第140話 怨霊神・イザナミの祟り
第140話
──再び、水城市の空を覆う暗雲=『カスケード』の上空。
魔王レラージェの呪いの矢による範囲攻撃「滅びの雨音」で、イザナミの体に巣食っていた8柱の雷神が倒され、さらには「零の水鏡」により、蛭子へも手傷を負わせられた。
この戦況にイザナミノミコトの怒りが爆発する。
「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ!」
イザナミの姿が風とともに消えた。かと思った次の瞬間、魔王レラージェの目と鼻の先に、アメノヌボコを手にしたイザナミが現れた。
「はやっ……!?」
とても対応できるスピードではない。これが神か……。
「零の水鏡」を展開する余裕もない。アメノヌボコが魔王レラージェの顔面に向かって迫った。しかしそれもレラージェでは目で追えない。
それを止めたのは、やはり魔王ベレスだった。
瞬時にイザナミとレラージェの間へ移動したのだ。
そして両手にした二振りの布都御魂剣でアメノヌボコの斬撃を切り払う。
アメノヌボコの軌道が変えられる。しかしこれをイザナミは利用した。まるで稲妻のように。高速でジグザグに軌道を変える目くらましをしながらイザナミは魔王ベレスの隙を突こうとした。
レラージェの動体視力では捉えられぬイザナミとベレスの攻防。まさに一進一退。しかしベレスの方にはまだ、やや余裕がある。アメノヌボコを切り払い、無防備になったイザナミの首元へ布都御魂剣を振るった。だがそこに蛭子から放たれた触手が盾となってその斬撃を止める。
一旦、ベレスを飛び退いて距離を取った。そこへイザナミがさらに突進してきた。
一撃一撃、ベレスがアメノヌボコを切り払うたびに広がる衝撃波。その衝撃波にあおられ、レラージェは吹き飛ばされないように魔術を総動員して耐える。この空中線、少しでも気を抜くと、自分は一瞬にして殺される。そんな緊迫感がレラージェの集中力を高めていった。
ベレスの上段からの一撃がイザナミを襲った。
これをイザナミはアメノヌボコで受け止める。
だがその一撃が強力すぎた。耐えきれず、イザナミは下方へ撃ち落とされる。
瞬時にベレスは足元に魔法陣を張った。それを足場に蹴り、落ちたイザナミに迫る。
イザナミは暗雲=『カスケード』ギリギリのところで踏みとどまると、アメノヌボコを『カスケード』へと突き刺した。そしてまるで釣り上げたかのように、雲の中から巨大な白鯨を呼び出し、これをベレスに襲わせた。
巨大な口を開けて、ベレスを丸呑みにしようと上昇してくる白鯨。
だがベレスはニヤっと笑った。さらにはこれを避けようとしなかった。
そのまま白鯨に喰われると体内へ。
瞬時に、白鯨の周囲に数十もの魔法陣が浮かんだ。
そしてその魔法陣に向けて。
ベレスは白鯨の体内からエネルギー体を放った。
魔法陣に囲まれた白鯨の体のあちこちから、ベレスの数十本ものエネルギー体が飛び出す。
白鯨の周囲に張られた数十もの魔法陣はいわばターゲットポイントだ。白鯨の肉体を体内から貫き、その魔法陣へと命中する。
またたく間に白鯨の体は内部から崩壊。
肉片となって落ちていく白鯨の身や血のなかに、まるで何もなかったかのような冷酷な表情をしたベレスの姿があった。
これに最も驚いたのはレラージェだった。
(なんだ、あのエネルギー体は……!?)
少なくとも魔力ではない。魔界や地獄においても見たことのない未知のエネルギー。
レラージェは震えた。
魔王ベレス。
魔王と名乗るにふさわしい、地獄の王の1柱であり、魔界でも一目置かれる悪魔。
だが本当にベレスは悪魔というカテゴリーで語ってよい存在なのか。
魔界や地獄にとって未知のエネルギー。これを発することができる存在を悪魔という言葉でくくっていいものなのか。
サタン、ルシファー、アスタロト、ベールゼバブ……、レラージェは多くの魔界の実力者に謁見してきた。そのレラージェをして初めて知る得体のしれないエネルギー。
そんなものを発する、使いこなす。
一体。
ベレスとは何者なのだ……!?
同じく魔王の名を与えられている地獄の大侯爵・レラージェ。
ベレスは、……いやあの存在はまさか魔界や地獄に収まるような存在ではない……!?
──ちょうど同じ頃だった。白鯨の背にいた手負いの蛭子に異変が起きつつあった。
レラージェの「零の水鏡」によって貫かれた肉体。
それが蠢きながらも、黒と赤の禍々しいオーラのようなものを放ち始めたのだ。
それはイカヅチにも似ていた。
イカヅチとは、厳(激しく強力な様)、ツ(の)、チ(神霊)というのが語源だ。
まさにその語源にふさわしく、高速で不規則な動きを描きながら“祟り”を撒き散らしている。
蛭子はその闇のオーラをまとわせた触手を再び何本も飛ばした。幾何学の線を描きながら、さらには地獄の闇と業火を合わせたような負のエネルギーを撒き散らしながら。
祟り。
不具の子である蛭子の祟りが可視化された祟り。
父・イザナギと母・イザナミに、両手足が億弱で肉体の体を成していなかった、いわば障碍者であったために捨てられた子。
その哀しみが。理不尽な恨みが。祟りとなって触手をさらに強化していく。
同時にイザナミのアメノヌボコによる攻撃がベレスを襲った。
祟りによってさらに威力を増したヒルコの幾数本もの触手の突き。さらにはイザナミの突きや薙ぎ払い。
2柱の同時攻撃。
しかしベレスはこれをすべて両手にした布都御魂剣で切りさばいていく。
そして一瞬!
ベレスはそのすべての蛭子の触手を切り裂き、返す刀でアメノヌボコにある剣技をかけた。イザナミの手からアメノヌボコが引き離される。
巻き技だ。
剣道にある技。相手の武具の周囲を回転させるように巻き進めていき、それによって発生した遠心力を利用する。遠心力が高まった瞬間を狙って、一気に相手の武具を跳ね上げる。剣道でも高等技術といわれるトリッキーな攻撃だ。
アメノヌボコをベレスの布都御魂剣が巻き取った。
イザナミはこれで丸腰となった。
そしてこれをベレスは見逃さなかった。
もう片方の布都御魂剣でイザナミの首を跳ねにかかる。イザナミの表情が戦慄に歪む。
だがその寸前。
蛭子の祟りのオーラの一本が、ベレスの体に直撃してしまった。触手は切り落とせたが、その祟りのエネルギーは布都御魂剣では切り裂けなかったのだ。
ドッ!!
そのあまりの強力なエネルギーに、ベレスの肉体ははるか遠くへと飛ばされていく。
即座にベレスは魔法陣の足場を作った。この衝撃を止めようとする。
だが蛭子の闇と業火の祟りのオーラは止められない。
ベレスは魔法陣ごと空中を押されていく。
同時に。
蛭子の祟りがベレスの肉体を侵食し始めた。祟りで取り込んで、その肉体を奪おうとしているのだ。
それでもベレスは冷静だった。
逆にその祟りを自身のエネルギーで取り込み返すと、祟りを浄化していくように。
禍々しい赤と黒の祟りのオーラを、ベレスの持つ“蒼”のエネルギーに変えていった。
その蒼のエネルギーは蛭子のオーラを少しずつ逆上っていく。蛭子も抵抗しようとするが亀甲が崩れる。
ベレスのエネルギーが勝ったのだ。そしてそれはついに蛭子へと到達する。
蛭子がベレスのエネルギーを受けた瞬間、一瞬、魔法陣が浮かんだ。その魔法陣に蛭子は弾き飛ばされ、ベレスの蒼のエネルギーが蛭子のスライムのような肉体を絡め取りながら、吹き飛ばした。
白鯨の背から『カスケード』の中へと落ちていく。蛭子が落ちたあたりで『カスケード』がボン! と小さな爆発を起こしたのをレラージェは見た。
強すぎる。
レラージェは呆気にとられている。
悪魔王・サタン様の本気を知っているわけではないが。
それに比肩、またはそれ以上。
さらには、まったく違うタイプの強さを、あのベレスという悪魔はまだまだその身に秘めている。
ベレスに勝てる者など地獄や魔界に存在するのか……!?
ゾッとした。
血が氷る想いがした。
これは。
恐怖だ。
最高神に近い神を相手に余裕の立ち回り。
その圧倒的な“力”を前に。
俺は、本当の、恐怖を抱いている──!
身動きできないでいるレラージェの頭の奥でベレスの声がした。
(レラージェ、今すぐ、その場から離れろ!!)
一体、何だ!?
だが、それはすぐに判明する。
アメノヌボコを失ったイザナミが、今はレラージェの目の前にいたからだ。
(しまった……!)
レラージェは逃れようとする。
そのレラージェを前にイザナミは言う。
「西洋の魔の者にも寿命というものは、あるのかえ?」
レラージェは気付いた。
この嫌な予感は。
新たな“祟り”の感覚だ。
おそらく、あのセイレーンを腐敗させた“祟り”だ!
「油断をしておったな。我が本懐、我が力。それは戦闘のみにあらず。そなたの寿命、もらい受けるぞ!」
おそらくそれは西洋の魔術で言えば、ライフドレイン。つまり生命力の吸引であろう。
ただの悪魔からのライフドレインだったらレラージェも怯えない。
だが相手は神だ。
東洋の“祟り”だ。
この日本という国を生んだという女神の、最強クラスの力を持った神による未知の攻撃だ!
レラージェのすべての動きがイザナミには止まって見えた。
それほどまでに神と悪魔の間には差があるのだ。
イザナミが両手をかざす。そこから気味の悪い黄色のエネルギーがほとばしる。
レラージェは知った。
これに触れたら。
おそらくこれまで集めてきた人間たちの魂ばかりか。
俺の悪魔としての。
魔王としての。
核となる部分を無残にもぎ取られてしまうに違いない。
避けようとした。
逃れようとした。
だが。
まず戦士としてのレベルが違いすぎる。
レラージェは死を覚悟した。
こんなことは初めてであった。
戦争の悪魔と言われ、多くの魔界の者たちから称賛を浴びてきた。
アスタロトに気に入られ、サルガタナスの配下となり、“666の獣”を卵のうちに魔界へ連れて行くのが彼に与えられた使命だった。
サタンへのクーデター。
その一環のこの世への顕現。
それはレラージェの戦闘力の高さ、戦略の見事さを買われての使命だった。
そんな使命も、重要な任務を与えられた誇りも。
この神の前では、まったく意味をなさない。
なさないどころか、すべてのプライドがズタズタにされる。
もはや、これまで。
死の直前にはスローモーションのように様々な思考や光景が浮かぶという。
(まさか、ここが俺の死地になるとはな……)
レラージェが完全に諦めた、その時であった。
「アッハッハッハ。こんなところで遊んでおったのか。なぜ我にも一声かけぬ」
聞き覚えのある声にレラージェの意識が回復した。
その声の主を見る。
目の前に、見たことのある背中。
大の字に両手両足を広げ、イザナミの祟りをその全身で受けとめるその姿。
イザナミがいかに、その者を祟ろうとも。
その寿命を奪おうとしても。
まるで涼風にでも当たっているかのようにビクともせず、立ち続ける毛むくじゃらの両手、両足。
「な、なんと……!?」
さすがのイザナミも驚きの声を上げた。
イザナミ最大の“祟り”が。
──まったく通用しない!?
「お主、なぜ、死なぬ。なぜ、そこに立っていられる!?」
イザナミの声に、その者は、カッカッカと笑いながら答えた。
「いやかつて、おやじどん……つまり、太上老君の仙丹をすべて盗ませてもらったことがあってな」
その者は手に、棍を持っていた。
「その仙丹のおかげで我には寿命という概念がなくなったのだ」
その者は小さな雲の塊の上に立っていた。
「つまり、我は不老不死」
その威厳に満ちた声。
「人間に“死”という概念を与えた祟り。人に寿命を与えたのは、主であろう?」
そして、その者は手にした棍を構え、イザナミと対峙した。
「だがその祟り。道教の最高神描くである三清が1柱。太上老君の仙丹の前には無意味よ」
おかしそうに話すその姿、声。
まさか、と思った。
その者はすでに自分が倒したと思っていた。
殺したと思っていた。
メドゥーサの魔眼で石化し。
その肉体を粉々に砕き。
この世から完全に排除したかと思っていた。
それは、間違いであった。
浅はかな思い込みだった。
そう。その者は。
不死身の肉体を持っていたのだ。
天界の暴れ者。
中国の神たちからしても、さんざん手を焼かした厄介者。
強大な神通力を持ち、今なお道教において信仰されている、中国の民間信仰の英雄。
孫行者、またの名を孫悟空。
すなわち。レラージェを救ったのは。
あのセイテンタイセイだった。




