第128話【中編】 ねじきられる首
第128話【中編】
魔王レラージェの下僕・ペルセウスだった。
狂戦士として改造され、理性を奪われた、ギリシャ神話の英雄。
焦げた肉の匂いが、夜気を侵す。
だが、その背中は――苦痛の声ひとつ、上げない。
ということは――当然、ヤツもここにいるはずだ。
どうしてこうも、思い通りに運ばない。
シャパリュは舌打ちしかけ、しかし頭を振る。
視界を走査する。
だが、周囲にその姿はない。
――ならば。
「上かっ……!!!」
反射的に、視線を天へ跳ね上げた。
いた。
そこに――確かに。
緑色のフルアーマーに身を包んだ存在。
手には、あまりにも巨大な弓。
その背後には、円環を描くように無数の矢が浮かび、
まるで歯車のように、静かに回転している。
「まさか、この場面で姿を表すとはね」
シャパリュは、わざと皮肉を滲ませた。
「君は『第三の理』とは、距離を置くものだと、思い込んでいたよ」
上空から、声が落ちてくる。
渦巻く暗雲の下。
矢の輪を背負ったまま。
「事情が変わったのだよ」
低く、静かに。
「私という“王”を差し置いて、この地の“王”を名乗る痴れ者が、覚醒し始めていると聞いてな。放ってはおけなくなった」
その声の主――
魔王レラージェ。
ソロモン七十二柱の一柱。
戦争を司る、悪魔。
そして傍らには、やはり魔獣・メドゥーサ。
白いドレスに薔薇の刺繍をあしらい、
美しい少女の姿のまま、
レラージェに寄り添うように浮かんでいる。
シャパリュは宙を蹴り、レラージェのいる高度まで一気に上昇する。
距離を詰めなければ、その言葉の毒が地上へ落ちる。
ついに――
魔王レラージェと、シャパリュが向き合った。
「魔王レラージェ。ベレスさまの邪魔立てをするつもりか」
珍しく、シャパリュの声は低く抑えられていた。
いつもの軽口は、影もない。
レラージェは答えない。
その糸目の奥で、じっと、値踏みするように見ている。
「ベレスさまの邪魔立てをするというのなら――それは、僕を敵に回すということになるんだが」
一瞬。
空気が、重く沈む。
レラージェの糸目が、さらに細く絞られた。
「その姿……なるほど。シャパリュだったか」
シャパリュは前脚で腕を組む。
視線は逸らさない。
「僕を知っているなら話は早い。
去るか、去らないか。
後者を選んだ場合、君は後悔することになる」
クックック、と。
低い笑いが、雲間に溶ける。
「うちのペルセウスが、かなり世話になったようだが。
なるほど。
お前がベレスについているのなら、さもありなん」
「御託はいい」
シャパリュの声が、わずかに冷える。
「去るか、去らないのか。早く決めろ。それがお前の身のためだ」
「山猫風情が――魔王を前に、それを言うか」
その言葉には、強烈な圧があった。
空間そのものが、軋むほどに。
だが、シャパリュも退かない。
「お前も魔王と威張ってはいるが――
それにしては、悪趣味の極みをさらしているな、レラージェよ」
視線を逸らさぬまま、さらに続ける。
「そこのメドゥーサ。そして下方のペルセウス。
宿敵同士であるこの二体を組ませ、
あまつさえ、あれほどの大英雄をバーサク化するとは――
冒涜。
呆れ果てた愚行。
とても“王”の器を持つ者の所業とは思えないが?」
「そうそういじめるな。英雄殺しよ」
魔王レラージェが、にっと口角を上げた。
その笑いは、あまりにも軽い。
まるで、先ほどの圧など最初から存在しなかったかのように。
シャパリュは、ほんの一瞬だけ戸惑う。
「私は、お前たちと争うつもりはない」
「……なんだと?」
レラージェの緑の兜。
前頭葉部に据えられた大きな目玉が、ギョロリと動く。
「どうだ、シャパリュ。
我ら、力を合わせてみぬか?」
予想の外側から差し込まれた一手。
「……力を、合わせる?」
シャパリュは、さすがに言葉を失った。
──あれが、あくまで666を奪うことを目的としているのなら、
それはベレスさまの敵であることを意味する。
(だが、なかなかに食えないことを言う……)
シャパリュは少し考えた後、冷ややかに問い返した。
「あれが崇徳上皇だと見抜き、消しに来たのではないのか」
「名は知らん」
レラージェは突き放すように答えた。
「雲の中のものに関しては、突き止めたというより――察知した、が正しいな。
あれは、自らを“王”たらんとする欲望を存分に撒き散らしておる。
そして厄介なことに──」
一瞬だけ、レラージェの表情に陰が落ちた。
「あれが力を増してから、どうにも私の魔力に“乱れ”が走るのだ。
術式も回路も正常だというのに、思考の端に雑音が混じる。
世界そのものが、噛み合っていない感覚がある。
──ゆえに、消しに来た。
これだけでも、私がお前たちに力を貸す理由としては――十分ではないか?」
シャパリュは黙って聞いている。
悪魔は相手を惑わす。がゆえに、悪魔と呼ばれる。
シャパリュの本心を見抜こうとしている。
「それに、そのお前の言う、崇徳上皇とやら。
そいつが、なぜ666の獣の匂いをまとっているのか……
──知っておるのだろう?」
その問いは、静かだったが、鋭かった。
(やはり、そこに帰結するか……)
だが、それはまさに、シャパリュ自身も知りたいところだった。
答えは、まだ見えていない。
ゆえに、沈黙する。
その代わり、シャパリュはレラージェの一挙手一投足を見逃さない。
腕組みをしているが、いつでも戦闘態勢に移れる構えだ。
……だが。
会話とは別に、戦場は動いている。
足下から伝わる振動が、それを否応なく知らせていた。
視線をわずかに落とす。
下方では、ペルセウスがなおも妖霊星を受け止めている。
上空で交わされる会話とは裏腹に、
地上の現場は、いまも進行している。
妖霊星の動きが止まり、
その表面を包んでいた炎が、ようやく勢いを失い始めていた。
速度が落ち、摩擦による空力加熱が弱まった。
直撃を受けたペルセウスの全身は、すでに焼け焦げている。
肉の焼ける、鼻を刺すような臭気が、この宙空にも届いてくる。
それでも、驚くべきはペルセウスの精神だ。
皮膚がただれてなお、当の本人は、まったく意に介さない。
「悪いが、知らない」
シャパリュは本当のことを言った。
真なる言葉なら、心を読まれることもない。
「そうか……。シャパリュならばもしや、とは思ったのだがな。
もし崇徳上皇が666の御子であるのなら理解はできる。
だが、それにしては匂いが薄い。
漂う気配のみが666なのだ。これは、どういうことなのか……」
「英雄ペルセウスと、ペルセウスに首を刈り取られたメドゥーサ」




