こそが、君が君として生きられる唯一の道。……デル、出ておいで」
「はい。こちらで控えております」
暗闇を裂くように、デルピュネーが姿を現した。
エメラルドグリーンの瞳が光を受け、まるで夜明け前の宝石のように瞬いた。
その光だけが、この世界に残された“美”のように思えた。
「今後、魔界からも干渉があるだろう。ベールゼバブ、アスタロト、バアル……大物ばかりじゃない。邪神ロキ、ゼウス、オーディン、トール、ヒンドゥーのシヴァやビシュヌ──神も悪魔も、次々とこの世に現れるだろう。デル。君が彼らを守るんだ」
「かしこまりました、ベレスさま」
デルピュネーはスカートの両端を軽く掴み、礼儀正しく頭を下げる。
「そして翔太くん、その備えとして、デルピュネーとシャパリュを君の傍に置いておきたい。問題ないね」
「え……?」
「そう。悪いが、これは決定事項だ」
「俺が……化け物と、一緒に暮らすってことですか……?」
「そういうことになるね。でも君だって守りたくないのかい? あの二人を……」
その笑みは、誰よりも優しい。声もまるで子守唄のようだ。
「君のガールフレンドと妹。彼女らも僕の保護対象だ。だから、さあ。もう休むといい。必ず守る。――そのために必要なことは、すべて行う。結界を解き、止めた時間を戻そう。デルに世話を命じておく。三人で、朝まで眠るんだ……」
深い眠気が満ち潮のように押し寄せ、翔太の意識は落ちた。
その眠りの底で、誰かが囁くのが聞こえた。
「君の夢が、世界を選ぶのだ」と──
ベレスは、静かに翔太の寝顔を見下ろした。
(十六年前は“獣”、ひと月前は我々……では──)
そう。今回の『カスケード』では分からないことが一つある。
(今回の『濃霧』では──何が、この世に現れた?)
それが何者なのか。神か悪魔か。敵か味方か。
しばらく考えたが、結論は出なかった。だからこう思う。
「……まあいい。どうせ姿を現す。そのときに──」
ベレスは薄く笑った。その瞳の奥で、冷たい残虐の光がわずかに瞬いた。
──潰せばいい。
その一言が、世界の命運を決める“呪文”のように響く……。
とにかく、これで翔太も、美優も、芽瑠も、いつもの朝を迎えるだろう。
だが今夜の『カスケード』が終わっても、何者かの気配は消えていない。
まずは、その影を探り出すことだ。
北藤翔太──この“破壊の権化”を求め、闇はまた動き出す。
魔王ベレスは静かに目を閉じた。
◆ ◆ ◆
それは──宇宙が誕生する以前のこと。
“秩序ある混沌”には、ただ「エデン」と呼ばれる約束の地だけがあり、そこでは「神」の子ら=リリンが平和を謳歌していた。
しかし、楽園は永遠には続かない。
やがてリリンの多くは堕落し、傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰……人が背負うすべての罪を、その身に映してしまった。
「神」は嘆き、そして裁きを下す。
その嘆きは形を得て「ガーディアン」となり、世界に初めて『破壊』という概念をもたらした。
ガーディアンが放った大爆発は、すべてを呑み込み、エデンを消し去った。
リリンの記憶もまた霧散し、彼らは漂流する方舟にすがり、やがて、ある遠い地へと辿り着いた。
──その真実こそが、後に「神話」と呼ばれる物語の源流である。
つまり。
「方舟」とは「地球」
「大洪水」とは「宇宙」
「神の怒りの大爆発」とは「ビッグバン」
ギルガメッシュ叙事詩、ノアの方舟伝説。
人類の語り継ぐあらゆる神話の底流には、この記憶が刻まれている。
だが──ガーディアンは方舟の存在を見逃してはいなかった。
神の嘆きから生まれた破壊者は、何百億年もの時を執拗に舟を追い続ける。
ついにその行き着く先を見出すが、あまりにも長い旅路に、彼自身すら疲弊し、深い微睡みへと沈んでいった。
──それでも、眠りの中においてなお、その存在は強大すぎた。
余波は方舟で誕生した人類の心へと流れ込み、その影は「獣の数字 666」として聖書に刻まれ、世界各地の神話や伝承に姿を変えて現れることとなる。
それは『破壊』そのもの。
神の真の意思を継ぎ、方舟を破壊し尽くす者。
神の子リリンすべてを滅ぼす「666」──。
そして。
──その「ラスボス」こそが、この物語の「主人公」である。
カチリ、と。
古びた錠前が音を立て、今まさに解かれようとしていた。
悠久の神話を越え、現代へとつながる「目覚め」の物語が、いま幕を開ける──。
こちらでプロローグは終わりです。これから本格的に物語が動き始めます!
「良さそうかも」「続き読みたい」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします。
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、さらに良いアイデアが湧くかもしれません。
ぜひよろしくお願いします!




