第131話 マグマの巫女
第131話
つい先程まで浅田がいた、その空間を呆然と見る翔太と美優。
「国際魔術会議のエージェントに」
美優がいまだに信じられないといった表情でつぶやく。
「本物の“天使”がいるの……?」
美優は父から国際魔術会議は、すでに定められている神の意思を遂行する為の組織だと聞いていた。神の計画を邪魔しようとする事象を排除すること。神に付き従うこと。
いわゆる“神”の使徒の軍団。
もし浅田が本当に天使なのだとしたら。あれがイリュージョンのような幻惑魔術じゃないのだとしたら。この“神”の軍団に天使が紛れ込んでいるということは国際魔術会議という組織が神秘性を超えた何かを追い求めているという一抹の恐怖を覚える。
とはいえ。
“神”の使徒である天使が、こんなにも身近なところに紛れ込んでいるという事実を、美優もにわかには信じられない。そもそもそんなこと、父は語ってくれたことはなかった。父はバカがつくほど真面目な考古学者であるから、知らなかった可能性も否めないが。
(でも、本当は知っていて隠していたのだとしたら……)
国際魔術会議という組織は、美優が思っていたほど単純な構造の組織ではないことになる。
(何を企んでいる組織なの……)
あまりに巨大であり謎めいている為、美優もかなり前からその全貌を把握することは早々に諦めていた。だが、この衝撃の事実を目の前にすると、諦めという牢の中に閉じ込めていた“疑惑”が、その牢にヒビを入れ、そのヒビから中を覗きたいという衝動に襲われる。
そう言えば、翔太の父もカトリック系の神父だった。バチカンからは破門されたとは聞いてはいるが、“神”の意思に忠実だと語る国際魔術会議が、破門された流派の神父をメンバーに加えているのもおかしい。
あの神表洋平だってそうだ。自称・悪魔祓い師。悪魔祓いの秘術はプロテスタントにはなく、つまり神表もカトリック系ということになる。基本的に神の御業は神のものであり、彼自身が体内に秘める“聖力”というものは、見方を変えると“魔術”とも映る。
神ではなく人が神秘の術を用いるという神秘主義はキリスト教にももちろんある。だがそれらは正統なものではなく、表向きでは邪法、偽書、偽典と呼ばれており、世間一般では「オカルト」とされている。
だが。
ここがおかしなところだが、その国際魔術会議は一応、法王からのお墨付きももらったと言われている。そこに矛盾がある。
(これは、後できちんと調べる必要がありそうね)
疑念を拭えない。しかし目下のところ、今、解決しなければならないのは葉山ひまりの救出であり、崇徳上皇の怨霊払いだ。
日本最大の怨霊・崇徳上皇。
美優はまだ、上空の分厚い雲の合間から見える衣服の裾程度しか視認できていない。
あれが崇徳だとしたら、崇徳上皇の怨霊はあの雲の中。
(どうやっても手が届かない……。どうしたらいいの? 葉山さんを救う方法なんて本当に存在するの?)
「それは私も考えていたことだ」
突如、背後から声が聞こえ、美優は驚いて飛び退いた。
いつの間に地上に降りてきたのだろう。そこにいたのは魔王レラージェ。そしてその傍らには、美優も一度手を交えたことのあるゴーゴン三姉妹の1人、妖獣メドゥーサが付き従っていた。
魔王と名乗る者と実際に相まみえることは成宮蒼以外では初めてだ。蒼=魔王ベレスが比較的冷たい表情をしているのに対し、魔王レラージェの目はまるで微笑んでいるかのような糸目と口元。その髪の毛は紫色を帯びた白であり、腰まで届きそうに長い。
かぶった緑色の兜の前面には、全てを見通す巨大な1つ目がギョロリと目をむいている。腕は3対。つまり6本の腕が弓矢や短刀、鎖分銅などの武器を手にしている。
背には広いマントがはためく。腕以外の体中を覆い尽くす緑色の甲冑はまるで西洋の騎士のようだ。
最も特徴的なのは背後にある矢による輪。それは光りながらゆっくりと歯車のように回転しており、まるで天使が持つ光輪のように神々しく見えた。
一方のメドゥーサは、まるで処女が身にまとうような白いドレス姿。そのあちこちに薔薇の花があしらわれており、風もないのにドレスがたなびき、見たところ女神のように見える。
肩まである緑色の髪は伝承の蛇とは違い、サラサラのストレート。石化の目は当たり前のごとく閉じられており、その美しさは目を見張るほどであった。
彼らを前に、自然と翔太も美優も戦闘態勢になる。
「気をつけて、翔太くん!」
「ああ、わかっているさ」
そんな翔太と美優の前に、槍を拾ったデルピュネーが、しっかりと矛先をレラージェとメドゥーサに向けて立ちふさがった。
「どういうおつもりですか。魔王レラージェ様。助けていただいて大変、恐縮ではあるのですが、もし、このお2人に手を出そうというのでしたら、デルも黙って見過ごすわけにはいきません」
「ふーむ」
レラージェは笑ったような糸目のままで言った。
「元々、そこの北藤翔太を欲しかったのだが、どうも私が思っていた存在とは違うようなので戸惑っているところだ。安心せよ。手を出しはせん」
「翔太様に何の御用だというのですか」
「まあ、もうベレスにもバレているようだし本音で語ろう。私は“666の獣”が欲しいのだよ」
思わず翔太が身構えた。
「だが、見たところその者は太陽神ラーの転生体。その右目のセクメトの炎がそれをありありと物語っておる。となると、私が今やらなければならないのは2つ。私の邪魔となる国際魔術会議という組織の壊滅と」
そしてレラージェは上空の雲を見た。
「魔王の私を差し置いて、この地に災厄をもたらせんとする、あの日本最大の怨霊とやらの排除」
それを聞いてもデルピュネーは槍の矛先を変えなかった。
「魔王と人々から怖れられるあなた様の言葉と言えど、このデル、はいそうですか、とその言葉をあっさり信じるわけにはいきません」
「なるほど。ベレスは良き使い魔を持ったな」
魔王レラージェが賛辞を送った。
「あら。私だって、そこそこ、お役に立てます、わよ」
石化の目を閉じたままのメドゥーサがそんなレラージェに頬ずりする。
「まあいい。私は自分の目的をお前に話した。信じようが信じなかろうがどうでも良い。だが、目的は一致しているのではないか? 日本最大の怨霊。デルピュネーとしてもベレスとしても、あれを排除したいのでないか?」
「それは……」
「あの妖霊星を相手にすると言うなら、メドゥーサでは不利となる。あれは元々、自分を石に出来る。メドゥーサの石化は通用しない。故に今、私は味方が欲しい」
「非道ございます、主様。私にだってやれる事はございます」
「わかっておる。もしもの時の為に取っておいて欲しいと言っているのだ」
そう言われるとメドゥーサはその美しい顔に、翔太が見惚れるほどの笑みを浮かべた。
これに美優はついカッとしてしまう。
「何よ、何よ、何よ、何よ! あなたたち、今になって私たちの味方になりたいってどういうわけ? 過去に襲われたことを考えると、とても信じられないんですけど!」
「味方……。そうだな」
レラージェは翔太を見た。翔太の右目にはエジプトの戦闘の女神・セクメトの真っ赤な炎が燃え盛っている。
「セクメト、神の力だな。それを解放すれば、あの妖霊星、すなわち大天狗ともいい勝負はできそうだ」
「俺があのどでかい石の塊と?」
レラージェは翔太らのむき出しの敵意をまるで意に介さず再び、こう提案してくる。
「もう一度言おう。とにかく、今は、“共闘”してもらいたい」
デルピュネーも声を発せず、この魔王の言葉をの真意を探っている。悪魔という存在は、嘘をついているのか本当のことを言っているのか、わからない。人をたぶらかすものだ。だが、魔王クラス、しかも悪魔の大侯爵クラスの言葉、信じていいのだろうか。
「我々の敵は崇徳上皇。それは共通している。こちらとしてはデルピュネー、シャパリュ、そしてそのセクメトの力を宿す北藤翔太にも協力を仰ぎたい。おい、女。お前もマグスの資質を身に秘めているな。今は魂の奥底に眠ってはいて見えにくいが、どうやらそれはとりわけ大きいもののようだ」
「ふざけるな! 今さら信じられるか」
翔太が叫ぶ。
「信じてもらうしかなかろう」
レラージェは答える。
「その為に、戦闘不能だったデルピュネーを治癒したのだ。まあ、あの天使の存在で、国際魔術会議とやらが、私の明確な敵であることもわかったこともあるし、デルピュネーを救ったのは、ベレスへの貸しでもあるが」
クスッと魔王が笑った。
「ちょっと待って」
美優が割り込んでくる。
「魔王……レラージェと言ったかしら、あなた」
「正確には地獄の大侯爵。まあ人間の言葉で言えば、戦闘貴族といったところだがな」
「私の、……とりわけ大きなマグスの資質が、魂の奥底で眠っているって、どういうことなの?」
レラージェはその糸目をニコニコさせたままそれを聞く。
「私の魂の中には、まだ私が知らない何かが存在しているってことなの?」
レラージェはそれには答えなかった。
「その問いに答えるのは今ではないようだ」
「どうして」
レラージェは交差点側を差した。
「妖霊星が、そろそろ動き始めるからだ」
※ ※ ※
『がああああああああああああああああああああああ』
妖霊星の動きをその肉体すべてを使って止め続けていたギリシア神話の英雄・ペルセウスの肉体が、妖霊星の放つ高熱で焼けつくされつつあった。
レラージェが指令を発する。
「私の中に戻れ、ペルセウス! その大天狗、妖霊星は私たちが破壊する。その身が滅ぶ前に戻るのだ」
ホムンクルスでできた肉体と言えど、そう代わりの肉体がすぐに用意できるわけではない。その声に、ふっと光の粒になりながらペルセウスは消えていく。
それと同時に、妖霊星はズドンと路面に落ち転がる。もうあの流星のような推進力は失っているようだ。
レラージェが右手で大きくマントを翻した。そこに現れたのは、水城市の人々を大量殺戮に導いたゴスロリ少女の群れ、そして上空にはキューピッドの姿をした矢を持った天使像の群れ。
「あ、あれは……」
「全部、あなたの仕業だったのね」
その翔太と美優の怒りにレラージェは糸目のニコニコで答える。代わりに兜の前頭葉に位置する巨大な1つ目が強力な光を放った。
「さあ、妖霊星よ。大天狗の力、魔王と呼ばれるこの私に見せてみよ!」
レラージェが戦闘状態に入った、その時である。
巨大な地響き。
「地震!?」
それが数秒続いたかと思うとその後突然、轟音が鳴り響き、江戸岡交差点にある大きなスーパーマーケットの屋上から一気に上空へ、溶岩のようなものが噴き出した。
まるで火山の噴火だ。
ちょうど葉山ひまりと牛鬼が消失した辺り。
その天井から、まるで生き物のように蠢く巨大な真っ黒な噴煙が立ち昇り、その合間から真っ赤に光るマグマが踊り狂っているのが見える。
噴火の衝撃波が翔太らを襲った。
瞬時に魔王レラージェは魔法陣を張る。衝撃波はその魔法陣に弾かれ、飛んでくる噴石が、目の前の見えない壁にぶつかっては砕かれ、落ちていく。
レラージェの糸目が少し開いた。鋭い殺人鬼のような瞳がかすかに覗く。
「これは」
レラージェとしても予想していなかった状況のようだ。噴石が上空の天使像、そして路面のゴスロリ少女たちを次々と押し潰していく。
噴煙の間には稲光が走り、マグマがじっくりとスーパーマーケットの天井から下へと流れ落ちてくるのが見える。
「……崇徳上皇と大天狗の他に何がいるというのだ!」
美優は魔王レラージェの声から動揺を読み取った。魔王として成宮蒼ほどの威圧感は感じない。とは言え、ソロモン72柱の1柱に数えられる魔王がここまで冷静さを失うような、何かがこれから起こるというのか。
だが美優も思い知ることになる。
想像以上の動揺と驚がく、衝撃。
真っ黒な噴煙の塊と、神々しく光るマグマ。
その大噴火の中から現れたのは。
完全に意識を何者かに乗っ取られ。
さらには巨大化した、あの、消失した少女。
崇徳上皇の依代となり、崇徳上皇をこの世に呼び寄せた張本人。
巨人・“葉山ひまり”の姿だった──!




