第135話 蛭子(ヒルコ)
第135話
魔王レラージェイメージ
真っ白な死装束に、腐った肉体とは思えぬ女の色香を存分にまとわせた肉体美。裏腹の、いまにも崩れ落ちそうな顔や手足といった矛盾。黄泉醜女の群れはマーサ・プレイスの電気椅子に取り付き、今にもマーサの肉体を引きちぎり、弄び、破壊せんとしている。
魔王レラージェが放つ矢は、1本1本、その黄泉醜女の頭についた三角の白い布=天冠の中心を正確に射抜く。まったくブレもなくミスもないレラージェの攻撃。地獄の狩人の名にふさわしい、まさに必中の腕。
雲から這い上がってくる黄泉醜女の全て、1匹も逃さず射抜くレラージェの矢で、彼女たちは飛型を上げながら、暗雲=『カスケード』の濃霧の中へと次々と落ちていく。
その時、マーサ・プレイスが再び叫んだ。
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
マーサから発せられるイカヅチは、イザナミの8体の雷神が放つイカヅチと激突する。だがそれは、ギリギリの攻防であり、均衡を保つので精一杯といった状況だった。
魔法陣から矢を放ち続けるレラージェが言う。
「数が多すぎる……キリがない」
射抜かれては落ち、射抜かれては落ちする黄泉醜女。だが、『カスケード』から次から次へと新たな黄泉醜女たちが浮上してくる為、いくら倒しても終わらないのだ。
白鯨の背に乗ったイザナミは、その黄泉の瘴気を大量に発しながら、魔王ベレス=成宮蒼を睨み続けていた。ベレスもそのイザナミの視線を逃げずに受け止め、じっとイザナミの方を見ている。
イザナミは、おそらくその肉体の腐敗を止める為であろう、黄泉の王冠を取り巻くように貼られたいくつもの御札がひらめかせている。地獄の大穴であったその場所には美しい黒い瞳を取り戻しており、元の姿となったイザナミは美しく、その頬はまるで生きているかのように紅潮しており、唇は赤々としていた。
まさに黄泉の国の主宰神。日本全土の母。その膨大な瘴気も、この日の本の国のすべてを愛で抱きしめるようであり、さらには祟るようであった。
「そちが、我が子孫を苦しめんとする魔物の総領であるか?」
イザナミが口を開いた。我が子孫とは崇徳上皇のことだろう。魔王ベレスはその強大な瘴気に怯むことなく、凛と声を響かせる。
「日の本の母よ。黄泉津大神よ。崇徳はあなたが産んだこの日の本を、その怨念で破壊せんと目論んでいる。僕はそれを止めに来ただけだ。無用な殺生だとは考えていない」
「ほう。だが殺そうとしていると認めるか」
イザナミは感嘆の笑みを浮かべた。
「この大神を前に、己自身が、このイザナミの敵になると、ハッキリと認めるか」
「だとしたら?」
「愉快、愉快」
イザナミは笑い出した。
「なかなかに言えるものではない。私も興が乗って来た。ほんに。あなにやし、えをとこを(ああ、なんという愛らしい男よ)」
イザナミの手に突如、長い矛が姿を表した。知っている。魔王ベレスはそれを知っている。アメノヌボコ。この日本という国を、大海から釣り上げた神の、日本最古クラスの神具だ。
「この矛に貫けぬものはない。この矛が破壊できぬものはない。国すらも産むこの神具。そちは何を武具とする? 私と矛を交えたい。そうなれば、この大神と戯れ、どのような戦を好む? どのような死を好む?」
魔王ベレスは悪戯っぽく笑った。
「そうだな。では、こういう武具はどうだい?」
魔王ベレスはそう言うと、両手に1つずつ、50cmほどの短い剣を出現させた。
「君のような大神と戦うには、なかなかに洒落が効いているだろう?」
その剣の姿を見た途端、イザナミの形相が死者の形相に変わった。
「それは、布都御魂剣!」
「どうだい、笑えたか」
ベレスは不敵に唇をほころばせる。
「おのれ! タケミカヅチの剣を……!」
「その通り。これは元々、タケミカヅチの剣。タケミカヅチと言えば、君を焼き殺した火の神・ヒノカグツチの血から生まれた神だ。君が焼け死んだ後、我が子であるヒノカグツチの首を父であるイザナギが斬り落とした。その時に、その血の中から現れたのがタケミカヅチ。そのタケミカヅチがこの世を平定する為に用いたのがこの剣だったね。つまりは布都御魂剣は君に血縁レベルで関係の深い武具。これ以上の対抗神具はないんじゃないか」
「ぬぬぬぅ……」
「自分を焼き殺した我が子の血より生まれし神の剣。君の血を引く剣。我が子の首を斬り落とした、君の愛する夫とも由縁がある、日本神話でも重要な位置を占める貴重な剣だ。それが、何故かここに二振りもある。この君に縁のある二振りの剣で君と闘うというのはどうだい? それこそ神話の戦争の再現と言えるだろうね」
「おのれ!!」
怒りに目を血走らせたイザナミは、瞬時に白鯨の背からその姿を消した。
一瞬、目標を見失う魔王ベレス。だがその顔は落ち着き払っている。
次の瞬間。
魔王ベレスの真横にイザナミが姿を表した。
速い!
神を産み、国を産んだ、伝説の槍・アメノヌボコ。イザナミはその槍を振り回し、ベレスに斬ってかかった。
だがベレスは慌てなかった。その攻撃を二振りの神の剣を用いて弾き飛ばす。
それでもイザナミは止まらない。アメノヌボコを使った連続突き。これもベレスは神の剣で次々とさばく。イザナミはこの危機にニヤリと笑った。ベレスの隙を突き、イザナミはさらに速い速度で上空からベレスへとアメノヌボコで突いた。これまで以上に殺気がこもった攻撃。
ベレスはこれを神の二振りの剣をクロスさせて刃と刃の間で受け止めた。そしてそのまま左右に振り払い、アメノヌボコごとイザナミを吹き飛ばす。
その際に産まれた衝撃波の輪がこの空間全体へと広がった。
これに驚いたのはイザナミだけではなかった。黄泉醜女を「滅びの雨音」で射抜き続ける魔王レラージェ。その衝撃波を受けながら、レラージェの糸目は、完全に見開かれていた。なぜならば。
戦争の悪魔と呼ばれる戦闘に特化した魔王レラージェ。そんな彼を持ってしても、ベレスとイザナミの動きに目がついていかなかったからだ。
「これが……ソロモン72柱の頭領と、神の闘い……」
レベルが違った。魔王ベレスを甘く見ていた。あのスピード、動体視力、体の動き、破壊力。そのどれを取ってもこれまでレラージェが見てきた魔王たちは、足元にも及ばない。
(このことを、アスタロト様は知っているのだろうか)
地獄の三大実力者の1柱、美しき強大な魔王アスタロト。そのアスタロトであったとしても、この魔王ベレスという悪魔を前に互角に戦えるかどうか。
イザナミがアメノヌボコで魔王ベレスを攻撃する。一見、押しているように見える。だがすぐ様、ベレスは瞬間移動をし、イザナミの背後に回る。イザナミはそれが見えていたかのように、空中で宙返りをしながら、さらにアメノヌボコでベレスに連続突きを仕掛ける。
そのすべてを、ベレスは二振りの剣で防ぎ切った。だが突きの一撃がベレスの布都御魂剣の剣の腹に当たり、その衝撃でベレスは吹き飛ばされる。バランスを崩したベレスの顔は冷静なままだ。その片足をイザナミは断ちに行く。
その直前、ベレスは布都御魂剣の一振りをイザナミへ向けて投げつけた。やむを得ず、投げ込まれた布都御魂剣をアメノヌボコで跳ね飛ばしたイザナミ。体が流れた瞬間を狙って、ベレスが強力な蹴りをイザナミへと打ち込む。
イザナミの動きが一瞬、止まった。その間に、投げた布都御魂剣は回転しながら、ブーメランのようにベレスの手に戻ってくる。
レラージェが自身の目で確認できたのはこれで全てだった。おそらく、レラージェの動体視力の及ばない間にもいくつかの攻防があったに違いない。
ゾッとした。
神であるイザナミノミコトではなく、魔王ベレスの“強さ”に身震いした。私は何という男に戦を仕掛けようとしていたのだろう。何という男に、取引を持ちかけようとしたのだろう。
そのレラージェの目に、異物が映った。白鯨の背の上。先程までイザナミが立っていたその場所。そこに、水色の、何かブヨブヨした物体が蠢いていたのだ。
(何だ、あれは?)
黄泉醜女たちを仕留めながら、レラージェはその物体を観察する。マーサ・プレイスと8体の雷神は、イカヅチ合戦を続けている。イカヅチと、高速で空中戦を繰り広げるベレスとイザナミの向こうにある、白鯨に背に乗るその物体の大きさは、およそ直径高さ2メートルほどの水滴のように見えた。
(スライム、か?)
このレラージェの隙をついて、一体の黄泉醜女がマーサ・プレイスの電気椅子を踏み台にし、レラージェへと飛びかかった。レラージェはこれを、下弦状態にある、自身の光る弓を鎌のように使って真っ二つにした。容赦もしない。二つになった黄泉醜女に、彼女の肉片すらもの残らぬほどの矢をさらに浴びせかけ、これを完全にこの世から消滅させる。
だがこれが仇となった。レラージェの、『カスケード』から這い上がってくる黄泉醜女たちへの攻撃が手薄になってしまったのだ。黄泉醜女たちが一斉に『カスケード』から飛び出してくる。
そのあまりの数と密集攻撃はレラージェの「滅びの雨音」でも対処しきれないほどだった。黄泉醜女たちはマーサの電気椅子を神輿でかつぐようにして、満天の星空へ向けて持ち上げていく。絡み合いながら太い柱を作りながら。
しまった。レラージェは魔力を上げ、魔法陣の数を増やした。この黄泉醜女たちで出来上がった歪な大木を「滅びの雨音」で破壊しつくせんとしたのだ。
ここにレラージェの隙が生まれた。
「な……」
自らの胸に突如、大きな穴が空いたのだ。
振り返ったレラージェが見たものは。
白鯨の背に乗っていたスライムのようなものから伸びた棘。いや正確に言えば、そのスライムのような魔物の体の一部だった。体を変形させて、その丸い水溜りのような姿から手を伸ばすように、一本の細長い物体が、レラージェの肉体を貫いていた。
「レラージェ!」
魔王ベレスはこの一大事に、一瞬でイザナミの前から姿を消した。レラージェは『カスケード』へ向かって落ちていく。
すぐさま、ベレスはその体を支えた。その背後では、黄泉醜女たちの柱がまだ、怒涛の勢いで伸びている。黄泉醜女たちの瘴気を背中で感じながら、ベレスも白鯨の背の上の物体を見た。
その物体の側にはイザナミ。いつの間にかに、イザナミは白鯨の背の上に戻っていた。そしてアメノヌボコを持ってない方の手で、水色のスライムのような物体をよしよし、と愛しそうに撫でている。
その様子で気付いた。その巨大な水滴のような化け物が何者かを。
「蛭子か……!」
蛭子。イザナギとイザナミが最初に神産みの儀式をした時に、イザナミの方から声をかけたことが災いして生まれた、手足や骨がない、不具の神。イザナミの最初の子。
惨めな姿で産まれたばかりに船で流され、その哀しみを、自身の境遇を、自分の運命を呪いに呪って生き続ける、まさに“祟り”の子。いや、“祟り”そのもの。
「あな、かわいしや、我が子よ」
イザナミは蛭子に抱きついて頬ずりした。蛭子は甘えるようにしてその姿を変えつつ、イザナミの抱擁に応えている。
「ベレス……、あれを知っているのか」
レラージェの背後ではまだ黄泉醜女たちの柱が不気味な声を上げながら伸びていっている。
「ああ、知ってる。“祟り”中の“祟り”。“怨霊”中の“怨霊”だ」
「“祟り”中の“祟り”……? イザナミを合わせタタリ神が二体になってしまったということか」
「そう。不具の子であったが故に、ただそれだけで、母の愛も知らず、流されてしまったイザナミが産んだ初めての子。悲劇の神。“祟り”そのもの。……その名を蛭子と言う」
「ヒルコ……?」
「レラージェ。その傷、すぐに治癒できるか」
「私の権能は、破壊と治癒だ。任せておけ」
「急げ。マーサが天空に連れて行かれた以上、雷神の相手も僕たちがやらなければならない。この状況は君の手には負えない可能性がある。この空間に閉じ込められている以上、君はここから逃げ出すこともできない」
レラージェをその身で守るようにして、ベレスはイザナミの方を振り返った。
蛭子の隣で、イザナミは不気味な笑みを浮かべている。ベレスは察した。
来る──!
と。
果たしてベレスの直感は当たった。そのスライムのような丸い形をした蛭子から、何本もの腕のようなものがもスピードで伸びてきたのだ。いや、腕ではない。蛭子に手足も骨もない。あれは蛭子の肉体が变化した棘だ。
ベレスの焦燥を見抜いたようにイザナミは言う。
「ここまででしょう。私の軍門に下りなさい。下らなければ、私のアメノヌボコと可愛い坊やが、あなた達を滅するでしょう」
再びイザナミが、アメノヌボコを構え、おそろしい程の高速でこちらへと飛びかかってくる。
さらには。
蛭子から伸びた何本もの腕とも棘ともつかぬものが、幾何学的な軌道を描きながら、イザナミのスピードを上回るほどの速さでベレスに迫ってくる──!




